生まれる海の墓場
予想されたように夜が深まるにつれ、天気は次第に荒れていった。
横殴りの激しい雨風だけじゃなく、高い波に船は大きく揺られ甲板には砕けた波が降りかかる。これに雷鳴でも加われば、絵に描いたような嵐の夜だったろう。
ベテラン船乗りの爺さんたちに言わせれば、この程度の悪天候はまだまだってことらしい。本当にひどい時には十数メートル級の波が押し寄せる中でも操船しないといけない。
さすがにそこまでになると、もう甲板に出ての戦闘なんて現実的じゃない。海に放り出されるだけだろうから、今夜はちょうどいい塩梅に収まってくれたってことになる。私たちが求めた厳しい環境だ。
とにかく、悪天候なら海賊だって船でわざわざ寝泊まりしようとするのは少数派だ。アジトや港町の近くにいるんだから、そこで休むのが多いらしい。
でも私たちはやると言ったらやる。天気は悪くても戦闘は可能と判断できる。そうとなれば、船に乗って戦う決定事項を覆すことはない。
一般的には悪い天気でも、私たちにとって絶好の訓練日和だ。これを待ってた。
海賊どもが陸に上がってるなら、海に引きずり出して戦わせてやる。相手の都合なんか知ったこっちゃない。
「……お姉さま、わたしはもうダメです」
「しょうがないわね」
早々にヴァレリアはダウンした。第二戦闘団からも数人はリタイアが出てるけど、これは想定内だ。むしろ私も含めて平気なメンバーが多く、爺さんたちも驚いてるくらい。ぐらりぐらりと揺れる船上にも、鍛えたバランス感覚があれば素早い対応が可能だ。
船倉の大部屋でヴァレリアたちを休ませ、幹部メンバーはいったんブリッジに集まった。
「――なるべく多くの奴らを釣り出したいからね、ここのポイントで始めるわよ。事前の作戦とそう変わらないわ」
海図で指し示したのは、港町から二キロメートルほど離れた海上だ。海賊どもがアジトにしてる群島が周囲に多く、大勢に喧嘩吹っかけて誘い出すには絶好のポイントと考えられる。
「あと二十分で到着だ!」
船長が雨風やうねる波の音に負けじと声を張り上げた。
「そろそろ配置につかせます。以後は作戦通りに」
「わたしとユカリ殿でフォローする。気楽にやればいい」
普通ならテンション下がりそうな悪条件でも、これこそが望んだ展開だ。私たちの気合は自然と高まった。
なんだか、初めて経験した台風に興奮する子供みたいな感覚かもしれない。
想定した開始地点に到着すれば、いよいよ喧嘩の始まりだ。
指揮官のメアリーと副官のヴィオランテはブリッジの屋根に上がり、遠くまで見渡せる位置に陣取った。私とジークルーネもサポートのために一緒に上がる。ジークルーネは指揮の相談役で、私は観戦とイレギュラーへの緊急対応要員ってところだ。
「団長、総員配置につきました」
副官の報告に指揮官はうなずき、雨風に打たれながらもどっしりと構える。雰囲気出てきたじゃないか。
今日の私たちは通常の外套や戦闘服にベレー帽を乗っけたスタイルで、一応は防水ポーチの装備は付けてるけど水中戦までは想定してない。
命綱だって付けてないから、海に落ちれば溺れる危険はある。ただ、よっぽどの不運がなければそんな心配はないし、もし落ちても協力して助ける手筈だ。大丈夫だろう。
五十人ほどにもなる戦闘団メンバーの役割は様々だ。指揮官以外で重要なところとしては、なんと言っても船の防御役。これは魔法適性の問題もあるから、誰でも務まるわけじゃない。
今回は戦場が海の上ってこともあって、防御には海水を利用することになってる。いくらでもある海水を利用すれば、魔力の節約にちょうどいい。
そうした理由から、水魔法適性のあるメンバーは主に海水を使った防御幕を形成する。水ってのは意外に侮れない防御効果があって、そこそこの攻撃でも大幅に威力を減じる。これを六人配置し、船体をなんとしても守らせる算段だ。
船体防御専任とは別に、甲板やブリッジに飛んでくる攻撃にも迎撃要員を専任で据え、さらには甲板上に乗り込んできた海賊を始末する役も置く。
