大組織の高級魔道具
公園から見下ろす赤い霧の領域に、明らかな変化が起こる。
クラッド一家の本邸を中心にして、徐々に赤い霧が薄くなっていくんだ。
「これは、浄化魔法ですか?」
そう見える。毒霧が徐々に掻き消され、空気が正常に戻っていくのは見たとおりだ。まさか見た目だけってことはないだろう。強力な毒を浄化する効果の高さはいいとして、いくらなんでも効果範囲が広すぎる。上級の浄化魔法が使えるジークルーネでもあそこまでの広さを浄化することはできない。クラッド一家になら優れた浄化魔法の使い手がいてもおかしくないけど、さすがに個人の技とは思えない。
「設置型魔道具かな。クラッド一家の本家だったら、そのくらいの設備はあっても不思議じゃないわね」
どれだけの金を掛ければ、そんなものを準備できるのか気にはなるけど、とにかくこれで敵の目論見は外れたわね。
全体が浄化されても赤い霧は噴き出し続ける。噴き出ては浄化されてしまうけど、あれならどこに毒霧の魔道具があるか一目瞭然。やっぱり複数あるみたいね。
さらにだ。クラッド一家の用意周到さはこれに留まらなかった。
またもや伝わる大規模な魔力の波動。周囲を威圧するほどの魔力だ。さっきの浄化魔法にはかなりの魔力を感じたけど、今度のは桁違いに強力。ちょっと前までは赤い霧に包まれてた領域が、みるみるうちに薄い光の膜のようなものに包まれていく。微かに光を帯びた透明の膜は、夜の闇のなかで殊更目立つ。
まさかと思うけど、現実は素直に受け入れるべきだ。それに私たちには、あれに見覚えがある。間違えようがない。
「……結界魔法とは恐れ入るわね。あんなものまで持ってるなんて」
「クラッド一家は噂以上の力を持っているのかもしれないですね」
「あれと肩を並べようと思うなら、武力だけじゃなくて政治力も必要になるわ。ウチには向いてないわね。方向性が違う組織を目指すべきだと思うけど……」
おっと、組織の方向性については今はいい。
結界魔法か。規模としては小規模結界魔法の魔道具と分類されると思うけど、いずれにせよ極めて強力で貴重な代物だ。結界魔法の魔道具は極小規模なものを除き、本来なら国家が管理し、軍が運用するようなブツのはずなんだけどね。これも裏社会による自治でなるエクセンブラの特殊性か。
出し惜しみなしの最強の守りには、敵も打つ手を持たないだろう。あれは特別な魔法だ。破るためにはインチキレベルに強力な魔法が必要になるし、そんなものを使える奴がほいほいといるはずもない。あとは大規模魔法を連発して魔力切れを狙うくらいだけど、クラッド一家の用意周到さからしてエネルギー源となる魔石の蓄えも必要十分だろう。
敵の策を退け、万全の守りを敷いたクラッド一家は、これから逆襲に乗り出すはずだ。本家の守護を気にかけることなく、外にいる戦力が虱潰しにガンドラフト組を殲滅する。これはもう時間の問題と考えていい。
浄化から防御を経て少しすると、余裕を見せつけるように本家の建物から続々と人が出てきた。そこらに散らばった人員に回復魔法か回復薬を使うためらしい。順に回って、毒にやられた人を看護してる。
看護されて間もなく復活した構成員たちは、さっそく働くべく、いまだに毒を噴き出す魔道具を破壊しようとする。意外と頑丈らしく、わらわらと集まっては頑張って壊そうとしてるらしい。破壊不能ということはないだろうし、壊してしまえばそれで完全に罠は潰せる。
「なんかもう、ウチが心配したり戦力として手を貸したりする必要はなさそうに思えるわね」
妹ちゃんを気にして駆けつけたけど、杞憂に終わったか。索敵してくれてる第九戦闘団も引き揚げさせたほうが良さそうね。そもそも援軍を求められてないし、余所のシマで大っぴらに動き回るのは良くない。クラッド一家が無事に罠を切り抜けて本気を出すなら、ウチが手を出す必要なんて全然ないんだ。
