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狂魔伝  作者: ラジオ
第一章
7/67

story6‐‐因果‐‐

 小塚は訓練を終えて泉と別れると、『三七五』号室に向かった。

 ちょうど佐川が出てきて病室の扉がロックされる電子音が聞こえた。

「いつもありがとね」

 小塚に気付いた佐川が礼を言った。

「俺が好きでやってるだけだ。死ぬかさっさと帰るかどっちかにしろ」

 小塚はそっけなく言った。

「美奈子ちゃんには、もうあたしたちくらいしかろくに会いに来る人いないから……」

 佐川は暗い表情で呟くと、じゃあ、と手を振って去っていった。

 小塚はパスワードを入力して病室に入った。

「あ、平吾おにいちゃん」

 美奈子が満面の笑みを浮かべて小塚の足元へ駆け寄ってきた。

 小塚は美奈子を軽々と抱え上げた。

「さっき蘭子さんが来てたんだよ。二回続けてお友達に会えるなんて今日はいい日だね」

「そうだな」

 小塚は休憩室では決して見せることのない穏やかな表情で言った。

「このまま病気も治ってママやパパにも会えるといいなー」

 小塚の表情が変わり、何かをこらえるように目を閉じた。

「君の……家族は……」

「平吾おにいちゃん、どうかしたの?」

 小塚は慌てて言った。

「な、何でもないよ。さあ、おにいちゃんがまたおもしろいアニメを見つけてきたから、一緒に見るか?」

「やったー」

 美奈子は小塚の腕の中で元気そうにはしゃいだ。





「あの、ここに加わるのは構いませんが、学校や友達、家族には何て言うんですか?」

 泉は廊下を歩きながら思い出したようにボスに訊いた。

「彼らには、君が大事な仕事をすることになったとだけ伝える。たまには家に帰っても構わんぞ。友達にも会いたいだろう。それから」

 ボスは優しく微笑んで言った。

「これからはボスと呼んでもらおうか」

「はい、ボス」

 泉も笑顔で頷いた。

 休憩室に入る手前で佐川が反対側から現れた。ボスは軽く手を振って先に休憩室に入り、泉は外で待って声をかけた。

「佐川さん、どこに行っていたんですか?」

 佐川は俯き、顔に同情の色を浮かべて言った。

「ちょっと、狂魔化患者のところへね」

 泉は少し驚いたような顔をした。

「あ、ちょうどあたしも狂魔化患者さんのところへ行ってたんですよ。かなり変わった人でした。佐川さんが会ってた人はどんな方なんですか?」

 佐川の表情はさらに沈んだ。

「狂魔を直接見た人は、強制記憶消去剤っていうので一週間分くらいの記憶を消されることになってるんだけどね」

 急に深刻そうな話になり、泉は固唾をのんだ。

「あたしが今会ってきた幼い女の子は、それで記憶を消されて、家族が狂魔に殺されてるのも忘れたの。病気で入院してて、今はまだ家族には会えないって言ってあるの。もう半年も一人ぼっちなのよ」

