通の行きつけ
山の上の学院から降りれば、意外に近い夜の繁華街。名門学院の関係者が良く使うだろうハイソな店が並ぶ一画を抜ければ、意外と近くにそうした界隈が存在する。どこの国のどこの都市でも、そうした落差のある区画が隣接するパターンは多いもんだ。
繁華街を照らす街灯は昼のように明るく、数々の光輝く看板も相まって薄暗さはまったく感じない。全体的に色気のある大人の街というよりは、騒いで遊ぶ若者向けといった雰囲気だ。
ピンポイントで山の上の学院の生徒を対象にしたんじゃなく、近隣一帯の若者向けに自然と店が集まったって感じだろう。
狭い通りにはぎっちりと店が軒を連ね、第一印象に外れず多くの若い男女が行き来する。
夜なのにサングラスをかける私のファッションは、奇抜な格好の若者たちのお陰で全然目立つことはない。私だって貫禄あるだけで普通に若いからね。お嬢様学校よりも、夜の街に溶け込むほうが簡単だ。
まずはちょろっとうろついて、集まる人や店の傾向を詳細に把握してしまう。ナンパ野郎を適当にスルーしながら、しばらく夜の散歩としゃれこんだ。
初めての街を一人歩きするのも楽しいもんだ。これぞ旅って感じがする。目に入るすべてが新しいってのは、新鮮なわくわく感で楽しい。
「ふーん、大都市の繁華街ならこんな感じかな。特別に危険な界隈ってわけでもなし、思ったより平和なもんね」
治安部隊がきちんと活動してるからなのか、あからさまな犯罪行為が行われる様子は全然見られない。
たしか、ベルトリーアの警察っぽい組織は『青コート』とか言ったわね。今のところは見かけないけど、どこか近くに拠点があったり、巡回してたりするのかもしれない。
ともかく悪いことはちゃんと隠れてやる程度の行儀は誰もが心得てるらしい。そこらで薬を売ってる奴はいないし、使ってるのもいない。薬中っぽい顔つきの奴はいるから、たぶんどこぞの路地裏か店の中で隠れて売買はされてるんだろう。喧嘩やカツアゲの類すら、今のところは見かけない。
ただし、こんな繁華街でどこにもトラブルが無いなんてあり得ない。どこかしらで起こってはいるんだろうけど……。
「なんか、つまんないわね」
新鮮な気持ちに浸れたのも束の間。平和すぎて退屈だ。
エクセンブラに慣れてると、どうにも刺激に欠けてしまう。あそこは悪党や荒くれがたくさん闊歩してるだけあって、比較的に平和なウチのシマ内だって、特に繁華街じゃ少々の喧嘩くらいなら日常茶飯事だ。みんなが慣れてる分、殺しにまで発展してしまうケースはむしろない。抑制が効いてるのか効いてないのか、微妙な感じがまた面白いんだ。
別にバイオレンスを求めてるのとは違うんだけど……いや、違うわね。フラストレーションが溜まってるっぽいから、普通に私が喧嘩したいだけだ。たぶん。それにしたって平和すぎると思うけどね。
もしかしたら青コートに加えて、この界隈を仕切る裏の勢力がしっかりしてるのかもしれない。そうした事も含めて、今後に向けて色々と探っとこうかな。
「どっかに看板掲げた事務所でもあれば分かりやすいんだけどね」
メインストリートにはレストランや屋台などの食事処、アパレル関連や小物を取り扱う店、音楽やダンスを楽しむホール、あるいはダーツやビリヤードっぽい流行りの遊戯のできる店などが目立つ。いかにも若者向けといった店ばかりだ。
そうした通りから一本、二本と裏の道に入れば、どんどん怪しい様子に変わっていく。危険な臭いのするなんだかよく分からない店や、本当にやってるのかどうかも不明な地下のバー、そういう変な店や人がひしめき合ってる感じかな。この辺もまあ、良くある感じといえば良くある感じだ。
平和すぎることを除けば、ザ・若者向け繁華街で間違いない。人によっては楽しくてたまらないだろうけど、苦手な人はとことん苦手だろう、そんな雰囲気の界隈だ。
好奇心が強いか、背伸びしたい盛りの若者なら、一度はここらで遊んでみたいのかもしれない。聖エメラルダ女学院の不良生徒たちも、たぶんどこかで遊んでるんじゃないかと思う。
でも、たぶん今日のところは生徒を発見することはない。
まだほとんどの生徒の顔をきちんと把握できてないから、横を通り過ぎたってそれが学院の生徒かどうかなんて分からない。だから今夜はただの偵察だ。
「散歩はこのくらいでいいかな」
長めの散歩をしたからお腹空いた。最初だし怪しい店に入るんじゃなく、メインストリートの無難な店から攻めてみる、なんてつまんないことはしない。どうせなら入りにくい感じの店に突撃だ。
天邪鬼なことを考えながら小径の奥へ奥へと歩いてると、若者向けの界隈とは思えない小綺麗で上品な雰囲気の店を見つけた。