船の底から側面、甲板から上に対し、二十人弱も人数かけて手厚い防御で配慮した。この船は船員たちだけじゃなく、私たちの仮の宿であり帰りの足でもあるから、きっちり守らないといけない。人数をかけるのは当然でもある。
残る三十人超は積極果敢に攻め込んで、次々と海賊船を落として回る役だ。ざっくりとこんな感じかな。
程よい緊張感に包まれるなか、やがて船から錨が下ろされた。
「始めます。ヴィオランテ」
「はい」
指示を受けた副官が練り上げた魔力を解放した。
分厚い雨雲が上空を占める今夜は、暗闇に包まれたも同然の夜だ。星明りさえない。そんな闇を切り裂く光がいくつも天高く打ち上げられた。
煌々と輝く白の光魔法は、キキョウの花咲くドクロの旗がはためく船をこれ以上ないほど目立たせる。
それでも今は真夜中だ。強烈な光が生まれたとて、気づいた奴はあんまりいないだろう。そこでヴィオランテの魔法が活躍する。風魔法使いの彼女は強い風を捕まえ支配した。
「団長、行けます。どうぞ」
声を風に乗せて運ぶ魔法だ。すうっと息を吸ったメアリーの吐き出す声を、海賊どもまで届かせる。
「――聞こえていますか、海のならず者」
静かに話す声は魔法によって増幅され、連なる島々や港町にまで届いてることだろう。ここにいるとよく分からないけど、寝てても叩き起こすくらいには声を大きく増幅してるはずだ。
「わたしの名は盗賊殺しのブラッディ・メアリー。この度は海の盗賊どもを蹴散らしにやってきました。どうやら臆病者の海賊は陸で休息しているようですが、嵐の海は怖いのでしょうか? 海賊なのに」
ちょっとばかり、くすっと笑って馬鹿にしたニュアンスを含ませた。なかなかの役者ぶりだ。
「臆病者の海賊どもに告げる。悔しかったらかかってきなさい。キキョウの花咲くドクロの旗がわたしの船です。ああ、わたしが本気でこれが夢ではないことを教えてあげましょう」
ヴィオランテが風魔法を解除すると、今度はイヤリングの通信機を通じて命令を下す。
「こちらメアリー、攻撃開始」
「おうっ!」
威勢の良い返事が一斉に聞こえた直後、さっそく魔法攻撃が始まる。
それは威力だけを追求した汎用魔法の炎だ。その塊を一斉に飛ばした。
火の魔法適性がなければ、綺麗な火炎球を形作ることさえ難しいから、不定形に近い炎の塊だ。
しかも遠距離攻撃が得意なメンバーばかりじゃないから、きっちり命中はしないだろう。それに雨の夜で距離もあることから、魔法行使時におけるイメージの問題もあって、どんなに魔力を込めても炎の威力は相応に落ちる。
威力や精度を保った有効射程って意味じゃ、全然それからは外れたしょぼい攻撃でしかない。
でもそれでいいんだ。これはまだ挑発の段階で、船で攻めてきてもらわないといけない。むしろ遠距離攻撃だけで決着がついてしまったら問題だ。
まあ威力が低いから数発くらい命中したところで、大したダメージはないはずだけど。
攻撃としての効果はともかく、方々に次々と撃ち込まれる炎の塊はとにかく見た目だけはド派手で、みんなで撃ってるから合計すれば数百にも上る。これだけ派手にやらかせば、寝ぼけた海賊どもも危機感を覚えて即座に対応するだろう。
雨と風、それと波が立てる音以外は静かだった夜は終わった。
メアリーが発した謎の宣戦布告を聞き流そうとしてたって、炎の着弾まではスルーできっこない。
あちこちで緊急を知らせる鐘の音が鳴り、慌ただしく出港準備が始まったのが分かった。
第二戦闘団の攻撃も出港準備が始まった地点には減らし、出た船に対しては行わない。攻撃は奴らをおびき寄せるためのエサにすぎないんだ。
「いい感じです。虫みたいに集まってきますよ」
ヴィオランテの辛辣な感想はそのとおりでも、奴らにとってはやるしかないことだ。放置できないんだから、対処するしかない。
煌々と照らされる私たちの船は誘蛾灯のように、羽虫に等しい海賊どもを待ち受けた。
