北の隣国と東の崩壊した地域
午後の優雅なひと時に不穏な話を放り込んだジョセフィンは、熱い茶に口を付けながら微かに頷く。
ドンディッチの組織が旧レトナークの組織に関与か。理由は不明だけど、そういう繋がりがあること自体は別に不思議でもないかな。
北の隣国は内向きな国家で、こっちからちょっかい掛けない限りは無視していい存在だった。
政治的にはそれは今も変わってないと思う。だけど政治とその他は別ってことで、他国に交流を持ってるギルドや商会は当然無数にあるし、裏の組織だって多方面に繋がりがあるんだろう。
私たちキキョウ会はドンディッチ内の東端に領地を持つ辺境伯とローズマダー傭兵団を通じて物資交換のやり取りを続けてるけど、ドンディッチとの関係はそれだけだ。それは秘密の取引で表向きには存在してないし、裏社会の不興を買うような真似だって特にはしてないはずなんだけどね。
まあどこがどんな風に繋がってるかなんて、想像もつかないパターンは往々にしてあるもんだけど。
「北の隣国、ドンディッチですか。ジョセフィンさん、重要な話のようですけれど急ぎ幹部会を招集しましょうか?」
「そうですねえ、急ぐに越したことはないですが緊急に招集する感じでもないです。幹部会の前にさっき届いた報告書に目を通してもらいましょうか、まずはボイド組の経過です。こちらをどうぞ」
慌てる必要はないってことかな。
テーブルの上に置かれた手紙を取ると、内容にさっと目を通す。
情報局員が第五戦闘団の戦いぶりと結果をまとめてくれたレポートみたいね。
「……さすがはポーラ、もうケリがついたか。でもこの展開はちょっと予想してなかったわ。どうしたもんかな」
第五戦闘団の最優先目標としてはボイグルの街を根城にするボイド組を強襲し、大量に抱え込んだ爆弾を破壊することだ。あとはその爆弾で闘技会を狙おうとする理由などを調べることだった。
レポートによるとポーラはボイグルに到着早々、いきなりボイド組の本拠地に殴り込み、問答無用で組長の首を獲ったらしい。
詳細までは省かれてるけど、第五戦闘団の鬼神の如き戦闘行為と断固たる戦意は、敵本拠地の洋館を凄惨な廃墟に変えてしまったんだとか。そこに居合わせたボイド組幹部は修羅のような一団に反撃どころか恐怖を植え付けられ、即時降伏に至ったみたいだ。
それによって得られたのは、ただの降伏じゃなくて恭順。本拠地に居合わせた高級幹部一同を震え上がらせ完全に抱き込んだ。
事情聴取は労なく進んで、情報局が事前に把握してた全拠点の裏どりと、爆弾の隠し場所どころか作った奴らまで洗いざらい吐き出させることにも成功した。そこでドンディッチの組織の関与が発覚したらしい。
ボイド組の動機としては単に報酬目当てであって、政治が絡むややこしい理由や恨みなどは特になかったみたいだ。
予想外なのは第五戦闘団があまりにも鮮やかにボイド組を恭順させてしまったこと。恭順とはすなわち、手下として従うってことになる。
「いいんじゃないですか? 旧レトナークの情報はこれから先もっと必要になりそうですし、そういうのがあってくれると情報局としても大助かりです。ボイド組は小さな組織の集合体ですから、すぐに大枠としての組織自体は崩壊してしまうと思いますけど、いわゆる直参の組は取り込んだままにしておけると思います。ポーラさんには引き続き、ほかの組織や近隣の街にも同様の金を掴まされている組織がないか調べを進めて欲しいですね」
なるほどね、本拠地を押さえただけで末端の組織まで取り込めるわけじゃない。ポーラたちは余所者なんだし、直接やり合った奴らじゃなければ従うことはなさそうだ。
それでも直接下した奴らは言う事を聞くだろう。なんでもありの無法地帯だからこそ、力の論理が最も効果的に働く。
力のある奴に従わないと生きていけない世界なら、圧倒的な力を示した第五戦闘団に従うのは当然の帰結だ。そこには男女の別や国も関係ない。シビアな世界で生きてる奴らだからこそ決断が早く、またそうでなければ生き残れない。
