死せる者の領域
夜の森というのは、ただそれだけで恐怖感をもたらす場所だと思う。私は夜とか闇とか結構平気だし森にも慣れてるけど、それでも多少の忌避感はある。好き好んで入りたくはない。
しかも星明りさえない闇となれば殊更で、この上にアンデッドがうろつく場所なら、おっかなすぎて入るどころか近づくことさえ常識的には無理無謀。
もう人が立ち入るのなんてのは、どれだけ好奇心旺盛な強者でも拒否するんじゃないかと思う。むしろ怖いもの知らずというよりも、ただのアホが冒す愚行よね。
危険と共に、常人であれば発狂しそうなほど、恐ろしい状況に違いない。
そんな中を一本通る道の上とはいえ、ただ一人で歩き回る私のテンションは、自分でも意外だけど上がるばかりだ。
視覚が閉ざされるだけでも普通は恐怖に感じる。だけど、様々な情報を取得して疑似的に周囲を見るようになると、景色は一変する。まだ発展途上だけど、それができることが嬉しい。
ゾンビとレイスからはなるべく距離を取り、スケルトンの近くを鼻歌交じりに通り過ぎる。ついでに高まるテンションのままに殴って破壊までしてしまう。観察しただけじゃよく分からなけど、実感として頭を砕くか首を折れば倒せるらしい。
人型も動物型も関係ない。骨だけだと、元が何だったかも良く分からない。まあこの私の手で無に帰してやるんだ。ありがたく成仏するだろう。
腐れた存在のゾンビから距離を取ってるのは、単に気持ち悪いのと臭いを避けたいからって理由もあるけど、奴らは臭いだけじゃなく毒の混じった臭気を放ってる。ただの腐臭を放ってるだけじゃないんだ。毒も単純なものじゃない感じだし、吸い込むのはもちろんのこと触れるとさらに重度な影響を受けてしまうはずだ。結構ヤバい魔物だと思う。倒す場合には確実に距離を取らないといけない。試しに投擲で頭を撃ち抜いてみると問題なく倒せたことから、弱点はスケルトンと同じだと思われる。
レイスについては近寄ってみても正体不明の怪奇現象としか表現できない。明るいところで見たなら、黒い人型の靄のような存在だろう。ただひたすら不気味で恐ろしい。どんな攻撃方法を持ってるのかもまったく不明で、一定の距離以上に近寄ることは危険だ。
ゾンビは毒の臭気という分かりやすい脅威があるけど、レイスは魔法的な何かの脅威があるとしか分からない。さすがにこれについてはリスクが高くて、確かめてみる気にはなれない。
倒す方法も完全に不明だ。触れてはならないってのは直感で分かる。魔法も恐らく普通のものじゃ効果はない。下手に藪をつつくと何が起こるか分かったもんじゃない恐怖がある。
現時点としては消極的だけど、レイスは放っておくしかないと思う。観察だけじゃ分かることも限られるし、可能な限りこいつらには触れないでおくしかない厄介な存在だ。
スケルトンも常識的には手強い敵だろう。なんせ、その骨が頑丈だ。通常の骨の強度を遥かに上回る手応えは、奴らの物理攻撃力にも反映される。私なら余裕で倒せるけど、そんじょそこらの腕自慢が殴った程度じゃ怪我するのは自分だろう。
総じてここにいるアンデッドはかなり強い部類に入るわね。常識的には強い部類どころじゃなく、こんな森を抜けるのは不可能に近いと思う。
だが、私たちは行く!
