花の女
今日は人材募集の貼り紙が指定する日の第一弾だ。たくさん集まってくれるといいんだけどね。
私は基本的に早起きなんだけど、今日は張り切ってるからか、より早く目が覚めてしまった。薄暗い時間でも爽快な目覚めでベッドから起き上がる。
まだ静かなキキョウ会本部の中、気合を入れるべく、少し冷たいシャワーを浴びて心と体をスッキリとさせた。
紫紺の髪から滴り落ちる水気を丁寧にタオルに吸わせてると、脱衣所に誰か入ってきた。
「ユカリ、相変わらず早いですね」
「あんたは珍しいわね、フレデリカ。いつもはもう少し遅いのに」
「いえ、それが……」
私とは逆にあまり眠れなかったらしい。浅い眠りを繰り返してるうちに日が昇ってしまったから、もうシャワーを浴びて眠気を覚まそうとしてるんだとか。
「なに、緊張でもしてんの?」
「そういうわけではないと思うのですけれど。募集を開始してから昨日の今日ですし、あまり集まらないと思いますよ?」
「やっぱそうかな」
命の危険があるとも書いたわけだからね、募集したところで、そうそうたくさん集まるはずないか。
ひょっとするとゼロってことも。いやいや、まさかゼロってことはない……ない、よね?
嫌な想像をしながら身支度を整え、いつもの日課に繰り出すことにした。
「じゃあ、私は地下で魔法の訓練してるから、なんかあったら呼んで」
「ええ、わたしもシャワーを浴びたら、一度表の様子を見に行きます」
集合は午前と指定したけど、さすがにこんな朝早くに顔を出す志願者はいないだろう。
地下訓練場に行くため、一旦外に出るべく玄関に向かう。訓練場はガレージからしか行けないから、必ず一度は外に出なくちゃならない。いまさら遅いけど、この構造はなんとかならんものか。
外に出れば朝日が眩しく、乾いた空気も気持ちがいい。地下に籠るんじゃなく、外で体操でもしたいところだ。
そんな爽やかな朝の一ページを切り取る白い影に、ふと気づいた。
朝日を遮るように立つその姿は逆光になって、顔を見ることはできない。この時間に出歩く人は少ないんだけどね。
あ、まさか、募集に応じた人?
「あのぅ、キキョウ会さんはこちらで良かったのでしょうか~」
なんだか間延びした声が聞こえた。近寄ってみれば、困ったような顔で頬に手を当てる麗人だ。
優しげな雰囲気の女で、白の装いが良く似合ってる。白い魔女ルックとでも呼べばいいだろうか。
白くつばの広い先の尖った大きな帽子に、同じく白のふんわりとしたドレスのようなローブと、至る所に散りばめられた色とりどりのコサージュ。腰のあたりに大きなキキョウの花飾りが付いてるのはポイント高い。足元に置かれた鞄にも花のデコレーションが付けられてる。よっぽどのお花好きなんだろう。
正直に言おう。ウチに応募するような人にはまったく見えない。
だけどいま、たしかにキキョウ会って言った。うーん、なんか別の用事かな。
「えっと、キキョウ会はここで合ってるけど」
「まあ、良かったです~。あたし、良くそそっかしいところがあるって言われるのでぇ、心配しちゃいました~」
こういう人、初めてのタイプだわ。独特のペースがあるわね。別に嫌いじゃないけどさ。
「あー、ここにはどういった用事で?」
「人材募集ってあったのでぇ、是非にと思ったのですよ~」
マジか。キキョウ会を勘違いしてるんじゃないのか。もしかして、こう見えて意外と武闘派だったりするとか?