それにキキョウ会は、主敵のマクダリアン一家とまだ他の戦闘団が現在進行中で戦ってる。クラッド一家の切り札ともいえるだろう浄化と結界の魔道具を見れたことを考えれば無駄足にはならない。切り替えよう。
「戻りますか?」
「うん、対ガンドラフト組で出る幕はないわね。リリアーヌたちは呼び戻すわ」
少し考えて、低めの位置に集合の信号弾を出した。ここは高台だから打ち上げる必要はないし、まだマクダリアン一家とやりあってる戦闘団に見えてしまっても良くない。通信とか伝達に使える魔法使いがいないと、微妙に気を使うわね。
第九戦闘団が戻るのを待つ間も、これといった動きはない。結界魔法の中では救助も終わって、構成員たちがせっせと魔道具破壊に精を出してるくらいだ。それ以外にクラッド一家の動きもガンドラフト組の動きも、ここから見える範囲では特にない。あくまでも見える範囲においてはだと思うけど。
「おーい、ユカリノーウェさーん」
ジープの窓から乗り出して手を振る姿は、なんとも朗らかだ。信号弾に応じて戻ってきたらしい。車両を停めて近寄ってきたところで一応の確認だけしておく。
「途中で悪い。誰もいなかったみたいね?」
「まだアタリをつけた場所への移動中でしたから、道中に不審なところはなかったですよ。切り上げて良かったんですか?」
「あの様子ならクラッド一家に手を貸す必要はないわ」
大きな光の膜に目をやると、リリアーヌもかなり興味深そうだ。
「それもそうですね。それより結界魔法なんて、凄いですね」
あっさりとしてる。ガンドラフト組には特にこだわりはないみたいね。結界魔法のほうがよっぽど興味を惹かれるらしい。それにはヴァレリアも同様らしく、リリアーヌの話に乗っかった。
「どのくらいの強度があるか、試してやりたいです」
「じゃあ、やってみよっか?」
からかうような調子のリリアーヌに不敵に頷くヴァレリア。冗談なんだろうけど、油断のならない二人だ。
「……やめときなさいよ?」
念のため、声に出して止めておく。結界魔法は本格的な意味での戦時にしか、お目にかかれないような代物だからね。初めて見た娘もいるだろうし、他のみんなも興味津々だ。そんな中でも、おっとり風の団長とは違って副団長の娘はしっかり系らしく、周辺の警戒を怠ってない。こういうのを見ると安心感があるわね。
「そういや、リリアーヌ。アタリをつけた場所って言ってたけど、なんか怪しいところがあるってこと?」
「それがですね、不自然なくらいに魔力反応がないんですよ。見た目は普通の家屋なんですが、それだったら生きている魔道具がないのはおかしいと思いませんか?」
怪しすぎる。どう考えてもおかしいわね。魔道具をあえて使わない民家なんて、普通に考えてあるとは思えない。基本的な生活用の魔道具は設備として欠かせないし値段も別に高くはない。必要最小限でも魔力反応は必ず出るんだ。
それがまったく反応なし? 意図して魔力を遮断するような仕掛けでもない限りは、そんなことになる可能性はないと考えていい。
「妙な話ね。引き上げるときに、その民家だけちょっと調べていこうか」
「はい、そうしましょう」
「いいですね」
嬉しそうなリリアーヌとヴァレリアは、変なところで気が合うみたいね。まあ行き掛けの駄賃くらいもらっても構うまい。怪しい奴らを、ちょいと通りかかりにぶちのめすくらいで文句を言う奴もいないだろう。
車両に乗り込もうとした直後、またもや猛烈な魔力反応が駆け抜けた。それも複数がほぼ同時に、いくつもが連鎖的に発したという感じだ。