元来た道を戻るなんて、真っ平ゴメンよね。逃げるにしても前に向かってだ。後ろには行かないのが私のスタイルなのよ! なんてね。
「……そろそろ戻るか」
調子に乗って遊び過ぎてしまった。まるで夜中のテンションね。
厄介なことを認識しながらも軽い気分でみんなのところに戻ると、各車両から全員を外に出す。この近くにアンデッドはいないから、刻印魔法の光程度なら問題ないだろう。
思いのほか時間が経ってたらしく、心配をかけてしまった。
「殴り倒してるのが見えましたよ?」
「未知の場所でなにやってんだよ……」
「ユカリさん、もうちょっと慎重にいきましょうよ」
それぞれからのツッコミを適当に流すと、調査の成果を伝える。
「なんてことはないわ。そんなことより、アンデッドの習性がだいぶ分かったわよ」
今のところ接触しなければ光以外には無反応なこと、タイプ別の特徴と気を付けるべき点。あんな奴らとまともに戦う気はないけど、心構えだけはしておくべきだ。
「あたしはできれば戦いたくないけどな」
オフィリアが嫌そうに言うと、みんなも完全に同意だとばかりに頷いた。そりゃそうだけどね。
「お姉さま、ここが冥界の森ですか?」
「たぶんね。いつの間にか入り込んだってことだと思うけど、ここを抜けなきゃいけないのは既定路線でもあるわ」
大陸南部の中央部にあるとされる冥界の森。ここがそうでなきゃ、一体なんなんだって感じよね。
まさか文字通りの冥界っぽい場所とは思わなかったけど、具体的な事前情報がなかったのはどういうことか。これ程特徴的な場所なら、大陸有数の難所として名を馳せてもおかしくないほどだってのに。しかもどう考えても教会が黙ってなさそうなもんだけど……うーん、謎すぎる。
「ユカリノーウェさん、こんなところ早く抜けてしまいませんか?」
「うん、留まる理由もないわ。さっさと行こう。ただ、普通に走るだけでも面倒な場所よ? なんかいい手はある?」
不思議な一本道は続いたままのようだけど、進路上にもアンデッドはいくつもいる。排除しながら行くしかなさそうだけど、それもかなり面倒だ。
「ちょっといいですか?」
グレイリースが提案するらしい。そういや影魔法を使うグレイリースは、闇が支配する冥界の森だとレイスのような特殊な存在を除けば無敵に近いんじゃないだろうか。影に潜んだ彼女は相手に発見されることなく、一方的に攻撃できてしまう。
「光に集まる習性は利用できるんじゃないですか? 単純ですが道の両脇というか左右の方面に光を放つんですよ。そうしたら、道からアンデッドをどかせませんかね」
なるほど。光に集まるなら、どっか通行の邪魔にならない適当な場所に集めてしまえと。この場合、邪魔者を排除するついでに視界の確保もできそうね。
「採用。それで行くわよ。私がこれまで同様に道の状態を確認するから、ミーアとグレイリースは全周警戒。それと運転手以外は光魔法を随時放って、どうしても進路上からどかない魔物は強制排除で」
「レイスはどうする? 魔法は効かないんだろ?」
実は現代人で試したことがある奴は誰もいない。アンデッドは滅びたって話だったんだから当然よね。だから魔法が効かないなんてのは嘘かもしれない。それでも私はレイスを近くで観察した結果、手を出すべきじゃないと判断する。朧気な伝承を鵜吞みにすることとは別にして、直感的にたぶん効かない気がするんだ。
「そうね、下手にちょっかい掛けるのはやめとこう。もしレイスが進路上にいたら、個別に光魔法で誘導するとか対処するわよ。面倒だけど、より面倒な事態になるよりはマシよ」
配置に付くと、さっさと出発することにした。
運転手以外は周囲をよく観察できるように、荷台の付いた屋根に上がる。
例外的にヴェローネだけは車両の中に残した。本人は不本意っぽかったけど、急に我を失って暴れられても困っちゃうからね。
早速、進行方向の左右、ちょっと遠い場所に光魔法を放つと、目に見えてアンデッドが移動した。思った以上に効果覿面だ。これならイケるわね。
ヘッドライトを消したまま走り出す。間違ってレイスにぶつかってしまわないように、速度はそれなりにしか出せない。トップスピードでさっさと抜けたい気持ちもあるけど、あくまでも慎重に。
私はもう慣れたけどいい加減に飽きる道の確認と修復作業に没頭する。地味すぎよね……。
どこまで続くのか、いつまで続くのか、果てのないように代わり映えのしない道をただひたすら行く。
