大都市に潜む悪意
大陸で最も栄えた国ベルリーザ、その首都ベルトリーアを訪れてから初めての雨。
しとしとと朝から降り続ける雨は、夜になってもやむ気配がなかった。
漆黒の海を背景に影のように立ち並ぶ倉庫群、そして港湾区域に隣接したスラム街を、遠く距離を置いたビルの上から眺めやる。
普段なら昼夜を問わずに働き手が動き回る倉庫群には悪天候のためか人影や明かりはなく、逆にスラムでは冷える雨の夜から暖を取るためかそこら中で火が焚かれ、茫洋とした明暗のコントラストを生み出すことになっていた。どこか幻想的な、しかし不気味な雰囲気を感じさせる。
聖エメラルダ女学院からは少し遠いこの場所で、今夜も学院の講師とは無関係な仕事に精を出す。我ながら働き者だ。
「――スラム東部の一番高いビル、その七階と八階です」
隣に立つレイラが差し出した闇を昼のように映す魔道具を受け取り、言われた場所に目を向けた。
ぼろいビルの窓枠の向こうには事前に聞いた通りの状況がある。魔道具さえ使わなければ濃い闇で何も見えなかったはずのそこにあるのは、この世の地獄のような光景だ。
あんなのは見るだけで憂鬱な気分になってしまうけど、残念ながら仕事だ。見たくないものだって見なくちゃならない。
「最悪ね」
ぶちまけられた血や臓物で部屋の中はどす黒く染まり、腐乱したいくつもの死体から大量の虫が湧いてる。
虫も嫌だし、腐敗臭ってのはひどく不快だ。特に人間の血肉が腐った悪臭は、鼻が曲がるかと思うほど耐え難い。おそらくは死後数日、暑い季節を考えて早くて死後三日から四日って感じだろうか。あの現場に入ることは心の底から拒否したい。
「あれがバドゥー・ロットのアジトです。会長でしたら、何か分かりませんか?」
学院の生徒を誘拐した愚連隊ジエンコ・ニギ、その後ろに付いてたとされるのがバドゥー・ロットなる組織だ。レイラがそいつらのアジトを見つけた時点で、あんなことになってたらしい。
奴らはアナスタシア・ユニオン前総裁のバカ息子と付き合いの深い組織とも見られてる。それがああなった理由はなにか、何者がやったのか。
もし学院や私たちに繋がらない事が原因なら、是非とも放っておきたい出来事だ。どう考えても厄介事だろう。深入りなんかしたくない。
「……ふーむ。たしかに、よーく探ってみれば複雑に入り組んだ魔力反応を感じるわね。かなり薄く、それいて巧妙に隠された何かを感じるわ」
「やはりそうですか。踏み込んでみれば、何があったのか推測する材料くらいは見つかるかと思ったのですが」
あの空間に行くなんて考えたくもないんだけど、レイラは情報局幹部補佐だけあって調べてみたいようだ。
「どうせ罠ね、突っ込まなくて正解よ。よく踏み止まったわね、レイラ」
「生徒会棟で一度は引っかけられていますからね、しゃくに障りますがいい経験でした」
レイラの魔法適性は知覚を共有する分身体を生み出せるけど有効距離が短い。最悪はビルが吹っ飛ぶような罠かもしれないと思えば、生身で踏み込むことはもちろん分身体を使った手出しも迂闊にやるべきじゃない。
「警報の類なら問題ないんだけどね、今回はあの惨事を作った奴の置き土産かもしれないわ。慎重にやるべきよ。でも遠くからの魔力感知だけじゃ、さすがに良く分からないわね」
「どんな罠かが分かれば、それが手掛かりになるかもしれません。しかし、やはり危険ですね」
「突っ込むどころか、近づくのもやめたほうがいいわ。どうにも感知すればするほど嫌な感じよ」
今のところはただの印象や勘にすぎない。でも命の掛かった場面じゃ直感を大事にすることも重要だし、あそこの調査に命を張る価値があるかと言えば少なくとも現段階じゃ別にない。
「はい、気にはなりますが……」
「そういや、スラムの連中はあれに気づいてないと思う? いくらスラムだからって、死体をそのままにはしないわよね」
「大抵は専門の掃除屋がいます。建物の高い位置なので、まだ異変に気づいていないのかもしれませんね。それに奴らは恐れられていたようですから、あの建物自体に近づく者が少ないのではないかと思います」
「だったら気づかせてやるか。連中にとっても死体処理は早いほうが助かるだろうし」
すでに十分ひどい状況だけど、これからまた数日後に気づくよりはマシなはずだ。どっちにしてもスラムの連中があそこに踏み入るなら、それがいつになろうと同じこと。だったら、今すぐに行かせてみればいい。
「そうですね。では適当な売人にでも声をかけてみます。銀貨の一枚も掴ませれば簡単に動くでしょう」
黒衣にスカルマスクを被ったレイラが、高度な身体強化魔法を使って屋上から跳び上がった。
