ブートキャンプ見学会 後編
「第二グループは、ただいま湖に面した崖を登る試験に挑んでいます。崖を登るだけではなく、その前に湖を一周泳がなければいけません」
あの湖は一周で千メートル近くはあるだろうか。それを泳いだら水の中から這い上がって崖の上を目指す。高さは二十メートルくらいかな。
ちなみに落ちたらまた湖を一周するところからやり直しだ。
ここでも当然のように素直には登らせてくれない魔獣の邪魔が入る。
鳥型魔獣の巣が岸壁にあって、近寄ろうとする存在を攻撃するんだ。魔獣は弱いけど、崖登りの最中に襲われるのは脅威と感じるはずだ。
崖は突起物が多くて登り易いとは思うけど、魔獣の邪魔と装備の重さが足を引っ張る。それと水泳で冷えた身体と吹きつける風も辛い要因になるかもね。
「いいだろうか? この試験にはなんの意味がある?」
意義を問うのは自然な流れね。やってるほうも初めて訓練を受けた時にはそう問うたに違いない。
「こちらも第一グループと同じように、体力と精神面のタフさを測る目的があります。装備を身に着けたまま泳ぎ、登り、上手く行かずに始めからのやり直しを強いられる。これには強いストレスが掛かり、心身を削るでしょう。また、高い崖を登り落下することには強い恐怖を抱きます。これを克服することも重要な目的です」
あの試験は恐怖の克服を見ることがメインになるのかな。
人間、誰しも恐怖の感情はある。どれだけ強くなったって、それが消えてなくなることはたぶんない。
何に恐れを抱くかは人それぞれだけど、高所ってのは単純に分かり易く、ほとんどの人が恐怖を抱くと思う。
高い場所にいるだけでも怖いと感じるのに、崖を登らされ、途中で魔獣に襲われ、さらには落下だ。普通に怖いわよね。誰だって怖いと感じる。
だからこそ恐怖ってのは否定するもんじゃない。受け入れ認め、克服するものなんだ。それをこの試験で見てる。
困難にぶつかった時、恐怖に思考が鈍ってはいけない。そんな時にこそ冷静に素早く考え、身体を自在に動かせる胆力が必要だ。
「恐怖の克服か。あれをやらされるのはたしかに……」
「あっ、登り切った人がいますわよ。手を貸しているようですが、あれは良いのですか?」
「最終試験は個人としての能力を試される場でもありますが、チームとして課された試練を乗り越える場でもあります。禁止されていない限りは、あのような手助けは逆に推奨されています」
こうしてる間にも登り終えた見習いが増えていく。落ちてしまったのも数人はいたけど、次のチャレンジでは成功させた。
最終試験に挑む資格を与えられただけのことはある連中だ。
だけどそこで終わりじゃない。むしろここからが本番ね。
ずぶ濡れの一同が整列したら、試験官から新たな試練が与えられる。
「ただいま彼女たちには魔法行使の禁止が言い渡されています。魔法を使うということは、同時に位置を知られることでもあります。敏感な魔獣、察知に優れた人、あるいは魔道具に感知されるかもしれません。高度な魔法隠蔽技術があれば話は変わってきますが、ここからは一切の魔法行使は禁止となります。隠密行動中の実戦を想定した試験です」
それに加えて、いつでもどこでも必ず魔法が使える状況とは限らない。魔法ばかりに頼った強さは、それが使えなくなった時点で終わりだ。そんな弱さをキキョウ会正規メンバーに許すわけにはいかない。
「何をさせるのだ?」
「特に変わったことはしません。身体強化魔法を伴わない継続的な運動と戦闘ですね」
映像を見てると見習い一同は濡れネズミのまま走り出す。
重い装備を身に着けた状態で身体強化魔法なしじゃ、普通に走るだけでもかなりキツイだろう。ちなみにだけど、ここでもズルして身体強化魔法を使うのは別にいい。ただし、試験官の魔力感知は見習いが誤魔化せるほど甘くない。やった場合には密かに減点される。
地味な駆け足中にマーガレットの解説が入った。
「各自が持っているバックパックは耐水性で、水に浸かっても中身は保護されています。耐衝撃性にも優れますので、戦闘で多少のダメージを受けても被害は出ません。持ち物は着替え一式、雨具、毛布、寝袋、サバイバルキット、水筒、調味料、テント用の骨組みなども入っています。主となる武器以外のその他の荷物としては、ポケットに投擲用ナイフや回復薬を含む応急キットなどを所持しています」
サバイバルキットは色々な便利ツールが収められたセットでなにかと重宝する。
中身はナイフや釣り道具、コンパス、鏡、マッチ、ロウソク、ワイヤーソー、針金、結束バンド、ソーイングセット、極小魔力ランプ、ペンなどなど。
ちなみに私たちの車両には標準装備として積まれてる物だけど、普段から個人で持ち歩いたりはしない。
「おーっと、さっそく行く手に魔獣が現れました! 速やかに倒して先に進むよう、指示が下されています」