「お姉さま、あれを!」
「ちょ、あ、あれ、ユカリノーウェさん! あれ、見てください!」
言われるまでもないけど、二人の慌てた声も手伝ってすぐに視線を向ける。
「……なによ、あれ。どうなってんの?」
クラッド一家の敷地を見やると、結界魔法に包まれた領域に異変が生じてる。光の膜の中が濁ってしまって何も見えなくなってるんだ。まるで土煙で充満してるようかのようだ。いや、あれは土煙そのものか。
不思議な光景だ。土煙の塊が突如として出現した。ちょっと目を離した隙に、音もなく。無音だったのは、あの結界魔法が音まで遮断するタイプだったからか。あの異変は、さっき感じた連鎖的で猛烈な魔力のせいだと思うけど……。
「あれをクラッド一家が自分でやった? そんなわけない。やられたんだ!」
攻撃を受けたことを裏付けるように、光る膜が心なしか輝きを鈍らせる。間違いない。結界魔法が徐々に力を失っていく。魔法を維持できないほどの威力があったのか、魔道具そのものにダメージを負ってしまったのか分からないけど、じきに消え去るはずだ。
単に土煙を巻き上げる魔法じゃないだろう。なにが起こったのか、嫌な予想しか成り立たない。
「もうすぐ結界魔法が消えて無くなるわ。リリアーヌ、あの土煙、風で街の外まで持っていける?」
あれが街のど真ん中で拡散すると、二次被害が出そう。取り除けるなら、そのまま排除してしまいたいところだ。サポート系が苦手なリリアーヌは、ちょっと考えるそぶりをしてから妥協案を出した。
「難しいですねえ。上に散らすくらいなら大丈夫だと思いますけど」
「それでいいわ。そろそろ結界魔法が切れる。頼むわよ」
指揮棒を振るリリアーヌの動きに合わせて風が渦巻く。巻き起こった風の膜が、消えゆく結界魔法を包み込むかのようだ。魔力の流れを見ると、ソフトな竜巻のようにも思える。
「消えます!」
結界の消滅と同時に土煙は綺麗に上方へと移動していった。見事なもんね。あれだけ拡散してしまえば、被害という被害は出ないだろう。
クリアになったクラッド一家の敷地はといえば。
高台からは良く分かる。建物はほぼ全壊。一部を残し瓦礫の塊同然と化した。敷地のそこかしこには大きく地面を抉る痕跡が残る。吹き飛ばされた土が結界魔法の中に充満してたことは間違いない。
端的に言って、壊滅的だ。赤い霧の魔道具を壊そうとしてた構成員や、救助のためにあちこちにいた人々は、土塊や瓦礫に埋もれてしまったと思われる。絶望的な光景としか表現できない。
人と財産への被害はいったいどれほどに上るのか。バルジャー・クラッドやその側近、妹ちゃんたちアナスタシア・ユニオンの連中はどうなったのか。これまでの高級魔道具の準備の良さを思えば、まだ一縷の望みはあるだろうか。
地面を抉った大きな穴を見て思う。あれはどう見ても爆発によるものとしか思えない。よりによって『爆発』だ。これを偶然と見なすことはできない。必ず、繋がりがある。
怒りが湧き上がり、身体がカッと熱くなる。
「あ、あそこ、見てください。人が出てきましたよ」
「お姉さま、行きましょう」
二人の声に気を取り直す。リリアーヌが指差す場所を確認すると、そこはさっき不自然に魔力反応がないと言ってた民家だ。そこから中折れ棒の集団が続々と出てくる。トドメでも刺しに行くつもり?
「あいつら! 行くわよっ」
四の五の言ってる場合じゃない。全員で急ぎ、ジープに乗り込んだ。
今回は魔道具の有用性や可能性をもうちょいご紹介したかったお話となっております。後々、もっと色々と出す予定です。
さて、次回のサブタイトルです。少々のネタバレとなりそうですが、楽しみにしていただけますと幸いです。
次話「雲を切る男」に続きます!