「本当のこと教えてあげられないんですか?」

「できるわけないでしょ!」

 急に佐川が声を荒げて泉はびくりと身体を震わせた。

「あの子……もう第二段階のぎりぎりまで狂魔化してるのよ……本当のことを教えてあげて……狂魔化進んじゃったらどうするのよ!」

 泉は固まった。佐川の大声のためではなく、自分の浅はかさに絶望を感じたからだった。

「あたし……ごめんなさい……」

 音を遮断する金属の大きな扉の前で、泉と佐川はくず折れて泣き出した。





「次は一対一だ」

 小塚は、トレーニング用器具がすっかり取り除かれ、代わりに置かれたベンチから立ち上がりながら言った。

「俺を狂魔だと思って倒しに来い」

 泉は素直に従ってボックスの中に入った。

「来い」

 小塚は何も構えず棒立ちのままだったが、顔には余裕の表情が窺えた。

 泉は一度息を吐いて呼吸を整えてから、死んだ祖父が幼い頃に伝授してくれた秘伝体術の高速攻撃を仕掛けた。が、小塚は全て軽々と、しかも常にぎりぎりの距離でかわした。

 さらにスピードを上げて腕を突き出したが、結局どれだけスピードを上げても、小塚には一度もかすることなく、先に泉の方が体力切れした。

 泉は膝に手をついた。呼吸が乱れている。

「今のお前の突きじゃいくらやってもだめなのは理解できたか?」

 ゆっくり深呼吸してから泉は答えた。

「はい。もっとスピードを――」

「違う」

 小塚が遮った。

「少し休んだら今度はお前が狂魔役をしろ」

 ボックスを出た小塚はベンチで膝を立て、携帯のイヤフォンを耳にはめた。

 スピードを上げる以外に相手に攻撃を当てる方法と言われても、泉は今までそんなことを考えたことはなかった。

 だが、小塚が耳からイヤフォンを外すまでには一つだけわかった。

 休憩が終わって小塚が立ち上がると、泉は他の答えを小塚の攻撃を見て直接探そうと決めた。

「いくぞ」

 ボックスに入った小塚は姿勢を低くして構えた。

 泉も避けやすい態勢になって構えた。

 小塚の一発目の拳は見切れる速度だった。顔をそらして避け、二発目も身体を後ろにそらしてうまくかわした……つもりだった。しかし気付いた時には三発目が回避不可能な方向から繰り出されていた。

 泉の顔に触れる直前で小塚の拳は止まった。

「今見たアニメに出てくる女が、女は顔が命だと言っていた……」

 泉は時間差で身体中から冷や汗が噴き出すのを感じた。

「最後の一発は見えていたか?」

 泉は小さく首を振った。

「そうか。もう少し落とすべきだったな」

 小塚は呟いた。

「じゃあ、俺の最後の一発はどうやって生まれたかわかるか?」

 泉は考え込むように俯いた。

「あたしが避けた時、回避し切れない攻撃の方向を作ってしまった、ということですか?」

「正解だが五十点だ。答えはもう一つある」

 泉とたいして身長の変わらない小塚が、大人ぶった口調で言った。

「攻撃の速度だ。俺は最後の拳だけ瞬間的に少しスピードを上げた。だからお前は避けられなかった」

 泉は納得した表情でなるほど、と小さく呟いた。

「お前の攻撃は確かに速いが、一度見れば狂魔ならその後は軽くかわせるようになる。あいつらは距離によっては、拳銃を握る指の動きを観察して、弾丸すら避けちまうからな。大事なのは……」

 小塚はもったいつけるように一度切ってから言った。

「相手の物理的に回避しづらい方向を見極め、そこに爆発的にスピードを上げた一撃を見舞ってやることだ。お前の場合は内臓をいくつか破裂させるくらいの筋力を一時的にでも生み出すことがカギになるだろう。特にこの前みたいな理性崩壊型はな」

「理性崩壊型って……何ですか?」

「新人のナス野郎はまだ知らねえのか……」

 泉はたまに小塚の口から出る暴言にまだ慣れず、身体がビクッと震えた。

 小塚は面倒くさそうに溜息をついた。しばらく思案してから説明を始める。

「狂魔は狂魔化の原因となるストレスによって、二つの種類に分類される。一つは本能崩壊型。本能的に殺戮衝動が生まれる。二人のうち片方でも拳銃をもっていれば十分対処できる。だが俺たちの到着が遅れれば、力任せに暴れる分、一般人に甚大な被害が出る。もう一つは理性崩壊型。理性で人を殺そうとする。こっちはどうすればより多く、より残酷に殺せるかを考えて行動する。組織の被害は主に理性崩壊型の狂魔による。お前らは三人がかりでも危なかったそうだな」

