真価を現す海の脅威
海賊どもへの攻撃は、半分近いところまで片が付いたはずだ。
大雑把に二十隻ほどの海賊船を蹂躙し、たぶん一隻当たり二十人から三十人くらいの賊を始末したんじゃないかと思う。すると、ざっくり五百人分の血を海に返してやったことになるわけだ。
紛れもない大量殺戮。人によっては相手が賊だからって、どんでもない悪行だと罵るのかもしれない。
そうだとしても私たちは他者がどう思うかなんて、心底どうでもいい。賊なんぞに傾ける気持ちなんか、一片たりとも湧いたりしない。
「――繰り返す、攻撃班は母船まで退避。残りは防御と支援に徹底」
まだ残る賊どもを前にして、メアリーは有無を言わさぬ退却命令を下した。普段ならそんな中途半端はしない。細かい理由を話さなくたって、非常事態が起こったんだとみんな想像するだろう。
私とジークルーネはずぶ濡れのままブリッジに入り、船長に接近中と思われる魔獣の話をした。
「魔獣の群れ? どの辺りだ、こっちでは観測できてねえぞ」
「北東方面にそうね……もう三キロくらいってところよ。速度は意外にゆっくりしたもんだけど、数はざっと二百匹はいるわね」
「二百……しかしそれだけ離れてよく気づけるな。甲板長はどうだ、誰か気づいたのはいないか?」
警告にブリッジは緊張を漂わせる。
最初にジークルーネが感知した時はもっと遠かった。戦場全体どころか、広域に渡って警戒の網を張る副長はさすがって感じだ。
「この天気で三キロ先の観測は俺でも無理ってもんだ。嬢ちゃん、ほかに分かることはないか? 形状や大きさまで分かれば、どんな魔獣かあたりがつくかもしれねえ」
まだ魔獣と遭遇すると決まったわけじゃない。それでも警戒するに越したことはないんだ。私も話しながら、感知の網に意識を集中させる。
「具体的には……形は平べったくない、流線型とか紡錘形とかの回遊魚みたいな感じって言えば分かる? 大きさは個体によってバラバラだけど、大きいのでうーん……十メートルはなさそうね。でかいヒレも特徴よ、背ビレも尾ビレも胸ビレも」
「十メートル近い巨体に大きなヒレ……それが二百近い群れで?」
「ほ、ほかに特徴はねえか。例えば角があるとか、鱗がどうとかよ」
「そうね、角はないかな。鱗……ってよりは堅い外骨格? よく知らないけど甲冑魚みたいな感じ?」
見たことない魔獣の形状を説明しようと思ってもなかなか難しい。
いまいち明瞭じゃない説明にも思い当たることはあったのか、船長と甲板長が信じられない事を聞いたとでも言いたげな顔をした。
たしかに巨大魔獣がそれだけの数集まれば脅威に違いない。でも広い海だ。群れで行動する魔獣くらい、珍しいとは思えないけどね。
「なにか心当たりがあるようだな。その群れがおそらく海流に乗って接近中だが、可能なら接触は避けたい。なぜこちらに向かってくるか分からないか? 大型魔獣はこの辺りの海域には出現しないのではなかったか?」
「海流だと!?」
ジークルーネがあくまでも素人の推測と言いながら、魔獣どもの動きを教えてやる。すると爺さんたちの顔が青くなった気がした。
「おいおい、やべえぞ。まさかとは思うが、水神様の使いじゃねえか?」
「水神?」
こっちの疑問を無視して爺さんたちが慌てる。
「でかいヒレに甲冑の巨体、群れ、海流に乗って移動……こいつは噂に聞くとおりじゃねえか」
「待てよ、水神様の使いがやってくるってことはだ。おい、血だ、血の臭いじゃねえのか!?」
「この天気に荒波でも嗅ぎつけるってのか!」
慌ただしくなるブリッジにも、私たちには何が何やらだ。
巨大魔獣の群れはたしかに脅威だ。でも観察する限りだと魔獣の速度は遅い。到達にはまだ時間がありそうだから、逃げるには十分と思える。
いざとなれば、なんだろうが戦う覚悟だってある。むしろ海賊に加えての対魔獣戦は、望んでも得られにくい困難だろう。訓練のためにも、やってくるなら迎え撃ちたい気持ちなんだけどね。
「このままじゃ身動きが取れねえ! 嬢ちゃん、海賊船をどうにかどかせ、早く逃げるぞ!」
「血の臭いに狂った水神様の使いにかかりゃ、そんじょそこらの船なんか持ちこたえられねえ! 甘く見るな!」
「使いだけならまだしも、水神様が現れたら一巻の終わりだ。どんなに腕に覚えがあろうが、どうにもならない災害みたいなもんだ。まさか老いぼれて初めて水神様の使いに遭遇するとは……」
うーん、なんか伝説の化け物みたいな?
