頼まれごと
オーヴェルスタのお屋敷に戻ると、すでにパーティーは終わったあとだった。
まだやってたとしても、今から改めて出る気はなかったけど。
「ご苦労さま。第一報は聞いているわ。はぁ、この忙しい時期に嫌になっちゃうわ」
応接室に行くと、早速ロスメルタに直接の報告だ。
また面倒なことになりそうで、いつも余裕のある女傑も嫌そうにしてる。わざとらしいため息まで吐いてるし。
「面倒なのは同感ね。でも事態は深刻よ? あそこにあった麻薬の量だけでも、末端価格で最低でも何十億って金になるはずよね。それだけの状況がすでに生み出されてるってのは間違いないし、規模から考えてもスラムだけに収まってるとは到底思えないわ」
もしかしたら王都の有力者も絡んでるかもしれない。例えばオーヴェルスタ家に忠誠を誓ってるフリをしてる貴族とか、地下に潜ってるような別の勢力が。いつでもそういった芽は絶えないもんだしね。
ま、ここで対レギサーモ・カルテルやその協力者の正面に立つのは王都の連中だ。エクセンブラでだって、五大ファミリーが中心となって立ち向かってるし、我がキキョウ会は気楽なもの。対岸の火事とまではいかないけど、この件に限っては脇役だ。少なくとも今はまだ。
光あるところに影が、なんてのは良く聞くけどね。ただのスラムや治安の悪い区画に限った犯罪程度ならともかく、より多くを巻き込みかねない巨大な闇が蠢いてるのが今回の一連の事件だ。
特に麻薬がらみは厄介極まりない。今回の場合、すでにある程度の薬が広まってしまってるとして、卸元はレギサーモ・カルテルと分かりきってる。ただ、それの協力者や売人のルートがどれだけ構築されてるか、依存症に陥ってる人がどれだけいるか、後のことも考えると為政者にとっては頭が痛かろう。
あー、ホントに面倒臭そう。他人事ながらも気の毒でならないわね。
「ええ。考えたくはないのだけど、他国の麻薬カルテルが単独でここまで浸透できるはずはないわね……」
「捕まえた奴を締め上げてなにか出てくればいいけど」
オーヴェルスタ家に対立する派閥の手引でもあったかな。いくら強大な権力を握ってたとしても、全てを掌握なんてできない。王都は広いし、それだけ色々な勢力だっているんだろうしね。
もしかすると王都は少し荒れるかもしれないわね。
オーヴェルスタ家を取り巻く勢力と、その潜在的な敵対勢力、そして王都に浸透しつつあることが判明した麻薬カルテル。エクセンブラはそっちのとばっちり、なんて可能性も。エクセンブラの場合はレギサーモ・カルテルと対立してるらしい蛇頭会の絡みもあるから、そうとは言い切れないか。
多忙な王都上層部は、さらに多忙を極めそうね。
気の毒だけど、それはそれとしてこっちの要望も伝えなくては。
「さてと、大変なところ悪いけど、ウチも忙しいからね。あんまりゆっくりもしてられないわ」
「あら。だからこそ、しばらくここでゆっくりしていったら? エクセンブラに帰れば、休む時間もないでしょう?」
ゆっくりなんてさせる気ないくせに。
とぼけた顔してるけど、ここに居座ったら都合よく使われるだけだろう。
「あんたと違って、休む時間くらい取れるわよ。それより、カロリーヌはそろそろ返してもらうわよ?」
唐突に本題をぶち込んでやった。
「…………あ、そうそう! いいブランデーが手に入ったの。少し試してみない?」
「で、今どこにいんの?」
戯言は無視に限る。
「……ユカリノーウェ、付き合いが悪いわよ」
「ふんっ、まともに話す気があるなら、今夜くらいは付き合うけどね」
「じゃあ早速、準備をさせるわ。話したいことがたくさんあったのよ。みなさんには先に休んでいただいて?」
しょうがなく思って応えてやると、ロスメルタは嬉々として準備とやらを進めさせる。
カロリーヌだけ確保したら、さっさと屋敷を出るつもりだったのに。もしかして、やられたかな。
他の人も交えてじゃなく、二人きりで話したそうだったこともあって、ジークルーネやヴァレリアも先に休ませた。
今は場所も応接室からロスメルタの私室に移って、いいブランデーとやらを手ずから注いでもらったところだ。
うん、良い香り。少し舐めてみれば、ほんのりと甘くてより鮮やかな香りが広がる感じ。さすがは公爵夫人が薦めるだけのことはある上物ね。
「どう? 数ある贈り物の中でも、特に気に入っている品物なのだけど」
「悪くないわね。少し持って帰ってもいい?」
「もちろんよ。少しと言わず、樽ごと持って帰ってちょうだい」