今回ははたから見ると上手く行きすぎてて、ちょっと信用しにくい感じはあるけど、ポーラたちだってその程度は織り込み済みだろう。それにこの先の未来、誰に付けば有利になるかを考えれば、おのずと答えは知れるんじゃないかとも私は思う。ちゃんと考えればね。
まあ、ボイド組の連中が深く先のことまで考えてるかなんて期待するだけ無駄だけど、レトナークの状況がいつまでも崩壊国家のままに放置されるなんてありえないんだ。その程度は想像がつくだろう。そんでもって、ウチと繋がりを持っておくことは少なくとも損にならない。
「じゃあポーラたちにはしばらくあっちに居座ってもらおうか。手駒が増えたなら、仕事もはかどるわね。それでドンディッチの組織ってのは?」
「はい、お次にこちらを。ボイド組幹部から得られた情報をまとめたものと動機についての推測です。さすがにドンディッチにまでは情報網がないので、これは新聞雑誌などから得られる情報まで含めた推測ですが、大きく外れてはいないと思います」
「ふーん、どれどれ」
レポートを受け取ると、こっちにも目を通す。
ボイド組の幹部から得られたのは黒幕と思われるドンディッチの組織の名前だった。これはユングベリ・ファミリーという非合法組織らしい。まあ我がキキョウ会と同じ穴の狢だ。
そのユングベリ・ファミリーは西ドンディッチのタンベリーなる街を仕切る大組織であり、重要なのはその街に地下闘技場が存在してることだ。地下闘技場、もしくは裏闘技場と呼ばれる非合法の施設。
ドンディッチには表の闘技場が存在しない。だけど地下にはあるわけだ。
西ドンディッチ南部の街タンベリーは、ブレナーク王国の国境に近い街であり、エクセンブラまでの道のりだって険しくない。
つまりはユングベリ・ファミリーにとって、エクセンブラ闘技場ってのは商売敵になる。
エクセンブラ闘技場はケチな地下闘技場とは違って、世界中から有名な闘技者を招いて興行を打つ事とあってとにかく派手で楽しい闘技場になる。まだ予定でしかないけど、商売敵にとっては決して見過ごすことのできない状況になってると、そういうわけだ。
表も裏も闘技場ってのは共存できるはずなんだけど、それは同じ街にある場合だけだ。
エクセンブラ闘技場が盛り上がって儲かるのは同じエクセンブラに居を構える裏闘技場で、その恩恵が隣国にまで届くことはまずない。むしろ客を取られる側になってしまう。
クラッド一家とアナスタシア・ユニオンはまだ裏闘技場を発足させたわけじゃないけど、水面下で情報は広がってる。
ユングベリ・ファミリーにとっては非常に面白くない状況になってるってことになるわね。だから潰そうと画策し、八百長の噂やら爆弾騒ぎを起こそうとした。
「……なるほど。単純な構図で分かり易くていいわね。フレデリカとヴァレリアも見ときなさい」
二人にレポートを渡すと、ジョセフィンが茶菓子を頬張って飲み下してから言う。
「非常に簡単な推測ですけど大筋で間違いないと考えています。元々は警戒感は薄かったのだと思いますが、エクセンブラ闘技場は大陸でもっとも大きなベルリーザ闘技場に迫る規模での開催予定で宣伝も派手ですからね。並行して噂で流れる地下闘技場の件もあって、焦ったのではないかと」
「それで旧レトナークの無法者を使って仕掛けてきたわけね」
「はい、ただ正面切ってキキョウ会やエクセンブラに喧嘩を売るのは怖いのか、遠回しな手を使っていますよね。この事からも手駒さえ潰してしまえば、しばらくは大人しくなると判断しています」
すでに手駒その一のボイド組はこっちに引き込んだ。ほかにもまだあるかどうかってのが問題か。
利益の対立に過ぎないから、そこからさらに裏でどうのという奴らはいないと考えていいかな。政治的には内向きな国家だし、面倒な謀略の線は薄いと思う。