緊張感をもって死の森を突っ切るけど、予想以上にグレイリースの作戦は上手く行き、まったくトラブルもなく先に進むことができてる。
集中力を切らさないみんなの精神力は賞賛すべきだろう。単調な作業と景色の連続には気が滅入るってのにね。
走って走って走り続けて、およそ半日。魔力もそうだけど主に精神的な疲労で限界を迎え、休憩とした。
前後左右に警戒と光魔法発射要員を一人配置して、残りが休む。三時間程度で休憩は交代だ。ちなみにヴェローネは警戒要員としても使い物にならないから、担当からは外してる。この貸しをどこかで返させるのは、みんなの密かな総意だ。
「あー疲れた。それにしても、どこまで続くんだろうな。かなりの距離を走ったはずだぜ」
「疲れもそうですが、食料が心配になりますよ。アンデッドしかいないんじゃ、手持ちで凌ぐしかないですからね」
うーむ、たしかにそいつはマズい。冥界の森を抜けるための確実な日数が分からない以上、食料は節約しないといけない。
「残りの食料は?」
「これから食べる分も含めて二日程度です。もちろん節約してです。それ以外の保存食だけでも、まだ切り詰めれば数日は持つと思いますけど……」
少ないわね。アンデッドの森を半日以上進んでまるで風景が変わらない以上、まだしばらくは抜けられないと思う。
疲労が重なって食料がショボくなるんじゃ、体力も徐々に回復がおぼつかなくなってしまう。
保存食は乾物と瓶詰め、それと菓子類がそれなりにあるけど、それも節約しながらじゃないと不安な状況だ。少なくともこの状況を脱しない限り、腹いっぱいに食べることはできない。
最悪のケースを考えると、最後の最後は調味料を舐めながら酒を飲んで空腹を誤魔化すくらいか。インチキ魔法があっても、必要なカロリー摂取まではカバーできない。
ただ、いつかは出られるはずだ。さすがにね。
ファンタジーにありがちな、迷いの森のように道をループしてる形跡はない。ミーアの『天の眼』もそれを保証してくれてる。
私たちの現在地はおおよそ大陸の東西で考えた時の真ん中に近い場所だ。あと一日も進めばド真ん中ってところかな。とするなら、希望的観測であと二日か三日も順調に進めれば、冥界の森を抜けられるかもしれない計算だ。だから悲壮感まではない。
名残惜しいような気持ちで魔獣肉や果物を食べると、会話も少なく寝てしまう。短時間しか寝れないから、遊んでる余裕もない。
短時間の休息でも大幅に回復できる身体に感謝しながら見張りを交代し、再び冥界の森を進み始めた。
ずっと闇だと時間の感覚がなくなる。時の止まったような世界で、ただひたすら同じことを繰り返す。
超極薄魔力の膜の展開、道の状態確認と補修については、極めたと称して問題ないほど洗練された。今なら更なるマルチタスクも可能と豪語できる。意識の半分ほどでの作業が可能なレベルだ。
残った半分の意識で考え事や周囲の観察ができる。
周辺の風景は最初に冥界の森に入ったと思われる地点と大差ない。あれから代わり映えはしないけど、通常の森とは明確な違いがあることも分かった。
冥界の森の樹々には葉っぱなんか生えてない。立ち枯れたような、あるいは化石になってしまったような死んだ森だ。生命の息吹なんて微塵もない、地獄のような光景だ。
遠くのほうには黒いシルエットしか分からないけど、死の森の中には大きく隆起した台地がそこかしかに存在する。地形については通常のジャングルの延長線上にあるらしい。あの台地の感じには見覚えがある。
打ち上がる光魔法のお陰もあって観察はしやすい。それに四角っぽい形だからすぐにそれと分かる。まあ森の中にまで踏み入ることは無いからどうでもいいけど、あの台地の上にはなにがあるんだろうかと気にはなる。行かないけどね。
そんでもって、長い道のりは下ったり上がったりを繰り返してるけど、徐々に標高が高くなってるとも感じた。空気の感じからして、結構な標高の高さにいる可能性はある。あんまり高い場所にまで行くようなら、別の問題が発生しそうでまた嫌な想像に襲われた。
気が変になりそうなほど単調な暗い道を進む。夢と現が曖昧になりそうな、そんな不思議な感覚に支配される。その時だ。
「あっ、くそっ!?」
はっきりと見えた。左右に打ち上がった光魔法に照らされる魔物。全てのアンデッドは左右のどっちかに吸い寄せられて、私たちの進路上からはいなくなった。これまでは例外なく。
初めてのイレギュラー、よりにもよってレイスが突如として脇道から車両の前に躍り出た。