気前の良いこと。ただ、これは互いに別の意味があることを、分かった上でやってることでもある。
これから始まる本題で、ロスメルタはわざわざ余人を排して私だけと話す場をセッティングした。旧交を温めるなんて状況じゃないんだ。となれば、どうせ面倒事だ。
ブランデーはほんのささやかな気持ちの表れと探り入れってところね。私はこれを快く受け取ることによって、後に続く話を聞くことに了解の意を示した。こんな風に遠回しなのは、彼女からしても言い難いことなんだろうと推察するけどね。
「それで? カロリーヌの件はそろそろ譲れないわよ?」
「まぁ、せっかちね」
雑談はあとでいい。私は先に面倒事は済ませてしまいたいタイプなんでね。
しょうがないとばかりにロスメルタもおふざけは止めたようだ。
「ふぅ、カロリーヌの働きには当家としても感謝しているわ。彼女自身の気持ちも考えると、これ以上は繋ぎ止められないと思っていたところよ。ただ、返すのは今の仕事が終わってから、それでお願いしたいの」
「……約束は守りなさいよ。カロリーヌがそれで承知してるなら、私もそれでいいわ。さてと、こっちの要求はそれだけよ。あんたは何か別の話があんでしょ? ここまできたら遠慮はいらない」
カロリーヌの返還はこれで決まりだ。さすがに約束を反故にするような女じゃない。信用していいだろう。
本題は別にある。ここからだ。
「ユカリノーウェ、あなたには友人として建前も身分の別もなく、本音で話すことにするわ。この意味を履き違えないでね」
「そんな前置き、『友人』には不要よ」
何を今更。ここでこうしてる時点で、全て織り込み済みだ。もう引き返せないなんて、当然のことだろう。
友人として助けてやりたい気持ちがないわけじゃない。ただそれ以上に、私はこの女を見捨てる方が損だとも思ってる。キキョウ会の会長としても、私はこうするべきと思ったんだ。今はまだ、ただのカンだけどね。
王都の女傑は真面目な仕事モードになって話しはじめる。こっちがいつもの顔なのかもしれない。
「……王都の復活は街並みを見てのとおりよ。見てくれは良くなりはしたけれど、実情として余裕はまったくないわ。本音を言えば、このタイミングでのレギサーモ・カルテルの進出は、当家としても王都としても手に余る……そこでいくつか頼みがあるの」
そりゃそうね。ようやく国内がまとまりつつあるのが、新生ブレナーク王国の現状だ。生産力だってほとんどが復興に傾けられてて、軍事は二の次だったはずだ。軍事の準備も進められてるって噂だったけど、そっちが万端になったとは到底思えない。
それに復興も間もない状況を考えれば、どこかと戦争してる余裕なんかあるわけない。
「頼みの内容にもよるけど、事はエクセンブラにも関わることだからね。協力を惜しんでる場合じゃないか」
許容できることなら協力する。やりたくないことにはノーと言うかもしれないけど。
「ええ、そう言ってもらえると助かるわ。頼み事自体は簡単なことよ、そちらには物資の供給をお願いしたいの。できれば価格もお友達価格で」
「具体的には?」
「ドンディッチと取引をしているわね? そこからくる魔導鉱物、これをできる限りこちらに融通して欲しいの」
まったく、さり気なく秘密を暴いてくれるもんだ。
「良く知ってるわね。一応は偽装工作してるんだけど……まぁ、あんたにはお見通しか」
ふーむ、魔導鉱物ね。それは別に構わない。現状の商売としては、あれは特定の客に渡すような約束はしてなかったはずだ。今のエクセンブラじゃ、良質の魔導鉱物はいつでも捌けるから、時々によって高値で売れる相手に売ってただけだからね。ウチからの供給が途絶えたところで、困るような奴は特にはいない。
「物資はいくらあっても足りないくらい。これまでは王都の再建に集中して注いできたのだけど、これほど早く戦の準備を急ぐ羽目になるとは思っていなかったのが正直なところね」
ブレナーク王国にだって鉱山はあるし、自前で供給できる体制はあるはずだ。だけど、ウチがドンディッチから仕入れてるのは製錬済みの魔導鉱物。手間暇をかけることなくいきなり使える上物だ。わざわざくれと頼むくらいだから備蓄はないんだろう。そうすると、自前でまとまった量を確保するには、どんなに急いだってそれなりの時間はかかる。
手っ取り早く戦いの準備を進める上で、ウチから回せば即使える物資が手に入るなら都合が良い。昨今じゃ取引量も増えてるし、いくつかの部隊の装備を賄ったりする分量なら十分に供給できる。随時追加もあるしね。ロスメルタが欲しがるのは理解できる。
