苦手からの逃走劇
小国家群の街道は整備十分とはいかず、廃道にたどり着くまでに数日を要した。
廃道、ここからが本番なんだ。大陸南部の中央部近くまではすんなり行けると思うけど、そこから先は未知の領域。名称からして恐ろしげな冥界の森がある。
それでもクリムゾン騎士団が道を切り開いてくれてる手筈だし、クラッド一家も私たちよりは先行してると思うから、先に進めないようなことにはならないはずだ。あとは通るタイミングが数日ずれたギャップがどうなるかね。
順調に廃道を走ること数時間。廃道と言われる割に、状態はそれほど悪くはない。これは先行するクリムゾン騎士団の活躍で、その痕跡は随所に見ることができた。
脇にどかされた大きな石や倒木、埋められた穴、戦闘の痕跡も見受けられた。人の往来のない廃道で対人戦もないだろうから、魔獣が出たんだろうね。そういう意味じゃ、私たちも油断は禁物だ。やられないまでも、車両に重大なダメージを受けると厄介なことになる。そういったトラブルは避けなければならない。
警戒を続けながらも順調に進んでると、雨が降り出した。南部は雨が多いと聞いてたけど、そろそろそういう気候の地域に突入したのかもしれない。
徐々に激しくなる雨に霧も濃く立ち込める。川のようになる土の道には不安を覚える。
走行を続けると、ぬかるみに嵌ったり、窪みにタイヤを取られたりを繰り返し始めた。都度、魔法でリカバリーできるけど、移動速度はぐっと落ちる。
「ちっ、まただ。進みやしねぇ」
地面が見えてさえいれば、車内からでも土魔法で地面をざっと直すことは可能だ。だけど、川のようになった道じゃそうもいかない。いい加減な処置だと変な段差になるし、少しも行かないうちにまた立ち行かなくなるしでイライラが募る。
「雨が降ってるときは移動が難しくなりますね。晴れてから移動するのがいいかもしれないです」
幸い、雨は短時間で止む傾向にある。数時間おきに激しい夕立に遭う感じかな。たしかに、できるだけ雨の最中に休憩し、止んだら出発のほうがストレスは少なるなるかもしれない。
「お姉さま、左に岩山が見えます。雨を凌げる場所があるかもしれません」
雨が降ってるのに外に出る気満々らしい。車内でじっとしてるのが退屈なんだろう。
「じゃあちょっと見てきて。そろそろ日も沈む時間だし、今日はここらで野営にしようか。都合よく洞窟でもあればいいんだけどね」
「はい、後ろにも言ってきます」
ポンチョの雨除けを羽織ったヴァレリアが車両を降りると、後続車両に休息を伝えてから森の中を軽快に駆けて行った。と思ったら、すぐに戻った。
両手いっぱいに真っ赤な果実を抱えてる。
「珍しいのを見つけました」
嬉しそうに差し出す果実は、見たことがないものだ。つやつやで薄く透き通るような外皮は、そのまま食べても大丈夫そうに思える。ブドウの実を大きくしたような果実はかなり美味しそうで、そそる見た目だ。香りもブドウやマスカットに近い良い匂い。爽やかで香しい。
知らないものを口にするほど迂闊な私じゃないけど、野外活動に慣れたミーアとオフィリアも謎の笑顔で果実を受け取ってる。ふむ、これがなんだか知ってるみたいね。まあ妹分がせっかく採ってきてくれたものなんだ、食べてみよう。
差し出される真っ赤な実を受け取ると、ヴァレリアと一緒にかぶりついた。
溢れ出す果汁。みずみずしさはこれまで食べたなかでも群を抜く。皮も果肉も程よい歯応えで、柔らかすぎず硬すぎず、なんとも絶妙だ。しかし。
「おえっ!」
「あうーっ!?」
思わず二人そろって反射的に吐き出した。噛み破った直後に溢れた果汁は、とんでもない味と臭いだった。これは人が食べるものじゃない。
「……ぺっ! 気持ち悪。なによこれ?」
「血の味と臭いですね……ごめんなさい、お姉さま」
落ち込む妹分を撫でてやって慰めつつ、知ってたっぽい二人を睨む。
「悪い悪い。新米冒険者が必ずやらかす果実なんだよ。毒はないから心配ないぜ」
「すみません。事前にこれの正体をばらさないのは冒険者の基本なので……」
「……あんたたちね。罰としてあとで後ろの車両のメンバーにも持っていきなさい。若衆は知らないだろうし、グレイリースも知らないかもね。いい教訓になるわ」
「まあいいぜ。あとでさり気なく食わせてやるか」
害がないなら別にいいだろう。体験の共有は貴重な旅の財産だ!
