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狂魔伝  作者: ラジオ
第一章
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story7‐‐愛憎の悲劇‐‐

 二年ほど前のある日、私が仕事から帰ると、祖母が生まれたての子猫を拾ってきていた。親猫は車にでも轢かれてしまったのか、子猫のそばにはいなかったらしい。

 私は新しい家族ができてとっても嬉しかったが、他の家族はそうは思わなかったようだった。兄も両親も、汚いものでも見るような目であの子を見ていたが、当時は祖母が家で最も高い権力をもっていたため、何も言わなかった。

 だが、祖母が老衰で倒れると、家族はこれぞ好機とばかりにあの子を痛めつけ始めた。あまりの残虐な仕打ちに、私はすぐに自分の部屋にあの子を匿い、家族の手から守った。それでも、家族が私のいない間にあの子を手酷く傷つけていたらしいのは、あの子の身体を見ればすぐにわかった。

 両親を問い詰めると、こう答えた。

「家で暮らさせてやってるだけありがたいと思え」

(酷い。あの子はあんたたちの虐待を受けるために生まれてきたわけじゃない。いくら弱くたって、あの子は幸せに生きたかったはずだし、その権利ももっている。それなのに……)

 私は兄と両親に言った。

「今度酷いことしたら、あんたたちを殺すわよ!」

 脅しのつもりだったが、あいつらには笑い飛ばされた。

 そして今日、仕事から帰ってくると、あの子の姿がどこにも見当たらなかった。

 兄と両親はリビングでテレビを見ていた。私が慌てふためいてあの子を探す姿を見て、兄が言った。

「うるせえなぁ。テレビの音が聞こえねえだろ」

「あの子をどこにやったのよ!」

 私は怒鳴った。

「だからうるせえって。あのクソ猫なら、暑そうにしてたから冷蔵庫にしまってやったよ」

(嘘でしょ?)

 私はすぐに冷蔵庫に駆けていった。

「おいおい、冷蔵庫のもの捨てなきゃいけないじゃないか」

「また買い物に行かなくちゃね」

 笑いながら言う両親の言葉など私の耳には入っていなかった。

 私は乱暴に冷蔵庫の扉を開けた。

 そこにあの子の姿はなかった。

 振り向くと、兄が醜い笑みを浮かべながら言った。

「おっと、間違えた。冷蔵庫じゃなくて冷凍庫だった」

(そんな……ありえない!)

 慌てて冷凍庫を開けると、あの子は文字通り冷たくなっていた。

 息はしていなかった。

(何、これ? 何でこんなこと……。あの子は一体、何のために生まれてきたの? 人間じゃなかったら……人目に触れなかったら……家で暮らさせてあげてたら……何をしても許されるの?)

 自分の子供を殺された気分だった。

 枯れ切った私の目からは、一粒の涙も出なかった。心にぽっかりと孔が開き、ただ虚無感だけが私の中に残った。

 夜になると、私の部屋の窓の外に、黒い人影が現れた。

 私は窓を開けた。

「君は本当に優しい子だ」

 その人はそう言ってくれた。

「でも残念だが、この世界に君の優しさを、君の愛をわかってくれる人はどこにもいない。あの子は自分がこの世に生まれてきてしまったことを、どれだけ呪っただろうね」

 その人は私の心を埋めてくれた。あの子への愛、優しさ、そして、あの子を愛せないクズ共への憎悪で。

「あの子のために、君にできることがある」

(あの子のために、してあげられること……)





