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狂魔伝  作者: ラジオ
第三章
61/67

story60‐‐狂魔と人間、正義と悪、絶望と幸福‐‐

 中央の天井にはめ込まれたステンドグラスから、青白い月光が降り注ぐ。二人の天使は満面の笑みで逃げ惑う市民に矢を放っていた。天使が悪いのか、市民が悪いのか。しかし、市民は心の底から天使を恐れているように見える。天使の笑みは残虐性を意味するのだろうか、それとも他の何かを意味するのだろうか。

 教会に入った小塚に、合計十五の銃口が向けられていた。それぞれステンドグラスから差す光に対して背を向けているため、顔は窺えない。

「こんばんは、君が小塚平吾か」

 右側の数段高くなったところから男が嘲笑的な口調で言った。

 その柔らかな口調とやや低めの声質。小塚のよく知る声だった。

「よお。久しぶりだな、ヒサト」

 小塚が軽く挨拶でもするように返す。

 左半分だけ照らされている男の表情が一変して硬くなった。

「どうして……僕の名前を……」

「お前はやっぱり、どこにいてもリーダーなんだな」

 ヒサトの顔がさらに強張ったものになる。

「リーダー…………リーダー?」

「ヒサト、しっかりして」

 隣の女が頭を押さえるヒサトに声をかける。

「きっとヒサトの名前はどこかで偶然知ったんだよ。そんなことより、蒼井さんに言われたことをちゃんと思い出して」

 ヒサトは我に返ったように再び小塚に視線を移す。

「そうだった。悪い。小塚平吾は蒼井さんの命を狙う敵。僕たちがここで殺さなきゃいけない」

 ヒサトが小塚に銃を向ける。開け放した扉から風が吹き、ヒサトの無造作に伸びた長い黒髪が揺れた。顔の右半分が露になった。

 真っ赤に充血した眼。それは紛れもなく狂魔のそれだった。

「なるほど。ここにいるのは蒼井たちの実験で失敗したやつらってことか」

 小塚はひとみを調節して十五人全員の顔を観察した。片目だけやや赤く染まっている者、両目ともほとんど真っ赤に染まっている者、それぞれバラバラだったが、だれ一人両方とも正常な眼をもっている者はいなかった。

「君に怨みはない。でも、僕らの命の恩人である蒼井さんを殺そうとしているなら、容赦はしない」

 ヒサトの引き金にかける指に力が入る。

「狂魔化しても、もともとのお前の優しい性格はそのままだな。だが、お前のその優しさを向けるべき相手は、決して蒼井なんかじゃない」

 そう言うと、突如として小塚の視力、聴覚、嗅覚、あらゆる感覚が研ぎ澄まされ始めた。小塚の耳は自分の心臓の音を捉え、狂魔の血が混ざった血流の音を聞き取り、周囲の人間の引き金を引く音を聞き分ける。そして小塚の双眸は、銃弾の弾道とそれらの隙を見通し、最後に脳が一つの戦術を組み立てる。

 小塚は最初に引き金を引いたヒサトの銃弾が発射される直前、背中の黒い刀を一本引き抜き、姿勢を低くしてまっすぐ走り出した。

 ヒサトの銃弾は硬い床の表面をはじく。

 正面の者たちが走ってくる小塚に照準を合わせる瞬間、大きく跳躍して彼らを飛び越える。

 着地と同時に刀を左の方へ投げ飛ばした。

 刀は二本の頑丈そうな巨大な柱をいとも簡単に貫いた。柱は二本とも砂埃を上げて崩れ落ち、教会の片側の視界が完全に阻まれる。

 彼らが視線を戻した時には、すでに小塚の姿はなかった。

 砂埃の中で、一つの影が電光石火のごとく動き回る。

 しばらくして砂埃が晴れた時には、十五人の孤児のうち九人が床に倒れ伏していた。あたりに彼らが使っていた銃や刃物が散乱している。全員大きな外傷はなく、身体のどこかにナイフや針が刺さっているだけだった。