狭そうな店舗は小料理屋然とした、落ち着いた雰囲気の食事処らしい。地元の常連客ばかりが集まってそうで、ちょっと入りにくい感じが今の私が求めるものにマッチしてる。うん、ちょうどいい。
メインストリートの喧騒からは離れた、静かな店の扉を思い切って開けてみた。
サングラスを胸ポケットに仕舞いながら、明るい店内の様子をざっと確かめる。
カウンター席だけの店内は外から見た印象どおりに狭く、十人足らずで満席になる感じだ。でも無駄な物がなく掃除も行き届いてるところは好印象。今のところ客は誰もおらず、カウンターの中にゴツイ角刈りのおっさんがいるだけ。
角刈りは料理の仕込み中なのか、野菜を刻みながらも私をギロリと睨んだ。
「やってる?」
ナチュラルに目つきの悪い奴はどこにでもいる。たぶん角刈りおっさんに他意はないだろうから気にしない。
「見ない顔だな……カネは持ってるか?」
心外な質問だ。一瞬、回れ右して帰ろうかと思ったけど、野菜を刻む手際の良さに毒気を抜かれてレコードカードを取り出して見せた。中にはたくさん詰まってるぞってね。
「余所者か。それが使いたいなら別の区画に行け」
「どういうことよ?」
「ここらの店は現金しか受け付けていない」
スラム街みたいな場所やアングラな取引でレコードカードを使用しないってのは普通にあるけど、まさか小綺麗な飲食店で使えないとは思わなかった。
意外には思ったけど、常に数枚の金貨や銀貨は持ち歩いてるから問題ない。カードの代わりに銀貨を見せてやれば、角刈りも納得したようだ。
「奥の席に座れ」
ようやく夕飯にありつける。ふーむ、それにしてもだ。
角刈りの包丁さばきは素人のそれとは違うプロの腕前だ。小奇麗な店ということもあるし、なんで客がいないのか気になる。ひょっとして包丁さばきは上手くても、味付けがひどいとか?
まあいいか、物は試しだ。
「空腹だからとりあえず摘まめるものと、あとはボリューム重視で適当に出して」
「酒は?」
「軽めでお勧めのやつ」
職人気質っぽい角刈りにチョイスはお任せだ。適当な注文には慣れてるのか、特に文句も言わずに準備を始めてくれた。
出されたものを次々と口に入れながら、穴場の小料理屋に満足する。久々にゆったりと静かな時間だ。角刈りは話しかけてこず、料理の仕込みを続ける。そして悪くない店だけあって、やっぱり閑古鳥が鳴くなんてことはなかった。
「今日もあちぃなあ。オヤジ、冷えてるの一本付けてくれ」
「マスター、こっちおかわり」
私以外に客がいなかった狭い店内は、徐々に常連客らしき連中で埋まって賑やかになってきた。
「おじさん、ちょっと聞いてよ!」
やがてババンと豪快に扉を開いて入ってきたのは派手な姉ちゃんだ。いきなり店主の角刈りに向かって、わたしいま怒ってますとばかりに愚痴りまくる。
姉ちゃんはしゃべり続けながら、唯一空いた席だった私の隣に腰かけ、止まらぬマシンガントークを一方的に展開した。うるさい奴だ。
「ちょっと、ちょっと。さっきから怒ってばかりじゃ、何が何だかわけ分かんないよ。マスターも困ってるでしょ」
「そうだな。俺も聞いてやるから、最初から話してみろ」
「まったくよ、お前はいつも騒がしいな」
店内の客は姉ちゃんと顔見知りらしく、激しい愚痴をなだめつつ酒の肴に話を聞きだそうとしてる。角刈りは何事もなかったかのように、無言で料理を続けてるけど。
「もうっ! 商会をクビになったのよ。ふざけやがって、あのクソオヤジ!」
「あー、とんでもないミスでもやらかしたのか?」
「あんた、そそっかしそうだしね」
うーむ。ここらの界隈は遊び盛りの若者向けって感じのはずなのに、この店の中だけは雰囲気が異なるようだ。疲れた社会人が集まって愚痴る、ガード下の飲み屋みたいな雰囲気になってきた。
「違うって! あたしは営業かけてこいって言われた先に、まんまと高い魔道具たくさん売りつけてやったのよ。そしたら精算前に魔道具ごと先方が消えちゃってさ。大損よ、大損! しかも全部あたしのせいにされちゃって。あたしは言われた先に売っただけだってのに、ふざけんな!」
「それは……運がなかったね」
「しかしよ、どっかで聞いたような話だな。なあ、ドニーさん」
「ああ、典型的な取り込み詐欺だな。その魔道具は近いうち、どっかの店で叩き売られてるだろうぜ」
「こっちも詐欺の噂は聞いたことありますよ。なんでも、ケチな詐欺師の仕業じゃなくて愚連隊が関わってるとか?」
「あの若造どもが、調子に乗りやがって。やっぱり、ああいった連中からは逃れられんのかね。そっちの姉ちゃんも、愚連隊にだけは気ぃつけろよ。見ない顔だが一人で観光かい?」
