始動する闘技場
こけら落としエキシビションマッチは変則的な戦いになる。
英雄フランネルが何人もの挑戦者と連続で戦うって内容だ。勝ち抜き戦みたいな感じだけど、単なるエキシビションマッチであって英雄が勝つことは約束された結果でもある。
多くの人にとって見たいのは英雄の活躍であって負ける場面なんかじゃない。
八百長っぽい感じもあるけど、エキシビションマッチはただの盛り上げ役で賭けもないからね。別に本当に仕込みをやってるわけじゃないし、実際にフランネルなら少々腕が立つ程度の奴なら束になってても普通に勝つだろう。
いよいよ迫った闘技会本番直前のエキシビションマッチ。
ジークルーネたちとの話を切り上げ、それを楽しみにしながら眠りについてその日を迎えた。
翌日は早朝から大忙しだ。
警備局はすでに泊まり込みで準備に勤しみ、それ以外のメンバーも最低限の通常業務を行う人員以外は闘技場に行く。
スタッフとして働くのはキキョウ会メンバー以外にも多くいるけど、事前の打ち合わせや演習で大体のことは問題ないはずだ。アナスタシア・ユニオンから派遣されたアドバイザーからも、非常に有益な助言や指導を得られたと聞いてる。
私も仕切り役のキキョウ会会長として、そして闘技場の理事として現場に朝も早よから詰めておく。
様々な調整によって、主要なお偉いさんが集まってくるのは今日だ。
だから初日、こけら落としの今日が最も警備が厳重になる。すでに解決済みだけど、一応は爆弾騒ぎの画策なんてのもあったからね。そりゃ厳重にもなるってもんだ。
お偉いさんは立場があるから、解決済みだってのに怖がって行かないなんて言い出せないし、そうした懸念や噂を払拭しないといけない義務まである。だから堂々としてないといけない。
あくまでも本番は闘技会の初日なんだけど、今日のエキシビションマッチだって大事な日だ。
言っちゃなんだけど本番の闘技会の初日はシードになってる有名な闘技者は出場しないし、有象無象が戦う場面なんてお偉いさんは興味ないと思う。そういう意味でも今日のエキシビションマッチのほうが興味深いことは間違いない。
それに今日ばかりは賭札の販売がない純粋なお祭りの日ってのもあるから、殺伐とした空気はほぼない感じで警備としても客席よりは貴賓席に集中できる意味合いもある。
本番の闘技会が進んでいって、準決勝や決勝になったらまたお偉いさんがたくさんくるけど、その頃にはスタッフのみんなも少しは仕事に慣れるだろう。今日はエクセンブラの守備隊や王都から警護の兵も出張ってくるし、貴賓の警護に限れば私たちの負担は少ないからそういう意味じゃ楽かもね。
「……あー、なんか色々考えちゃうわね」
「お姉さまは理事ですから。心配事はあると思いますけど、きっと大丈夫です」
たしかに。現場対応はみんなに任せてるし、この期に及んで私があれこれと考えたってしょうがない。
なにかしらのトラブルがあったって、どうにかしてくれるはずだ。もしゼノビアが判断に困るような想定外が起こった場合に備えて私も待機してるけど、そんなイレギュラーがあるなんて、まずないと考えていい。
どれ、今はどうせ暇なんだし出場者の激励にでも行ってみようかな。じっとしてると余計なことを考えてしまう。
「ヴァレリア、選手控室に行くわよ」
「はい!」
闘技場の三階にある理事に与えられた個室から出ると、慌ただしい空気のある通路を歩いて地下に向かった。
まずは今日一番の目玉ゲストであるフランネルのところに行く。
