新人講師へのミッション
「――本学院は今を遡ること五百二十二年前、女子教育に熱心であった聖女エメラルダによって、礼儀作法や教養一般を教える私塾として始まりました。その後、ベルリーザ王室からの援助などを得ながら現在まで脈々と続く、大陸随一の長き歴史を誇る伝統校です。世界有数といっても過言ではありません」
学長の部屋に招かれてみれば、いきなり演説みたいな学校説明が始まってしまった。
私も仕事で訪れる以上は、そこそこ調べてきてる。たしか、教会系列の学校ってのは普通、信仰に基づく教育を志すもんだけど、聖女エメラルダってのは破天荒な人で教会のやり方は無視して独自路線を突き進んだらしい。
信仰を主軸にした教育じゃないところがベルリーザ王室に受けが良かったみたいで、そうしたところに現在まで続く理由があるんだろう。
「また本学院は尊き方々を常に支える女子を輩出することでも知られています。歴代ベルリーザ王のお妃様はほぼすべてが本学院の出身者であり、多くの上級貴族も同様です。また歴史に名を残す研究者や著名な財界人の伴侶もまた本学院出身者が大半を占めます。成功の陰には彼女たちの内助の功が、そして聖女エメラルダの教えが少なからず活かされていたことは間違いありません。さらに――」
もう、話が長い。
要するに良き妻、良き母として、夫や子供の足りないところを補って支えられる知識や教養を身につけるってのが、基本的な教育理念ってことだ。
私としてはそこまで能力があるなら、誰かを支えるよりも自分が表に立てばいいじゃないかと思ってしまうけどね。まあ古い国だけあって、古臭い考え方が偉い奴から庶民にまで染みついてる。ここに限らずね。
ブレナーク王国は一回崩壊して以降、実質的に女のロスメルタによって立て直された上に君臨し続けてるから、あの国じゃ考え方もだいぶ変わってきてる。その状況になって少しは時間も経ってるから、歴史のある国とは考えや認識も違ってるのが鮮明に感じられるんだろう。実際にエクセンブラじゃ、女の組織のキキョウ会が幅を利かせてデカい顔してるしね。
ふう、それにしても長話も大概にして欲しい。大人しく聞いてれば調子に乗って……とまでは言わないけど。まだまだ続きそうな話には、相槌を打ちながら割って入ることにした。
「それは大変っ、素晴らしいことですね。私も臨時講師の身ですが、気が引き締まる思いです。ところで学長、こちらの事情は総帥からお聞きしていますよね?」
学長が語るどこぞの夫人のよく分からない内助の功エピソードを聞き流し、またもや別のエピソードが始まろうとしたところで口をはさんだ。
退屈な話をあくびもせずに聞き続けた私の精神力の強さは、大いに褒め称えられるべきだ。
「もちろん承知しています。大恩ある総帥からの頼まれごとです。あなたもシグルドノート嬢の身辺警護に全力を尽くしてください。それと、こちらからの要望もまっとうしていただけますね? 期待していますよ」
「ん? 学長からの要望ですか……特には聞いていないですが」
どういうことよ、初耳なんだけど。
「連絡の行き違いでしょうか。あなたには基礎魔法学の副講師を担当いただきますが、本題はそこにはありません」
「本題、ですか」
「そうです! あの総帥から推薦されたあなたには、大きな期待を寄せているのです」
鼻息荒く言われても、なんのことだかさっぱりだ。そもそも推薦って、なんだ。その言い方じゃ妹ちゃんの護衛とは無関係に、学長の要望のために私やってきたように思えてしまう。
とにかく私の講師の役割なんかはどうでも良くて、別のことをやって欲しいみたいだけど、さて――。
学長との話を終えた後では、講師や職員一同にも紹介され、個人用の狭い仕事部屋も与えられた。
私はメデク・レギサーモ帝国に目を付けられてる危険人物の上、大陸東部の裏社会じゃアンタッチャブルとしてもそこそこ名が通った悪党だ。学院の講師や職員は一人残らず高貴な血に連なる者とあって、私はあまりにも異質。だから詳しい身の上はすべて架空のものになってて、学院内で正体を知るのは学長のみになってる。
ただ、アナスタシア・ユニオンの不穏な情勢はもう世間にもバレてるらしいから、私たちが総帥からの依頼で妹ちゃんの護衛をやることは、職員たちも承知してるらしい。護衛にプラスして、学長肝入りの特任講師って感じみたいね。
講師連中もアホじゃないから、私のプロフィールが怪しいことには何となくでも気づいてるだろう。学長が積極的に進めてる事だから文句を付けないだけだ。
