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狂魔伝  作者: ラジオ
第三章
60/67

story59‐‐それぞれの正義‐‐

 その叫びは、やがて獣の咆哮へと変わっていく。

 上半身が内側から膨張して服を裂き、どんどん膨れ上がっていく。まるで、筋骨組織が人間のものから他の何かへ変化していくようだった。途中から下半身にも異変が現れ始め、筋肉と骨の付き方が変わる。

「なに……これ?」

 泉の脳は「それ」が栗原であることを認めていなかった。佐川も同じらしく、絶句している。小塚は気味悪がるように眉を寄せていたが、隼人は眉一つ動かさない。

 かろうじて栗原は人の姿を保っていたが、どちらかと言えば、獣じみた霊長類という方が正しい表現と言えた。

 腕と胸は膨れた筋肉で赤っぽく染まり、足はチーターやトラを思わせるように細く締まっている。顔はやや赤く変色し、目はそれ以上に充血して神経が極限まで張り詰めているのが窺えた。歯は牙のように尖り、爪も容易に肉を斬り裂けそうなほど、細く鋭く伸びている。

「これが……狂魔化の第四段階」

 蒼井は叫び終わった獣を隅々まで観察した。

「これって……何? 急に……進化でもしたの?」

 ようやく口をきけるようになった佐川が呟く。

「いや、進化じゃない」

 口を開いたのは隼人だった。

『これは退化だ』

 蒼井と隼人の声が重なる。

 呆然としている泉たちに、蒼井が説明した。

「これは、筋骨組織の構成が変化し、人を殺すことだけに特化した狂魔の本来の姿。数千年前の太古の昔、人間は自分たちの利益のため、互いに争い合っていた。だがやがて、人々は争いで家族や恋人、友人が死ぬのをつらく思い始めた。多くの人間が強く『平和』を願った。それは長い年月をかけ、現代になってようやく脳の進化という形――つまり人類が豊かな感情をもったことで実現し始めた。しかし、結局『平和』は実現しなかった。偽の平和を知った絵の揃ったピースが、動くことをやめたからだ。太古の昔の人々が祈っていた願いは叶えられなかった。おそらく、彼のこの悪魔のような容姿は、太古の昔の人々の怒りを現代に体現したものだ。そして、この狂魔を制御できるのは、おそらく僕ら聖人だけだ」

 栗原はけたたましい咆哮を上げて暴れ出し、廃墟の建物を破壊しながらどこへともなく姿を消した。

 隼人が栗原を追って駆け出した。

「精神が安定せずに暴走している。まだ完全な第四段階には達していないようだね」

 蒼井は冷静に分析していた。

 泉がハッとしたように「隼人さん!」と叫ぶ。

「泉ちゃん、隼人さんはあたしが追いかける。泉ちゃんたちは蒼井に集中して」

 佐川は隼人を追って駆けていった。

「佐川!」

 小塚が叫ぶが、一足遅く、すでに佐川の姿はなかった。

「くそっ」

「小塚平吾。君は僕を相手にしている暇があるのか? 君には、僕や栗原京とは別に、戦うべき相手がいるだろう? 彼らなら教会にいる」

 小塚が泉を見やる。泉一人に任せて蒼井を何とかできるとは思えないようだった。

「行ってください」

 泉が小塚の方を向いて言った。

「蒼井に利用された孤児たちを助けるんですよね? まだきっとたくさんいるはずです。早く行ってあげてください!」

「お前一人を残してもこいつに殺されるだけだ!」

「一人ではありません。捧尽だっています」

「戦力になんてなるわけないだろう! 孤児たちならこいつを倒した後で向かえばいいだけだ! 優先順位は圧倒的にこいつの方が上だろう!」

「小塚さんは相変わらず頭が固いです」

 突如月の下に雲が現れ、大きな雲の影で泉の顔が隠れた。

「あたしは小塚さんを巻き添えにしないで蒼井を殺す自信がないと言ってるんです」

 雲が晴れ、再び泉は月明かりに照らされた。泉の憎悪の炎を燃やす目が小塚に向けられていた。

 小塚の身体中に冷や汗が噴き出す。

 あの時と同じ感覚だった。

 憎悪の対象が自分ではないことは小塚もわかっていた。しかし否が応でも、泉に襲われ、左腕を粉々にされた時の本能的な「死」の恐怖が蘇ってくる。

 今の泉の目はあの時と同じだった。よく考えると、宝永が殺されて走り出した時も、一瞬こんなひとみになっていた気がした。

 組織のメンバーの前では憎悪を抑え込んでいたようだった。

「……すぐに戻る」

 小塚は逃げるようにその場を去り、教会へと向かった。





 海堂は俯くリザべラを見つめた。

 リザべラは泣いていた。

「これからのことを考えると…………申し訳……ありません…………機械の……分際で」

 海堂の表情にやりきれない悲しみが現れた。

「それは言うなと何度も言っているだろう。私は君を機械だとは思っていない。正直に言ってしまえば、私は君を妻のように思っていたんだ。心をもった優しい人間だと……君のような妻と結婚できれば……それほど幸せなことは……ないと……」

