春、それは新しい物語の序章
今回で一区切りです。
次回からは新展開になります。
長かった冬が終わり、日陰に積まれた雪が少しずつ高さを減らしてゆく。
短かった日も徐々に長くなって、爽やかな風が春の香りを運ぶようにもなった。どんな花の香りなのか、清々しい気分にさせてくれる。
そんな春の気配を感じる頃、以前からの予想は現実となった。
東の隣国、レトナーク王国がついに進軍を開始したんだ。
いつものように図書館で新聞を手に取ると、一面にでかでかと載った記事をみんなで集まって読んだ。
「始まったわね」
「予想のとおりになりましたね。全然嬉しくはありませんけれど」
「結果のほうも予想はつくが、できれば犠牲は少なくあって欲しいものだよ。知り合いもいるからね」
「ついに始まったねえ。さて、どうなることやら」
「始まっちゃいましたね」
「……ああ、大変なことになりそうだ」
私に続いて、フレデリカ、ゼノビア、カロリーヌ、ジョセフィン、アンジェリーナが反応する。
ちなみにアンジェリーナは巨漢の女の名前だ。どうでもいいけどアンジェリーナって、小さな天使って意味があるらしい。いや、ホントにどうでもいいんだけど、やっぱどうにも違和感がある。喧嘩っ早い巨漢女の名前が、まさか小さな天使とは……。
余計な雑念を振り払って周囲を見れば、ほかにも多くの連中が戦争の話題でざわついてる。
強面の職員も今回ばかりは見逃してくれてるみたいで、すぐには注意をしてこないらしい。
私たちがいるブレナーク王国は、少し横に長い台形のような形をしていて、王都はその中央やや右上にある。上下を大河に挟まれた城郭都市で起伏の少ない平地だ。ほかの特徴は河の南北に大きな森があることくらいかな。
東側から攻めてくるレトナークにとっては、河も森も関係なく直進すればそのままブレナークの王都に到着できてしまう。戦力差があるし、奇を衒わずに進軍してくるものと思われる。
「戦争前だってのに、独尊王がアホだから冬の間にも人がどんどん流出してたらしいわね」
特に傭兵は最初から敗色濃厚な戦争になんか、負け側で参加するはずもない。命あっての物種だ。一般の兵士だって逃げられる場所があるなら逃げるだろう。
講和派の貴族や役人も匙を投げて逃げ出したのが多いみたいだし、誰だって無意味に死にたくはない。
特に王様がアホなせいだとなれば、一生懸命に尽くそうとする気もそりゃ失せる。逃げて当然、逃げられて当然だ。
「勝ち目はないでしょうね。問題はどう負けるか、なんですが……」
「独尊王が素直に降伏するとは思えないな」
「そうなんだけど、徹底抗戦したところで兵力差がありすぎるからねえ。残った住民が心配だよ」
独尊王なんて呼ばれちゃってる奴の性格からして、降伏は絶対にないと言い切れる。
具体的な兵力は公表されてないけど、続々と流出する人を考えれば、兵力に不安があることなんて誰にだって分かる。さらに相手は軍事政権の侵略国家なんだ。兵力や士気は段違いと考えていい。
野戦だと一気に撃破されて終わり。かと言って篭城しても意味はない。だって同盟国とかないからね、援軍はどこからもやってこない。外交の重要性が分かるってもんだ。
だけど篭城して最後の最後まで足掻くんだろうと予想されてる。
可哀想なのは、王都までの街道沿いにある規模の小さな町や村だ。とんでもなく野蛮な軍隊らしいから、逃げなければ蹂躙されて何もかも奪い尽くされるだろう。残された町や村だって、無事に済むことはない。
各地方の治安維持部隊や領主軍も王都に招聘されてるから大変だ。通常の警備も必要充分にできないから、国内各地はどこも厳しい状況。ただでさえ流出する人材を取られてしまって、地方は単純な治安維持すら困難って話みたいね。
「侵略軍が到着するまでに、最速で王都まで七日程度はかかる見込みになってますけど、道中の町や村に寄り道するでしょうからね。王都近郊での本格的な戦闘までは、もうちょっとかかりそうですかね。どうせ勝ち目はないですけど」
「……嫌なもんね」
きっとジョセフィンの言ったとおりに、事態は推移していくんだろう。塀の中の私たちは、ただじっと見てるしかない。奇跡でも起きなければ敗戦は間違いないんだけどね。
戦争に負けた場合は、普通に国家の滅亡になる。
確実に王族は処刑されて、国土は丸ごとレトナークに組み込まれるはずだ。
重要なのはこの場合、私たちがどうなるのかってこと。
国に雇われてる収容所の職員も他人事じゃないってわけで聞いてみたけど、明確な返答はなかった。
