人任せにしたい不良更生
おかわりを注がれてしまったエトワーレ・フェルトを無駄にすることはできず、そのまま椅子に腰を落ち着け直した。
紅茶に口を付けて改まった雰囲気になると、アイストーイ男爵が話すのを待つ。こっちには今日のところはもう話はない。
どんな用件か。貴族、それも侮れないと評価したばっかりの男がなにを言い出すのか。
私たち三人は黙ったまま平然としたフリをしながら、切り出されるのを待つ。
良い話か面倒な話かは、なかなか切り出さないところを見るに後者だろう。いっそのこと聞かされる前に退散したほうがいいかもしれない。
それでも高級茶を無駄にできない私は素早く飲み干すこともなく、ティーカップの中身をゆっくりと飲み下していく。
熱い紅茶が喉を通る感覚と香りが鼻から抜ける感覚に意識を飛ばしてると、いよいよ男爵が口を開いた。
「……聞くところによると、キキョウ会は教育に大変熱心であられるとか」
私たちは顔を見合わせた。何を言い出すのかと思ったら世間話?
それとも不良娘の更生のために助言が欲しいといったところだろうか。
まあいい、世間話に乗ってやろう。せっかくの紅茶が残ってるうちだけね。
「そうね、貴族が貴族としてやっていけるような教育が必要なように、こっちはこっちで必要なことが山ほどあるからね。ウチにはその筋とは縁のない人もたくさん入ってくるから、教育はどうしても必要よ。そういう意味じゃ、教育熱心な組織といっても過言じゃないと思うわ」
「もう少し具体的なところを教えていただいても?」
やっぱり娘の更生の参考にしたいんだろうか。興味本位ってよりも、結構真剣な感じだ。
「うーん、まあざっとで良ければ――」
しょうがない。言いたくないところを端折って、ざっとなら話してやってもいい。
我がキキョウ会は非常に教育熱心な組織だと思う。その教育内容は一言じゃ言い表せないほど多岐に渡る。
個人のレベルに合わせて教育内容のスタート位置は変わるけど、そこを置いておくとして知識面だとまず超基本の読み書き計算から始まって、一般的な知識と教養は私たちが定義する『普通』のレベルになるまで全部叩き込む。
そんでもって、常識非常識についてもだ。こっちもいわゆる『普通』のね。異なる土地土地や育ってきた環境の違いで、キキョウ会の中に無用な軋轢を生みだされるのはゴメンだ。
ブレナーク王国だと気にする必要はないけど、地域によっては人種や種族の違いで迫害が日常的だったりもするんだ。そんなのは徹底的に取っ払う。もう絶対条件だ。ただ、これは意外と難しくない。
毎日毎日、朝から晩まで座学と訓練漬けになる日常は、余計な事を考える暇を一切与えない。一致団結しなければ乗り越えられない試練だって何度も課せられる。そうした生活のなかで、自然と塗り替えられていく。
一般常識を軸に各人の中に根付く『普通』を矯正し、その後にキキョウ会メンバーにとって必要な知識と常識非常識を身に着けさせる。
学校じゃ教えない初歩として、ナンパ男のあしらい方や、効果的な喧嘩の売り方に買い方、酒の飲み方、ギャンブルのやり方やTPOに合わせた振舞い方なんかも教える。礼儀作法まで含めてね。
世間の常識とキキョウ会の常識は違うけど、同時に両方をきちんと認識しなければならない。
違いを理解し、その上でウチの流儀でやってもらうことになる。それに付いていけない奴は、そもそもウチじゃやっていけない。妙な正義やら倫理やらを振りかざされても迷惑でしかないんだ。逆にやり過ぎてしまうブレーキの効かない奴もダメだけどね。
『常識』と子供でもクリアできるレベルの教養を身に着けられたら、今度はもっと難しいことも覚えさせる。
悪いことをする身となれば、なにが悪かを知っておく必要がある。それは主に法についてだ。
エクセンブラは裏社会が支配する特殊な街だけど、それでも表向きには色々と決まりごとがある。法を破るにしても、バレないようにするとか根回しをしておくとか、誤魔化す手段を用意しておくか、一定の気を払わなければならない。
なにがどこまで白で黒なのか、もしくはグレーなところで済ませられるのか。そういったことを認識できてて利用できる奴らは強い。
悪どく騙したり利用する側の私たちにはそういった知識が必要になるし、逆に騙されないようにするために必要でもある。
悪の組織、キキョウ会の正規メンバーになるためには、そういった知識も大雑把には身に着けなければならないんだ。細かいところは専門家に任せるとしてもね。