例によって昆虫型魔獣だ。出たのは牛並みに大きいヤスデのような感じの魔獣ね。足がたくさんあって気持ち悪いけど、これも見た目の迫力があるだけで雑魚だ。
見学者でもヤスデが苦手な人は多いらしく、目を逸らす人はそれなりにいる。
「あっ!? あー、あれは酷いですな……」
「あれだけでリタイアしたくなりそうなものですね……」
戦闘自体は魔法がなくても問題なく進んでるけど、過程が酷いんだ。
攻撃を受けたヤスデは体液を撒き散らし、臓物を垂れ流す。それでいて激しく暴れてるんだ。
つまり、ここでも吐き気を催す虫の体液にプラスして臓物を浴びながら戦う羽目になってる。最悪よね。
魔獣の生命力は無駄に強い。致命傷を与えても動かなくなるまでには時間を要する。
魔法禁止だから遠距離攻撃の手段は限られるし、身体強化魔法を使えない状態だから、一撃で頭を潰すような強い攻撃ができないのもネックになってる。
間もなく戦闘は終わったけど、身体を洗う時間もなく再び駆け足だ。
「どうして浄化魔法を使わない? あ、魔法か」
「はい、そのとおりです。この場面では魔法を使わない、魔力を漏らさないことが求められていますので浄化魔法は使えません。厳しい時間制限のある移動も課されていますので、着替えなどをする時間もありません。魔獣を討伐したシーンでも、もちろん魔法は使っていませんよ」
全身が水に濡れた状態だけでも気になってたところに、ヤスデの体液や臓物を浴びたんだ。強烈なストレスを感じてるだろう。
だけど私たちはそんな状態でも眉一つ動かさない精神力と集中力を求める。これは試験なんだ。
例えばギリギリの戦いになった場面で、いちいち汚れを気にしてるようじゃ話にならない。どうしたって気になるもんだけど、無視できるようにならないといけない。
ほんの一瞬の油断が死を招くんだ。どんなに鍛えてたって、死ぬときはあっさりと死ぬ。キキョウ会の正規メンバーに、そんな死を私たちは許す気はないんだ。
試験中は精神、忍耐、集中が多く試される。だからあえて悲惨な目に遭わせる。実戦以上とも思える最悪を与えて乗り越えさせるんだ。
「ではここで第三グループの様子に切り替えてみましょう!」
視線が動くようにして映像の場所が移動すると、今度は迫力のある戦闘シーンだ。魔法ありのね。
「おお、今度はどのような試験ですかな?」
「あれは食料として魔獣を狩っている場面になります。試験期間中、彼女たちは自力で食料を調達しなくてはいけません。第三グループにとって、今はそのための時間です。ただし、試験のスケジュールに則った形で動きますので、毎日、毎食、必ず狩りができるとは限りません。一度の狩りでなるべく多くの食料を確保するために、大型の魔獣を倒すことは有利になります」
魔獣肉だけじゃなく、魚や食べられる草、木の実などもこの時間に確保する必要がある。分担して食材を得るんだ。水は魔法で出せるから、その点は楽よね。
「……なにか、苦戦しているように見えますが」
「あっ、いま怪我をしたのでは?」
「強い魔獣に戦いを挑んでしまったのかね?」
映像を見てた人たちが指摘したけど、まさにだ。手強い魔獣に手を出して苦戦してる。
「おっしゃるとおり、身の丈に合わない魔獣に挑んでしまったようです! おっと、またもや怪我人が発生してしまいましたー! たしかに倒せれば肉の量は多く味も良い魔獣ですが、欲張ってしまったようです! これは大ピンチかー!?」
いざとなれば当然、試験官が助けに入る。死なせるようなヘマはしない。
「でも回復薬を持っているのですから、多少の怪我は想定済みなのでは?」
「はい、回復薬がありますので重症でなければ治癒は可能です。ただし、無制限に所持しているわけではありませんので、そこは注意が必要です」
回復薬は一人に五本ずつ配られてる。平等にね。効果としては超複合回復薬で中級が一本に、下級が四本。ランクが低いから過信はできないけど、怪我でも毒でも魔力切れでも対応できる万能薬だ。
でもね、試験期間は長い。使いどころはよーく考えないといけない。
不要なところで使ってしまえばあとで困る。だけど放置したせいで重症化してしまう場合だってある。
早い内に下級回復薬を使っておけば中級回復薬を使わなくてもよかった、なんて事だってあるかもしれない。
特に各自一本しかない中級回復薬を簡単に使う決断は難しいけど、使うべき場面で使わないのは大きな減点対象だ。怪我の状態やこれからの目的、使いどころを見極めるのも試験のうちだ。
試験は基本的に個人行動じゃなくグループ単位での行動だから、合計した本数で考えた場合には考え方も変わると思う。その辺をどうするか非常に悩ましいポイントになる。
「おーっと、ここで更なる魔獣の襲撃です!」
苦戦してる戦闘で怪我人がいる状況、そこに新たな魔獣が四方八方から出現だ。厳しいわよね。
「……咄嗟の判断力と行動力が凄いな。強い魔獣を阻害系の魔法で足止めしているのか。その上で怪我人を円になって守りながら、新手の魔獣の群れを寄せ付けないぞ!」