気を取り直したヴァレリアが探索に向かうと、そろそろ休息ということで気も抜ける。
「都合よく雨が凌げる場所があるといいな。車中泊は窮屈でしょうがねぇ」
同感だ。野営には慣れてるし、外のほうが狭い場所で一晩過ごすよりもずっといい。虫除けの魔道具だってあるし、雨さえなければ何の問題もない。
「……あれ?」
ヴァレリアが向かった岩山までは距離がある。平地とは違うし、往復にはそれなりの時間が掛かるだろう。弛緩した状態でぼーっとしてると、助手席のミーアが首を傾げた。
「どうしたんだ、ミーア?」
「なにかあった?」
オフィリアと二人で、不審な様子のミーアを気に掛ける。
独り言を呟いたと思ったら、今度はなにやら真剣な様子で集中してる。
「おい、どうしたんだよ?」
「……ちょ、ちょっと待ってください。これって、」
さすがに不審に思って私も魔力感知の範囲を広げようとしてると、ヴァレリアが戻ってきたらしい。
「逃げましょう!」
いきなりだ。走りながら退避を呼び掛ける。訳が分からないけど、危機に際して悠長に問答を続けるほどマヌケじゃない。
オフィリアがエンジンに火を入れると、ミーアが緊急退避の信号弾を窓から外に打ち上げる。私も魔力の消耗を度外視した魔法で、川と化した道に沿って極薄魔力の膜を展開。地面に這わせながら道の状態を確認し、一気に鉱物魔法で石の道に作り変えてしまう。これならタイヤを泥に取られることはない。
ヴァレリアが車内に転がり込むと、ミーアが焦りながら告げる。
「蟻です! 蟻の大型魔獣が多数、いえ、多数どころか、無数に接近してきます!」
必死な様子でヴァレリアもこくこく頷いてる。
「げっ、出すぞ!」
急発進すると、後続車両もそれに続いた。
グラフェンシートのような超極薄魔力の膜は、微量の消耗で支配領域を構築できる私の切り札だ。
ただし、余裕をもってられるのは、静止状態の時に限られる。
今現在のように車両で移動を続けながら、そして刻々と変わる道の状態を把握し、さらに鉱物魔法を連続行使しながらとなると消耗は激増する。いくら異常な魔力量と回復速度を誇っても、長時間の連続行使は不可能だ。魔力の問題だけじゃなく、脳への負担も計り知れない。とにかく、疲れる。
「まだ付いてくんの!?」
「速度を緩めないでください! 追い付かれます!」
余計なことに気を割く余裕はないから、対魔獣の魔力感知もできない。蟻の探知に特化したミーアの魔法が、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。危機を煽るミーアの声が若干嬉しそうなのは気のせいということにしておこう。
日も沈み、雨が弱くなってきた代わりに霧が濃くなってきた。
ジープにはヘッドライトはもちろんのことフォグランプだって付いてるけど、真っ暗な森の中をスピードを出して走り抜けるには心もとない。
周囲の地形を把握すると同時に泥の道を石の道に変えてしまうという反則のような私の魔法がなければ、とっくに蟻の集団に呑まれてしまったことだろう。運転手のオフィリアは、私の魔力の波動を追いかけるようにして進むだけで、前が見えなくてももう関係なくなってる。
早く早くと先に進む。巨大昆虫の類はキキョウ会メンバーの多くが苦手とする魔獣だ。もちろん私も。だって気持ち悪いし。
「あーっ、そろそろキツイわ! 嘘っ、分かれ道!?」
愚痴を零したタイミングで、まさかの発見。ちょっと先で道が分かれてるじゃないか。
「分かれ道だとっ!? 見えねぇぞ!」
「もうちょい先で真っ直ぐと斜め右、あと八秒よ! ミーア、どっち!?」
「真っ直ぐは蟻がいます、斜め右に!」
前にもいる!? オフィリアが口に出してカウントしながら運転し、まったく見えない道を進む。私も同じくタイミングを取る。