「話だけ聞くと大した相手じゃないわね。手っ取り早いのは黒幕のユングベリ・ファミリーをぶっ潰すことだけど、崩壊国家のレトナークと違ってドンディッチで暴れるわけにはいかないわ。ジョセフィンはどう思う?」
裏社会が仕切るエクセンブラや崩壊国家のレトナークでなら私たちは結構自由に動けるけど、さすがに他国のそれも真っ当な行政や治安機構が機能して場所まで攻め込むのはちょっと無茶だ。戦って負けはしなくても、外交問題に発展すればブレナーク王国がキキョウ会を潰すために動かざるを得なくなるかもしれない。いくらロスメルタの伝手があったって、国が裏社会の組織を守るために努力してくれるとは考えにくい。それは最悪の展開だ。
だから、もしやるにしても根回しが必要で、それには金も時間もかかる。
「そうですねえ、ぶっちゃけボイド組が抱えていた道具の量は組織の規模に比して潤沢すぎでした。ユングベリ・ファミリーがボイド組以外に金を出していたとは考えにくいんですよね。念のためにポーラさんとグレイリースには同様の事例がないか探ってもらいますけど、おそらくはないと考えています。そうすると、手駒を失ったユングベリ・ファミリーに打てる手はほぼないのではないかと。言ってしまえば、ほっといても大丈夫と思ってます」
ジョセフィンの判断なら間違いないと思うし、私も同じように思う。
闘技会の開催は近い。余計な雑事は大事を済ませてからでいいだろう。
「うん、そうね。警戒は厳にしつつ、ポーラと第五戦闘団にはボイグルの街で周辺に睨みを利かせておいてもらおうか。それとドンディッチの街、なんだっけ?」
「タンベリーですね。そこには人を向かわせるつもりです」
「自棄になられても困るし、妙な動きをしないか監視を頼むわ。それと暇になったらそいつらのトコには私が直接、挨拶に出向くから諸々の下準備も頼むわね」
「それはいいですね。そのつもりで準備させておきましょう」
売られた喧嘩なんだ。今は忙しいけど買ってやれる状況が整ったら、ぜひとも買うために足を運んでやろうじゃないか。
楽しそうな私とジョセフィンにヴァレリアが微笑み、フレデリカは仕方なさそうに呆れた顔を見せた。
通常業務と警戒を続けながら一日、また一日と過ぎ去っていき、秋はどんどん深まって夏の日差しの強さを懐かしく感じるようになりつつある。
ボイグルの街に陣取った第五戦闘団は周辺の武装勢力に睨みを利かせた影響で、いらない喧嘩に発展したトラブルはあったらしいけど、それ以外では特に問題なくエクセンブラ闘技会への影響はなにも見られない。
今のキキョウ会の最優先は直近に迫った闘技会だから、他所の町からの影響を完全に排除できてる状況を考えれば上手くやってくれてるんだと思っておこう。
タンベリーに放ったスパイもユングベリ・ファミリーの情報を急ピッチで集めながら監視を始めてくれてる。
手駒のボイド組がウチに下ったことを悟らせないようにしてることもあって、実は奴らは計画が早々に失敗してることにすら気づいてない。
無事に闘技会が始まって初めて奴らは、どういう事だと気づくんだろう。その時には裏切ったボイド組に対する報復を考えると思うけど、ドンディッチからブレナーク王国を経由して、旧レトナークへの街へ攻め込むのはちょっと現実的じゃない。
報復するなら金を払って別の組織や暗殺者などにやらせるのが順当なところだけど、ボイド組がその時に存続してるかは微妙な状況だ。分裂した組織に対してまで報復があるなら、応援を出す事だって考えてやってもいい。ウチの手駒として役に立つならね。
あれこれと考えてるといつの間にか今日もいい時間だ。
そして明日はついに。
「ユカリ殿、いよいよだ。しかし、よくあの男が引き受けてくれたものだ。会合でも随分と話題になっていた」
「率先して引き受けるタイプとは思えねえが、仕事はキッチリやる奴だろ。あたしも関係者じゃなきゃ、挑戦したってのによ」
事務所に入ってきたのはジークルーネとグラデーナだ。
