敵の土俵で戦う不利
地を這って生きる私たちにとって、海での戦闘はそれだけで不利だ。
ましてや水神の使いとまで称される魔獣なら、脅威度は計り知れない。
これまでの行動中には水中で魔獣除けが機能したし、遠目に見かける魔獣も小物ばかりだった。ここぞの場面で大物を引き当てるとはね。やっぱりトラブルの女神様は私たちのことが大好きらしい。
北東から押し寄せた魔獣の群れは、海賊船を蹂躙しながら海域一帯に展開しつつある。離脱する前に囲まれるのは確実だ。
あの魔獣は見た目からして人の本能、恐怖に訴えかける感じがある。特には海面に突き出した背ビレがあまりにも印象的に思う。全体的なフォルムとして、サメによく似てる。
「ジークルーネとメアリーは甲板で迎撃! 砂は敷き詰めといたから、好きに使いなさい!」
二人に甲板を託せば、私は船尾にあるブリッジ屋根から後方だけに集中できる。メアリー用の砂は敷いとけば、足が滑ることも防止できるだろう。
雨も風も波も、穏やかになる感じはない。
荒れた海をトビウオのように飛び回る化け物が、海賊船を蹂躙しながら血肉を貪る。海賊にとっては悪夢のような出来事だろう。
私たちが作り出しつつあった海賊にとっての海の墓場は、魔獣が作り出すそれに取って代わってしまった。
キキョウの花咲くドクロの旗を掲げた謎の貨物船が暴れまくった記憶は、きっと水神の使いとやらの襲撃の記憶に塗り潰される。
別に名前を売りにきたわけじゃないから、どうでもいいんだけど、なんだか手柄を横取りされたみたいな気分になってしまう。
「囲まれるなら、何事もなく逃げるのは無理。だったら焼け石に水だとしても、少しは減らしとこうか」
水神の使いだなんて呼ばれる化け物が、どの程度のものか確認できる絶好の機会でもある。
どんな化物だろうが、闘身転化魔法を使った状態での投擲術ならきっと通用する。むしろ雑魚には過剰な火力を試すのに、うってつけの獲物でありシチュエーションだ。
紅蓮のオーラをまとった私は、両腕を高く上げて投球フォームに入る。
片足を上げて前方に体重移動しながら、上半身の捻りを加えて腕を振り、指先にまでエネルギーを伝える。
雨に濡れてたって関係ない。それも含めてコントロール下に置けばいい。
砕けんばかりに強く握ったタングステンの球が手を離れると、雨風を切り裂く砲弾のように、音よりもなお速く突き進み命中した。
いかに強大な魔力を宿した巨体の魔獣であっても、決して耐えられはしない。
海賊の死骸に食らいつく魔獣は膨大な破壊エネルギーに抗えず、体に穴を開けるどころか爆散した。
「あはっ、水神でもなんでも、かかってこいっ!」
一匹どころか、数匹倒したって大した意味はない。焼け石に水だと理解しながらも、高まる戦意に任せて次を投げようとした。
ところがその直前に、水のカーテンのようなものがそこら中に出現した。まさかの魔獣が使った魔法だ。
状況からして防御のつもりっぽい。私が投げた球は速すぎて、なにが起こったかも理解は難しいはずだ。とっさの状況判断と対応ができるのだとしたら、思った以上の知能を持つ魔獣だってことになる。
意外な対応の速さには感心するしかない。これは知性というよりも、本能って感じだろうか。
「でも甘い! それじゃ薄いのよ!」
無駄だ。半端な防御なんか通用しない。無視して投げる。
タングステンの剛球は易々と水の膜を突き破り、二匹目の体を大きく抉って仕留めてみせた。
でも、爆散させるほどの威力が大きく削られたのは一目瞭然だ。
水の抵抗は想像以上に高い防御力を発揮する。いくら私が全力投球したところで、水中に投げ込んだらたぶん、全然進まずに勢いを失うくらいだ。しかもこっちが投げる威力が大きければ大きいほど水は抵抗力を増す。柔い金属なら抵抗に負けて砕けるほどに。
薄い防御幕でも意外なほど大きな効果を得られるってわけだ。ネタさえ割れれば、単なる物理攻撃の投擲術は防ぎやすい。
ま、簡単にやらせないのが私のクオリティってもんだけどね。
「……こいつら、嘘でしょ」
余裕をこいたのも束の間。なんてこと。
水のカーテンが厚みを増しながら、幾重にも展開されたんだ。
しょぼいどころか、これじゃ投擲は封じられたも同然じゃないか。
思わず、焦りの感情が湧き上がってしまう。
「こちらジークルーネ。ユカリ殿、想像以上に厄介な魔獣らしい」
「見てた? これじゃ投擲は使えないわ。メアリーはどう?」