「斜め右三十度で、三、二、一、いま!」
「よっしゃあ!」
完璧なタイミングで道に入り、そのまま真っ直ぐに進んだ。
そのまま走り続けること、どれ程経ったのか。限界が近い。
「……もう、無理。あとは任せた」
「ユカリ、まだ寝るな! 蟻だ、蟻がくるんだぞ!?」
「お姉さま、大丈夫ですか!?」
ダメだ。集中力が完全に切れて魔法行使が停止した。
オフィリアはそのまま運転を続けるも、石の道から土の道に変わったところで、またもやタイヤが泥にハマってしまう。まったく運が悪い。
「ああっ、くそっ!」
ストップしたこの車両を見て、後続も停止する。
「ミーア、どうですか?」
嫌だけど、魔獣がくるなら戦うしかない。
でもそうね。うーん、私はもう限界だし、みんなに任せるってのはむしろちょうどいいか。虫と戦うの嫌だからね。疲労で朦朧としてると、ミーアは慎重に魔法を使ってから焦りを消し、息をついた。
「……もう大丈夫みたいです。巣から離れすぎたせいか、引き返して行くようです」
「マジか? ふぅー、助かったぜ」
脱力する一同。
いつの間にか雨も止んでたんで、一旦、外に出る。
後続車両から降りてきたメンバーに状況説明し、今夜は各自で軽食を取ってから車中泊とした。
闇の中を動き回って、また変な魔獣を刺激したくはない。大人しくしておくのが最良だ。さっさと寝てしまった。
妹分の温かい体温を感じながら目覚めると、身体の調子を確かめる。
疲れて早く眠ってしまったから目覚めも早く、まだ早朝というにも早いくらい。普通に真っ暗だし。
起こさないようにそっと車外に出ると、水魔法で顔だけ洗ってシャキッとする。
ちょっと腰が重い感じはするけど、寝た時の体勢のせいだろう。魔力ももう問題ない。気持ちとしては嫌だけど、また昨日と同じ魔法行使は可能だ。
「あー、気持ちいい」
まだ暗い早朝の森。不気味な景色にも思えるけど、空気が良いためか妙に清々しい。
暗闇での行動訓練がてら、ちょっと散歩でもしてみるか。
ざっくりとした自然の魔力、風の動き、草や葉の音、音の響き、視覚以外にも情報は多い。そいつを掴むことさえできれば、暗闇でも行動は可能になる。ここ数日の訓練で、だいぶ要領も掴めてきた。少なくとも目の前にある樹木にぶつかったりすることはない。
足元には特段の注意を払いながら散歩を続け、ついでに考え事をする。
昨日の魔獣はまだいい。蟻のような虫型魔獣は、森ならそれなりに多いはずだ。今後も普通に出くわす確率は高い。
気になったのは分かれ道。蟻から逃れるため、右に向かう道を選択するしかなかったけど、本当にこっちで良かったのか。それだけは気になってしまう。最悪は方角さえあってればどうにかなるとは思うけど、せっかくクリムゾン騎士団が切り開いてくれた道があるのに、それと違う道を行くなら無駄な苦労が増えてしまう。
昨日は無我夢中で進んだから、こっちが正解かは今のところ不明だ。今日は進みながらそれを確かめて、もし違うようなら引き返すか、このまま進むか。
うーむ、賢明なのはやっぱりクリムゾン騎士団の通った道を進むことよね。やっぱり引き返すことになったとしても、確実な道を選ぶのがいいかな。
廃道を真西に向かって進むのが正解で、向かって右方向、つまりは北にずれるとロマリエル山脈に近づくルートだ。大陸南部の中央は冥界の森と呼ばれる詳細不明の難所だし、ロマリエル山脈はそれ以上の未踏領域だ。やっぱりそっちに近づくのは普通にリスクが高い。正解のルートならともかく、ハズレなら進むのはヤバそうね。
気もそぞろに歩いてると、何かに足を引っかけてしまった。
転びまではしなかったけど、気が抜けてるわね。いかんいかん。それにしても妙な感触だったような……。
「ブルルルルルルル……」
いやー、いくらなんでも油断し過ぎた。