しかるべき時がきたら、説明があるってことで今は答えられないらしい。
私はこの世界に故郷も家族もないし、王都やらほかの町やらもよく知らないから、はっきり言って他人事同然だ。
でもこの収容所には、職員含めて国に待ち人がいる奴は多い。そういった人たちにとっちゃ、気が気じゃないだろう。ここは僻地だし、今から動いたってもう遅いかもしれないんだ。戦後になって、会いたい人に会える保証なんかない。
かなり不安そうにしてる人は多いから、そういった人の身になって考えると少しは気の毒に思ってしまう。
この収容所だけに限って言えば、王国最西部ってことで戦場からは遠いから平和なものだ。
それでも、もし危うい感じになったら黙ってピンチを迎える気はない。どうにかするための策だってある。ただ、できればそれはやりたくないし、ここの職員なら色々と考えてくれてるとは思ってるんだけどね。
そして敵の進軍の報道から数日。
情報統制されてるのか単に分からないのか、詳しい情報は新聞に載ってない。
私はなるべく普段と同じ感じで日々を送るよう心がけてるけど、重苦しい雰囲気はどうにもならない。
無責任な気休めを言える状況でもないし、早く事態が動くことを願ってしまう。
さらに数日後、ついに侵略軍が王都にたどり着いたとの報道があった。
ブレナーク側は予想されたとおりに篭城を選択。夕方に到着したレトナーク軍は余裕綽々で野営陣地を張ったらしく、戦端は明日に開かれる見込みだ。
すでに王都の一般市民は大半が地方に逃げ出して閑散としてるらしい。
大陸中にネットワークを広げる各ギルドに対しての攻撃は、絶対に許されない取り決めがあるみたいだけど、念のために職員のほとんどが撤退済みで、残ってるのは新聞ギルドくらいのものって話だ。ご苦労なことだと思う。
落ち着かない夜を過ごし、明けて翌朝。
開戦予定の今日、新聞が出力されるのを待ち構える私たち。
「お、きたよ!」
出力された新聞を大勢で覗き込み、記事をざっと読んだ。
どうやら未明から始まった大規模魔法による市壁への攻撃は、結界魔法の魔道具でなんとか凌いだらしい。
まだ午前中だし本番はこれから。大規模結界の魔道具なんて魔石の消費が激しすぎてそんなには持たないだろう。どんなに遅くても、数日以内に決着はつく。
「うーん、今日のところは魔道具で凌ぐつもりかな」
「そんなことをしていたら魔石が持ちませんよ。今日中にはもう、市壁は破られるのではないでしょうか?」
「だがまだ何かあるだろう。王宮が最後の決戦場と定めているなら、そこに切り札があるに違いない」
「切り札ねえ……そういう上等な作戦ってよりも、最後っ屁って感じじゃないかねえ」
この後は新聞ギルドも取材どころじゃなくなったみたいで、私たちに詳細が分かるのは少し後になった。
――結局のところ。
攻撃が始まった翌日には市壁が破られ、侵略軍は市街に易々と突入を果たした。
ところが王国軍は市街地でゲリラ戦を展開。奇襲と待ち伏せで嫌がらせのような攻撃を始めたらしい。
侵略軍はそれには付き合わず、メインストリートを数に任せて突破し王宮に殺到。
多くの兵士が王宮に突入したところで、なんとまさかの大爆発。
どうやら独尊王は敵軍のみならず、味方まで道連れにして自爆したらしい。
突然の爆発は大規模で、王宮のみならず広範囲に渡って破壊した。かなり離れた場所でも、爆風や飛んできた瓦礫の被害で酷い有様になったんだとか。
侵略軍は爆発によって壊滅的な被害を出し、都市も王宮を中心に瓦礫の山と化した。わずかに残ってたはずの住民も消息不明。考えてた以上に最悪の結果になった。
現在は都市に侵入してなかった侵略軍が生き残りを捜索、救助を必死にやってるらしい。
ほぼ誰もいなくなった王都に入った侵略軍指揮官が、一応のブレナーク王国滅亡を宣言し、すべての領土は正式にレトナークに吸収された。
戦争はこれにて終結ってわけね。まあ、これからが誰にとってもたいへんなんだろうけど。
壊滅した王都のことは、放棄するのか復興するのかは分からない。元住民たちなら、一度は王都に戻るかもしれない。その人たちが復興を願うのか、諦めるのかに、きっとかかってる。
そしてブレナークの王族を含めた主要な人物は、公式には死亡したとされた。
丸ごと吹っ飛んでて消息不明だからだけど、もしかしたら死亡とされてる一部は生きてるのかもしれない。調べようがないんだ。どんな可能性だって残ってる。