分からないわね。とにかく話を聞いてみよう。今日の訓練は中止だ。
「なるほどね。とりあえず中に入って。私が話を聞くわ」
「まあ、ありがとうございます~。それでは、お邪魔します~」
白い彼女を先導して本部の中に戻った。
フレデリカはシャワー中だし、ほかの早起きなメンツもそろそろ起きる頃合いだ。もうちょっとで誰かくるだろうから、それまでゆっくりとお話でもしてよう。
応接セットに座ってもらって、手早くお茶の準備だ。
いつもの紅茶フレーバーの体力回復薬を作る。ポットの中に温かいのを生成して、ティーカップへ注げば良い香りが事務所に漂った。地味に紅茶フレーバーのクオリティが上がってると自負する一杯だ。
「紅茶よ、どうぞ」
「とっても良い香りですね~。いただきます~、んっ、あらぁ? とっても美味しいのですけどぉ、これは茶葉を使ってはいないのですか~?」
「よく分かったわね。これは魔法で紅茶に似せて作ったものよ」
「ふふふ~、こう見えても植物の専門家なのでぇ、すぐに分かるのですよ~」
へえ、花が好きそうな格好は伊達じゃないのね。
専門家か、面白そうだ。その辺のことを聞いてみよう。
彼女の正面に腰かけて向かい合うと、紅茶をひと口飲んでから切り出す。
「まずは自己紹介からね。私は紫乃上。キキョウ会のみんなにはユカリって呼ばれてるわ。あなたは?」
「あたしはオーキッドリリィって言います~。花魔法が得意なのですよ~」
「花魔法?」
また珍しい魔法ね。それとも何かの比喩か。
「そうなのですよ~。お花を咲かせる魔法なのです~。えっへん」
ほう、花を咲かせるか。勉強家の私でも知らないかなりユニークな魔法だ。花を咲かせるって言ってもどこまでの範囲なんだろう。本当に花だけ?
花であればありとあらゆる植物が可能なのか、樹木や果実も可能なのか、植物の成長を促進させるだけなのか、魔力で生み出すことが可能なのか。規模や速度も気になるわね。
パッと思いつくだけでも色々あって面白そう。研究意欲が湧く。
「あれ、その服に付けてる花って、もしかして本物? 造花じゃなくて本物っぽいけど、魔法で作ったってこと?」
「ふふふ~、そうなのですよ~」
自慢げに立ち上がって、くるりと回ってみせた。自然にこういうことをするところが天然っぽい。
「花の良い香りがするし、とてもいいわね。それにしてもあなた、随分と朝早いわよね」
素直に褒めつつ、早すぎる朝の来訪について聞いてみた。
「早朝にしか咲かないお花がこの近くの花壇にあるのですよ~。そのお花を見ながらお散歩してたら、早く着いちゃいました~」
近所のおばちゃんたちが共同で管理してる花壇がいくつかあったはずだ。それのことかな。
「本当に花が好きなのね。ところで、花魔法ってのが気になるんだけど、良かったら教えてくれない?」
「もちろんなのですよ~」
かなり興味深い魔法なんで色々と聞いてみれば、秘密にすることでもないのか何でも答えてくれた。
さっき思った疑問を投げかければ、なんと大抵のことはできるらしい。はっきり言って凄い魔法だ。なればこそ、キキョウ会に入ろうとする意味が分からない。
これほどユニークかつ、有用な魔法適正を持ってるなら欲しがる組織は山ほどあるだろう。
彼女にとってもっと快適な環境を提供できる機関や組織が、ほかにあるはずだと思うんだけどね。それがなんでキキョウ会にって感じで、素直に疑問をぶつけてみた。
腹の探りなんかやる必要はないんだ、素直に聞けばいい。
「実はですね~、こう見えても以前はレトナークの宮殿でお庭の管理を任されていたのですよ~。それがあんなことになっちゃいまして~」
驚きというか納得の経歴を披露しながらも、落ち込んだ様子の彼女に詳しく聞いてみた。するとずいぶん苦労したみたいだった。
彼女はレトナークでクーデターが起こるまでは、宮殿の庭を好きにさせてもらってたそうだ。王宮庭師ってわけだ。なかなか凄い。レトナークの王妃は花が好きで、彼女が自由気ままに作る花園をいつも褒めてくれてたんだとか。
クーデターの後に王妃がどうなったのかは分からないらしいけど、丁寧に作り上げた花園や庭園は反逆者に踏み荒らされたあげく、彼女には魔法を軍事に活かすよう強要したそうだ。
花好きの彼女がそれを了とするはずもなく、レトナークを出奔してエクセンブラまで流れ着いたというわけだ。