「……オーケー。これからはそっちに回すわ。それで、他には?」
まさかこれだけなんてはずはない。
「あとは提供できるだけの回復薬を。そうそう、治癒師ギルドからキキョウ会のことは良く聞こえてくるわ。取引先としては、見直すのが賢明かもしれないわよ」
治癒師ギルドに流してる分を全部まとめて寄越せって意味だろう。
たしかに、ドンディッチのローズマダー傭兵団も治癒師ギルドがどうのとか言ってたし、あのギルドとの関係は一度見直す必要がありそうね。
「忠告は受け取っておくわ。ま、物資の提供だけなら、お安い御用ね」
戦力を出せとまで言われたら断ってる。さすがに地元のエクセンブラを放ってこっちにまで力を割くわけにはいかない。あっちはあっちで大変な状況なんだから。
「助かるわ。これでレギサーモ・カルテルの対処には、手持ちの戦力だけでも目途が立つわね」
お抱えのクリムゾン騎士団が中心に立てば王都だってそれなりの戦力はあるはずで、大抵の敵ならどうにかできる。そうできなきゃ、王国の再興なんてできなかっただろうしね。
ただ、最も重要な王宮の守りや立て直した街の警備との兼ね合いも考えれば、その辺の調整が大変なんだろう。物資が潤沢とは言い難いことに加えてまだ構築中の部隊だってあるっぽいからね。それでも私たちへの無茶振りがないのは好意的に受け取っておこう。物資程度の融通なら問題なくしてやれる。
さてと、こんなところかな。
「――それともう一つ、お願いがあるの。帰り際でいいので頼まれてくれない?」
気を抜きかけたところでの追加は心臓に良くない。
「えっと、言っておくけど、手間のかかることなら、やる気はないわよ?」
これ以上、なにをしろってのよ。少々胡乱げに返事をしてやる。
「あなたたちなら通りすがりにできることよ、大したことじゃないわ。ちょっと釘を刺しに行って欲しい相手がいるの」
「釘を刺す、ねぇ」
気軽に言ってくれる。
聞いてみれば、ほぼ全てを牛耳る最大派閥のオーヴェルスタ公爵家一派に、対抗派閥を形成しようと画策する貴族がいるらしい。その辺のことは貴族社会においては、ある意味健全な流れとも思える。
そいつらは今ここにある危機、ピンチはチャンス。そう捉える可能性が高くて、実際に動きの兆候もあるって話だ。だけど状況が状況だ。内側からかき回されたら、最悪の状況を呼び寄せかねない。
要は王都の混乱に乗じて余計なことを仕出かさないよう、そいつらに圧力をかけてこいってことらしい。
クリムゾン騎士団は今や王都における英雄に等しい存在らしいけど、その代わりに華々しい表側の活動で忙しい。裏で暗躍しようとする勢力はいつでも湧いて出るし、その押さえを実行する部隊もいることはいるけど、そっちはそっちで忙しい。
だけど、大きな楔を打ち込むために、見せしめとして一度叩いておきたいのがいる。都合のいいタイミングでここにいる私たちを使って、そいつらをちょちょいとやってくれってことだ。
件の貴族とやらも画策するだけのことはあって、それなりの力を持ってる。ということは、ロスメルタとキキョウ会の関係も知らないはずはない。そこで、キキョウ紋を堂々と晒した私たちが動けば、それは明確なメッセージとして伝わるわけだ。
こっちとしては、王都で少々暴れて悪者になったとしても大したダメージはない。それになにをしようが、後ろ盾がオーヴェルスタ公爵家となれば、大抵のことはまかり通る。むしろ混乱に乗じようとするバカに一撃を加えたとして、好意的に見てくれる人の方が多いかもしれない。
さらにだ。きっとそれだけじゃない。オーヴェルスタ公爵家にとっての将来のライバルを、今のうちに潰しておこうって魂胆まで透けて見える。欲張りなことだ。
まぁ、やること自体は構わない。ただし。
「……行きがけ、帰りがけの駄賃にしては安い働きじゃないわね。そっちのライバルとして名乗りを上げようって奴が相手なんでしょ? どんな隠し玉を持ってる分かったもんじゃないわ」
これは取引だ。単なる友達同士のやり取りじゃない。キキョウ会はただ言われるがままに何でも応じるわけにもいかないってこと。物資の提供は金だって貰うし、タダじゃない。お友達価格とはいえね。
だけど働きに対しては、具体的な見返りが伴わなければならない。
「それもそうね。では、闘技場はどう? もう始まっている闘技場建設、それから先にもある利権には、まだまだこれからも横槍が入る可能性が高いわ。政治の面でも王都からエクセンブラから色々と画策する者は現れるでしょうね。当然、ユカリノーウェも無関係ではいられないわよ?」