 現れた小塚の肩や腹部には、砂埃の中で刺されたのか、いくつもの刺し傷ができている。

「あと六人か。もう目眩ましは必要ないな」

 小塚は両手に二本の黒い刀をもって残っている彼らに向かって走り出した。

「舐めるなぁ!」

 女の一人が猛り狂って銃を連続で発砲した。

 小塚は頭部への銃弾を真っ白な左腕ではじいたが、二、三の弾は腹部を貫通した。

 小塚はまるで気にする様子もなく、全ての敵の銃を瞬時に切り落とした。

「くっ!」

 彼らは、今度は懐から刃物を取り出した。

「お前らなぁ、剣士に剣で挑むとはいい度胸してるな」

 小塚が華麗な剣さばきで彼らの刃物をはじき、次々と相手に催眠性の薬品を打ち込む。

 殺してこそいないが、まさに瞬殺だった。

「全員眠ったか?」

 入口の方から声がした。

「ああ。早く治療してやってくれ」

 扉から入ってきたのは、飯島とその部下数人だった。

「お前たちは眠っている彼らをすぐに研究所に運んでくれ。私はもう少しここに残る」

 部下は「はい」と返事をして深い眠りに落ちた彼らを教会から運び出した。

「君もかなりの深手を負っている。治療が必要だ」

「なるべく早く済ませてくれ。佐川と安藤の方にも向かわなきゃいけないんだ」

「わかっている」

 飯島と小塚は埃っぽい教会の外に出た。

 飯島は深刻な顔をして小塚の応急処置を開始する。

「……蒼井を止められそうか?」

「蒼井の国崩しの計画は、一応未遂に終わったらしい」

 小塚はばつが悪そうに顔を伏せた。

 その様子を目にした飯島が、

「だれか犠牲者が出たのか?」

 と、恐る恐る尋ねる。

「宝永が死んだ」

 一瞬、飯島の手が止まった。

 そしてすぐに治療を再開する。しかし、その手は先ほどよりもいくらか力が抜けたように軽かった。

「……そうか」





「ボス!」

 捧尽が叫んだ。

「……ぁ……」

 呻く泉の口から血が流れる。

 泉は腹部を蒼井の刀で貫かれていた。

「……あの程度のことで怒れるなんて、君は何て罪深い人なんだ」

 聞き覚えのある言葉だと思った。それは以前、怪物と化した泉が小塚に言い放った言葉だった。本当の絶望を知った人間は、愛や希望、人間として生きるための全ての源を失い、もはや怒ることすらできなくなる。怒ることのできる人間は幸せ。そして幸せであることこそが、絶望を知る人間への罪。

「確かに、生き物は感情を糧にして本来の数十倍の力を発揮できる。そして今の君もそれくらいの力を得たのだろう。だが……」

 蒼井が泉に顔を近づけた。

「僕のこの世への怨みは、そんなものじゃない」

「この世への……怨み……」

 呟く泉の目は虚ろだった。

「あの程度でむきになれる君ごときには、到底理解できまい」

 蒼井は少し歩き、星の瞬く空を仰ぎ見た。

「さて、人払いは済んでる。これならだれかに気を遣う必要もない。今度は僕から君の意見を聞こう」

 そう言うと、蒼井は泉の方を向いた。

「病室で君に言っておいたね。狂魔が悪か正義か、君の意見を知りたい、と。今からその答えを聞こうじゃないか、安藤泉」

「……狂魔は」

 泉が途中で考え込むように切った。

 蒼井は黙って言葉を待つ。

「少なくとも、正義では……ありません」

 蒼井の表情に特に変化はない。

「じゃあ、狂魔は悪か?」

 泉はしばし目を閉じ、意を決してから口を開いた。

「人間が生んだ悪です。でも、きっと狂魔自体に罪はありません」

「じゃあ君は、君の家族を殺した親友に罪はないと言っているのか? 狂魔はどれだけ人を殺しても、彼ら自身に罪はないと? それとも、彼らを生んだ僕が全て悪いのかな?」

 泉の表情が沈む。

「あたしには、そこまでのことは――」

「答えを出せ!」

 蒼井が鬼の形相で怒鳴った。その声は空気にとどまらず、大地や生物、この世の全てのものを震わせたようだった。

 泉は気圧され、立ちすくむ。

 蒼井は叫び散らした。

「お前らはいつもそうやって自分にはわからない、答えは存在しないだのとほざきやがる! 僕たちにはその答えが必要なんだよ! お前たちが答えなければ、それはつまり僕たちの存在そのものを否定することになる! 僕たちを生んだのはお前らだろう! そのお前らがどうして僕たちの存在を否定する! 僕たちが悪だと言えばいいだろう! お前らが僕たちを悪だと叫べば、僕たちは堂々と自分自身の正義を貫いてこの世界を破壊してやる!」

 蒼井はしばらく沈黙した後、泉に問うた。

「もう一度訊く。今度は答えを出せ。狂魔は悪か? それとも正義か?」

 泉は足もとを見つめていた。

 くるぶしに届くくらいしかない短い草が、まっすぐ空に向かって生えている。重力に逆らい、天を目指す。その先に待つ楽園を夢見ながら。

 狂魔と人間。どちらが正義で、どちらが悪?

