聖エメラルダ女学院へようこそ!
軽いノリと勢い、そして未来への投資の意味も含めて決めたベルリーザ行き。利益と引き換えとはいえ、私は学校教師の真似事なんかしないといけない。
余裕余裕と思ってたけど、いざ当日になってみれば、柄にもなくちょっとばかし緊張なんかしてしまう。
いつもどおりに……やっていいもんかどうか分かんないけど、まあなるようになる。たぶん。
今日ばかりは早朝訓練もホテルの部屋で簡単に終わらせ、一人でささっと朝食も済ませてしまう。そうして身支度に時間をかけてきっちり整える。
シャワーを浴びたらスキンケアからメイクまでバッチリ決めて、服装もTPOをわきまえた上流階級が集まる伝統校に相応しいものを着る。学内で行動する際には、キキョウ紋入りのいつもの外套が使えないのはしょうがない。
しかしだ。季節毎にトーリエッタさんから押し付けられる衣装の山は、今回ばかりは非常に役に立ってくれた。
マイスターが私のためだけに作った服ともなれば、機能性もデザインも申し分ない上に、多くは私が提供したインチキ素材のもので、さらに目に見えない所にはシャーロットの刻印魔法まで刻まれてる。持参した服はほぼすべてがそうだ。
今日の服も見た目のエレガントさにそぐわず、非常識な防御機能を備える逸品になる。
「……うん、我ながら上品じゃないの。ちょっと地味だけど」
鏡に映った姿は夏には少し暑苦しいかもしれないコーデでも、温度調節機能が効いてるから問題ない。
紺の半袖フレアシャツワンピースは、ロングのスカート部分がボリューム多めだ。ベルトで腰を絞り、きっちり首元までボタンを留める。クリーム色のボタンがちょっとしたアクセントでいい感じ。ハーフアップにした紫紺の髪とも調和してる。
全体的にとてもシックで、風紀にうるさい人の目にもきっと好印象だろう。アクセサリーをどうするかは迷ったすえ、悪姫のリングを通したネックレスと通信用のイヤリングだけとした。ネックレスは服の内側だから、どうせ誰にも見られないけど。
最後にほんの少しの変装と柔らかい印象を与える意味を込めて、オーバル型の伊達メガネをかけた。
全体的に普段のナチュラルに威圧するスタイルの私とは、かなり異なった雰囲気になったはずだ。
「おっと、もう時間か」
荷物をどでかいキャリーケースにまとめてロビーに行ってみれば、みんな集合してる。
妹ちゃんやヴァレリアたちは、親睦を深めてもらうために大部屋で一泊させた。そのお陰か、旅の道中よりもさらに気安い間柄になったように思える。普通に友達一同って感じがして、はたから見ればとても一人の護衛対象と五人の護衛とは思えないだろう。
観察しながら近づく私にはヴァレリアが真っ先に気付いた。
「あっ、お姉さま!」
「ユカリさん、おはようございます。凄いキマってますね!」
「いつもと全然、雰囲気違いますね。知的で綺麗です」
みんな褒めてくれるけど、そりゃそうだ。暴力組織の会長然とした雰囲気なんか、出すわけにはいかないからね。メイクとファッションで、見かけだけでもそれっぽく作りあげないといけない。これも仕事の内だ。
「驚きました。想像していたよりも常識的ですね」
「私を何だと思ってんのよ?」
妹ちゃんの失礼な感想には、ニヤリとしながら応じてやった。エクセンブラでのいつもの私なら、たしかにいきなり一発かましてやるかとばかりに、ド派手に乗り込む場面だっただろう。
今回は異国の慣れない場所や仕事ってことで、少しは慎重にやるつもりだ。スタイルを変えるにしても徐々にやってくのがいい。
「それより、あんたたちも化けたじゃない。ヴァレリアも似合ってるわよ」
「少し心もとない服ですが嬉しいです」
早朝から騒々しい彼女たちも、いつもと全然違う雰囲気だ。清楚な学生服姿が、みんな意外なほどよく似合ってる。
トップスは上衣なしの目にもまぶしい長袖白ブラウス。可愛らしさも面白味もないクラシカルなデザインは、いかにも伝統校の制服といった印象だ。左の袖に刺繡された校章と、首元を飾るグレーのボウタイリボンだけが特徴らしい特徴だろう。
ボトムスはタイと同色の濃いグレーで、膝下五センチ丈のプリーツスカート。これも地味だけど、これはこれで清楚な雰囲気は満点だ。着用者のスタイルが良いからかもしれないけど、シンプルイズベストを体現したようなセットアップだと思う。