とにかく尋常じゃない雰囲気だ。気を引き締めてかかるべき場面なんだろう。
「ユカリ殿、ここは素直に従うとしよう」
「そうしようか。そんじゃ船長、今から海賊船をどかしてくるわ」
「やれるなら西側に抜けられる道を作れ! 海流から離れて陸に近づきゃ、見向きもされねえはずだ。死ぬ気でやれよ、時間がねえぞ!」
「錨を上げろ!」
あまりの剣幕を見てしまえば、気を引き締めざるを得ない。
急いでブリッジの屋根に戻ると、メンバーの退却は完了しつつあるようだった。
「二人とも、急ぎこの海域を離脱する」
ジークルーネが告げたこの決定には、メアリーとヴィオランテも困惑してるらしい。対魔獣戦の準備をするもんだと思ってたんだろうね。
海賊との決戦が中途半端に終わるのが解せない気分なのは同じだし、魔獣をいちいち恐れてられないって気持ちも同じだ。むしろ大型魔獣との貴重な戦闘機会を捨てるのも、やっぱり惜しい気持ちはある。
それでもここは嫌な予感とベテラン船乗りの意見を尊重し、速やかに撤退する。やるからには全力で。
「よく分かんないけど、想像以上に危険な魔獣らしいわ。西方面に逃げるから、進路上の海賊船はさっさと沈めるわよ」
「急ぐようであれば本気でやりますか?」
「ああ、全力だ。わたしもやる。ユカリ殿とヴィオランテは魔獣を警戒してくれ」
心なしか魔獣の群れがスピードを上げた気がする。
いや、間違いない。加速してる。
「そっちは任せるけど急いで。奴ら、徐々に速くなってるわよ」
「了解した。メアリー、行くぞ!」
「はい! ユカリさん、砂をもらえますか?」
「いくらでも」
要望に応じてタングステンの砂を準備した。使っても使っても湧きだすかのようにサポートしてやるとも。
ジークルーネとメアリーは、瞬間の溜めを置いて魔法行使に突入した。
【エクステリア!】
二人の声が重なり、いきなり雷が落ちたかと思うような激烈な魔力がほとばしった。
キーワードによって解き放った闘身転化魔法は、身体強化魔法の上をゆく奥義。
視覚化されたオーラをまとう二人の姿は、まるで夜の海に突如出現した綺羅星のようだ。
純白の光を帯びたジークルーネは跳び上がり、愛用の長剣に溢れんばかりの膨大な魔力を注ぎ込む。大きく振りかぶって下ろす剣の先は邪魔な海賊船だ。
如何に業物の剣と恐ろしいほどの魔力を誇ろうが、常識的には船のような大きな構造物を一撃で両断することなど不可能だ。身長以上に長い剣を使ったとしても、数メートルの甲板を斬るには単純に長さが足りない。
「伸びろっ、魔剣エーオース・アイリス!」
アーティファクト専門のブローカーから手に入れた魔剣は、荒ぶる剣の女神の名を冠するらしい。その美しい白銀の剣は光の剣と化し、瞬時に船をぶった斬れる長さに伸びた。
剣自体が伸びたのとは違う。注ぎ込んだ膨大な魔力が剣のように見えるだけ。でも切れ味は魔剣本体に勝るとも劣らない。あれはそういう魔道具だ。
光の剣は海面諸共に船を両断し、振り上げる刃でさらにぶった斬る。ジークルーネは崩れる船を足場にして早くも次に向かって跳躍、斬りかかった。
「ああ……気持ちのいい雨です」
ジークルーネが斬った船の後始末はメアリーだ。ちょっと不気味な笑顔を浮かべた彼女は、闘身転化魔法の全能感に酔いしれるかのような雰囲気がある。でも高まる戦意におふざけはない。鮮血の如き真紅のオーラが輝きを増した。
メアリーは降りしきる雨を操り、直径五十センチほどの太さになる水の蛇を作り出した。その大きく長い長い蛇はタングステンの砂を飲み込みながら、砲弾のように射出された。