雨の中、身軽に屋根から屋根へと飛び移り、瞬く間にスラム街に侵入するのを見守る。建物の陰に入ってしばらく経った後、再び屋根の上を駆けてレイラは戻った。
「ちょうどいま、あのビルに入ってく奴がいたわ。かなり背が高くて痩せた男よ」
「痩せた? わたしが伝言を言いつけたのは太った男です。なかなか鼻が利く男ですね」
「危険を察知して身代わりを使ったか、なにも考えず子分に行かせただけか。ま、こっちとしては誰でもいいわ」
遠距離から魔力感知を集中し、痩せた男の状況を監視する。
ビルの上階に向かった男は階段じゃなくエレベーターを使用してる。徐々に上昇する男の位置が止まり、フロアに歩き出して少し。明確な異変を感じ取った。
「会長、弱いですが魔力反応です。罠が発動したんじゃないですか?」
「そうね。徐々に魔力反応が強くなってきてる。この薄く広がるような感じはガスっぽい……なんらかの魔法薬をバラまいてるわよ、これ」
効果は不明だけど絶対にヤバい魔法薬だ。フロアに入った男の魔力反応がぐんぐん弱り早くも消滅した。
しかも、これだけで終わりじゃなかった。
「急激な魔力が……これは……想像以上に悪辣ですね」
ビルの当該フロアから黒い煙が噴き出したと思ったら、ビル全体の数十か所から連鎖的に魔力反応が膨れ上がり、一気に建物が崩れ去った。
爆発とは違い腐って崩れるような、そんな倒壊の仕方に見えた。ヴァレリアの崩壊魔法と同じか、それに近い効果のある魔道具じゃないかと思う。さらに魔法の余波か、隣接する建物まで半分近く崩れ落ちたじゃないか。
最初に発動した毒ガスっぽい魔法薬の散布に続いて、建物を崩壊させるほどの罠。
いくらなんでもオーバーキルって感じの罠だ。毒ガスや爆弾は想像できても、まさかビル丸ごと崩す仕掛けがあるとは思わない。元からあった警備用じゃなく、あの殺しをやった何者かが仕掛けたのはまず間違いない。
「あそこまでやる必要あると思う?」
「どうでしょう、あの徹底した手の込み方は個人の仕業とは思えません。証拠隠滅や残党か追跡者を排除するための罠としても大がかりすぎますね。いくらスラム街での事件とはいえ、あそこまで派手にやってしまえば青コートが出張ってきますよ」
「逆に青コートを気にしてたら、あんな派手なことはできないわ。無謀な連中か、それなりの力のある組織の二択なら、後者が本命よね」
「この街でそこまでの有力組織となれば、第一候補はアナスタシア・ユニオンですが……バドゥー・ロットは御曹司の紐付きですからね。派閥間抗争の関係でしょうか」
だとすれば、現総帥派閥の奴らが御曹司の手先を潰すために仕掛けた?
「あり得るけど、どうにもしっくりこないわね。アナスタシア・ユニオンの敵対勢力とか、単純にバドゥー・ロットの敵がやっただけかもしれないわ。まあ、あれだけ派手にやれば痕跡も綺麗さっぱり消えてるわね。そのための仕掛けでもあるんだろうし」
「情報を集めていけば、どこの仕業か噂程度は拾えると思いますが……」
真偽不明な情報を得ても大した意味はない。レイラ一人に深追いさせる意味だってないだろう。ここらが潮時だ。
「真相にたどり着こうと思ったら、かなりの労力が掛かるわね。いいわ、誘拐事件はもう済んだことだし、滅びた奴らのことは捨て置くわよ」
「了解しました。では学院生を中心にした情報集めに戻ります」
「うん、これまでレイラには結構な負担をかけてたからね。少しは学生生活を楽しむといいわ。なんか倶楽部にでも入ってみたら?」
「そうですね、考えてみます」
妙な事件は忘れてしまうに限る。さて、帰ったら熱いシャワーを浴びてベッドに入ろう。
アナスタシア・ユニオンへの懸念が深まった気はするけど、とりあえずは相手の出方を見るしかない。
ところがだ。帰る前に広く様子を探ってたら、妙な連中を発見してしまった。
港湾区域の倉庫街で、明かりも焚かずに動き回る連中がいる。さっきまではいなかったはずだ。
「レイラ、待った。なんか怪しい奴らがいるわよ」
「どこですか?」
「倉庫街の中心から、やや東くらいの場所よ。分かる?」
「……見えました。この距離でよく気づけますね。あの雰囲気からして堅気ではなさそうですが」
「まだいるわね。数台の車両が港のほうから近づいてる。たぶん仲間よ」
「この時間にこの天気です。それにあの気配はまともな港湾労働者ではあり得ないですね、近づいて様子を探りましょう」
奴らは只者じゃなさそうだけど、こっちはそれこそ規格外だ。
隠密行動が得意なレイラは極力接近し、私はそれより少し離れて広い範囲を警戒することにした。