ぽんぽんと気前よく炎を撒き散らす間にも、行動の早い海賊船は徐々に接近しつつあった。客観的に荒れた海で良くやるものだと思う。
勇敢というか無謀な奴らであっても、その積極的な行動力は評価できる。
危機に際して早急に対処できる奴のほうが間違いなく優秀なんだけど、あいにくと我がキキョウ会を敵に回してはやられる順番が早まるだけだ。
魔法攻撃の有効射程は個人の能力によりけりとは言え、常識的には優れた使い手でもせいぜい数百メートル、まあ五百メートルくらいと考えていい。
今やってる第二戦闘団の攻撃は約二キロメートルも飛ばす超遠距離攻撃だけど、有効射程からはずっと外れた全然効力のない攻撃だ。威力はなくても火ではあるから、帆に命中すれば燃えはするかな。船体は木製じゃないはずだから、影響は軽微だろう。
ウチのメンバーで遠距離魔法攻撃が得意なのは、リリアーヌ団長が仕切る第九戦闘団に多い。彼女たちなら五百メートル以上も離れた場所から、バンバン強力な魔法をぶっ放せる。一般的な能力からして、これだけで破格の実力だ。
海賊なんかに身を落とした程度の奴らじゃ、実力があってもせいぜい有効な攻撃射程は百メートルもあれば上等な部類だろう。そのくらいまで接近されてからが、いよいよ本番って感じかな。
近づいてくる海賊船からは魔力の高まりを感じる。最も近い船からは四つの反応だ。ウチのメンバーならみんな感づいてる。指示なんかするまでもなく、防御態勢はすでに整ってる。
輝く光魔法に照らされたこの船は格好の的だ。
ブリッジの上からいつ魔法を放ってくるかと見守ってると、彼我の距離がおよそ五十メートルを切ったあたりで攻撃が始まった。
こっちの船を拿捕しようとする攻撃とは思えない。私が推し量るに奴らの全力攻撃だ。
殺し合いが望みっていうか、一方的にこっちの船を沈めるつもりなんだろうね。上等だ。
「思ったとおり、大した威力じゃないわね」
「ああ。先走った数人程度の攻撃など、物の数にも入らない」
これが四方八方からの数十にもおよぶ攻撃だったら、少しは脅威に感じたかもしれないってのにね。
「ま、海賊どもが連携取れるわけもなし、こんなもんね」
頭の大きさくらいにもなる石を飛ばした魔法や炎の矢の魔法は、脅威に感じる事もなく水のベールに阻まれすべて海に落ちた。断続する攻撃にも、このままノーダメージで通せるだろう。こんなのが相手なら、気にするほどの消耗さえなく一晩中だって問題なく耐えられる。
「こちらメアリー、攻撃班は十分に引き付けること。焦らないように」
海賊どもが相手の船に乗り移ろうとする手法は、昔ながらと同じでロープを使うか接舷すれば板を渡す。身体能力に優れてれば、普通にジャンプで船を渡りもする。ウチのメンバーはもちろん、軽く飛び上がっての移動だ。海賊船が近づき次第、そうして乗り込んで制圧する。
防御はもういちいち命令を下すまでもない。どれだけ敵の手数が増えようと、やることは一緒だ。魔法でも矢でも銛でも、撃たれたら防ぐ。すべてが終わるまで、守ることへの集中が切れることはない。
「続々と集まってきていますが、逃げ出す船もいますね」
「臆病者を逃がすな、と言いたいところですが……手も足も足りませんね」
メアリーとヴィオランテが遠ざかる船を睨むように見据える。光に照らされた明るいこっち側から、雨の降る闇の向こうはさすがに見えない。魔力の気配を感じ取ってるだけだ。
逃げ出すのは賢い選択ではある。でも祭りに参加しないなんて、ノリの悪い奴らだ。この祭りは強制参加なんだ。女の誘いを断る無粋な輩には、ひどい目に遭わせてやる。
「私が嫌がらせしとくわ」
指揮官が気になるなら、気にならないようにしてやるのもサポートの役目だ。
魔法で生成した金属槍を見せてやりながら言うと、二人とジークルーネは納得したように逃げ出す船から意識を外した。
ふーむ。ざっと数えた感じ、海賊船は総数で六十くらいもあるだろうか。事前の調査だともう少し多かったはずなんだけど、全部が全部この海域にいるわけじゃないからだろう。
