身近にある死の危険
ガンドラフト組が退却、赤い毒霧もなくなって、これで取り敢えずの脅威は去った。
気を抜きかけたところでまた動きが。私たちの魔法を感じ取ったのか、目を覚ましたアナスタシア・ユニオンの連中が裏庭に集まってきた。
「そのキキョウの紋……お前ら、キキョウ会か? なんでここにいやがる」
「どういうこった!? ガンドラフト組と手を組んでやがったのか!」
「クソッ、ぶっ殺してやる!」
冷静に考えれば分かるはずだけど、混乱して怒りに支配された状況じゃ誤解を解くのも難しい。少数は妹ちゃんが看護されてる様子からして、私たちが助けにきたのを理解してるっぽいのもいたけど、怒号の中でその声は掻き消されてしまう。
無駄な争いをしてる暇はない。こうしてる間にも、今度はマクダリアン一家が迫りつつあるかもしれないんだ。ガンドラフト組だって応援を連れて戻ってくるかもしれない。
手っ取り早くうるさい奴らを黙らせようかと思ってると、ここでポーラがキレた。
「どらぁああああああっ!!」
右足を振り上げると、通路になってる石畳に叩きつけた。激しい振り下ろしによって石が砕けて亀裂も走る。振動によってほんの少しだけど、私も浮かび上がるほどの威力だった。
「黙って聞いてりゃ、勝手な事をほざきやがって! てめぇらの命があんのは誰のお陰だ! あぁっ!?」
血まみれの顔を怒りに染めて、誰よりも大きな声で怒鳴り散らす。
「あたしらキキョウ会が、ガンドラフトのクズどもと組んでるだと!? おう、ユカリ。せっかく助けてやったってのによ、こいつら命はいらねぇらしいぜ」
なんともない風にしてるポーラだったけど、頭部に攻撃を受ければいくら私たちだって即死の可能性はあるんだ。血まみれのポーラは、まさしくその危機を乗り越えてきたばかりだ。身体を張って、命懸けで助けた相手に敵呼ばわりされちゃ、そりゃ頭にもくる。
はっきり言って妹ちゃん以外の奴らなんてどうでもいいけど、せっかくここまで気を使ってやったってのにね。まぁ、ここまでやって私たちがぶっ殺したんじゃ、それこそ努力が水の泡だ。一応はアナスタシア・ユニオンの怒りだって分からなくもない。こいつらの被害は甚大だ。どれだけの人的被害があったか知らないけど、少なくない数が犠牲になってると思うしこの本拠地だって壊滅状態に近い。怒るのも当然。でも怒りを向ける矛先を完全に間違えてる。
ポーラだけじゃない、私だって怒ってる。元より危険は承知の上だけど、理不尽な非難は受け入れられない。メンバーの怒りは私の怒り。
いつもは清流のように乱すことのない身体強化魔法を、この時ばかりは発散させる。叩きつけるように。
渦巻く魔力。ただこれだけで黙らせ、耳目を独占した。
「……私はキキョウ会の紫乃上。ウチの目的は総帥の妹を助けること。文句があるなら相手になるけど、今は時間がないわ。こうしてる間にも、今度はマクダリアン一家が迫りつつある。彼女を守る気がないなら、ウチが連れていく」
きっぱりと言い捨てるように、端的に事実を伝える。それに私の本気も伝わったはずだ。これ以上の邪魔をするなら、本気でこいつらをぶちのめしてでも妹ちゃんは私たちで確保して守る。
さすがの武闘派組織も気圧されたように見えたけど、それも一瞬のこと。奴らは気色ばんで逆上した。
「ふざけこと抜かしてんじゃねぇっ」
「マクダリアン一家諸共、まとめて相手してやらぁ!」
呆れるわね。ガンドラフト組に追い詰められ、今度はポーラと私の魔力に当てられて、頭に血が上り切ってる。本当に無駄なことをしてる時間はないんだ。聞き分けないなら、やるしかない。
「なにをやっているのですかっ!?」
「お、お嬢!?」
「武器を下ろしなさい! 早く!」
やっとお目覚めか。いよいよというところで響いた彼女の声は、我を失いつつあった連中を正気に戻す力があったらしい。妹ちゃんの声のトーンと態度は、上に立つ者のそれだ。将来有望ね。
いつにない迫力で総帥の妹君は周囲を威圧してるけど、私たちがビビったりはしない。軽く手を上げて挨拶してやる。
「体調は悪くなさそうね。で、状況はどこまで把握してる?」
「……少し前から聞こえてはいましたので大方は」
苦々しい微笑みだ。私との会話でさっきの迫力は鳴りを潜めてしまったらしい。普段の板についたお嬢っぽい雰囲気も、髪はボサボサだし服も汚れて残念なことになってる。せっかくの美人が台無しね。
「じゃあ、こんなことしてる暇はないってのも分かるわね? 私たちはずらかるけど、そっちはどうする?」
妹ちゃんはちょっと目を瞑って考える素振りを見せたものの、即座に方針を定めたらしい。
「ユカリさん、皆さん。助けて頂いた借りは必ず返します。あとはこちらでどうにかしますので、もう引き上げてください」
初めて見る真剣な目だ。意志の強さを感じさせる、それでもどこか優しい感じの眼差し。いつもの妹ちゃんね。