射出から着弾までは一瞬だ。
タングステンの砂を大量に内包したウォータージェットは、海賊船の残骸をいとも容易く吹き飛ばしてしまう。
ぶった斬って脆くなった船をウォータージェットで吹っ飛ばす連携技。どっちかだけでも船は沈められるけど、合わせればより早い。
ちなみにまだ生き残ってる海賊どものことは、完全に無視だ。一切考慮せずに船を破壊してる。
賊の身をおもんばかって、こっちに被害が出たら最悪でしかない。当然だ。
「会長! あの魔獣の速度、上がる一方じゃないですか!?」
そうだ、私も気づいてる。こっち方面に向かってる魔獣の群れは、限界がないかのように速度を上げ続けてる。
海賊船を破壊しての退路確保は順調に進んでるけど、水神の使いとやらのスピードアップは普通じゃない。発見時はゆっくりした速さだったのに、嘘のような加速だ。ぐんぐんと距離を詰め、残りはもう一キロもない。
まさか私たちを逃すまいとしてるわけじゃないだろうにね。
「この感じじゃ、離脱は間に合いそうにないわね」
退路の確保は間もなくだ。でも沈みゆく船が完全に沈むにはまだ時間を要する。それに魔法を駆使しながら強引に突破を図っても、最初から最高速度で移動できるわけじゃない。
船長たちは今か今かとスタンバってるけど、何事もなく逃げるのはもう無理だ。
「あの巨体であの速さ……体当たりされたら、ひとたまりもないですよ」
質量と速度は運動エネルギーに直結する。さらに魔法的な要素がどうなるか、あれがどういった能力を使うのか不明な状況だ。ちょっと不味いかもね。
ヴィオランテに一つうなずくと、通信をオンにして命令を下す。
「こちら紫乃上。総員、傾注! 総員、傾注!」
一旦、みんなの意識を私に引き付けてから、改めて内容を告げる。
「対魔獣戦闘用意! 北東から接近中の群れに注視、打倒よりも妨害優先で海域からの離脱を支援! いい? 群れの接近を阻止しつつ、船の防御を最優先にしなさい!」
倒せるなら倒してくれて構わないけど、魔獣が内包する魔力は大きい。水の中ってこともあるし、奴らはただでさえ巨体だ。簡単には倒せないだろう。
なりふり構わずやれば私だけでもどうにかなりそうだから、まだ差し迫った危機感まではない。でも私が思い浮かべる方法は、最後の手段にしたほうがいい乱暴なやり方だ。それに未知の要素は十分な脅威として考えないといけない。
第二戦闘団のみんなはさっそく小手調べとばかりに、遠距離魔法攻撃を試し始めた。
やっぱり距離もあるし、水中の魔獣相手に効果的な攻撃はできてない。頼りになりそうなのは、水魔法適正持ちのメンバーかな。
そうこうしてるうちにジークルーネとメアリーが戻り、船も徐々に動き始める。
「退路は開けたが、この分では魔獣と一戦交えることになりそうか」
「あの勢いで突っ込んでこられたら、迎撃どころか防御も厳しいですね」
意思を持った巨体が凄まじい勢いで突っ込んでくるんだから、海賊どものしょぼい攻撃とはレベルが違いすぎる。
まだ闘身転化魔法を解除しない二人も、急速に迫る魔獣を脅威と判断してる。
「取り囲んだ海賊船が障害物になってるから、この船にいきなり突っ込んでくることがないのが幸いね」
「はい。そちらを襲っている間に離脱できれば良いのですが……メアリー団長、水流操作の魔法で接近妨害を図っているメンバーがいますが、上手くいっていないようです。団長はどうですか?」
「無駄ですね。あれも水流操作の魔法を使うようです。わたしたちよりも遥かに高度な魔法技能ですよ」
魔獣の分際で生意気な。でもさすがは水神の使いと呼ばれる魔獣だ。それくらいできて当たり前なのかもね。