靴は学校指定の黒ローファーで、グレーの靴下は校章入りのハイソックス。足元までクラシカルだ。
髪型はそれほど厳しくはなく、リボンやカチューシャなどの着用も問題ないらしい。ただ、あまりにも華美な物や、指輪やネックレスなどのアクセサリーは禁止されてる。だからヴァレリアたちは通信用のイヤリングは耳に付けず、ポケットに仕舞って必要に応じて使わせる方針だ。
ふーむ。制服姿ってのもなかなかいい。全体的にはやっぱり地味にしても、まあ可愛いっちゃ可愛いかな。
真新しい制服に身を包んだ六人は、気恥しいやら新鮮やらで、いつもと違って普通の学生のように初々しい感じ。これなら少なくとも表面上は上手く溶け込めそうだ。
「改めて言っとくけど、今日から私たちはお嬢の集まる学校に相応しい立ち居振る舞いを心掛けないといけないわ。妹ちゃん以外は仕事だってのを忘れないように。普段から言葉遣いにも気を付けなさいよ」
「分かってます! 今日からはお嬢様風武闘派女子として、無難に学生生活満喫します!」
「ちょっとロベルタ、テンション高すぎるよ」
はあ。まあ、このくらいテンション高いほうが、いかにも学生っぽいしいいのかな。さすがに仕事を忘れるほどのアホはここにいないと信じよう。
「心配しなくても大丈夫ですよ。アナスタシア・ユニオンの関係者は少々、特別な立場になるはずですから」
「それでもよ。高飛車で怖いもの知らずのお嬢だっているだろうからね。生意気でもシメるわけにはいかないんだから、気を付けるに越したことないわ」
高貴な血筋や大金持ちのお嬢たちからしたら、ウチの連中なんか異物でしかないだろう。まさにどこの馬の骨とも知れない連中だ。いくら表面を取り繕ったって、どこかに表れるもんだ。
一応は妹ちゃんが言うように、アナスタシア・ユニオンの関係者だけは事情が変わるらしい。この武闘派組織は国家の要人警護まで請け負う実力派で、表にも裏にも顔が利く。しかもいつかは自分の身を守ってもらう存在になるかもしれない相手と思えば、お嬢だって下手に扱うことはしないと期待できる。親族が現在進行形で、アナスタシア・ユニオンの世話になってる奴だっているだろう。
現に総帥は学長の命の恩人ってことで、今回の事にも協力してくれてるらしいといった経緯もある。多少の不調法は許されるだろうね。
「早めに要注意人物はリスト化します。学生間のトラブルについても、なるべく巻き込まれないよう調べ尽くしますので」
「頼むわ、レイラ。そんじゃ、ちょっと早いけど行こうか」
私の古い感覚でこれから一年以上もの間、閉鎖的な学校で生活を送らないといけない。
何事も始めが肝心と思えば、初日の今日は大事な一日になる。気合入れて行こう!
二台の小型装甲車でホテルを出発し、人の少ない早朝の路地を駆け抜ける。
小高い山の上にある学校は目印として分かり易く、向かうべき方向に迷わなくていいのが助かる。
ベルトリーアの街は大通りを外れると途端に複雑怪奇になって、地元住民でもちょっと全体を把握するのは難しいくらい入り組んでるように思われた。それに車両の入れない細い道や、階段が多くてかなり厄介でもある。
変な場所に迷い込まないように注意しながら進み、まだ朝の早いうちになんとか学校に到着できた。
「シグルドノートお嬢、お待ちしていました」
山の上で待ち構えるのは塀と門、それに詰め所と思わしき建物に、武装した野郎どもだ。この学校はでかいから、出入り口は四つもあるらしい。ここは正門に当たる。
妹ちゃんが車両の窓から顔を出せば、アナスタシア・ユニオンの警備の奴らが数人も集まって挨拶し始めた。なかなかの人気者らしく、ここだけ見ると派閥間抗争がどうのといった雰囲気は感じられない。
「皆さん、ご苦労様です。しばらくの間、お世話になります」
「何か困ったことがありましたら、いつでもおっしゃってください!」
「抜け出したい時も言ってくださいよ、お嬢!」
私たちが妹ちゃんの護衛だってのは、こいつらにも伝わってるらしい。実力を確認したいのかジロジロと見られるけど相手にしない。私たちとしては誰が敵で誰が味方なのか分からないから、慣れ合う気はない。
ちょっとした挨拶の時間とレコードカードの確認を終えれば、立派な門を抜けて乙女の園に入り込む。
敷地に入ってすぐの屋根付き駐車場に車両を停めたら、あとは徒歩で校舎などに向かう。
「わたくしたちは寮に向かいますが、『先生』はいかがされますか?」