座学はほかにも魔法関係があったり、色々な魔獣の特性なんかも教えるし、それこそ簡単には並べられないほどたくさんある。
ただ、覚えるべき知識は無数にあっても、ウチは効率最優先で無駄は極力省くし、正規メンバーになってから実地で覚えていけばいいところまでは見習いの間は教えなかったりもする。
まあ勉強は正規メンバーになってからも、ずっと続くってことよね。私や幹部たちだって、それぞれで勉強や研究はやるし、時々は集まって私たちに関係のありそうな法の整理や変更点の確認、あるいは個人の研究成果の報告やおさらいをすることだって普通にある。これもまた重要なことだ。
知識の共有と定期的なリマインドは面倒なようにも思えるけど効果は高い。忘れてしまうことは意外と多いし。
そして知の面だけじゃなく、肉体の強化だ。こっちはこっちで地獄の苦しみを味わうことになる。
特に基礎体力は苦しみ抜いた上でしか強化できない。
体力と魔力を伸ばしながら、精神面を鍛え、戦闘技術も習得していくんだ。
キキョウ会特有の徒手空拳での戦闘方法から、武器の取り扱い、魔法の修練、これも個人によってスタート位置は違うけど、大変な道のりだ。
ここでもまたウチの強みがある。
各種回復薬は体力や魔力さえも強制的に回復させ、疲労や怪我による休息を必要としなくさせる。
高級品のはずの回復薬を湯水のごとく使える環境はキキョウ会にしかない反則技だ。
腹一杯タダメシ食わせて寝床や衣服を与えてやって、教育まで施してやる見習いの間は、決して楽をさせない。死に物狂いで頑張ってもらう。
地獄のような教育期間を終えて正規メンバーに昇格できた時、初めて少しは楽ができると思う。
正規メンバーになって各部署に配置されたら、そこでも新たに勉強や訓練は必要になるけど、寝る暇すら惜しむような訓練付けの毎日からは解放される。見習い期間に比べたら、むしろ余裕と思えるだろう。
代わりに正規メンバーには責任が生じるようになるし、命の危険にも常時晒されるようになる。キキョウ紋を背負うってことは、同時に敵に狙われる立場にもなるってことだ。平時はそれほど気にしなくていいと思うけどね。
男爵には本当にざっとだけど、こんな感じのことを話してやった。
「……地獄の苦しみ、ですか。通常の学校教育では不可能ですね」
「普通のことなんてやってたら、こっちの世界じゃすぐに死ぬわよ。今、話したのだって、実際に経験してみなきゃ分からないほど辛い見習い期間のはずよ。素人をこっちの世界に順応させたり、甘ったれた性根を叩き直すには、そのくらいやらなきゃできっこないってのもあるけど」
こんな地獄の毎日を過ごさせても脱落が少ないのは、教導局長のフウラヴェネタのお陰だ。彼女の個々への状況の見極めとギリギリを課す訓練課程やケアがあってこそ成立してる。
教育内容や方法は常にアップデートされ続け、レベルの高い新規メンバーを生み出してくれてる。
「噂には聞いていましたが、どうやら噂以上だったようです。貴族の立場としては少々思うところがないわけではありませんが、総じて非常に素晴らしいですね。ただの理論だけではなく、実践されて成果を上げていることが素晴らしい」
男爵はかなり感心した様子だ。考え込みながらも、うんうんと頷いてる。
自慢のメンバーを育てる基礎課程なんだ。素晴らしいことは自分で分かってるけど、他人に褒められてもちろん悪い気はしない。
「いや、世辞を抜きに本当に素晴らしい。それこそがキキョウ会を短期でここまで成長させた原動力なのでしょうか」
「間違いないわ。私たちも最初は少数だったからね。少数のままじゃここまでこれてないし、人数だけ集めたって五大ファミリーなんかに勝てるわけないわ。集めた人員を育ててきたからこそ、今に至るってわけよ」
ちょっとだけ得意げに語ってしまった。
初期メンバーのジークルーネとジョセフィンも同様に誇らしげに見える。
フウラヴェネタが入るまでは私たちみんなで新人教育はやってたから、その意味でもここまでに繋がってると思うと感慨深いものがある。
「キキョウ会は教育機関としても有数の組織ですね。いや、素晴らしい。そこで思ったのですが、一つ頼まれてはいただけないしょうか?」
「うん、なに?」
おだてられて木に登り、上機嫌に問い返す。
「いえ、大したことではありません。娘を預かってくれませんか」