それに役割からして、私は普通にアナスタシア・ユニオンの構成員だと思われてるように思う。まあ妥当な推測だし、私の素性や正体なんかどうでもいいっちゃどうでもいいことだ。
ここでの私はあくまでも新人講師ユカリード・イーブルバンシーとして仕事をやり遂げる。
ベルリーザじゃまだキキョウの看板は出してないからね。誰かに喧嘩売りにきたわけじゃなし、キキョウ紋を見せびらかす必要もない。
殺風景な狭い仕事部屋を見ながら、これからのことを思う。
「まあいいか。副担当なら主担当に気を使った授業内容にしないといけなかったわけだし」
職員全体に紹介された際に、とりあえずは副担当として主担当の講師に挨拶したところ、やっぱり私には別の仕事に集中しろってことらしく、特に頼まない限りは何もしなくていいとまで言われてしまった。
冷たくされたってよりは、護衛のことや学長からの頼みのほうを優先してくれってことらしい。それにアナスタシア・ユニオンの構成員だと思われてるからか、慣れない講師の真似事なんかしなくていいといった配慮もされたように思う。気を使われたわけだ。
そもそも勝手な独自理論に基づく講義を披露することや、先達の講義内容に矛盾する事は控えないといけないとなれば、きっと非常に面倒な気の使い方をする羽目に陥ったはずだ。副講師としての仕事をほとんど免除されたのは、助かったかもしれない。せっかく講師やる気満々だったのに、はしごを外された気は少しするけどね。
私の事はさておき、職員たちの雰囲気はどうにもピリついてたように思う。すべては学長から与えられたミッションに関連することなんだろう。
教職員たちから感じたのは期待と不安。期待はやっぱり学長の肝入りで何かを進めようとする女だってことで、不安はどこの馬の骨とも知れない女だってことだろうね。分からなくもない。
「単なる副講師よりは、やりがいあると思えばいいのかな」
面倒が多そうだけど、私はなんだかんだ面倒が好きみたいだからね。むしろ楽しんでやるくらいの気持ちでいようじゃないか。
ほんじゃ、ボケっとしてないで、さっそく働くとしましょうか。
まだ授業中の学内を一人で散策する。
妹ちゃんやヴァレリアたちは、今ごろ授業を受けてるはずだ。私は転校初日からいきなりサボりを決め込んだ不良みたいな気持ちになって、ちょっとだけ愉快だ。生徒じゃなくて一応の身分は講師なんだけど、久しぶりの学校とあってどうにも気持ちが浮つく。
「集中、集中、仕事しないと」
そうだ。ヴァレリアたちはもっと浮ついた気持ちだろうから、私がしっかりしなきゃね。
魔力感知と並行しながら目視でも校内をつぶさに観察だ。仕事、仕事。
実際に魔力感知だけよりも、合わせて目で見るほうが分かることは断然多い。まずは妹ちゃんの護衛として、学内を隅から隅まで把握しとこう。
当然ながら私たちの最優先事項は妹ちゃんを守ることにある。
これは絶対として、学長からの要望も果たさないといけなくなった。これはおまけみたいなもんだけど、今後はベルリーザにもキキョウの看板上げる予定の私としては、コネづくりの一環としてぜひともやり遂げたい。
余計な仕事でも、利益に繋がってると思えばやる気も湧くってもんだ。
「ミッションその一、綱紀粛正! 張り切ってやってみようじゃないの」
総帥が学長に何を言ったのかは不明だけど、学長は私に大きな期待を寄せてるらしい。そんな私にやって欲しいことの一つ目は生活指導で、校内風紀の取り締まりも含む。
まさかこの私にそんな役割を期待するとは、なんという皮肉だろうか。しかし、意外にもこれが適任なんだ。
この伝統校に在籍する教職員は、誰もが貴族の血統に連なる者たちだ。そうとなれば学内であっても、貴族間の派閥やしがらみと完全に無縁とはいられない。建前がどうであれね。
教職員同士、生徒同士、あるいは教職員と生徒の間でも、どうしても身分の差は意識する。全員が互いを尊重できれば問題なんか起こらないけど、そんな理想郷など存在しない。つまりは問題のある奴らが何人もいるわけだ。
学長は公爵家に縁のある人物みたいだけど、関係の良くない派閥の貴族にはあまり強くも言いにくいらしい。情けない話とは思うけど、誰にも事情はある。他人が思うほど簡単でもないだろう。