 けたたましい感知器のサイレンが鳴ったのは、夜明け前の非常に冷え込んでいる時間帯だった。

 休憩室のソファに座っていた泉は夜型の生活にまだ慣れず、うとうとしていた。泉は慌ててポケットから感知器を取り出した。

「結構距離ありますね」

 感知器の画面を見ながら佐川が言った。

「これでは狂魔化の完了は必至だな。だが急ぐに越したことはない。行くぞ」

 ボスに習って全員早足で休憩室を後にした。

 だがボス以外はそれぞれ個室に入っていった。

 防護クリームだ、と泉はまだ冴えない頭を働かせて何とか察した。

 しかし車に乗る時、泉は自分だけ薄着なのに気付いた。防護クリームのことに集中しすぎて忘れていたのだった。

 こんな極寒の中狂魔と戦うか、それとも今から引き返した方がいいのか、泉が逡巡していると、佐川が声をかけてきた。

「あたし、何枚も上着持ってきてるから、車の中で何枚か渡すよ」

「え、あ、ありがとうございます」

 泉は佐川の優しさに心から感謝しながら車に乗った。





 車は猛スピードで走ったが、赤い円の淵で止まるまでには三十分かかった。

「こんな時間だ。人がいたらどんな奴でも怪しめ。多少の無礼は許す」

 ボスの声と同時に全員車を降りた。

 小塚と佐川は円の中心に向かって駆けていった。

 真っ暗な道路を歩きながら隼人が泉に訊いた。

「夜はもう慣れた?」

「はい、一応は。とても寒いですけど」

「円はもう動いてる。どこから現れてもおかしくない。気をつけて」

 泉、栗原、隼人は周囲の怪しいところを時々照らしながら歩いていった。

 車から降りてまだ数分と経たないうちに、トランシーバーに報告が入った。小塚と佐川が通りでホームレスらしき死体を一つ見つけたようだった。

 やはりもう狂魔は殺戮を始めている。

 泉たちはよりいっそう注意深く物陰や屋根の上を照らした。

 やがて青い街灯がぼやけ始めたかと思うと、小雨が降り出した。

「……早く見つけないとな」

 隼人が呟く。

「誰かいる」

 不意に栗原が前方にライトを向けた。

 ライトに照らされたのは、まだ年若いサングラスをかけた女性だった。

 泉は何か違和感を感じた。

 栗原と隼人は同時に銃を構える。

「こんな時間に何をしている」

 栗原が詰問する口調で尋ねた。

「仕事で遅くなっちゃったのよ」

 相手は冷静に両手を上げて答えた。

「サングラスを外していただけますか」

 今度は隼人が言った。

「眩しいんだけど」

 女性は不愉快そうにサングラスを外す。

 栗原は直接目に当たらないようにライトを少し下げた。

 女性の目は赤くはなかった。

 栗原と隼人は丁寧に謝って女性に歩み寄る。

「自宅は近いですか?」

 栗原が訊いた。

「微妙なところかしら」

「今この辺りを殺人犯がうろついています。速やかに近くの家に避難していただきます」

「お願いするわ」

 栗原が前、泉と隼人が後ろで女性を三角形に囲む形で四人は歩き出した。

「お仕事は何をされてるんですか?」

 隼人が女性に声をかけた。

「仕事のことなんか考えたくないわ」

 女性は急に苛立った様子を見せる。

「それより、家に入れてくれるんじゃなかったの? ここ、もう家なんかほとんどないわよ」

「その前に」

 隼人が厳しい口調で言った。

「服の中に隠してるものを出してもらえますか?」

 四人は足を止めた。

「鋭いのね」

 女性は言い終える前に服の中からナイフを取り出して栗原の背中に刺した。

「栗原さん!」

 泉は反射的に叫んでいた。

「どいてくれ!」

 栗原はそう言ってナイフが刺さったまま振り向くと、女性の眉間に銃を突きつけた。

 女性はもう片方の手を動かそうとしたが、横から泉に捕まえられた。

 女性の表情が変わり、狂ったように叫んだ。

「あの子のため……! あの子に代わって私は……!」

(私はあの子を愛せないお前らクズ共を、みんな殺してやる!)

 泉は女性の手に異常な筋力を感じた。だがそれも一瞬のことで、静かな発砲音と共に女性の眉間に穴が開き、女性は倒れた。


 どうして? どうしてあなたたちは、あの子を愛してあげられないの?