「わたしのジェットも、あれではダメです。接近してなら話は別ですが……」
遠距離攻撃で数を減らす作戦は早々に頓挫してしまった。
まあいい。逃げるが勝ちだ。あんな化物、戦意よりも面倒くささが勝る。
近づく魔獣を撃退し、海域を離脱できればそれでいい。あとは防御と迎撃に徹しよう。
船は少しずつ速度を増し、海賊船の包囲網を抜けようと進む。
海賊船を蹂躙する魔獣の群れは、血に狂ったかのようにますます元気に飛び回り、私たちの船に接触するのも近いと思われた。
すると魔力感知の網に、水中の深いところから高速接近する存在を捉えた。
「全力防御!」
船内で指揮するヴィオランテが通信オンで叫んだ。
指揮下のみんなが膨大な魔力を惜しげもなく注ぎ込み、全力で船体を守らんとする。
どうやら力を合わせたところで、あの魔獣とは水流操作で勝負にならないと判断したようだ。あまりにも意外だけど、魔獣の分際でかなり高度な魔法技能を持ってる。
水流操作が封じられると、いまのメンバーじゃ効果的な水中防御は展開できない。汎用魔法じゃもっと無理だ。
そこで船体を構成する魔導鉱物に、単純に魔力を注ぎ込んでの構造強化に特化する作戦らしい。
単純ゆえに効果は高く、体当たりの衝撃までは殺せないにしても、船体に穴を開けさせる事態には至らない。力押しの防御も、第二戦闘団の魔力があってこそ実現可能な技だ。ひどい船酔いで動けないヴァレリアも、魔力供給役として手伝ってるらしい。
ところがだ。防がれて意地にでもなったのか、魔獣はしつこく体当たりをかましてくる。
「こちらメアリー。ヴィオランテ、魔力は持ちそう?」
「余裕です!」
ぶつかる衝撃が激しくて、立ってるのも結構大変だ。厄介な。
そんでもって、もちろん魔獣どもは水中以外からもやってくる。
空を舞った巨大魔獣が、二匹同時に甲板に襲いかかった。
待ち受ける二人の強者は、足元の不安さをまるで感じさせない挙動で迎え撃つ。
光の剣が乱れなく巨体をぶった斬り、水の蛇が大口開けた頭を吹っ飛ばす。常時網を張る魔力感知は、襲いくるタイミングを間違えない。
私も即席で作ったタングステンの棒で、飛び跳ねた魔獣の頭をかち割った。
水神の使い、なにするものぞ!
三人いれば離脱まで凌げそうだ。
周囲は海賊船を蹂躙しまくる魔獣どもで、とにかく騒がしい。生き残ってる海賊も、散発的な抵抗を続けてる。
魔獣を撃退したことで警戒でもされたのか、周囲の騒がしさとは別にこっちの船は急に静かになった。
このまま逃げられれば、なんて考えつつも、嵐の前の静けさだとも同時に考えてしまう。
うん、分かってる。血に飢えた魔獣が獲物を易々と逃がすはずない。
この静けさはなんか妙だ。必ずなにかが起こる。
甲板上の三人で集中を深め、密に様子を探る。
「ちっ、また魔法!」
水の防御幕を展開した魔獣どもは、それを維持しながら何か別の魔法を使うつもりらしい。
魔力感知で悟った気配に、あらかじめ盾を張り巡らせて備える。
動きはすぐにあった。
海中から飛び出した魔獣が私のほうに向かって飛んできながら魔法を放つ。
使われてから着弾までは一秒もない。
一瞬でいくつかの盾が吹っ飛ばされ、その向こうから魔獣が大口開けて飛びかかる。
私は仰向けになって倒れながら空中突進を避け、目の前を通り過ぎようとする魔獣のどてっ腹をぶん殴った。
斜め上に吹っ飛ばした魔獣には目もくれず、即座に体勢を立て直し、ジークルーネとメアリーを見る。すると二人もあの攻撃を凌いだところだった。
瞬時に何が起こったか理解した。
あれは水鉄砲だった。メアリーのウォータージェットよりも威力はだいぶ劣るにしろ、範囲が広かった。直径一メートル前後くらいはある、でかい水鉄砲を撃たれたんだ。
水鉄砲自体の威力はそれほどじゃないし、砂粒が混ざってるわけでもないから、たぶん殺傷能力はあんまりない。でもあの水圧をもろに受ければ、踏ん張って耐えるのは厳しい。
つまり、当たれば海に押し流される。
あの化け物との水中戦は、いくらなんでも御免被りたいところだ。
「ユカリ殿っ、命綱を頼む!」
「分かってる!」
邪魔になるから付けてなかったけど、そうも言ってられない。
周辺警戒しながら、甲板と直に繋がる長いワイヤーを生成した。でも体にしっかり巻きつける時間はなく、魔獣はまた仕掛けてくる。
私たちはしょうがなしに、腕にワイヤーを巻き付けるよう握りながら戦闘を継続するしかない。
こいつら、やっぱり魔獣のくせに小賢しい!