ふむ、これ以上はお節介か。冷静さが戻れば、無謀な自殺行為はしないだろう。
「分かった。でもね、報復の機会はいつでもあるわ。今は先々のことを考えなさいよ」
一応の忠告だけはしてから移動を始めた。
耳のいい私は前庭に向かいながらも、妹ちゃんたちの会話を盗み聞きしてしまう。
ざっと聞こえた内容だと、この屋敷の生存者はかなり少数らしい。ここにとどまって敵を迎え撃つのは無理と判断して、これからシマに点在する戦力を集中するために移動って感じになる。まぁ妥当なところだろう。
前庭のボニーたちのところに戻ると、すでに撤退の準備は完了済で、車両はいつでも出せる状態になってた。
「急げ! マクダリアン一家は近いぞ!」
その言葉に急いで車両に乗り込むと、かち合わないルートで速やかに撤退した。
想像でしかないけど、さっきの出来事を反芻する。
ガンドラフト組によるアナスタシア・ユニオンへの襲撃。正直、あそこまで見事に追い詰めるとは思ってもみなかった。
総帥や高級幹部が不在とはいえ、アナスタシア・ユニオンは個人個人が強者で鳴らす武闘派集団だ。正面からやり合えば、少数だったとしても決して侮れない戦力があったはずだ。
だからこそ、ガンドラフト組は正面からはやり合わなかった。油断せず、用意周到に。
建物正面から火を放ったのは、おそらく裏口、裏庭に誘導するためだろう。あの赤い毒霧が充満する場所にね。
毒霧と空間固定の魔道具が裏庭に設置されてたのは、さすがに建物の中には持ち込めなかったからだと思う。
火つけと誘導、毒で追い込んでから制圧に乗り出す。火事の時点で煙にやられてしまった人員は多かったみたいだし、そうでなくても逃げ出せずに混乱状態だったところへの奇襲だ。一方的な展開だったと想像できる。
さらにはなんとか逃げ出した人たちへの毒霧での追い込み。
毒霧攻撃はかなりダーティな戦法だけど、空間固定がセットになってればありっちゃありだ。カタギに迷惑かけない配慮をしたつもりじゃないだろうけど、結果としてそうなってるなら問題ない。あくまでも裏社会の組織同士の抗争に収まるならね。
気に入らないけど、超武闘派組織を相手取るなら悪い戦法じゃないだろう。好みを別とすればだけど。そして、きっとこの目論見は上手くいってたはずだ。私たちが登場するまでは。
それにしても、ずっと前から計画してないと、あんな用意周到な襲撃はできないはずだ。いつの時点でそうしようとしてたのか、不思議と言えば不思議だ。ひょっとしたら、レギサーモ・カルテルの件を抜きにしても、そういう仕込みはしてた可能性はあるわね。
とにかく、アナスタシア・ユニオンは中枢が全滅する一歩手前だったけど、キキョウ会が覆した。この一件でウチはガンドラフト組を敵に回したのは間違いない。
それは別にいい。その覚悟を持って、妹ちゃんを助けに行ったんだからね。
ただ、クラッド一家には状況説明をしておいた方が良いだろう。あの一家まで無闇に敵に回したくはない。その辺の説明はブルーノ組に話を通してもらえばいいかな。ブルーノはともかく、クラッド一家に理解してもらえるかは分からないけどね。あいつらは多分、信義に基づくとかじゃなくて、どっちに付いたほうが利益があるかでしか判断しないだろうからね。まぁ、本気で誤解されて敵に回すより、打算で敵に回ってくれたほうが遠慮が無くなっていい。
車中で血に汚れたポーラが浄化魔法を使うのをなんとなく見やる。血の汚れが気持ち悪かったのか、何度も繰り返し丁寧に魔法を重ねてる。
初期メンバーで武闘派、戦闘団長を任せるポーラはもちろん強い。今やジークルーネやグラデーナに比べても戦技では劣らないほどの実力者だ。魔法能力の面では適性の関係で劣るけど、それを補って余りあるような根性の持ち主でもある。信頼する仲間だ。そのポーラが手傷を負わされた。しかも頭部に。
考えるまでもなく頭部は弱点だ。強固な外套に守られた胴体とは違って無防備だし、下手をすれば即死さえ免れない当たり前の弱点。だからこそ、十分に気を払う。決して受けないように。ポーラほどの戦士が掠り傷とはいえそれを許したとなると、相手はどれほどの実力者だったのか。
「……ポーラ、敵はどんな奴だった?」
「不気味な野郎だったぜ。力はそれなりだったが、動きが悪い奴でよ。取り巻きを始末しながら野郎の腹を切り裂いて、よし次だと思った時だ。野郎、臓物を零しながら剣を振ってきやがった。あたしにも油断はあったが、あれは危なかったぜ。直撃してたらヤバかったな」
「まさかそいつ、その状態でやり合ったの?」
「いや、さすがにそれはねぇ。最後の一太刀って感じで倒れて死んだよ。そしたら残った奴らがメチャクチャに魔法をぶっ放してきやがってよ、気づいたら死体まで回収して引き上げてやがった」
なるほど。凄い根性の持ち主だったってことかな?