知らん顔してたけど話しかけられた。狭い店だから世間話くらいには巻き込まれるかもしれないと思ってたけど、なかなか面白そうな話ではある。
「ベルトリーアにはやってきたばかりだけどね、仕事でしばらく滞在するわ。ところで、その愚連隊ってのは?」
「あんた、ひょっとしてワルが好みってわけ?」
「やめときなよー。あんなろくでなし」
「違うわよ。気を付けるにしたって、どんな連中か知っとかないと気を付けようがないわ」
情報収集のチャンスだ。せっかくだから色々聞いときたい。
「いいか、愚連隊ってのはな。スジモンになりきれねえ、半端な若造の集団だ。ここらはスジモンのシマからは外れた場所でよ、それをいいことに若造どもが好き勝手してやがんだ」
「好き勝手って言っても、ずる賢くてな。目立つようなことはせず隠れてやりやがる。主には詐欺と盗み、それとドラッグだな。奴らのドラッグは混ぜ物がひどくてよ、絶対に手は出さねえほうがいい」
「綺麗な女も要注意だね。強引に連れてかれたって話はたまに聞くよ」
「あんたみたいな美人、奴らがほっとかねえかもな」
なるほどね、調子に乗った阿呆どもがやりそうなことだ。
おっさんが言ったように愚連隊ってのは、私たちのような看板掲げた組織とはまったく違う。世間様からしたら同じように思えるのかもしれないけど、奴らにはスジを通すって考え方がないし、メンツも無ければ世間体だって気にすることがない。きっちりした上下関係や組織の掟だってない場合が多い。今のその瞬間さえ楽しけりゃそれでいいって連中だ。だから平気で無茶なことをする分、タチが悪い。
「ふーん、気を付けるわ。ところでなんで本職のシマからは外れてんの? かなり賑わってる界隈だし、目を付けられそうなもんだけどね」
「ああ、それは歴史的な経緯ってやつだ。昔はここら辺でも縄張りがどうだって抗争が激しかったんだがよ。あんた、山の上の学校は知ってるか? お貴族様の娘さんが通う雲の上の学校があってよ。その昔、通学中のお嬢様が抗争に巻き込まれちまってな、お偉いさんはカンカンよ。それ以降、ここらはスジモンが手を出せねえ聖域ってわけだ。あのアナスタシア・ユニオンですら、ここらには手出しできねえってんだからな」
それで愚連隊なんて連中がはびこったんじゃ、どうしょうもないわね。
「青コートだっけ、あいつらは? 愚連隊なんてすぐに引っ張られそうなもんだけど」
「それが何べんも商店組合の連中が話しに言ってるが、証拠がないんだとよ。笑っちまうけどな」
「いや、笑い話にもならねえよ」
腐敗か。きっと愚連隊からの上納金やらなにやらで、多少のことは見逃してもらってるんだろう。ベルトリーアは治安がいいと思ってたけど、広い都市だけあって区画によって状況は様々に異なるようだ。うん、これは要注意ね。
「そうすると愚連隊がここらの店のケツモチやってるわけ?」
「ケツモチだって? 姉ちゃん、あんた記者か何かか? 事情通みたいな感じじゃねえか」
「違うわ。私は学校の講師よ」
本当か、といった視線には無言で応えるしかない。でも信じないなら別にいいといった態度が、返って本当っぽく見えたようだ。
「へえ、先生なんだ。だったら裏事情のほうも知っておきたいのは理解できるかも。生徒も遊びにきてるだろうし」
「ひょっとして夜回りってやつか。ご苦労なことだ」
講師とはいえ、まさか私が話に出てきた山の上の学院の関係者とは思わないだろうけどね。
「さっきの質問に戻るけど、愚連隊がここらの店の面倒見てるわけ?」
「いや、商店組合がケツ持ってる。なあ、オヤジ」
「マスターは元傭兵で、めっちゃ強いからね。なんか、そういう感じの人が結構多いんだよね。だから愚連隊も表立って暴れたりはできないってわけ」
組合と愚連隊、そして青コート。微妙なバランスの上に成り立ってるらしい。複雑な関係性なんだろう。
「そういうことね。一応、愚連隊の溜まり場が分かれば教えてよ。生徒たちにも注意したいから」
「別にいいが、絶対に近づくなよ」
「もちろん。知らないうちに近づかないためよ」
本当に私からなにかするつもりはない。情報として知っときたいだけだ。
そのほかにも危険な店や便利な店、真偽不明な噂話まで色々な話を聞くことができた。飯も酒も美味いし、なかなかに有意義な時間だった。諸々含めて初日から大変だったけど成果としては上々だろう。
明るく楽しい学院生活から一歩外に出てしまえば、きな臭い雰囲気も出て参りました。
昼間の生活指導、倶楽部活動、夜の街、これらで雰囲気が変わりながら進行することになりそうです。
しかし、やっと学院に行ってからの初日が終わりました。
次回、学院生活の二日目が始まります!