私にとっては英雄でもなんでもないけど、一応は知り合いなんだし無視は良くない。個人としても理事としても挨拶程度はしてしかるべきだろう。
選手控室のなかでも特別豪華な個室に向かうと、警備局のメンバーに軽く挨拶しながらたどり着く。
魔力認証付きの扉の前で呼び鈴を押すと、問答なくそっと開かれた。
「どなたですか?」
出たのは思春期真っ盛りの年頃に見える少年だった。フランネルの小間使いだろうか。
「主催者側の理事よ。挨拶に寄らせてもらったんだけど」
「その声はユカリノーウェね。いいわ、入ってもらいなさい」
「嘘、ロスメルタ!? いつの間に……」
聞き覚えのある声としゃべり方は間違いない。公爵夫人のロスメルタだ。またこの女は急な登場をする。驚かせるのが趣味なんじゃないでしょうね、まったく。
少年が招き入れるように大きく開いた扉から、ヴァレリアと一緒に中に入る。
「ふふ、あとでわたくしからサプライズの挨拶に行こうと思っていたのに」
「もう十分なサプライズになってるわよ。王族と一緒に午後からくるんじゃなかったの?」
フランネルは選手だから準備があるし、中途半端な時間に姿を見せると英雄を一目見ようと変な場所で人が殺到してしまう恐れもある。だから早めに闘技場入りするのは予定通りだ。だけどロスメルタは公爵夫人で超VIPなんだから対応が違う。
警備局からの報告もなかったことから、たぶん変装してフランネルのお付きの者を装って侵入したんだろう。重鎮のくせになにやってんだか。
「敵を欺くにはまず味方からするのは常識よ? 陛下もすでに到着されて時間まで休まれているわ」
「王族も? あんたね、せめて私には教えときなさいよ……それに今さら敵なんていないでしょうに」
「いつでも万全を敷くのがわたくしの流儀なの」
「あっそ、まあいいけど。で、フランネルはよく今回の件を引き受けてくれたわね」
ロスメルタとは手紙でのやり取りが定期的にあるから積もる話は特にない。予定通りにフランネルを激励してやろう。
藍色の長い髪に中性的で整った容貌は、さぞかし人気が出るに違いない。世間に認知されてる英雄的な活躍とは別に、外見だけでも大人気になりそうな色男だ。
「レディからの頼みでもある、断れない」
「あんたのボスだしね。とにかく今日は頼むわよ。今後の盛り上がりは今日のエキシビションマッチにかかってると言っても過言じゃないわ」
「お姉さまと戦いは見させてもらいます。頑張ってください」
ヴァレリアとさりげなくプレッシャーもかける。
「ええ、元クリムゾン騎士団団長としての力を存分に見せつけてあげなさい。オーロラトーチ騎士団団長としてのデビュー戦であることも忘れないようにね」
「ん、オーロラトーチ?」
「わたくしの新しい騎士団の名称よ。装備を揃えるのに一苦労だったわ」
そういや、オーロラ鉱の採掘できる鉱山をどこぞから奪取したとか手紙で読んだわね。
オーロラ鉱は上等な魔導鉱物で虹色の輝きを帯びる白い金属だ。高貴な感じはするし良い素材ではあるけどミスリルなどに比べて熱にあんまり強くないから私は好んで使わない。見た目のインパクトはかなりあって、光に当たると虹色に輝くもんだから、すごくキラキラで派手派手しい素材でもある。
空気を読んだらしい小間使いの少年が部屋の隅に置かれた布の覆いを取り去ると、そこにはまさしくオーロラ鉱をふんだんに使った武具があった。新しい騎士団とやらは、これで揃えてるってことなんだろうね。