 人間はだれしも自分の幸福を望む。だから他人のことなど考えもしないで幸だけ取っていく。取り遅れた人たちは、大量の不幸を抱えなければならなくなる。

 一番の罪は、幸をもった人間たちが、不幸を抱える人間たちの苦しみ、孤独に気付かないこと。

 そして不幸を抱える人間たちは、彼らから異物とみなされ、淘汰される。

 そんな世界は果たして正しいのか?

 人は何のために感情をもった?

 人の心は一体何のためにある?

 今の世界は間違っている。

 狂魔はそれを正す者。この存在してはならない世界を崩壊させ、一からやり直そうとする者たち。

 狂魔と人間。どちらが正義で、どちらが悪?

 最初から、答えは一つしか存在しない。

「狂魔は……正義。人間が……悪」

 泉はぼそぼそと呟いた。

 悲しみに満ちた顔を上げ、今度は蒼井に向けてはっきりと言う。

「狂魔は正義で、人間こそが悪です。あたしたち幸せな人間が、苦しむ人たちの存在に気付けず、絶望させ、そして狂魔を生み出した。それがあたしたち人間の犯した最大の罪です。狂魔が人を何人殺そうが、悪いのはあたしたち。狂魔によって人が死んでも、狂魔によって人類が絶えたとしても、狂魔によって世界が崩壊しても、それは全て、あたしたち人間の罪の証です。こんな人間、狂魔に滅ぼされるべきです!」

 泉と蒼井の視線が重なる。

「……そうか」

 不意に蒼井は右腕を上げ、どこか遠くを指差した。

「見ていろ」

 泉が顔を向ける。蒼井が指差していたのは、湖を挟んだ向こう側の黒江町の町並みだった。

 そして突如、巨大な爆発が起きた。

 空まで上る赤い炎と黒い煙。一体どれだけの爆弾が爆発したのか、宝永が死んだ時とは比べ物にならない規模だった。

「何……を……」

 泉は言葉を失って唖然としていた。

「人間は狂魔に滅ぼされるべき、じゃなかったのか? だったら、僕が黒江町を消しても、それは君たちの罪なんだろう?」

「そんな……」

「結局君は、内心では狂魔が正義だなんて思っていないんだ。そう言えば僕らの絶望を理解できたかのように感じる、だから思ってもいないことを口にした。それを自己満足と言うんだ」

 蒼井が今度は左腕を地面と平行に上げた。

 反対方向で再び巨大な爆発が起こる。

 泉は言葉にならない呻き声を上げた。

「君たちが夏を迎えるにあたって準備している間、僕が何もしていないと思っていたのか? この爆弾は僕の感情物質に反応して爆発するように作ってある。安藤泉、君は自分の故郷のことをどう思う? もちろん君にとっては生まれ育った大事な故郷、そう思っているだろう。でも、僕はだからこそ、この町を廃墟ごと破壊する。それが国崩しを失敗した今の僕の野望。実は最初から、僕と兄さんの野望は異なっていたんだ。僕はこの世界を滅ぼす。兄さんは人間に絶望を味わわせる。国崩しが失敗してから、僕らは感情物質でやり取りをして、お互い別々に自分たちの野望を叶えることにした。兄さんはもとの計画通り、栗原京を狂魔化させ、人間を代表して僕らの味わった絶望を教える。そして僕は、この黒江町を葬り去る」

