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狂魔伝  作者: ラジオ
第一章
6/67

story5‐‐パズル‐‐

 本部の治療を受けた泉は二日後の朝回復した。

 病室まで迎えに来てくれた佐川について休憩室に入ると、白衣で長身の四十代くらいの男が小塚に文句を言い始めたところだった。

「お前また狂魔を殺したんだってな」

「狂魔はもともと殺すべき存在だ。運よく生きたまま気ぃ失ったらあんたの研究に使えばいい」

「んなこと言ったっておめえ、刀で狂魔の頭貫いてたそうじゃねえか。絶対生かす気なんかなかったろ」

「よけねえ方が悪い」

「頭なんか狙いやがって。本気で狙って、外す気なんか毛頭なかったんだろうが」

「外す気がねえんじゃなくて、よけさせる気がなかったんだ。それに、女の首絞めるのに夢中で注意が散漫してたから、確実に殺すいいチャンスだったんだ」

 小塚の視線が一瞬自分の方に向いたので、泉はその女が自分のことだと気付いた。

「あ……その、すみませんでした」

 二人の言い争いの原因が自分にもあるように感じ、泉は何となく謝っておいた。

 白衣の男はにっこりほほ笑んで言った。

「君が安藤さんか。気にすることはない。君が大の大人二人を守って勇敢に戦ったのは知ってるよ。悪いのは全部このチビだ」

 男は睨むように小塚の方を向くが、小塚は無視してソファの淵に膝を乗せ、横になった。

「俺には見なきゃいけねえものがあんだ。邪魔すんな」

 小塚はイヤフォンを耳にはめ、携帯の画面を見つめた。

「ほー。お前が見なきゃいけないっていうのはそのアニメのことかー。お前もかわいいとこあるんだなー」

 男は小塚の耳元で、意地の悪い口調で、しかも大声でからかうように言った。

 小塚が男の頭頂部に冷たい目を向けた。雑草でも抜くように静かに男の髪の毛をつまみ、

「死ぬか禿げるかどっちかにしろ」

 と言って引き抜いた。

「あああああー!」

 男は絶叫して休憩室を走り出ていった。

「今のうるさいおっさんはここで科学者をやってる岩谷(いわたに)って奴よ」

 佐川が出ていった男を見送りながら泉に説明した。

「岩谷さん……」

 泉は確認するように呟いた後、急に何かを探すように休憩室を見渡した。

「あの、栗原さんは……」

 ボス、隼人、小塚の姿はあるが、栗原の姿は見当たらなかった。

「栗原さんはまだ意識を取り戻してないの」

 佐川が申し訳なさそうに言った。

「あたしたちがもっと早く駆け付けていれば……」

「無事なんですか?」

 泉の顔色は青ざめていた。

「命の危険はないって」

「そうですか……お見舞い、行ってもいいですか?」

「うん、案内するね」

 栗原のいる三階の病室へ階段を上がりながら、佐川が呟いた。

「栗原さん、子供の頃の記憶がないんだって」

 いきなりの衝撃的な事実に泉は目を見張った。

「え……そうだったんですか?」

「十七くらいの時にボスが引き取るまでの記憶がね……」

「どうして……事故にでもあったのでしょうか?」

「あたしもほとんど知らないの。とにかく彼には子供の頃の記憶がない」

 栗原の病室はあまり大きくはない個室のようだった。

 栗原のベッドの周りはたくさんの医療機器で埋め尽くされていた。

「ここの医療設備は充実してるからすぐに意識を取り戻してくれると思うけど……」

 医療機器が置かれていない栗原の足先のベッドの淵から、二人は瞼を閉じた栗原を見つめていた。





 それから二十分後には、泉は訓練施設の巨大ボックスの中で小塚に言われた通り、青緑の防護クリームを顔に塗りたくっていた。栗原の言った通り、ねばねばしていて気持ち悪い。