強力な魔獣が群れでってのは、改めて考えると非常に厄介だ。小手先の魔法じゃ通用せず、大規模魔法に匹敵する威力じゃないと、効果が期待できない。そんなのが群れで? ふざけてるわね。
「ちっ、水流操作で妨害できないなら、もう打てる手はあんまり残ってないわよ」
地上ならともかく、足元が海ってのがかなりのネックだ。トゲの魔法を使うなら、海底まで行って発動しないと望む威力の魔法は発動できない。
仮に海の底まで潜って魔法を使ったら、私が置いてけぼりになってしまう問題だってある。この船は動いてるし。
それに海の底なんて慣れない環境での大規模な魔法行使は、想像以上に負担を強いるだろう。身の危険を感じる難易度とも思う。
あとは海水中の金属イオンに干渉するとか、猛毒をばら撒けば、タフな魔獣にも影響は与えられるはず。ただし、それは環境への悪影響が大きすぎる。海流の存在を考えれば、この場所だけに被害が留まるとは、とてもじゃないけど断言できない。
これから先の長い期間に渡って、もしレトナーク沿岸で漁業ができない事態にでもなったら、最悪はキキョウ会そのものが不味い立場に追い込まれるかもしれない。
まあ、こんなところで死ぬくらいなら、なんだろうがやるしかないけどね。
「厳しいな。遠距離攻撃では、せいぜい海面付近にいる個体を倒すだけに留まりそうだ」
「私の投擲でも無駄っぽいわね」
海面付近の数体を倒したところで焼け石に水だ。ノヴァ鉱石を炸裂させたって、海中の魔獣は倒せまい。
「もう肉眼でもハッキリ見えますね、そろそろ接触します!」
もどかしくなるような速度の船が西側に向かって移動してると、ついに魔獣の群れに追いつかれてしまった。魔獣の海面から突き出した背ビレは、まるでサメのようだ。
最初の接触は海中からだった。魔獣が高速移動のまま海賊船に突っ込み、船底に大穴を開けたと思われる。
そこまではまだいい。驚くべき光景はここからで、思わず目を見張った。
「と、飛んだ!?」
「嘘でしょ? トビウオかっての!」
海面付近にいた魔獣が続々と飛び上がりながら、海賊船に襲いかかったんだ。
私が目撃したのは、巨体をもってマストに体当たりした場面。しかもその際に、甲板にあった海賊の死体を食ったのも見てしまった。
次から次へと飛び上がり、船腹に突っ込むのもいれば、甲板に乗っかって捕食を始めるのもいる。まるでエサを求める生きた魚雷だ。
「さすがに飛ぶのは想定外だ。ユカリ殿、甲板にいたのでは皆も危ない」
「うん、あんなの相手にしてらんないわ」
「ヴィオランテも船内に。船内から魔法支援の指揮を執って、海中の船体防御に集中して」
「了解しました、団長」
「船がやられたら終わりだからね、頼むわよ」
第二戦闘団が総出で防御に集中するなら、船一つくらいならどうにか守ってくれるはずだ。海中のことは任せられる。そうとなれば、私たちは海面から上のことだけ考えればいい。
さてと。魔獣の空中突進を完全に防ぐのは無理だと思う。私の場合は船上だと盾は空中に作り出すから、あの質量と勢いだと確実に弾かれる。それでも防御には力を入れるけど、積極的に迎撃したほうがいい。
メアリーが船内への退避命令を下すなか、私も全力戦闘の構えをとることにした。
まったく。水神の使いってネーミングからは、どこか神秘的なものを想像してた。ところがあれはどうだ。ひたすら凶悪で獰猛な感じじゃないか。
でも、やっぱり。ちょっと楽しくなってきた!
息を大きく吸って、言葉に魔力を乗せ解き放つ。
【――真殻撃砕……紅蓮の武威!!】