武具をパッと見た感じだと、弱点の熱対策は刻印魔法によってカバーされてるっぽい。別の魔導鉱物メインならそのリソースを他に振り分けられるはずなんだけど、これが拘りってもんだ。私はそういうのは好ましく思う。
「うん、凡百の騎士には似合わないだろうけど、ロスメルタお抱えの騎士団なら違和感ないと思うわ。特にフランネルなら余裕で着こなしそうね」
「格好いいです。良いと思います」
いかにも英雄様って感じで似合うと思う。これを纏ったフランネルの姿は、男女を問わずに一発で現状の人気をさらに高めるだろう。
「さすがはユカリノーウェとヴァレリアちゃん。このセンスを理解してくれるのね」
「当然。目立ってなんぼの人間はとことん目立つべきよ。似合ってんなら尚更、遠慮なんか必要ないわ」
装着する本人の気持ちが不明だけど、黙ってるし別に構わないんだろう。
激励になってるのか微妙な雑談をしばらく続けてると、フランネルがそろそろ身体を動かして準備を始めたいらしく、部屋を出て行った。
「ロスメルタはこれからどうすんの? エキシビションマッチの時間まで暇なら闘技場の案内でもしようか?」
「それは嬉しいけど、わたくしが出歩いていては問題があるでしょう?」
「うーん、たしかに。あんたみたいな超VIPがのこのこ出歩いてると、準備中のみんなが無駄に意識しちゃうわね」
「ここで大人しくしているわ。それに書かなければいけない手紙が二十通ほど溜まっているの。この時間に済ませてしまいたいわ」
悲しいことに仕事が溜まってるらしい。
それだけの手紙を書くなんて考えただけでも嫌になるけど、お偉いさんにとってはそういうのが普通なんだろう。大変よね。
「分かったわ。もしなんかあったら呼び出して」
「ええ、ありがとう。今日はイベントの後でも忙しくなる予定だから、残念だけどユカリノーウェと遊べるのはまた次の機会ね」
「エピック・ジューンベルで会合だっけ。色々重なってんのよね」
「盛りだくさんで参ってしまうわ」
今日という日に合わせて国内外の有力者が集まってるんだ。
地方からやってきた貴族連中もいれば、国外から招待したお偉いさんだってたくさんいる。
闘技場で見物しながらの会合もあれば、その合間を縫っての話し合いだってあるし、その後にはホテルでいくつもの会合が予定されてるんだとか。
エピック・ジューンベル・ホテル&リゾーツでの警備もすっごく大変になる。警備局は働きづめね。
「とにかくなんかあったら言って。それじゃ、私も行くわ」
「ロスメルタ様、またです」
「ええ、またね」
特別室から出ると今度は対戦者が集まる大部屋に行ってみることにした。
あっちはやられ役とはいえ、それなりに気合を入れてもらわないと盛り上がりに欠けてしまう。頑張ってもらわないとね。
大部屋に行くと部屋の中から、がなり立てる声が漏れ聞こえた。
選手たちが気合を入れる声じゃなく激励の声だ。なるほど、私がやる前にやってくれてるらしい。
部屋に乗り込むと、思ったとおりの光景があった。
「相手は元クリムゾン騎士団の英雄フランネルだ。お前らが勝つとは誰も思ってねえが、せめて一太刀だけでも食らわせてやれ! そうすりゃ、英雄に一撃くれてやったモンとして一目置かれるに違いねえ!」
うんうん、勝てないまでも食らいつく気合は見せてもらわないとね。最初から及び腰の戦いなんて、見てる側だってつまらない。
むしろ、あわよくば勝つくらいの気合が欲しいところだ。ここは闘技場なんだし、謙虚な姿勢なんてまったく不要だ。勝利に貪欲であるべし!