あまりにも膨大な後始末が片付きそうな気配はないまま、それでも消滅したブレナーク王国には王都以外の人里がいくつもある。
レトナークはまだ存在してる旧王国各領地の貴族に対して軍を差し向けるか、使者を出すかってところだったのに、また大事件が勃発した。まったく、忙しいことだ。
なんと今度はレトナーク本国で新たなクーデターが発生したらしい。主力軍の不在を狙った大規模なもので、内戦化は避けられない見通しだ。
これに対し、旧ブレナーク王国に残った侵略軍は撤退せざるを得ず、形ばかりの代官と少ない駐留軍だけを置いて去ることになった。
ろくな統治が始まらないうちに、旧ブレナーク王国は事実上、統治者を失った状態になってしまった。
各領地にはまだ貴族がいるけど、まともな戦力もなく領地の自治さえままならない現状に、住民たちは大きな不安を抱えてるらしい。
実際に各地で犯罪が多発し、難民やら孤児やらも大量に発生してて、もう問題が山積み。一気に解決する手段もないから、多くの人々が困り果ててる状況だ。
周辺国についても軽く整理すると、ブレナークとレトナークの北には大国ドンディッチがある。
ドンディッチは大きく豊かな国で、それゆえか領土的な野心はないらしい。むしろ両国の争いを厄介事として捉えてるらしく、ずっと昔から完全に無視を決め込んでるようだ。
南側には人族同士の争いには興味のない亜人族の小国家群がある。彼らもこっちの状況にはまったく興味がない様子で、完全に無反応だ。これにも理由があるんんだけど……今はいいかな。
西側にはロマリエル山脈がそびえ立ち、レトナークの東側には大海が広がるのみ。
両国だけの争いにクローズドされてるのは、シンプルで非常に分かりやすい。そして運が良かったとも言えるだろう。
さて、女子再教育収容所の私たちはというと。
「今日、諸君に集まってもらったのは、もう分かっているだろう。我が国、ブレナーク王国は誠に遺憾ながら滅亡した。我々を再教育収容所職員として任命した国家がなくなったのだ。それに加えて我が国を占領したはずのレトナークも統治をする気がないとみえる。我々がここにいる意味はもうない。つまり、現時点をもって諸君を解放することになった。所長、お言葉をお願いします」
副所長の解散宣言に始まって、続けて所長の挨拶だ。
「職員の皆さんも再教育中の皆さんも、これにて解散となります。こんな事態になってしまいましたからね。早く家族や知人の様子を確かめたい人も多いでしょう。職員の皆さんは規定のとおり撤収の準備を、他の皆さんには魔法封じの腕輪の解除と持ち物の返却をします。各地への移動には、魔道具を使いますので希望者は申し出てください。それでは後をお願いします」
「職員はただちに準備にかかれ。収容者には魔法封じの腕輪の解除を始める。急げよ」
副所長の宣言の後では、魔法封じの腕輪解除だ。大人しく順番を待って、邪魔なものから解放された。
さすがに最初の時のような興奮はないけど、ものすごい開放感はある。
やっとかって感じ。実は収容期間明けまでは、もう少しだったんだけどね。
お次は持ち物の返却と報酬の引渡し。
久しぶりの私服とご対面だ。私がこの世界に迷い込んだ時はジョギング中で、半袖のランニングウェアと短パンだったんだよね。手ぶらだったし。そんなわけで荷物という荷物は特にない。というか放り出されるとヤバいくらいに、全然なにも持ってない。
「ユカリノーウェ、その格好ではまだ寒いだろう? これをやるから着るといい」
おばさん職員がコートを渡してくれた。地味に気が利く。春とはいえ、まだまだ肌寒いからね。
「おおー、ありがと。助かるわ。もう会うことはなさそうだけど、もしあんたが困ったら遠慮なく言ってよ。借りは返すからさ」
「ふん、その時には利子付けて返せよ」
それから私の身分証明証もありがたいことに、ここで勝手に作られたみたいで引き渡された。これは魔道具の一種で、様々な機能があるとかなんとか。
「一応聞くけど、これまでの魔獣退治の報酬とかはもらえるわけ?」
「ああ、こんなことになってしまったが、きちんと支払っているぞ」
過去形? もらった記憶はないけどね。
「ん、どこに?」
「……そういえばお前は世間知らずだったな。さっき渡したレコードに入金されている。以後はお前の魔力に反応して使用可能だ。残高も閲覧できるからやってみろ」
身分証明証は通称レコードと呼ばれ、全国共通のクレジットカードのような機能まで備えるらしい。マジ凄くない?