「狂魔と接近戦をするなら狂魔以上、少なくとも狂魔と同等の身体能力が必要だ」

 厳しい口調で小塚が言った。

「でも、あんなに高い身体能力なんて……」

 泉は先日女性の狂魔に首を絞められたのを思い出し、とても自分が狂魔と同じレベルまで身体能力を高められるとは思えなかった。

「死ぬか頭を使うかどっちかにしろ。狂魔は確かに狂った悪魔で死すべき存在だが、人間であることも確かだ。同じ人間が越えられないわけがないだろう」

 小塚は落ち着いた様子で言った。

「狂魔と戦うには、奴らと同等の動体視力、瞬間的な筋力の増大、この二つがあれば十分だ」

 小塚は手に膨らんだグローブを装着した。

「今から動体視力を高めるためにボクシングをやる。全部避けろ。このグローブには大量の綿を詰めてあるから万が一当たっても死ぬことはない」

「わかりました。訓練に付き合っていただき、ありが……」

 言い終わらないうちに泉の目の前に小塚の拳が飛んできていた。





 佐川は扉に『三七五』と彫られた地下の病室を訪れていた。

 佐川がパスワードを入力し、扉が電子音を立ててスムーズに開く。佐川が病室に入ると扉は閉じ、ロックがかかった。

 広い病室にはマットや絵画を始め、観葉植物、本棚、テレビ、空調設備、ベッド、ありとあらゆるものがあり、天井からの光が病室の大部分を強く照らしていた。

 入ってきた佐川のもとにパジャマを着た幼い女の子が駆け寄ってきた。

「やっと来たー。もう待ちくたびれたよー」

「遅くなっちゃってごめんね、美奈子(みなこ)ちゃん」

 佐川は母親のような優しい表情で美奈子にほほ笑んだ。

「体調は?」

「元気だよ」

「暑くない?」

「冷房効いてるから大丈夫だよ」

「ご飯は食べた?」

「さっきいつもの人がもってきたのを食べたよ。今日のは微妙だったけど」

 美奈子は佐川の質問にすらすらと答えた。

「ねえねえ、蘭子(らんこ)さん。今日は何読んでくれるの?」

 美奈子は訊きながら佐川を本棚の手前に連れていった。

「それじゃあねえ……」

 佐川はいくつも並んだ本棚の中から一冊を選び取った。

「どんな本?」

「あったかい……家族の……お話よ」

「そうなの? じゃあそれにする」

 強い光が照らすソファに二人が並んで座った。

 美奈子は心配そうな表情で佐川の顔を見つめていた。

「どうして泣いてるの?」

「え? あ……あれ……何でだろうね」

 佐川はなぜ涙が出てきたのか、自分でもよくわからなかった。とにかく、気付かぬうちに勝手に出ていた涙を急いで袖で拭う。

 しばらく間を置いて呼吸を落ち着かせてから、佐川はゆったりとしたペースで丁寧に読み始めた。





 休憩室の自分のソファで一人寝ていた隼人は、聞きなれた電子音を耳にして目を開けた。扉が開く音だった。

「お、起きたか、栗原」

 栗原はやつれた顔で休憩室に入ってきた。目の下に薄いくまができていた。

「もう大丈夫なのか?」

「ああ、もともと大した怪我じゃない」

「まあ、防護クリームがかなり助けてくれたな。安藤さんも早速小塚との訓練にクリームもってくって言ってたし。まったく、あのおっさんは本当に天才だよ」

 隼人は感心するような口調で言った。

「お前こそ、右手に穴開いたんじゃなかったのか」

 栗原は自分の右手の甲をトントンと叩いて示した。

「ここの外科医は天下一品だよ。もう塞がってる」

 隼人が包帯を巻いた右手を見せた。

 栗原は自分の机の給湯ポットまで歩いていき、いつも通りのインスタントコーヒーを作り始めた。

「お前本当にそのコーヒー好きだな」

 隼人は理解できないというように言った。

「僕は何でも素朴なのが好きなんだよ」

 栗原のいつもより静かな口調が、まだ疲れを残していることを感じさせた。

「なんか顔色悪いな。大丈夫か?」

「ああ、大丈夫だ。最近ちょっと嫌な夢を見るだけだ」

「夢? 子供の頃の記憶でも思い出したのか?」

 栗原は少し考えてから言った。

「いや、ただの悪夢だ」

「それは気の毒だな」