歴史ある国や伝統校と言えば聞こえは良くても、古い習慣ってのは非常に厄介だ。既得権やしがらみが複雑怪奇に絡まり合い、特権意識まで根付いて腐り果てる。これはどこの国や組織でもそうだから、しょうがないっちゃしょうがないとは思う。ベルリーザは強国だし総合的に優れた国とも思うけど、やっぱり腐敗とは無縁じゃいられない。
不良教職員は大人だけあって、悪いことをするにも目立たないようにやるもんだけど、イキがった悪ガキは違う。しかも身分をかさに着るもんだから質が悪い。まともな大人連中じゃ手を焼くわけだ。悪ガキはともかく親がまともなら大丈夫かと思いきや、そのガキにしてその親ありって感じらしいしね。
血筋や派閥のしがらみ、さらには莫大な寄付金まで絡むと思えば、ガキ相手にも気を使う。職員一同は誰もが貴族の血統だから、学内での立場よりも貴族社会の習慣のほうが強く付いて回る。利権としがらみこそが優先されるとなれば、これはまさに腐敗だ。
ところが私は違う。他国の人間、しかもアナスタシア・ユニオンの総帥が推挙した臨時講師だ。
アナスタシア・ユニオンの総帥ともなれば、並居るベルリーザ貴族どころか、王室にまで多少は顔が利く立場だ。身分を超越した純然たる戦力のトップには、それだけの強みがある。
その総帥が推薦した私は、総帥の威を借ることが可能なわけだ。虎の威を借りる狐になるのは、やっぱりちょっと情けないけどね。まあ私は立ってるものなら親でも使う女だ。使って、使って、使い倒してやるとも。
つまりはここでも私はアンタッチャブルな存在として振舞うことが許される。その特権を手にしてるわけだ!
ふふふっ、たしかに単なる講師やるより面白そうじゃないの。
本校舎を練り歩き、特別棟や俱楽部棟、訓練場まで時間をかけて探索する。設置された魔道具を把握し、建物の位置関係や扉や経路も頭に叩き込んだ。
調査の最中で出会った生徒たちは、表面上は礼儀正しかった。悪ガキばかりじゃないだろうから、それもそうだ。
臨時講師や新しい留学生の話も広まってるらしく、積極的に私に話しかける社交的な娘は多くいた。
「ごきげんよう、新任の先生でいらっしゃいますか?」
「ええ、そうですよ」
何度目のやり取りだろうか。
オーバル型のメガネを含めたファッションやメイクは、柔らかい印象を与える事に成功したようだ。いつものスタイルの私なら、知らない奴からそう簡単に話しかけられることなどない。
好奇心の塊みたいな若い女子たちが、群がるように集まるのは微笑ましい。
名門だけあって総じて上品な娘ばかりなんだけど、学院には色々な性格の持ち主が集まってる。明るい娘に真面目な娘、静かなタイプも根暗っぽい雰囲気のもいる。表面だけ取り繕ってる不良娘もね、そういうのは話しかけてはこずに、遠くから不機嫌そうに見てるだけだ。
簡単な挨拶を交わし合いながら、休み時間の短い交流を楽しんだ。うん、たまにはこういうのも悪くない。
話しかけられるたびに丁寧に応じながら色々と見て回り、後回しにした場所に足を運ぶことにした。
時間としては、午前の最後の授業中といったところだろうか。特別棟の人けのない屋上は、強い日差しを除けばなかなかいいスポットだ。全体が庭園になってて、ガゼボって言うのだったかな、西洋風の四阿までいくつもある。
四阿には洒落たティーテーブルが設置してあるし、しかも庭園全体を涼しい風が循環してる。金持ち学校らしく、屋上でも魔道具による空調が効いてるようだ。休み時間や放課後には、カフェのような感じで学生諸君に使われるんだろう。
いい場所なんだけど、問題児がサボるにもちょうどいい感じの庭園だ。高い生垣があって、意外に見通しが悪い。そんな中、隅っこのより見えにくい場所にサボってる奴らがいる。
こっちは注意する側だ。遠慮などせず、高々と足音を立てながら近づいてやった。そうして問題の四阿を目の当たりにしてみれば、ご丁寧にティーセットに菓子まで準備して不良どもが寛いでるじゃないか。色々と準備した上でサボるなんて、可愛げを感じてしまうけどね。
よし、生活指導の一発目だ。レッツ綱紀粛正といってみよう。
「あなたたち、今は休憩時間ではないはずですが?」
せっかくの第一声なのに、我ながらぬるい感じだ。ユカリード・イーブルバンシーとして、お嬢どもには一応、丁寧に対応してやらないといけない。
本当だったら、まずはいきなりぶん殴って、力と立場の違いを分からせてやるところなんだけどね。我ながら優しすぎる対応だ。ま、言うことを聞く素直な生徒相手ならこれでいい。