 泉はあの夜のことを思い出し、思わず鳥肌が立った。初めて夜の町を歩いて、そして殺されかかったあの恐ろしい夜。確かにあの女性の狂魔は隠れたりうまく隙を作ったりと、三人がかりでも圧されていた。小塚が来ていなければ泉の命もなかっただろう。

「だが、理性崩壊型に銃はほとんど通用しない。俺やお前のような接近戦タイプがどうにかするしかない」

 泉は、自分がもっと強ければ栗原にあんな怪我をさせることも、隼人の手に穴を開けることもなかったんだと思った。自分の弱さを呪いたくなった。

「やることはわかったか? 物理的に回避しづらい方向を見極めること。そして瞬間的に筋力を増強し、スピードを上げた一撃を見舞うことだ。俺がわざと隙を作ってやるから、後はお前が自分でやってみろ」





 栗原は『〇〇八』号室のインターホンを鳴らした。

「お、栗原か。入れよ」

 個室の扉を開けて出てきた隼人が言った。

 栗原は誘われるがままに隼人の個室に入った。

「それにしても久しぶりだな、こうして部屋にお前を招くのも。最近は特に忙しかったからな」

 隼人がソファに腰を下ろしながら言った。

「お前も変わらないな。と言うか、少し増えたか?」

 栗原は、部屋の壁際にいくつも並べて置かれている書棚に目を向けていた。無数の本が詰まっている。古今東西の小説、鉄道や妖怪と言ったマニアックな図鑑、さらには分厚い辞書や学術書まである。

「ああ。町に行くとつい書店に行きたくなるんだ。最近は小説家も少なくなってて、そういう本は貴重なんだぞ」

「読まないくせに偉そうなことを言うな」

「いやいや、俺の趣味はあくまで本を集めることだ。読書じゃない」

 隼人はまるで誇るように胸を張って断言した。

「だから偉そうなことを言うなと言ってるんだ。だいたい、なぜ辞書まであるんだ?」

 栗原は書棚の一番下の段に詰められた辞書を指差した。

「それ、前話さなかったっけ? 忙しくて長い間本を読んでいないと、辞書まで本に見えてくるんだ。だから集めたくなっちゃうんだよ」

「あー、確かに聞いたことがあるような気がするな」

「おいおい、大丈夫か?」

 隼人の心配をよそに、栗原は気になったものでもあったのか、書棚から一冊の書物を取り出した。

「なあ、隼人。一つ質問をする」

 栗原は隼人の向かいのソファに座って、取り出した書物のページを繰りながら呟いた。

「……お前は何のために生きている?」

 隼人がかっと目を見開いた。栗原の読んでいる書物の題名を盗み見ると、そこには『人生伝』とある。いかにも哲学者の興味を惹きそうな名前だった。表紙の作者名は『ヒロ』。

「俺が生きている理由か……狂魔を駆逐するため……かな」

「それは小塚だ。別にお前一人がいなくても、狂魔は小塚だけで十分片付けてくれる。僕たちはあくまでその手伝い。僕が訊いてるのは、お前がなぜ生きているのか、何のためにこの世に生を受けたのか、ということなんだ」

「そんなの、天上の神様しかわからないんじゃないか?」

「じゃあ、お前はこの世に、何か意味をもって生まれたと思うか?」

「さあな。特に意味なんてないのかもな」

「じゃあ、何でお前は生きている? 意味がないならさっさと死んで、別の世界でちゃんと意味をもって生まれ変わればいいと思わないか?」

 隼人が目をつむる。

「……俺はあんまりそういうことを考えないな。別に意味なんかなくても、普通に楽しく生きて、できれば寂しくないように死ねれば、それでいいと思ってる」

「今そういう質問をされてそう答えるのは、今現時点でそいつが『幸せ』だからだ。人間は世界中にたくさんいる。自分が何のために生きているのかわからなければ生きていけない人だっている。それくらいに周りでつらいことがあり、傷つき、そして死を望む不幸な人間が、確かにこの世に存在する。僕は実在するそんな少年を一人知っている。彼も、自分が何のために生きているのか、一体どんな意味をもってこの世に生まれてきたのか、一人で考えていた。しかしわからなかった。周りの人間も、お前がさっき言ったように、『そんなことはだれにもわからない』だの『人が生きるのに意味なんてない』だの言って撥ねつける者しかいなかった。でも、少年にとってはそれがわからなければ生きていたくない、生きていけない、そんな世界だった」