「……どういう……こと? あなたのお兄さんは……」

 泉が目を見開く。

「まさか……」

 蒼井が小さく笑みを浮かべた。

「栗原京じゃない」





 隼人の身体が弾道からそれていく。

 まるで佐川が撃つタイミングから、アレが弾を避けることまで全てわかっていたかのように。

 佐川はただ口を薄く開いたまま呆然とその光景を目にしていた。

 頭の中に、数年前のまだ佐川が組織に加入したばかりの時の記憶が蘇る。


 本部の射撃場には、栗原と隼人の姿があった。

 二人は佐川の銃の腕前に舌を巻いていた。一度も握ったことがないはずの銃を臆することなく構え、そして射撃に至っては先輩の彼らをも圧倒していた。

「もう一度見せてくれないか?」

 栗原が頼む。その時から栗原は、人を包み込むような優しい雰囲気を醸し出していた。

「俺もちょっと気になるところがあった」

 隼人にもそう言われ、褒められて有頂天になっていた佐川は、二人の先輩にもう一度自分の射撃を見せた。

 その後もさらに何度か射撃を繰り返した。

『やっぱりな』

 二人の声が重なる。

「でもまあ、実戦で支障は出ないだろう」

 隼人が佐川の射撃に微妙な問題でもあるかのように言った。

「そうだな。とりあえず、もう少し様子を見てもいいだろう」

 結局その日は、佐川の射撃の何が問題なのか、二人は教えてくれなかった。

 佐川はしばらく狂魔との実戦経験を積んだ後、再び射撃場で栗原と会った。

 そして尋ねてみた。

「あの、栗原さん。この前あたしの射撃を見てもらった時、何か問題でもあったんですか?」

 ああ、と栗原は忘れていたというような声を発した。

「そんなに心配することでもないんだよ。たぶん、佐川さんが気付いてないところを見れば、おそらく癖のようなものだと思う」

「癖?」

「そう。狂魔との戦闘には特に影響はないと思うから、そこまで気にすることはないんだけど……」

「教えてください!」

 佐川はまっすぐ栗原の目を見て訴えた。心の中に不安を残して過ごすのは嫌だった。

 栗原は参ったというように微笑を見せる。

「それじゃあ、一発だけでいいから、もう一度撃ってみて」

「はい」

 佐川は言われるままに、人型の的の頭部を的確に撃ち抜いた。

「佐川さんの癖は、構えてから必ず0・5秒ジャストで一発目を撃つことだよ」

「一発目を……構えて0・5秒で……」

「そう。でも狂魔が佐川さんに撃たれたら、まず間違いなく頭部を撃ち抜かれるから別に実戦で気にすることでもないよ。それに、無理に直そうとして射撃の精度が落ちても困るし」

「そう……ですか」

 佐川は少し落胆していた。自分の射撃には欠点などなく、完璧だと自負していた。

 栗原と隼人がそのことに触れなくなってから数年が過ぎ、佐川の記憶からも、まるで嫌なことは全て追い出そうとするように自分の癖の存在を忘れていた。


「栗原さん……」

 佐川はようやく目の前の狂魔が栗原京であることを認識した。

 そして同時に、その奥の人物がだれなのかわからなくなった。

 隼人は確かに佐川の銃弾を避けた。だが、いくら組織で訓練を積んだとはいえ、普通の人間にできる芸当ではなかった。小塚や蒼井のように狂魔や聖人の力をもってすれば可能だろうが。

「隼人さん……あなたは一体……」

 佐川の思考を遮るように栗原が振り向いた。もはやその目に、その表情に、栗原の意志は一切反映されていない。

 栗原はゆっくりと佐川の方へ歩いていった。長い爪の生えた指を慣らすように、パキパキと骨を鳴らす。

 佐川は一歩、また一歩と少しずつ後ずさる。恐怖で身体が硬直しているわけではない。栗原という一人の友人の前で、大っぴらに背を向けて逃げ出すなどという無礼なことができなかった。そんなことをすれば、この中にいるはずの本当の栗原に……

(本当の栗原さん?)

 佐川は不意に泉に頼まれていたことを思い出した。

 慌てて聖人化薬弾の入った拳銃を取り出す。

 一瞬顔に向けてしまったが、顔に撃って死んでしまっては意味がない。

 佐川は銃口を栗原の胸に向けた。

 癖のことを思い出し、銃を下げて呼吸を整える。もう栗原は目の前にいる。

(栗原さん……お願い。戻ってきてください)

 佐川は銃を構えると同時に引き金を引いた。

 弾は栗原の膨れ上がった胸の筋肉に深くめり込みんだが、どうやら実弾より威力が低いらしく、失敗に終わったようだった。

 栗原は弾を気にすることなく、刃物のように鋭利な爪を備えた手をすでに空高く振り上げていた。

 実弾の入った銃に変えて撃つ余裕はなかった。

 佐川の目に諦観の色が浮かぶ。

(ごめん、泉ちゃん。栗原さん、助けられなかった)


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