ほんの一瞬、わずかな油断が死を招く。肝に銘じないとね。
実際のところ私だって不死身じゃないんだ。即死じゃなければなんとかなるけど、死ぬときはあっさりと死ぬだろう。
骨が頑丈なお陰で、武器が頭に直撃してもたぶん死なない自信はある。試してみる気はないけどね。それでも骨以外は別だ。
例えば眼球を貫くような攻撃を受けてしまえば。そのまま脳みそを破壊されて即死する。
例えば外套を着てない状態のとき。心臓は肋骨に守られてるとはいえ、その隙間を通すような刺突でも受けてしまえば即死する。
例えば毒霧なら外套を着てる限り平気だけど、毒液の直撃を受ければ即死するかもしれない。なんらかの手段で体内に注入されてもヤバいだろう。
例えば空気を操作するような魔法があれば、窒息死だってあるかもしれない。もしかしたら少量の水でさえ、相手の技量が高ければ追い込まれる可能性はある。
例えば激痛を伴う攻撃を受けたとして、骨が頑丈でも痛覚は普通にあるんだ。余りの苦痛に気を失ってしまえば、それは死に直結する。
まだまだ未知の魔法や、思いもかけない戦法だってあるだろう。
当然、そんな攻撃を簡単に許さない、あるいは跳ね返せるからこそ私は強者なんだ。それでも実戦じゃ何が起こっても不思議じゃない。
ガンドラフト組やマクダリアン一家だって、伊達に長いこと五大ファミリーをやってるわけじゃないんだ。それなりの『力』ってのを有してる。私たちが想像できないような『力』だって持ってるのかもしれない。
負ける気はしない。だけど、油断だけはしないよう肝に銘じよう。
本部に戻ると急いで次に備える。何がどう動くかなんてさっぱり分からないけど、打てる手は打っておかないと、ずっと後手に回されるからね。
情報局はすでに動いてくれてるだろうから、いちいち指図する必要はない。私たちが欲しい情報は随時集まってくるはずだ。それ以外を着実にやっておくべく、本部で待機してた幹部に指示を下す。
「ジークルーネ、ポーラと一緒にブルーノのところに行って状況説明してきて。奴らにウチの立場を明確に伝えること。クラッド一家本家に伝わるようにね。あと、向こうが掴んでる情報も聞き出せれば、なんでもいいから聞いてきて」
「了解した。ポーラ、疲れているところ悪いがすぐに行くぞ」
「へっ、あたしは今から殴り込みでも構わねぇけどな」
強がりなんかじゃない。ポーラからは凄い覇気を感じる。この状態でブルーノ組に行ったら、殴り込みにきたと勘違いされそうね。まぁジークルーネもいるし大丈夫だろう。
「マーガレットは新聞ギルドに根回し。ほっとけば、いつものようにキキョウ会が悪役にされるだろうからね。あいつらだって、今の状況がどうなってるか喉から手が出るほど情報が欲しいはずよ。ある程度は教えていいから、簡単にガンドラフト組やマクダリアン一家に踊らされないよう話つけてきて」
「はい、すでに記者の一人とは会えるように手配しています」
「うん、じゃあ情報の整理ができたら、そっちは任せる」
さすがだ。この調子なら他の主要なギルドにも渡りはつけてるあるんだろうね。
「ユカリ、これからどうしますか?」
今は情報を集めながら状況を見定めるしかない。拙速に動けば返って窮地に陥ってしまうかもしれないんだ。キキョウ会には五大ファミリーほどの余裕はないし、力の浪費は避けておくべき。
「とりあえずは待つわ。クラッド一家がどう動くか、マクダリアン一家が次に何をするか、ガンドラフト組とアナスタシア・ユニオンがどうなるか。それにレギサーモ・カルテルの動向も気になるわね。守備を固めながら情報取集に専念するわ。消極的だけど、今は他に打つ手がない」
どこの誰がどう動くかなんて、もうさっぱり予想できない。誰が味方で誰が敵なのかさえ、もうさっぱりだ。
特に不気味なのはレギサーモ・カルテル。奴らはきっと、一番嫌なタイミングで動き出す。それを狙ってるはずだ。じっと身を潜めて陰で暗躍し、ここぞという場面で登場する。そうした最悪を想定しておくべきだろう。そもそも私たちは奴らの居場所どころか、戦力さえ把握できてないんだ。知ることができないってのは、かなりのストレスを感じさせるわね。
嫌な予感を抱きつつも、夜を迎え眠りについた。
混乱と紛争に陥ったエクセンブラですが、キキョウ会も渦中に足を踏み入れました。
まだまだこんなものでは終わりません。
次回「不吉の使者」に続きます。