「……それで?」
「元からそのつもりではあったけれど、政治と財界からの横槍は、すべてこちらで引き受けるわ。キキョウ会に一切の面倒はかけない。これでどうかしら?」
なるほど。最大の権力者たるオーヴェルスタ公爵家ならば、それは可能だろう。
どこぞの貴族、商会、ギルド、利権に食い込みたくてウズウズしてるような奴らでも、新王国の重鎮中の重鎮が責任を持ってキキョウ会の肩を持つってことなら心配の種はなくなったも同然だ。闘技場を仕切る貴族は別にいるって話だったと思うけど、上手く話を付けておいてくれるに違いない。
代わりに裏社会の組織同士での争いには関知しないってことだろうけどね。それでも表側での面倒事からは解放される。
面倒事が確実にひとつ減るなら、それは大いに歓迎できることだ。
「乗ったわ。それでいこう」
「さすがは自慢のお友達。美人だし、強いし、頼りになるわ、ユカリノーウェ」
そこまで言われると、嘘くさくてちょっとムカつく。
「それで、どこまでやる? 表面上の脅しで済ませるか、少々の被害を伴った脅しか。あるいはもっと?」
脅しといっても程度がある。あとになってそこまでは頼んでないとか言われても困るからね。
「実は以前から貴族社会で合意した決議があるのだけど、あの家はそれを無視した。今の王都はなにより秩序を優先するわ。十分な見せしめを期待したいところね。例えば、そうね、ユカリノーウェが想定する最も苛烈な追い込みから一段、いえ二段……あなたなら、そう、五段階下くらいの制裁ではどうかしら? 警告だから人的被害はなるべく出ないようにしてちょうだい」
人への危害なしに、最上級から五段階も下か。結構温いわね。
「見せしめも含めた制裁となると、うーん。難しい例えだけど、家屋の破壊と財産の一部没収、くらいかな?」
「うふふふふふふっ」
なにがおかしい。
「ごめんなさい。ユカリノーウェの思うようにやってもらって結構よ。お願いね」
ふん、そう言うなら好きにやらせてもらう。
気がつけば、時刻は日付も変わろうかというタイミングだ。
襲撃を仕掛けるにはいい時間ではあるけど、今日のところは止めておこう。そのまま帰るならともかく、まだ王都でやり残したこともある。
王都まできた目的の第一は、この屋敷のパーティーに参加することだったけど、その他にも情報収集やらなにやらがあったんだ。貴族に対する宣伝はマーガレットがやってくれてたとして、まだギルドや商会に対するアプローチはできてない。
託された仕事は、明日の帰りがけにやるとしよう。
「さぁ、これでお仕事の話はおしまいよ。今日はとことん付き合ってちょうだいね」
「え、付き合うって、今から?」
「もちろんよ。これからが楽しい時間なのだから」
しょうがない。こいつも立場上、遊ぶ時間もろくに取れない女だ。今夜だけは気が済むまで付き合ってやるか。
溜め込んだものを吐き出し続けるロスメルタから解放されたのは、日もすっかり昇って、執事が朝食を知らせにきた時だった。
いや、さすがに参った……眠い。
あてがわれたゲストルームに戻ると、さてどうしたもんかと悩む。
今日はキキョウ会のみんなには、街に出てもらって活動してもらう予定だ。特に役目がないメンバーにも、街に出て自由にさせる。
昨夜受けた仕事があるから、夜にはどこかで集まりたいところね。まさか明るいうちから襲撃もないだろう。昨今の王都やエクセンブラは夜中でも門は通れるからね。仕事を終えたらさっさと出て行くに限る。
私自身はそれまでこれといった予定もないけど、どうしようか。
はぁ、思いがけず徹夜をしてしまった影響で結構眠い。徹夜くらいどうってことない体力はあるけど、眠いものは眠いんだ。
「お姉さま、入ってもいいですか?」
ヴァレリアか。
「うん、いいわよ」
「失礼する……ユカリ殿、眠そうだな」
「ジークルーネもいたんだ。ちょっとロスメルタと色々話しててね」
まぁちょうどいいところにきてくれた。ジークルーネに顛末を伝えて、みんなのことは任せてしまおう。私は夜まで休憩だ。
「なにか難しい話でも?」
「ひとつ、仕事を頼まれてね。今日の帰り際にやる予定なんだけど、二人には先に伝えとく。あと、それまでの指揮も任せていい?」
「ああ、了解した。ユカリ殿は休んでいてくれ。それで、仕事というのは?」
ヴァレリアとジークルーネには仕事内容を伝えて、あとは頼りになる副長に全て任せてしまう。可愛い妹分も、今日はメアリーたちと街で色々と活動するらしい。
今夜の方針だけ確認して、私はそれまでお休みだ。