二方向から撃たれた水鉄砲を盾を犠牲に受け流し、突進の軌道は見切って避けながら棒で叩きのめす。
甲板と違ってブリッジの屋根は狭いから、立ち回りが結構難しい。
いまのところはやられてないけど、ブリッジに突貫されると不味いことになる。そっちはそっちで盾の多重展開で防御しとかないといけない。
やることがたくさんだ!
光魔法で照らされた嵐の夜の海。
化け物じみた魔獣が飛び跳ねまわり、数々の海賊船が破壊され、海の墓場が賑やかになってゆく。
ゆらゆらと揺らめく水のカーテンが光を屈折させ、地獄絵図を幻想的に彩った。
「――こいつらっ、面倒くさいったらないわね!」
憤る感情とは別に、頭の冷静さは周囲の景観を興味深いと思ってしまう。この馬鹿げた状況には、きっと二度と遭遇できない。
幾条も襲いくる水鉄砲を防ぎ、大口を開けて食らおうとする突進を避け、通り過ぎざまに一撃加え続ける。
でも決して単調にはならない。
小賢しい魔獣どもは、水鉄砲の数を変え、角度を変え、突進のタイミングも変えてくる。しかも突進時には体に水の防御幕を張る念の入りようだ。甲冑魚のような体はただでさえ防御力が高く、突進攻撃にも脅威だ。
頭を食われるようなヘマは絶対にしないにしても、どこかが引っかかれば海まで持っていかれるだろう。水鉄砲に当たっても船から落とされる。
水中戦はなんとしても避けたい。もし腕に食いつかれたなら、腕を切り落としてでも落下は避けるべし。ジークルーネとメアリーもそう考えてる。
奴らは魔獣の分際で戦い慣れてるのか、やたらと小賢しく戦いにくい。私は狭い足場でのやりくりがちょっとずつ厳しくなってきてる。
しかも船体への体当たりもずっとやられてるし、ブリッジ目がけての攻撃まで仕掛けてくる。しかもブリッジについては私が守ろうとしてるのを理解できるのか、ある時を境に絶え間ないほどに攻撃が続くようになった。
負担を強いられる。
闘身転化魔法は圧倒的な力を得られる代わりに、身体への負担はかなり重い。インチキ回復薬のお陰で後遺症みたいなものからは無縁でいられるにしろ、継続使用中は長時間になればそれなりに重い疲労が圧しかかるし、限界を超えた肉体は痛みにも苦しめられる。
「音を上げるにはまだ早いわよ、集中っ!」
通信をオンにして、呼びかける。
自分自身に言い聞かせる意味が大きいけど、疲労はみんなにも共通することだ。
誰かが集中を切らせば、そこからあっさりと破綻するかもしれない。そういう危機感をもって、乗り切らないと。
永遠に続くかのような、しかし短い時間。
船の加速が増し、海賊船の包囲網をついに突破した。
あとは海域からの離脱を待つだけ。たぶん長くはかからない。
最後の頑張りどころと思って構えた時、私の向きに対して前後から放たれた水鉄砲に対処した。奴らは学習してもう突進を仕掛けてこない。魔獣の狙いは明らかに水中戦だ。船を沈めるか、船上で戦う私たちを落とそうとする攻撃ばかりを仕掛けてる。
当然、そんなもんに付き合ってはいられない。回避と防御に徹して時間を稼ぐ。ジークルーネとメアリーも大丈夫だ、まだまだやれる。
続く横手からの魔力反応に対処しようとして、それが異常にでかい事を察知した。
危機感からとっさに盾を多重展開するも、まとめて薙ぎ払われてしまう。あれはこれまでに受けた倍くらいはある、巨大な水鉄砲だった。
握ったワイヤーを頼みに空中に跳び、水鉄砲の余波から逃れようとした時、狙いすますかのような空中突進攻撃が襲いかかる。しかも、でかい!
「ちぃっ、引っ込んでろっての!」
もうめんどくさい!
大型魔獣の中でも、特別大きい個体だろう。空中で身体を捻りながら巨体を蹴りつけ、突進から逃れる。
ところがワイヤーにかかったテンションが急に無くなって空中に放り出されてしまった。
「うそっ」
空を舞う私の下を巨体が通り過ぎていく。
その巨体から伸びた大きな胸ビレ、その鋭く重いヒレがワイヤーをカットしたらしい。
私が作ったワイヤーだ。簡単に切れるようなヘボいもんじゃない。逆にワイヤーが当たったものを切り裂くくらいの強度はある。
あの魔獣の巨体と勢い、それに魔法的な要素が加わった攻撃だったんだと理解するしかない。
宙返りで体勢を整えても、見下ろす真下はもう海だ。船から大きくはみ出る軌道は修正できない。
空を飛べない人間に待つのは、奈落へのいざないだけだった。