「やっぱり……この人は理性崩壊型の狂魔だったんですね」

 泉はまだ信じられないというように女性のきれいな瞳を見ていた。

「安藤さんが気付かないで危ないことするんじゃないかってひやひやしてたよ」

 隼人が泉の方を見て言った。

「こんな寒いのに薄着だったから、血の付いた上着をどこかで捨ててきたんじゃないかってことは想像できましたが……」

 泉は実際のところ確信はできていなかったが、ボスのどんな奴でも怪しめという言葉を思い出さなかったら、迂闊に近づいていたかもしれなかった。

「でも……目は……」

 泉は、女性が車に乗る前の自分と同じで妙に薄着なのには気付いたが、瞳が赤くなっていない理由はわからなかった。

 栗原が女性の眼球に手を伸ばした。

「これだ」

 栗原はひとさし指の上にのせたものをライトで照らした。

「やっぱりか」

 隼人は予想していたように言った。

「これ、なんですか?」

「安藤さん、コンタクトレンズ知らないの?」

 隼人が目を丸くする。

「あ、もしかして、目に入れるとものが見えやすくなるっていうあれですか?」

「まるで噂ぐらいには聞いたみたいな言い方だね」

「あたしの学校は田舎なので、友達みんな目がいいんです。だからコンタクトレンズどころかメガネかけてる人もいないんですよ」

「それ、田舎なのと関係あるのかな……」

「それより、たぶんこの狂魔は、コンタクトレンズで目の色を変えていたから赤く見えなかったんだよ」

 栗原が女性の目もとに光を当てながら言った。

 コンタクトレンズを取り出した方の女性の目は真っ赤に充血していた。

「そんなことできるんですか?」

「まあね。でも、狂魔がわざわざコンタクトレンズをつけてから殺しを始めるなんて、かなり奇妙な話だ」

 ここで泉は思い出したように栗原の方を向いた。

「栗原さん、怪我は?」

 栗原は大丈夫と言って血の付いていないナイフを外すと、背中からナイフで深い亀裂の入った、もう使えそうもない黒い機械を取り出した。

「トランシーバー……」

 泉は安堵の溜息をついた。

「報告は俺の方からしとくよ」

 隼人が自分のトランシーバーを取り出して言った。

 その後、小塚と佐川が血の付いた上着を見つけ、連続殺人事件の被害状況の確認という名目で、周辺の家を一軒ずつ確認した。

 しかし、何度インターホンを鳴らしても出ない家が何軒かあり、中に入って確認した結果、合計十九体の死体が見つかった。通りで殺されていたホームレスも含めると、今回の狂魔で二十人の一般人が犠牲になったことがわかった。





「寒かったー」

 手をこすりながら休憩室に入ってきた佐川が愚痴をこぼした。まだコートを羽織っている。

「お疲れ様」

 隼人が労いの声をかけた。

「みんなが車で待ってる中、空が明るみ始めた一番寒い時間に一軒一軒警察のふりして被害状況を確認してたんですよー」

 怒った様子で愚痴をこぼす。

「まあたいした数あるわけでもないし、一番近かったからね」

 隼人は同情するような口調で言った。

「すみません。あたしが上着を借りちゃったから……」

「そんなのは気にしないでいいよー」

 泉が申し訳なさそうに俯いて謝り、佐川はそんな泉を慰めるように努めて元気そうな声を出した。しかし、泉はそれでもだいぶ気にしているようだった。

「それじゃあ、あたしの給湯ポットの机にティーバッグあるから、それでお茶を淹れてくれる? それでチャラにしよ」

 泉は大急ぎで、かつ丁寧にお茶を淹れてきて佐川に渡した。

「んー、いいねー。あったまる。それにおいしい」

「祖母からお茶の淹れ方を教えてもらったんです」

 家でよくお茶を淹れていた泉は、おいしいお茶の淹れ方を祖母流ではあるが心得ていた。

「いいおばあちゃんねー。泉ちゃんも飲んで。あったまるよ」

「ありがとうございます」

 小雨で濡れていたせいもあって、まだ寒く感じていた泉も自分の分のお茶を淹れた。

「……おいしい」

 身体が温まるのも相まってよりおいしく感じた。

「そう言えば栗原さんは……? それに小塚さんも」

 泉が周りを見回しながら呟いた。

「栗原は念のため怪我とかないか診てもらうようボスに言われてたよ。今頃、もうシャワーでも浴びてるんじゃないかな。小塚は一匹狼だから……どこだろうな」

「そうですか……」

 泉は、今回は誰も怪我をしていないらしいことに安堵し、ソファで毛布をかけてすぐに眠りに落ちた。


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