「うむ、指示を下している娘が有能なのだろう。総崩れになるかと思ったが、見事に建て直したな」
「怪我人も復帰したみたいですね」
怪我人を出すほどに苦戦する魔獣に手を出したのはミスだけど、その後の対応は見物人が言うように良くやってる。
仲間を見捨てず確実に守り、そのなかでリーダー役が冷静に指示を下す。そして指示を聞くほうも冷静だ。
戦いの最中、それも苦戦してるような時に、人の話を冷静に聞き取るのは簡単じゃない。そっちも褒められたもんだ。
そんでもって怪我人がすぐに立ち直ったことも大きい。あれはあれで焦るもんなんだ。
ピンチのなかでいつまでも怪我して戦力外でいるわけにはいかない。できる限り素早く戦線復帰することが重要で、貴重な回復薬をケチってる場合じゃないし、焦って回復薬を取り落として破損する場合だってある。そんなミスが許されない状況だってあるから、試験では厳しく見られる部分だ。
どんな状況でも冷静に対処することが求められる。
こうして第一グループから第三グループまでの映像を切り替えながら、マーガレットが解説や実況を入れていった。
見物人たちの昼食や休憩後にまた見学会が再開され、その後も様々な試験を映し出していく。
一時的にチームを解散して個人で三十キロメートルほどの難関コースを踏破させる試験は、体力のみならずナビゲーション能力を試す場でもある。単独行動を求める場面で、道に迷って仕事が果たせないようじゃ困る事だってあるんだ。ずっとチームで行動させておいて急に一人きりにさせることで、ここでも精神的な負荷をかける目的もある。
食料とは別に強い魔獣と戦わせる試験だってある。倒したと思ったら次、また次、また次と終わりの見えない長時間に及ぶ戦闘を強制させる。何度も何度も繰り返しを強いる試験は多いけど、それだけ精神面のタフさが重要ってことよね。
あとはやっぱりチームで分けられてる以上は、チーム戦だ。
踏破するレースだったり、陣地を早く作ることだったり、模擬戦だったり色々だ。見学会中に全部を披露することはできないから、今回見せてるのも、あくまでも最終試験の一部だけだ。
そして夕方近く、見学会も終わりの時間になった。
「――そろそろお時間となってしまいました! 本日は皆さま、長時間に及ぶ見学会にご参加くださり、ありがとうございました!」
見習いたちは試験期間中はほぼ休んでる暇はない。食事中だろうが睡眠中だろうが、容赦なく試練が襲いかかる。
なんといっても、試験期間は約九十日に及ぶんだ。今日はまだ九日目。本番なんてまだまだこれからで、ほんの序の口を見せてやったに過ぎない。その地獄のような毎日を思えば、想像するだけでも死ぬほど大変だと思い知ることができるだろう。
はっきり言って、常人にはそれだけの期間を耐えるのは無理だと思う。今日の一日分だけだって、無理かもしれない。
だけど私たちはキキョウ会だ。常人のままじゃ、そこに入ることはできない。
普通に考えて無理なことを成し遂げるには、普通のレベルを脱することだ。
見習いたちは必要に迫られて、徐々に異常な領域に足を踏み込んでいく。
周りがみんな異常だから、それの要求レベルのおかしさに気付かない。
最終試験に挑む資格を与えられたあいつらは、もうこっちの領域に近い異常な人間だ。だから、見てて楽しい。
「最後にご質問などありましたらどうぞ!」
見物人たちも異常な領域の一端を見て感じるところはあったんだろう。
感心すると同時に、異常なものを見せられてかなり引いてる感じがある。
「俺から少しいいか? 思ったんだが、俺の娘があそこまでになれるものだろうか? とても無理に思えるが」
「ご心配には及びません。あそこにいる見習い一同も、初めからできたわけではありません。多くが極普通のレベルからスタートしています。誰でもできるとまでは申し上げられませんが、大きな可能性があるとは断言できます」
「ワシからも聞きたいのだが……なぜあそこまでやる?」
「なぜあそこまで、ですか。わたしたちとしましては、あれが最低限のレベルと認識しているところですが……」
常識で考えるから疑問が浮かぶ。世間一般の常識で考えるべきじゃないんだ。
私たちの職業に求められるものとは何か? そう考えればいい。
こっちの業界人に求められるものを超単純に言ってしまえばズバリ、気合と根性だ。少なくとも私はそう思ってる。
誰が相手だろうが、舐められたら終いの商売なんだ。常に突っ張れる気合と根性、その拠り所となる強さはどうしたって必要になる。
口先だけじゃ意味がないから鍛える。トコトンまで鍛える。
まあもうちょっとそれっぽい理由は色々と考えられるけど、超簡単にまとめてしまえばそういうことだ。
気合と根性!
これがある奴は舐められない。強ければ死なず、生き残っていける。
なんでかって? 簡単なことだ。