暗闇に光る目が私を捉える。どうやら寝てる魔獣を蹴ってしまったらしい。暗くてよく見えないから魔獣の正体は分からないけど、目を覚ましたからか急速に魔獣の魔力が膨れ上がる。
ふーむ、寝てる時は魔力が薄くなるのか。どうりで気づき難いはずだ。こんなパターンの魔獣がいるとは。たしかに、魔獣が寝てるところを観察したことはないから、こういったタイプは意外と多いのかもしれない。
なんにせよ魔獣如きに遠慮はいらない。普通に蹴っ飛ばして排除しようとするも、膨れ上がる魔力をいくつもいくつも感知した。
暗闇に光るいくつもの目、目、目。無数の目だ。あ、ヤバい、これって。
「魔獣の巣!?」
こんな暗闇で多数の正体不明の魔獣を相手取ることはしたくない。潔く引き返すことを選択した。
森のちょっと奥まで入り込んでたけど、帰る方角を見失うほど抜けてない。
今度は焦って何かに躓く可能性を考慮し、遠慮なく光魔法の光球を放ちまくる。薄明るくなりつつある森を煌々と照らしながら駆け抜けた。巣に踏み込んだ私を許せないのか、ひたすら追ってくるのが鬱陶しい。
みんなのいる地点に近づくと緊急用の信号弾を上空に放ち、樹々を全力で蹴りつけながら立体的に移動する。この時、足場にした樹は圧し折る勢いで踏みつける。全部とはいかないけど狙い通りに蹴倒し、大きな音を響かせる。眠ってるみんなを起こすためと、魔獣の追跡を遅らせるためだ。
樹々の向こうに車両が見えると、どうやらみんなも起き出して待ち構えてる状況らしい。さすがに気づいたみたいね。ラストスパートで大木を思い切り蹴って車両の上を飛び越えた。
「お姉さま、なにが!?」
「たぶん、獣型の魔獣! たくさんくるわよ!」
空中で答える。
「獣か。朝っぱらから忙しいな」
「食料の確保にちょうどいいではないですか」
「まあ朝飯前にもちょうどいい運動ですかね」
頼もしい奴らだ。着地を決めると、白銀の超硬バットを取り出した。
エクセンブラだとまず見ないブタ型の魔獣の群れは、百匹くらいはいただろうか。その半分と群れで一番大きな個体を倒したところで残りは逃げていった。
ボスのような存在が倒れたからか、数が減ったからか。とにかく食料が確保できたのはありがたい。昨日はそれどころじゃなかったし、確保できるタイミングは逃さないほうが良い。
「ところで森の中で何やってたんですか?」
「ユカリ、なにやらかしたんだ?」
「……散歩してたら襲われただけよ。ほら、無駄話してないでさっさと捌いて食べるわよ!」
適当に誤魔化した。結果オーライ、余計な事を言う必要はないわね。
半数が保存用の肉を確保するために捌き、残りが朝食の準備を進める。
魔獣を解体しながら同時に食事をしてしまう豪快さは凄いもんよね。もう慣れたけど。
食後の紅茶を作りつつ、これから進むか戻るか検討しようって話をしようとすると、急にミーアが立ち上がった。
輪になって座るみんなの視線も自然と集まる。青ざめた顔をする様子には、さすがに異変を感じてみんなも立ち上がった。
「どうした、ミーア?」
「逃げましょう。蟻です!」
「またぁ!?」
蟻に特化した探知ができるミーアの魔法適正は、まだ活躍の場を失ってなかったらしい。彼女は右後方を指し示す。
昨日のとは方角が違うということは、別の群れだと思う。なんでここに向かってくるんだろうか。
「まだ距離はありますが昨日よりもさらに多いです! 血の臭いに引き寄せられたのかもしれません!」
うぐっ、そういうことなら因果応報か。
「逃げるわよっ」
虫型魔獣とは極力戦わず、さっさと逃げる。私たちの約束だ!
切り札まで使用しての逃走劇でした。
しかし、まだ終わりません。
次回「朝から始まるエスケープ!」に続きます。
まだまだ逃げて逃げて、逃げまくります!