「――いや、それでなんでキキョウ会に?」
「ふふふ~、このお花なのですよ~」
腰の部分に付けたキキョウの花を優しい手つきで触りながら、それだけで分かるでしょと言わんばかりの彼女だ。いや、分からんて。
「それはキキョウよね。まさかキキョウ会って名前だけで決めたわけじゃない、わよね?」
「そのまさかなのですよ~。あたし、数あるお花の中でもキキョウが一番大好きなのですよ~。キキョウ会のお名前を見た瞬間、これはもう絶対運命だって思ったのですよ~」
満面の笑顔で嬉しそうに運命を語る美しい女。
どうしたもんか。ちゃんと募集要項は全部読んだのだろうか。ここはハッキリしておかなければ。
「あのさ、ウチの募集要項はちゃんと読んだ? 危険なのよ?」
「問題ないのですよ~。あたし、珍しいお花があると聞けば火の中水の中、魔獣の巣にだって突撃しちゃいますよ~。実際にぃ、逃げ出す時には兵隊さんたちを薙ぎ倒してきたのですよ~」
こう見えても強いのですよ~、なんて言ってのける彼女。それが本当なら実際、大したもんだけどね。
花魔法が聞いたとおりに使えるなら、逃げるくらい問題ないと思える。
ちゃんと聞いてみれば、薙ぎ倒したと言うよりは単なる足止めにすぎないとは思うんだけど、大勢の兵士から逃げ切るのはそれなりに大変だったはずだ。うん、意外とやるわね。
「それに募集要項にはこうも書いてありました~。各分野を募集中で~、能力を活かしたいとか何かを求めるなら~ってあったのですよ~」
「なんか、やりたいことがあるってわけ?」
「ふふふ~、それはですね~」
得意げな顔をした彼女の自己アピールを聞いてみれば、のほほんとして天然そうなのは見た目だけ、なのかな。意外と打算的なところもあった。
まず、花が好きで特にキキョウが好きってこと。それでキキョウ会に興味を持ったらしい。それが第一の理由みたいだ。
次に募集要項を軽く見ただけで、ウチが普通じゃないことくらいは分かったけど、むしろそれが良かったらしい。
当然だけど、彼女はレトナークのお尋ね者だ。まあ、お尋ね者と言っても本物の犯罪者ってわけじゃない。これだけ稀有な魔法適性があれば、無理に戦闘をさせなくても活かし方は様々ある。クーデターの軍事政権だったとしても、確保しておきたい人材だろう。
そんなわけで便宜上というか、奴らの都合でお尋ね者になってる状況だ。難癖付けて無理矢理にでも言うことを聞かせようって魂胆ね。私としても、すっごく気に入らない。
キキョウ会は怪しい奴らの集合体だからね。そんな中に紛れつつ、万が一の時には仲間になった私たちに保護してもらうと。そういう打算だ。
それから普通じゃないところなら、普通じゃないことをやらせてもらえるかもしれないってことだった。
彼女はとにかく花が好き。究極の夢は世界中を花で満たすことなんて豪語する。宮殿にいた時代から、箱庭の中だけじゃなくて、もっともっと色々なことがしたいと思ってたそうだ。個人でやってみればいいんじゃないかと思わなくもないけど、組織力をバックに大規模に実践する構想でもあるんだろうか。
最後に、先立つものがないといった事情だ。即物的な事情から待遇面で惹かれたところもあると。ウチに入れば食事と宿の心配はないからね。
彼女について、大体理解できた気がする。
抱えたいくつもの事情から、ウチに入ることは合理的とも思える。やりたいことがあるのも大変結構だ。
だけど、いくらウチでも儲からない事業に金を出してやることはできない。
儲け以外のほかに納得できる要素があれば考えなくはないけど、基本的には金儲けができないなら却下だ。個人で勝手にやる分には構わないけどね。ただその前に、キキョウ会の役に立ってもらわないといけない。
とにかくウチの看板背負って、何かをしようってんなら当然見返りを求めるとも。
「おはようございます。お客様ですか?」
奥の扉が開くと、さっぱりした様子のフレデリカがようやく登場した。髪も完璧に乾かしたみたいでサラサラだ。
「募集要項を見てきてくれた、オーキッドリリィさんよ」
「えっ!? さっそく応募の方がいらしたのですか」
「リリィと呼んでくださると嬉しいのですよ~」
「じゃあ遠慮なく、リリィって呼ぶわね。フレデリカ、紹介するから座って」