 海堂の声がくぐもった。

 それにつられたようにリザべラも嗚咽を漏らし始める。

「……ありがとう……ございます」

「こちらこそ……今まで本当にありがとう」

 海堂は大きく深呼吸し、乱れた呼吸を無理やり戻した。

「それでは、そろそろ始めてくれ」

 リザべラは頷いた。

「初期化プログラム……実行します」

 リザベラの身体が淡く輝き始めた。彼女の頭の中に、消去されていく記憶が次々と蘇る。初期化までの時間は、リザべラにとっては地獄にいるようなつらさであり、同時に、海堂と過ごした全ての時間を振り返ることができる、この上ない幸せな時間でもあった。

「本当にすまない」

 海堂が謝ると、リザべラは微笑みを返した。

「海堂様の仕事は国を守ること……そして海堂様は……組織のメンバーでは……彼女たちでは……蒼井を止められないと……判断した……それだけの……ことです…………いつか……いつかもう一度……海堂様にお慕いできる日が来るのを……願っております」

 リザべラの身体の輝きが強くなり、徐々にその瞼が下がり始めた。

「いつか君が私のことを思い出してくれるのを、心から祈っている」

 リザべラの瞼が閉じ、一条の涙が流れるとともに身体の輝きが消えた。

 そして、すぐに再びカッと目を見開いた。だが、先ほどまでのリザべラの面影はまるでなかった。虚空を見つめるその曇ったひとみは、壊れた人形のように何も映してはいない。

「初期化プログラム、完了。コードネーム〈最後の遺物〉、起動します」

 リザべラの声だが、リザべラではない。

「対人用殺戮プログラム、起動します」





 佐川はもう隼人を見失っていた。

 隼人が走り出してすぐに追いかけたつもりだったが、角を二つ曲がったあたりで、どこへ行ったかわからなくなった。

「どうして一人でアレと戦いに行っちゃうの……隼人さん。無謀すぎるよ」

 佐川はあえて「栗原」という言葉をさけた。もはやアレは栗原とは別人。そもそも人ですらない。今の佐川は、アレを栗原と認識することは、理性でも本能でも不可能だった。組織にいた頃の優しい栗原は、もう消えてしまった。最初からいなかったのかもしれない。なぜなら、人間があんな化け物になるなど、この世の物理法則を完全に破っている。あり得ない。怪物と化した泉のことが頭に浮かんだが、あんなもの、まだかわいいものに思えた。

(そういえば、蒼井と隼人さん、アレは進化したんじゃなくて、退化したんだって言ってた。蒼井はともかく、どうして隼人さんにそんなことが……)

 その時、佐川の思考を遮るように比較的近くから建物が壊れる音がした。

 あまり離れてはいない。

 佐川は音がした方へ走り出していた。

(お願い……無事でいて、隼人さん)





「ここか」

 小塚は古びた巨大な建物を見上げていた。建物の上の方の先端部分に、立派な十字架がかけられているが、これもやはり古いらしく、ところどころ鳥につつかれたような跡がある。

 遠くから見た時は対した大きさには見えなかったが、いざ入口の扉の前まで来ると、真上から睨みつけられているような威圧感がある。だが、小塚に対してはあまり効果はないようだった。小塚が恐れを為すのは、蒼井の感情物質で完全に動きを封じられた時、そして怪物と化した泉の歪み切った目に睨まれた時に限られる。