怪しい奴らの怪しい行動を見守ること、およそニ十分程度。用が済んだのか、奴らは街のほうに移動していった。
倉庫街から人の気配が遠くなりレイラと合流する。
「なんか分かった?」
「全員がフードを被っていましたので、顔は見えなかったです。会話もほとんど交わさない上に、雨の音に紛れてしまって聞き取れませんでした」
「徹底してるわね。どこぞの組織の手慣れた集団って感じか」
「確証はないですが、大陸外の言葉を使っていたようにも思います」
ベルトリーアは大陸最大の港を抱えた街でもある。大陸外からの船だって毎日多数訪れることを考えれば、何ら不思議なことはないんだけど……。
「外の奴らが人目をはばかって作業ねえ、まあ普通に密輸かな。港のほうから何か運んでたし」
「倉庫の中を探ってやりましょう。使える物や金目の物があれば有効活用できますね」
「どうせ麻薬だろうけどね。一応、見てみるか」
近くで様子を見てただけあって、レイラは奴らが倉庫に施した罠や施錠方法も把握できてるらしい。さくっと扉を開いてしまった。
無数に立ち並ぶ倉庫群の中で、特別に高いセキュリティがあれば悪目立ちする。真っ当に高価な品を取り扱う場合には、こんな警備員もいない安い倉庫を使うはずがないんだ。後ろ暗いところのあるブツを隠すなら、ちょうどいいんだろう。私だって偶然、気づいたにすぎない。
倉庫の広さは学院の教室が一つ分くらいだ。天井もそれほど高くはない。
引き続き周辺警戒を続けながら、扉を閉じて明かりを点ける。所狭しと積まれた木箱には蓋がなく、掛けられた布を取り払えば中身が確認できた。
一つ、二つ、三つと見ても、中身は同じ酒ビンだった。底のほうに別の物が隠されてる様子もない。
「この辺の山は酒ばっかりね。そっちは?」
「同じく酒です。おそらく手前側の積み荷はダミーでしょう。奥のほうに行ってみます」
「私はざっと手前側から見てくわ。魔力反応が多すぎて、感知だけじゃ細かいことが探り切れないわね……めんどくさい」
次に見た積み荷の山も酒だった。これだけ大量にあるってことは、実際に酒の取引を行う企業舎弟があるのかもね。まさかさっきの奴らが真っ当な商売だけをやってるとは思えないから、麻薬のような非合法なブツがどこかにあるはず。
「会長、当たりです」
やっぱりなんかあったようだ。レイラがいる奥に向かい、指し示された箱を覗き込んだ。
「腕輪型の魔道具か。随分たくさんあるわね」
「この積荷の山、全部が同じ魔道具のようです。この書類に第五級相当の風魔法が放てる魔道具と書いてありますね」
「丁寧に説明書付き? まあ説明書きがないと、パッと見じゃ分かんないからね。それにしてもこの量……もしかしてそっちの山も?」
「そちらも攻撃的魔道具です。ほかにも刻印魔法付きの武具が入った箱もありますね」
武具や魔道具の輸出入は別に違法じゃなかったはずだけど、無制限になんでも取引できるわけじゃないし、審査や手続きが煩雑で税金も高くなる。こんな警備員もいない倉庫で管理するなんてことはあり得ない。この状況自体が異常性を表してる。
「武器商人の倉庫にしては警備が緩すぎるわ。普通に考えたら、もう少しまともな倉庫を使いそうなもんよ」
「はい、もう少し探ってみましょう」
積荷の山はまだたくさんある。それらをざっと検めて行くと出るわ出るわ。
倉庫内のほとんどの荷物が、攻撃的魔道具と武具だった。酒はほんの一部で、当初予想した麻薬もあったけどそれはメインじゃないように思われた。
「酒はともかく、ほかは密輸品ばかりですね。しかも外に出すのではなく、運び入れた物のようです」
「取引相手が気になるわ。戦争でもおっぱじめようかって量じゃない」
「はい、これだけあればボンクラの集団でもそれなりの戦力になりますよ」
裏の組織同士の抗争で使われる線が濃いだろうか。テロリストに売り捌かれるって可能性もあるのかな。なんにしても真っ当な取引じゃないなら、どうせロクなことには使われない。
「どうしましょう? ウチのシマであればこれは看過できませんが……」
「私たちが深入りする必要ないわね。この情報は青コートに流しとくわ」
トンプソン小隊長に渡してやろう。たぶん港湾区域はあいつの分署の管轄とは違うだろうけど、情報として価値はあるはずだ。あいつなら自分の得点になるよう上手く使うと思う。
「マーキングだけしておきましょうか?」
「うーん、やめとこう。余計な事してバレたら元も子もないわ。今からトンプソンの奴に言えば、奴らがどうにかするわよ」
「それもそうですね」
ポーチから板状の通信機を取り出し、さっそく連絡してやった。
きっと大手柄になって、泣いて感謝するに違いない。