「教員はすでに何人も校舎内にいるみたいだから、私はさっそく学長に会いに行くわ」
学生寮と教員用の寮は違う。私が一緒に行く意味はない。
寮はあってもベルトリーア在住の生徒は多くが通いだ。地方から出てきた生徒や、教育の一環としてあえて寮生活を送らせたい親の意向がなければ、寮には入らない。教職員も似たような感じだ。
魔力感知をざっと使ってみると大勢の人が集まってる建物があって、それが学生寮だろう。駐車場からは少し遠い。
山の上は広く建物はいくつかあって、駐車場から近い建物がおそらく本校舎で学長や教員たちがいる。そこそこの人数がいるみたいだから、誰かに訊けば学長の居所も分かるだろう。
「ではお姉さま、またあとで」
「ほかの人がいるところじゃ、先生って呼ぶのよ?」
「はい、お姉さま」
本当に分かってるのかどうか……浮かれ気味の少女たちと別れ、荷物は車両に積んだまま校舎に入ることにした。
「へえ、雰囲気あるわね」
外からも分かってたけど、古めかしく重厚な石造りの建物は、ロマネスク建築っぽい印象を抱かせる。
小さな窓や開口部の上部に掛かる半円のアーチが特徴的だ。分厚い壁が野暮ったくはあるものの、長い歴史を感じさせた。
ただ古い印象はある一方、乙女の園に相応しく真っ白な石材が使われ、明るく清潔な感じがするのはなかなかいい。メンテや掃除が行き届いてる証だ。
第一印象は、さすがは名門校って感じかな。古いけど綺麗なお城みたいな感じだ。
「もしもし、ひょっとして新任のユカリード・イーブルバンシー先生ですか?」
不意に呼ばれたのは、今回用意した私の偽名だ。教職員や学生相手にはこれで通す。
開いた窓の外に誰かいるのは気付いてたけど、あっちが気付ているとまでは思わなった。視線は感じなかったんだけどね。
「ええ、私がそうです。失礼ですが、あなたは?」
「あら、申し遅れました。施設全般の管理をしているウーラードです。もしや、これから学長にご挨拶ですか?」
全身黒の上下に白の前掛けをした優しそうなおばちゃんは、いかにも用務員ぽい格好だ。でもこのおばちゃん、ちょっと曲者だ。
のほほんと優しそうな笑顔の割に、立ち姿に隙がない。いつでも動き出せるような、そんな姿勢を維持してる。魔力操作が上手く、発動中の身体強化魔法も悟らせないようにしてるらしい。
まあ私にはバレバレだけど、見掛けによらず意外と腕が立ちそうだ。もしかしたらアナスタシア・ユニオンの関係者かもしれない。なんにしても、ただの用務員じゃないだろう。
「そんなところですが、場所が分からなくて」
「まあまあ、でしたらご案内しましょう」
おばちゃんは私の返事も待たずに、窓から離れて行ってしまった。たぶん、校舎内に入ろうとしてるんだろう。
待つ間、手持ち無沙汰に窓の外を覗いてみれば、立派な花壇と手入れの道具がいくつも置いてあった。仕事の邪魔してしまったようだ。
「お待たせしました、こっちですよ」
「ありがとうございます、ウーラードさん」
「いえいえ、いいのですよ。ところで、ずいぶんと遠くからいらっしゃったのですよね?」
「ええ、まあ」
雑談はいいんだけど、おばちゃんのこっちを探るような感じがどうにも居心地悪い。私たちの事情を学長以外の誰が把握してるのか知らないけど、この様子だと少なくともおばちゃんは知らないのかもしれない。
とりあえず私としてもこの用務員が何者か、レイラに探っといてもらおう。
学長の部屋は案外近く、微妙に緊張感のある雑談は短く終わった。礼を言って別れてから、ちょっとだけ様子をみたけど、どうやら私を監視するつもりはないらしい。普通に離れて行ってる。
気を取り直してドアを叩けば、返事もなく数秒してから開かれた。
出てきたのは金持ちのマダムっぽいファッションの、頬骨が浮いて見えるほど痩せたおばさんだ。厳しそうな雰囲気のこいつが学長だろう。見つめ合うこと一瞬、名乗ってやる。
「初めまして。アナスタシア・ユニオン総帥からの紹介で――」
うわっと。なぜか名乗りの途中で、手を握り締められてしまった。
「よくぞ……よくぞ、いらっしゃいました! あなたをお待ちしていたのです。ようこそ、我らが聖エメラルダ女学院へ!」
手を握られたまま、大声で歓迎された。
うーむ、なんだこいつ。見た目は嫌味なおばさん風なのに、無駄に暑苦しい。
それにしても歓迎ぶりが凄い。なんなんだろうね、これはいったい。