私ってまだ基本的な常識に欠けてるわね。
どれ、そんじゃさっそく。ふーむ、これがレコードか。
まさしくクレジットカードサイズのレコードカードは美しい白銀色で、端に小さく私の名前が刻まれてる。右上に小さい四角形の透かしもある。試しに魔力を込めてみると、レコードの表面に数字があわられた。
大陸共通の通貨単位は『ジスト』なんだけど、約五百万ジストの金額が確認できた。
「……ちょっと、多くない?」
思ったよりも大きい額だ。ジストは円とおおむね同じと考えていいくらいの価値がある。
私がここにいたのは約三年。一年の日数が多いから、元の感覚とは単純に比較できないにしろ、収容者の立場を考えれば割と多いように思える。魔獣退治以外の時は、勉強やトレーニング優先であんまり働いてなかったし。
「カプロス襲撃時の魔獣売却益がかなり多かったからな。おかげで職員はかなり儲けさせてもらった。お前たちにもそれなりに還元したってわけだ。それにお前は一番の功労者だったしな」
「そうなんだ。きちんとしてんのね」
「まあ、恨まれてしまえば結局は損をすることになるからな。フェアにやるのが一番いいってことだ」
フェアか。それは結構なことじゃないの。
撤収の準備が整えば、順次出発することになる。
移動用の魔道具として、大型のトラックというか護送車みたいなのが何台かある。それに分乗して各地に向かうそうだ。
あっさりとしたもんで、いよいよ別れの時だ。
「ユカリはどうするのですか?」
「前から言ってるでしょ。私には帰るところもないからね。もう少しここで情報収集しながら、どうするか考えるわ。ここなら人もいないから魔法の訓練も思いっきりやれるしね」
生活用の魔道具は大した価値がないし、大型の魔道具は持っていけないからここに放棄される。冷凍室には食べきれず、持ち出しきれない魔獣肉や野菜がまだまだあるから、食料にも全然困らない。しばらくは残っても生活に支障がないんだ。
「それならわたしも残ろうかと思います。わたしもユカリと同じようなもので、特に当てもありませんし」
「あ、そう? ならもうしばらくは一緒ね」
フレデリカはもう少し一緒か。
ちょっとだけ嬉しい。ちょっとだけね。
「あたしは王都に行く。知り合いがどうなったのか確かめたいし、傭兵ギルドにも顔を出しに行ってみるよ」
「ゼノビアと同じく、あたしも王都に向かわないとならないねえ。とっくに避難してるんだろうけど、残してきた娼婦たちがどうなったのか気になるんでね」
「うん。ゼノビアとカロリーヌなら大丈夫だろうけど、気をつけなさいよ」
「ゼノビア、カロリーヌ、お元気で。また会いましょうね」
「ああ、みんな必ずまた会おう」
「ふふっ、いつか必ず。ゼノビア、行こうか」
特に親しかったゼノビアとカロリーヌは王都に向かって旅立った。
寂しくなるけど、またいつか必ず会える。収容所仲間の多くとは、意外なほどに仲を深めたと感じてる。そう思ってるのは、きっと私だけじゃない。みんな名残惜しそうにしてるからね。再会するその時を楽しみにしておこう。
それから、私とフレデリカの他にも何人かがここに残ることに決まった。
私が残ると言ったら、フレデリカと同じようにジョセフィンとアンジェリーナが。それから行く当てのない根無し草たちも、しばらく同居することになった。
状況が落ち着いて良さそうな街が見つかったら、みんなで移動することになるのかな。その時には移動用の魔道具はもうないから、徒歩での移動になるのがちょっと今から面倒に思える。しょうがないけど。
次々と出発していくみんなを見送って、だいぶ寂しくなった我らが収容所に戻る。
なんだか、もう自分の家のような感覚ね。