商業ギルド主催の会合から戻ったところで、ちょっとだけ酒臭い。酔っ払ってはなさそうだけど。
「おかえり。内心じゃあ、面倒に思ってそうだけどね。ボスの命令には逆らえないってだけだと思うわよ」
「ロスメルタ様の命令なら、たしかに文句の一つも言わないか」
「フランネルの野郎はブレナークの民衆にとっちゃ英雄様だからな。あいつが姿を見せるだけでも、闘技会の盛り上がりが一段も二段も跳ね上がるってもんだぜ」
エクセンブラ闘技会を盛り上げるための手段のひとつとして、英雄様にご登場いただこうってわけだ。
グラデーナが言うように、フランネルはブレナーク王国の英雄だ。
《独尊王》の暴挙によって荒廃したブレナーク王国をよみがえらせたのは、かつてのオーヴェルスタ伯爵夫人のロスメルタであり、その私兵だったクリムゾン騎士団の活躍が大きかったと喧伝されてる。
さらにはメデク・レギサーモ帝国への逆襲戦においても、クリムゾン騎士団は華々しい活躍を遂げたと大々的に喧伝されてたんだ。その団長を務めたフランネルの名声は王国一番と言っても過言じゃない。まさに生きた伝説状態だ。
伝説の騎士団は個人の私兵から王国の正規軍に召し上げられたけど、それを辞してまたロスメルタの私兵に戻った状況に違いはある。それでも彼の名声が色あせることはない。
裏事情を知る私たちからするとちょっと微妙な感じもするけど、国の安定のためには英雄が必要な面は確実にあって文句を言うつもりはない。まさか裏社会で好き勝手する私たちの活躍が~なんて言うつもりもさらさらないしね。
「そのとおりよ。せいぜい派手に踊ってもらわないと。ロスメルタはその辺の事をよく分かってくれてるわね」
「見世物にするようで少し気の毒だが、彼には期待させてもらおう」
エクセンブラ闘技会は最初の一回だけじゃなく、ずっと恒常的に人々の娯楽として機能するけど、最初は記憶に残る催し物にして箔を付けたいってのがある。英雄様が戦ってくれさえすれば、完璧にそれは果たされる。
闘技場での利益は関係者一同に限らず、波及して広がることから、ロスメルタとしてもフランネルの参戦には積極的に賛成だった。
そんなわけで、フランネルには闘技会直前のこけら落としエキシビションマッチに出場してもらう事になった。
記念すべき最初の試合が、有象無象による数試合じゃあ風情もへったくれもないからね。注目度の高いエキシビションマッチはどうしても必要ってことだ。
それに本番直前のテストとして、運営側が練習する機会を得るためって意味もある。
数万人もの入退場者を混乱なく捌き、本番中のトラブル対処にも実際の経験はさせておいてやりたい。警備の面だけじゃなく、売店をやる人たちにとっても経験はあったほうがいい。
エキシビションマッチの当日は一般客を限界まで入れるんじゃなく、利権に絡むギルドや商会に一定の枠を設けてそこから客を呼び集める方式だ。だから際限なく集まる入場者といった事態にはならず、少しゆとりを持たせて客席は七割程度が埋まる計算になってる。
無論、本番は想定するよりもずっと大変なはずだ。客はより多く集まり、想定外は連続するんだと思う。
配置する人数は多めなくらいでちょうどいいし、慣れるまでは相当な苦労を強いられるだろう。エキシビションマッチを終えたら本番は二日後だから、短いけどその間に反省を活かす準備期間とする。
警備や売店だけじゃなく、魔道具関連の実稼働のテストって意味もあるかな。
盛り上げるための一手とは別にして、そういった意味合いもあるエキシビションマッチだ。
寄り道をしまくりましたが、そろそろ闘技場に舞台が移ります。
次回、第257話「始動する闘技場」に続きます。
ちなみに初めて「闘技場」という言葉が出たのは、第84話「大人の事情」まで遡ります。この投稿日を調べてみると、2018年の1月7月でした!
なんと3年以上も掛かってたどり着いたことになりますね、我ながら驚きますね、やばいですね。