 小塚はケースを置き、蓋を開いた。

 泉が使った武器もここに入っているが、これらに塗布されている薬品は、関水に頼んで催眠性のものにしてもらってある。

 孤児たちに罪はない。

 孤児たちを助けたい。

 小塚の孤児に対する思いはこの二つだった。

 小塚はトランシーバーを取り出した。

「おい、まだ到着しないのか? 俺はもう着いた。あんたも早く来てくれ」

『今向かっている。そんなにかからないはずだ』

 どこかで聞いた低い声だった。

「先に戦闘を始めている。数はかなりいるかもしれない」

 目の前の木製の両開きの扉を見つめて言った。

「一人でも多く救ってくれ」

『わかっている。くれぐれも留意してくれ』

「ああ」

 小塚はトランシーバーをケースの中に放り、代わりにケースの中の近接用武器、投擲用の武器を懐に全て収め、防護クリームをもう一度全身に塗り直した。

「みんな、待っていてくれ。すぐにそこから救い出してやる」

 小塚は扉を軋ませながら、ゆっくりと押し開けた。





「野兎は、本当に百獣の王に勝つことが不可能なんでしょうか?」

 口調は殺気立っている。

 しかしそれとは裏腹に、泉はまだ心のどこかで自分の中の怪物を抑えようとしているのか、目を固く閉じていた。そして左手は、雛子から預かったペンダントを握りしめている。

 蒼井は何も言わず、ただじっと泉を観察していた。

「では、幼い子供は、大柄な大人を倒すことはできないんでしょうか? いいえ、そんなことはありません。狂魔化した子供なら、大柄な大人を殺すことなど容易いでしょう。しかしそれはおそらく、筋力が増強されるからだけではないはずです。きっと、狂魔の憎悪という糧が、彼らに本当の意味での力を授けるからです。生き物というのは、感情を糧にして、本来の何十倍もの力を引き出すことができるんです」

 もはや言葉は泉の中の怪物のもので、自分が怪物になるのを望んでいることを暗示していた。

 しかしもう一方の泉自身は、それを拒否するように依然その閉じた目を開こうとはしない。蒼井の姿を見てしまえば、憎悪の感情が一気に爆発してしまう。そして自分が怪物になれば、雛子を裏切ることになる。それを危惧していた。

「ヒナコって名前だったかな」

 蒼井は唐突に言った。

「君たちを殺した暁には、殺しそびれたその子も今度こそ殺してやろうか」

 蒼井の言葉が泉の琴線に触れた。ついに泉の目が開かれ、蒼井の姿を捉える。

 泉の両腕に怪物のごとき力が込められ、青白い血管が浮き上がる。その怪力は一瞬のうちに手の中の刃物を握り潰した。

「君の首をもって、最高の恐怖をじっくり味わわせてからね」

 泉の顔がグシャっと歪み、閃光のようにその姿が消えた。





 佐川は建物の影に隠れていた。

 すぐそばからアレの暴れる音がする。

 佐川はそっと顔を出して覗いてみた。坂道の途中にアレはいた。筋肉で膨れ上がった赤い上半身、そしてそれとはあまりにもアンバランスな引き締まった下半身。見まがうことはない。

 アレは長い爪で朽ちた建物を破壊して回っていた。

 もちろんすでに他の生き物の姿はまったくない。

 自然の楽園だった廃墟は、本当の廃墟へと成り変わっていく。

 そして不意に、遠くの建物の影から暴れ回るアレを窺う隼人の姿を見つけた。攻撃のチャンスを窺っているようだった。

「あっ!」

 突如隼人がアレの正面に飛び出していった。だが、銃は構えていない。

 アレは急に静かになって隼人を真正面から見つめた。佐川の方に背中を向けている。

(これはチャンスだ。背中を向けている今なら、こちら側は完全に死角。音を立てないように近づいて撃てば、確実に殺せる)

 佐川は一歩踏み出してアレの様子を窺った。

 気付いていないように見える。

(いや、もしかしたら隼人さんが囮になってくれているのかも。だったら急がなきゃ。隼人さんが殺される前に)

 佐川は一歩ずつ慎重に歩を進めていった。

 それにしても、静かだった。

 どうして急にアレが大人しくなったのかは謎だったが、ここまで距離を詰めれば、もう十分狙える。

 近くで見ると意外に人間っぽく見え、逆にそれがおぞましかった。

 佐川は泉に頼まれた聖人化薬弾の入った拳銃のことなど、すっかり忘れていた。完全な実弾。それも毒を塗ったもの。かすりさえすれば、いくら化け物でも耐えられない。

 佐川は銃を構えた。

 弾の弾道が目に見えるようにわかる。

(これなら頭を貫ける!)

 佐川は引き金を引いた。

 金属の弾はまっすぐに発射され、佐川の描いた弾道通りの道を進む。

 だがすぐに、佐川は恐ろしい光景でも目にしたような表情になった。

 発射された弾の先にあるはずのアレの頭が横に傾いていた。完全に佐川の撃った弾の弾道から逃れている。

 そしてその延長線上にあったのは、隼人の額だった。


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