ぶつかるっ! と思ったら黒い靄状のレイスはジープをすり抜けて運転手のオフィリアと助手席に座る私の間を通り抜けるようにして、即座に消えた。その瞬間。
「ひぐっ!」
近寄るべきじゃないとしたレイスに片腕が触れてしまった。心臓に氷を押し付けられたような感覚と言えばいいのか。酷い不快感と身体の硬直、息をすることさえままならない。混乱をねじ伏せ、状況確認に努める。
片腕でさえこれだ、横にいたオフィリアはもっと、たぶん半身はレイスに当たってしまったはずだ。凍り付いた様な身体で目線だけを動かすと、泡を吹いた姿が目に映った。
間もなく訪れた衝撃で頭をぶつけ、車両も停止した。
額を切ったらしく血が垂れる。ぶつけた頭も痛いけど、それより身体が寒くてたまらない。ガタガタと震え、じっと蹲ることしかできない。ついでに胸がムカムカとして吐き気にも襲われる。
「大丈夫ですかっ!?」
「お姉さま!」
「回復薬使いますよっ」
暖かいはずの流れ出た血さえも冷たく感じる。なんだこれは。
集まってきたみんなの呼び声にも、まともに応える余力がない。ただじっと堪え、寒気が去るのを待つしかない。超複合回復薬を使ってくれたのも分かったけど、未知の異常を治す効果はないらしい。
「一瞬だけどレイスの姿が見えました。たぶん、そのせいです。すみません……」
「とにかく、介抱しようぜ。こいつらならすぐに復活するよ。それにミーアだけのせいじゃねぇよ」
ミーアは私たちの先頭車両で警戒をやってくれてた。自分が見逃したせいだってことだと思うけど、あの状況では責められない。誰もが疲弊した状況なんだ。私だって余力があったはずなのに、警戒じゃなく余計なことばっかり考えてたしね。まったくもって、アルベルトの言うとおりだ。
みんなが周辺警戒をしながら私とオフィリアを車両から出して寝かせてくれる。かなり心配をかけてしまってるけど、言葉に出すことも今の状態だと難しい。
予定外の休憩時間を過ごすこと一時間か二時間か。ようやく、震えが治まってきた。
「……悪い、みんな。もう大丈夫よ」
「よかったぜ、ユカリ。なにがどうなったんだ?」
周辺警戒についたミーアとグレイリース、リリアーヌ、ヴァレリアはちょっと離れた場所にいる。ここにはアルベルトとヴェローネと若衆二人がいて、オフィリアはまだ気を失ったままだ。そのみんなを前に、考えをまとめる。
「ミーアは事故る直前に見えてたみたいだけど、急にレイスが出たのよ。ぶつかったと思ったらすり抜けて、私とオフィリアに接触したわ」
「レイスは実体が無いんでしょ? ぶつからずにすり抜けるのは分かるけど、なにか攻撃でも受けたの?」
何がしかの攻撃を受けたとのは違う気がする。ヴェローネの疑問に正直なところを答える。
「攻撃っていうか、ただ接触しただけよ。それだけで身体が動かなくなったわ」
「ユカリの回復薬も効果がなかったな。たぶんだが、精神攻撃の一種だろうぜ」
「アンデッドの様子を見に行った時、触れたらマズい気がするって言ってたわよね? そういった魔法攻撃なんだとわたしも思うわ」
精神攻撃か。なるほど、そいつは頷ける。私は片腕に食らっただけだから軽症で、半身に食らったオフィリアは重傷と。後遺症のようなのがないか心配だけど、回復薬が効かない以上は打てる手もない。ジークルーネがいれば精神の浄化で対応できたかもしれないわね。今後の参考としておこう。
「みんなも疲れてることだし、ここで本格的に休憩入れよう。オフィリアもいつ目覚めるか分かんないしね。そういや、事故った車両はどう?」
「そこまでスピードは出ていなかったので、外装の損傷だけです。走行に支障はないですよ」
ほっとした。ジープの一台を失ってもなんとかなるけど、快適な旅からは遠ざかってしまう。
「良かった。オフィリアの眠りも安定してるみたいだし、しばらくしたら目を覚ましそうね。私は警戒に付いてるみんなにも話してくる」
「まだ無理すんなよ」
ここまできてのイレギュラーか。何度思ったか分からないけど、本当に嫌になる。
冥界の森がここまで厄介とは想像できなかった。クリムゾン騎士団やクラッド一家の連中は、別ルートとはいえ無事に抜けられたんだろうか。あいつらが優秀でも、この難所を無傷で乗り越えたと考えるのは楽観的だろう。それなりの損耗はあったんじゃないかと思う。他人の心配してる場合じゃないけど、どうなってることやらね。
ついに負傷者が出てしまい、腕力で押せない敵の存在に苛立ちが募ります。
さらなる困難が待ち受ける次話「魔境、冥界の森」に続きます!