「……娘って……は?」
「情けない話ですが、性根の腐った娘でして親や学院の教育ではどうにもなりません。評判のキキョウ会であれば、と思ってのことです」
予想外の展開に頭が追い付かない。
「……いや、ウチも話したように教育の部門はあるけど、入会希望者を鍛え上げてるだけだから……。てゆーか、下手すりゃ死ぬかもしれないような訓練させてんのよ? 貴族の娘だからって特別扱いなんかできないし、それを分かって言ってる?」
「承知していますとも。参考までに、これまでに訓練中での死者はどれほど出ているのですか?」
うーん、たしか死んだって話は聞いてなかったような。
さすがに死んだなんて話を聞いてたら覚えてると思うけど、一応ジークルーネとジョセフィンを見る。
「ユカリ殿、訓練中での死者は出ていない」
「そうですね。死にかけた見習いは数え切れませんが、死んではいなかったはずですよ」
まあ即死しなければ回復薬でどうにかなるのがウチの強みだ。訓練中は監督役もいるし、そうそう死んだりしない。
これまでに聞いた記憶はなかったけど、やっぱり死者は出してない。
「……聞いてのとおり、死亡はゼロよ」
「死のリスクはあっても、確率は非常に低いということですか」
「そうだけど、万が一の事態になっても責任は取らないわよ。揉め事は嫌だから、引き受けたくないわね」
気づけば予想外の展開になってしまった。どういうつもりよ。普通に断りたい。
「そこをなんとか。もちろん、出資はさせて頂くつもりです。馬鹿娘とはいえ、教育のための資金であれば喜んで出しましょう」
金まで出すか。どうやら冗談じゃないらしい。
貴族の頼み事ってのは、叶えてやると直接的な利益のほかにも好影響が出ることが多い。その意味も含めて、男爵が本気なら否定から肯定に気持ちが傾く。
しょうがない。だったら、こっちもそれなりの対応を考えるか。
「……へえ、出資か。いくら出すつもり? ウチはボランティア団体じゃないし、便利使いされる気はないわ。教育にもコストってもんがかかるんだから、それなりの礼はしてもらわないと割に合わないんだけど」
なににつけても金が掛かるんだ。
金持ちの親が出しゃばって子供を入れたいってことなら、それなりに出すもんは出してもらわなければ。
「まずこちらからは、一千万ジスト出しましょう」
ふーむ、教育期間にもよるけど、悪くはない。教導局の臨時予算として使えるようになるなら、局長のフウラヴェネタが喜ぶと思う。
それに特別扱いじゃないなら、今さら見習いがひとり増えたところで、それほどの負担には繋がらない。
「……まずってことは、追加があんのよね」
「はい。そこにつきましては、また別のご相談をぜひさせて頂きたいのですが」
妙な展開だ。単純に不良娘を有料で受け入れてやるのとは違うってことみたいだけど。
やり手の男爵は何を思いついたのか、清々しい笑顔を浮かべてる。なるほど。きっと、ろくでもないことに決まってる。
ちょっと仕切り直したい気分だ。どうにもペースを握られてる。
「……なんか、すぐに終わる話じゃなさそうね。もう遅いし、出直そうか?」
「こちらこそお引止めしてしまって申し訳ない。そうですね、こちらでも調整したいことがありますので、お譲りする債権の事とは別に、五日ほど後でまたお会いすることはできますか?」
債権の話は明日にでも情報局にまとめてもらうつもりだけど、謎の追加の話は私が出張ったほうがいいだろう。
今の時点で詳細を明かさないってことは、調整とやらが済んでからにしたいってことみたいだと思うし。一体、何を言い出すことやらね。
ただ、このやり手の男爵が持ち出す提案には、私としても興味深いと思ってしまう。
「分かったわ、じゃあ五日後に。次はもっと早い時間にね」
「朝までには準備を整えておきましょう」
不敵な男爵だ。なかなか面白い貴族がエクセンブラにもいたもんね。
あっと。帰ろうとしたタイミングで、一つ忘れてたことがあったのを思い出したけど、今はいいかと口に出すのはやめておく。
密売所の借金の件をウチで持つって話しそびれてしまった。これは明日、債権の話と一緒にやってもらえばいいか。
教育機関としてのキキョウ会が注目され始めています。
男爵との邂逅はここで一旦中断し、再会(劇中で五日後の予定)までの間はキキョウ会メンバーの状況に触れて行きます。
次回、「舞い込む相談事」に続きます。