六十隻程度のうち一割くらいがこっちには向かってこず、遠ざかろうとしてる。向かってこない奴らなんか、本当はどうでもいいんだけどね。
なんとなく気に入らないから、ぶっ潰す。理由なんてそんなもんだ。
私たちは天災と同じく、理不尽に降りかかる。質が悪いのは、気分次第で理不尽を押し付けることだ。でも海賊だって、自分の都合で平気で理不尽を商船や客船に押し付けてる。自分がやられたからって、文句を言う資格はない。
悪党ってのは、誰だって文句を言う権利なんかないんだ。やるかやられるか、でしかない。
「いつかは私の番が回ってくるかもね……でも、今夜はお前たちの番よ」
海賊ごっこはさぞ楽しかっただろう。好きなだけ暴れて好きに奪い取る。危険はあっても、そんなものは承知の上の悪党商売だ。いつか終わりがくるなんてのは、どんな馬鹿だって少しくらいは想像くらいしてるだろう。この私が引導を渡してやるんだ。ありがたく思うがいい。
私の狙いは単純だ。船も移動用魔道具だから、核をぶっ壊せば動かなくなる。
なんとなく目についた遠ざかる海賊船目がけて、ステップを踏んでから槍を投げた。
常識外れに強い踏み込みは足元を破壊してしまうから、衝撃吸収に優れる床を自作する準備は怠ってない。こうした改造はウチのメンバーの船上訓練時にどうしても必要で、甲板には衝撃吸収ジェルを土台にした複合装甲で強化せざるを得なかった。
本当はメンバーの守りの意識を下げてしまいかねないから、あんまり私が手を加えたくはなかったんだけどね。必要には応じるしかない。
足元を気にしながら投げた槍は、いつもの鉄球とは違って貫通力の重視を目的にしてる。
重い槍でも遠距離に投じるとなれば、吹き荒れる風や雨の影響は甚大だ。ましてや二キロメートル以上にも及ぶ大遠投。単純に届かせる力があったところで、まず命中なんかするもんじゃない。それでも可能とするが故の投擲術、そして私の剛力だ。的が意志を持って避けない限り、外すことなどない。
これまでにもっと遠くに投げた経験だってあるし、天気のコンディションが悪い分でやっとやりがいある難度って感じだ。
およそ一秒から二秒の時間をかけて船に襲いかかったタングステンの槍は、高速回転しながら船尾船腹を食い破って機関部にまで襲いかかる。
鉄の三倍近く比重の重いタングステンと弾丸の如き速度、回転が生み出す破壊エネルギーは、魔道具の核を粉々に打ち砕くには十分だった。
穴が開いた船体にうねる波は容赦なく押し寄せる。破壊だけじゃなく浸水でも重大な影響を与えるから、あの船はもう駄目だろう。核を含めた機関部は完全破壊され、船体には大穴だ。どんな高性能な魔道具があったとしてもリカバリーは無理に決まってる。
そう時間を置かずにあれは沈むと考えつつも、私の手は止まらない。同じ船に向かってさらにタングステンの槍を投じた。目視できなくても、魔力感知で大体の構造は把握できる。
二投目はメインマストをへし折るようにぶち込み、三投目はブリッジに放り込んだ。きっと大混乱に違いない。
「ありがたく受け取りなさい!」
ふははっ、気前のいいプレゼントよ!
嬉しくて涙が出るだろうとも! 思う存分泣け、泣き叫べ!
さて、ターゲットはまだまだいる。奴らは私の獲物だ。逃がしはしない。
おっと。一匹ずつ念入りに片付けるよりも、まずは足を潰しとこうか。
遠ざかる船には挨拶代わりの一投をプレゼントだ。身体を回転させるようにしながら続々と放り、海賊船の機関部をぶち抜きまくる。
島影に隠れたって無駄だ。そういうのには槍じゃなくて球を放る。悪天候にも対応できる凹凸を付けた特製タングステン球だ。
どの方向にだって自在に曲げる変化球でボコボコにしてやる。やれるもんなら打ち返してみろ!
高揚するテンションと同時に、身体強化魔法の出力も高まった。
サポート役のはずの会長が先陣切って暴れ始めました。まだまだこれからが本番です。
次回「戦闘団長の心得」に続きます。