今しがたリリィと話した内容を本人に再確認しつつ、フレデリカに伝えてやった。
「花魔法ですか。とても素晴らしい魔法適正です。これは単純な儲け以外にも、色々な可能性の期待できる能力ですね……」
何やら考え込むフレデリカ。良い考えがあるなら任せてもいいけど、リリィの意思も大事だから良く聞いてみないとね。
とにかく重要なのは、キキョウ会に入ることが命がけなんだと本当に理解したのか。意欲があり、役に立ってくれるかどうか。それが満たされるなら、まずはいいんだけど。
「……ユカリ、キキョウ会にも表の看板が欲しいとは思いませんか?」
考え込むをやめたと思ったら、スクエアの眼鏡がキラリと光った。
「どういうことよ?」
「キキョウ会とは何をやっている団体ですか? と聞かれた時に、当たり障りのない表向きの看板があれば、と考えていたのです。護衛や警備、ゆくゆくは酒場の経営も行う予定ではありますけれど、もっと夢のあるといいますか、別の看板が欲しいとも思っていました。そちらをメインに働いてもらう人も雇う事ができるようにもなりますし」
表の看板か。そういうものがあれば便利なのかな。
それに今後、メアリーたちのように成り行きでウチに入るのも出てくるかもしれない。こんな世の中で悲惨な境遇の女なんて、それこそ掃いて捨てるほどいるに違いない。誰も彼も助けてやる気なんてないけど、見所のある人や気に入った人くらいは助けてやろうと思わなくもない。
今のところは私とロクデナシどもの趣味で、キキョウ会は暴力と金儲けがメインの組織になってるけど、その他の部門があったっていい。
「たしかにね。それに表の顔と裏の顔ってのは、ある種の憧れでもあるか。なんかカッコいいし」
「格好いいかはともかく、実利にも結び付くと思います」
細かいことはフレデリカのような頭脳労働が得意な人が考えればいい。
表の看板てのを作ったほうが良いと言うなら、私は任せるだけだ。
「あの~、あたしは何をすることになるんでしょ~?」
「……そうですね、せっかくの素晴らしい魔法を活かして、花を売る店なんてどうでしょうか。世界を花で満たす前に、まずはエクセンブラを花で満たしましょう。いかがですか?」
「まぁ~! それは素敵ですね~」
花屋か。そう言えば、この街には花屋がなかった気がする。アクセサリーやインテリア用品として造花を売ってる店はあっても、生花を販売する店はたぶんない。少なくとも個人レベルでやってるような店舗は、これまでに見かけたことはないと思う。
商売としては庭師がいるし、花壇もあればガーデニング用に種子なんかを売ってる店もある。花とは自分で育てるか、森や野原から採ってくるものであり、買うものではないといった考えが無意識にあるのかもしれない。
まあエクセンブラは職人の街ってこともあるし、それなりの規模で花を育てる農家や輸入業者がいないだけかもしれないけどね。
でも売ってれば手軽に手に入るし、需要がないとも思えない。やってみる価値はある気がする。
「よし、分かった。店舗の用意やなんかで諸々の準備が必要になるけど、そこはフレデリカとリリィに任せるわ。まずはそこで利益を上げることね。でも、その前にもう一度確認。キキョウ会に入ることは、大げさじゃなく命懸けになるわよ。それに最初は見習いからになるし、報酬はほとんど出せないわ。さらには厳しい訓練だって待ってるし、かなりキツイわよ。それでも構わない?」
「ご飯とお宿は保障されるのですよね~? でしたら、望むところなのですよ~」
むんっ、と気合を入れるリリィ。
結論。
持ってる魔法適正のユニークさ、少女じみた夢と情熱、儲けられる可能性、意外な戦闘への応用力、キキョウが好きであること、リスクを理解し受け入れていること。並べれば魅力的なところばかりで、不満なんてない逸材だ。
フレデリカとうなずき合う。決まりだ。
「そんじゃ、どこか部屋を割り当ててあげて。もう少ししたら、みんなも起きてくると思うから、そうしたら朝食にしよう」
「朝ごはんです~」
「ではさっそく部屋に案内しましょう。リリィ、付いてきてください」
リリィとはそれなりに長く話してたけど、まだ早朝のうちだ。
よし、まだ早いし訓練のやり直しだ。新入りの紹介やなんかはフレデリカに任せて、私は日課を少しでも消化しよう。