 ふと栗原が顔を上げた。

「そんな人間の行きつく先が何か、わかるか?」

 しばらくの間を空けてから隼人がゆっくり口を開いた。

「…………狂魔…………か?」

「そうだ。僕たちの今いるこの世界は、狂魔という恐ろしい存在によって危険に晒されている。それじゃあ、狂魔を生み出す根本的な原因は何だと思う?」

「…………わからない」

「『幸せ』な人間だ」

 栗原は再び書物に視線を戻した。

「彼らが少年のような存在に生きていたくない、生きられないと感じさせているんだ。人間は、自分が『幸せ』でありさえすれば、赤の他人はどうなろうと構わないと思う。そういうふうに作られているからな。現にニュースで、知らないだれかが殺された、なんて報道があったとしても、涙を流す者はいないだろう。でも、それがいけないんだ。僕が知るその少年は、他の人間が自分と同じようなことを考えていないことくらい、すぐに気付き、自分が異常であることを認識する。そして不幸を自覚し、絶望した彼のような人間がとる道は『死』以外にない。だが、ここで、もしもみんな自分と同じように考えていることを少年が知ったらどうなる? 『人はなぜ生きるのか』、『何のために人は生きるのか』、明確な正しい答えが存在しないこれらについては、絶対に考えてはいけないパンドラの箱だ。いずれ死を望むようになってしまう。でも、逆に全ての人間がこれらのことを考えているとお互い知ることができたら、人はそこに答えを見出せなくても、死を望むことはなくなるだろう。人は、だれかが死んだとニュースで知ったら、泣かなければならないんだ。それが赤の他人でも。そういうふうに作られているなどと言い訳している暇はない。そうしなければ、いずれ近いうちに、彼らが行きつく先の存在――狂魔によって訪れるであろう人類滅亡の危機を、未然に防ぐことはできない。崩壊しかけているこの世界を救うには、人が自ら心を変えるしかない」

 栗原は再び顔を上げて隼人を見た。

「……というのが、この本に書かれている大雑把な内容だ」

 しばらく沈黙が続いた。

「…………そう……なのか……」

 隼人の視線が悲しそうに伏し目がちになる。

「お前はどう思う?」

 栗原が尋ねる。

「人類滅亡の危機……いつか訪れる時が来るなら、それはきっと人類が道を誤ったんだろう。その時は、俺は素直に受け入れればいいと思う」

 隼人と栗原の視線が交錯する。

「僕の意見は……聞きたいか?」

 隼人はしばらく黙っていた。

「……いや、いいさ」

「そうか……」

 栗原は書物を棚に戻し、扉の方へ向かった。

 そして腕を上げて伸びをする。

「最近眠りが浅いらしくてな……疲れてるんだ」

 栗原は口元に手を当てて欠伸をした。両の目から涙が流れた。

「そんなに涙が出るほど眠いのか?」

 隼人は言いながら扉を開けに行く。

「ああ」

「そんじゃ、またな」

 隼人がそう言うと、栗原はそのまま自分の個室に戻っていった。

 隼人はもう一度栗原が読んだ書物を開いた。

 細められた隼人の目が紙の上の文字を追っていく。

 一人の少年の人生を軸に、世界の崩壊と人の心のことについて綴られている。単語一つ一つは簡単だが、一般人には共感できないはずの何の根拠もない例えや表現が多用されている。文章の中のこの少年の気持ちを、たった一行でも理解できる人はいないであろう代物だった。


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