「おう、ユカリ、いいところに。いいか、この人が闘技場のボスだ。活躍によっちゃあ、ボーナスだってあるかもしれねえぞ」
せっかくだ、グラデーナの煽りに乗ってやろう。
目の前にいる男たち八人は、冒険者ギルドと傭兵ギルドから推薦されてやってきた期待の若手だ。自信に満ちた生意気そうな奴らを想像してたけど、意外にも大人しくグラデーナの話を聞いてるらしい。まあグラデーナは無駄に大物然とした雰囲気があるからね、雰囲気に呑まれてるんだろう。
それとこいつらは報酬目当てってよりは、晴れ舞台に立てる名誉に喜んでる感じなのかな。
様子を見るに、英雄と手合わせできて光栄ですって感じにしか見えない。闘争心よりも憧れの英雄に会える期待が勝ってるらしい。
なるほど、これは気合いを入れてやんないといけないわね。
「分かった、観客の盛り上がりによってはボーナスは大盤振る舞いすると、キキョウ会会長として約束するわ。言っとくけど、数万の観客が見守る英雄との試合よ? もう二度とないかもしれない大舞台ね。もしみっともない戦いを見せるようなら、大勢の観客どころかフランネルからもガッカリしたって不満が出るでしょうね。その点、あんたたちはギルドが自信をもって推薦した期待の若手よ。私たち運営や観客も期待してるし、きっとフランネルも期待してるはず。気合入れていきなさい!」
「そういうことだ、お前ら! それに十分な力を見せりゃあ、フランネルに気に入ってもらえるかもしれねえぜ?」
グラデーナのダメ押しも入って、若者たちの目の色が変わり始めた。
「もしかして、ここで活躍すれば俺だってフランネル様の騎士団に……」
「覚えがめでたければマジであるんじゃないか?」
「よっしゃ、やってやる。やってやるぞ」
「ボーナスが入れば借金がチャラに!」
素直な奴らでいいわね。
ボーナスや数万の観客の前で恥をかかないってことも頭に刻み込まれたみたいだけど、なにより英雄に恥ずかしくない戦いをしようと決意したらしい。浮ついた感じが少しは薄れたわね。
「グラデーナ、このまま彼らの面倒を見てやって。あんたがアドバイザーについてたほうが、よりいい闘いになるだろうしね」
「おう、フランネルの野郎は何の心配もねえだろうからな。今後のシノギはこいつらの出来に掛かってるようなもんだ。あたしも気合入れてねえとな、まあ任しとけ。そうだ、ヴァレリアはこっちを手伝ってけ。これから模擬戦やるからよ」
「お姉さま」
「私はもう部屋に戻るから、ヴァレリアはこっちを手伝ってやんなさい。そろそろほかの理事が到着してうるさいこと言い始めると思うからね。試合の時間まではそいつらを適当にあしらうだけになるから、一緒にいてもつまんないわよ」
迷った様子のヴァレリアに言ってやると、私は宣言通りに部屋に戻った。
この後では予想通りにやってきたお偉いさんどもが無用な心配を口走るのを適当にやり過ごしてるうちに、どんどん時間が経ってしまった。
今日のメインイベントであるエキシビションマッチの前には、前座としてスポンサーの商会が絡む商品を役者にパフォーマンスさせながらさり気なく紹介したり、ド派手な衣装を身に着けた歌手が歌を披露したり、なんかよく分から人が舞踊を披露したりなどなど、その他にも偉い貴族の挨拶があったりとかなんだり色々とイベントが目白押しだったはずだ。全然見れなかったけど。
一人寂しく休憩して気分を落ち着けると、そろそろ移動する。
無数の人々のざわめきと気配が満ちる通路を進む。
闘技場の三階は貴族やそれに連なる人々しか入れない特別エリアだから、溢れんばかりの人が歩いてたりはしない。それにもうメインイベントの時間だから、観客席に座って今か今かと始まるのを待ってる頃合いだ。
感じる気配は闘技場全体からのものだ。まだ試合が始まったわけでもないのに、早くも熱気渦巻く空間って感じね。
通路を進んでると、やがて警備局メンバーが陣取る扉の前に至る。そこは運営者であるキキョウ会として確保してあるボックス席だ。
私が近づくと自動ドアのように開けてくれて、その瞬間に怒号のような歓声が闘技場全体を包んだ。どうやら主賓が登場したらしく、眼下に目を向けるとオーロラ鉱の武具に身を包んだ英雄が進み出る場面だった。
扉を抜けるとジークルーネが私を見て席に誘う。
空けておいてくれたらしい席に座ると、実況を買って出たマーガレットの声が魔道具に乗って闘技場全体にこだました。
「英雄フランネルの入場です! 言わずと知れた元クリムゾン騎士団団長にして、ブレナーク王国復活の立役者の一人、そして救国の英雄です! 赤き鎧から白く輝く鎧へと装いも新たにした英雄が、いよいよ満を持してエクセンブラ闘技場、こけら落としエキシビションマッチに登場だーーー!」