 栗原はコーヒーを飲み終わってカップを洗うと、自分の机に乱暴に置いた。そしてそのままソファで横になって目を閉じた。

 隼人は怪しいものでも見るように、目を鋭く細めてじっと栗原を見つめていた。





 再び休憩室の扉が電子音を立てて開いた時、中には栗原と隼人の他に、ボスが自分のデスクでコーヒーをすすっていた。もちろんデスクの上には書類が載っている。

「やっぱり小塚さん……ちょっと怖いな」

 小塚との訓練から戻った泉は、疲れ切った身体で休憩室に入ってきた。ソファで横になっている栗原に目を向ける。

 泉が声を掛けそうになったのを見て、ボスが抑えた声で止めた。

「安藤君、今はまだ寝かせてやってくれ……」

 泉はボスの心内に気付いて静かに頷いた。

「それよりも、君に会わせたい人がいる。疲れているところ悪いが、今は彼らを休ませてあげたい」

 泉は了解してボスの後についていった。

 泉が案内されたのは、休憩室の一階下、地下七階だった。

 目の前の扉には『一一二』と彫られている。

「ここは狂魔化患者の病室だ。完全に狂魔になる前に保護した者がほとんどだ。狂魔でなければ別に地上の病室でもいいんだがな」

 ボスはパスワードを入力して病室に入っていった。

 泉は自分の目を疑った。

「これ、なんですか? まるで豪邸みたい。それに……日光?」

 泉の目の前には、『三七五』号室の美奈子の病室と同じ、観葉植物や高級そうなマットが敷かれたリッチな景色が広がっていた。

「患者になるべくストレスを与えないよう、一般的な日常生活に必要なものを揃えて、たまに私たちも話しに来るようにしている。あっちにはトイレやバスルームもついている」

 ボスが壁の離れた位置に取り付けられている二つの扉を示した。

 泉は天井を見上げて言った。

「これは……日光ですか? 地下なのに」

「これは天才科学者岩谷が作った、日光の性質に非常に近い光だ」

 泉は感動したように顔を輝かせて天井を見つめていた。

「狂魔が夜にしか出ないのは知ってるだろう」

「はい。そう聞いてます」

「我々の研究で、日光が狂魔化を抑制する効果が非常に高いことがわかっている。第一段階の者なら、ここにいる限り狂魔化は完全に止まる。第二段階でも、十年以上は……」

「あの、その『段階』って……」

「ああ、まだ聞いてなかったか。狂魔化には大きく分けて三つの段階がある。第一段階は通常の人間よりも多い負の感情物質を放出するだけの状態。この状態で保護できれば、滅多なことがない限り、一生第二段階に移行することはないだろう。第二段階はさらに殺戮衝動がつく。放っておけば、第二段階から第三段階にかけての移行は極めて早い。狂魔化の進行状況にもよるが、まだ第二段階のうちに保護できれば、普通十年以上は次の段階に進むことはない。第三段階はさらに人間離れした筋力を得るが、内臓の機能低下も同時に始まる。残念だが、第三段階まで進んだら、ここの技術を駆使しても命は半年と保たない。これらの段階を上がるたびに、放出する負の感情物質の量は増える。第二段階の者は、保護されても第三段階の兆候が見られたら、すぐに強力な拘束を受けることになっている」

「なるほど」

「万が一狂魔が暴走しても、地下の扉は全て頑丈な金属でできていて、病室の扉も組織の人間だけが開けられるようにロックしている。脱走されても監視役が異常を感知すれば、地下の扉ならいつでも強固な電子ロックができるようになっている」

「いろいろ考えられてますね」

 泉は素直に感心した。

「相手は狂魔だからなおさらな」

 ボスは病室の奥に進んでいった。

 机の上に置かれた観葉植物で見えなかったが、入って正面の左隅の、半分ほどしか光の届いていないベッドの上で、若い男が身体を起こして本を読んでいた。真っ白な長い髪を後ろで緩く束ねている。

「あっ」

 泉は男が読んでいる本を見かけたことがあるような気がして、なぜか異様にテンションが上がったが、場違いだと自分を戒めた。

 男は泉を見つめていた。

「初めて見る顔ですね」

「新人の安藤君だ」

 男は珍しいものでも見るように泉を眺め回した。

「筋肉の付き方がいいようですね。小塚君ほどじゃないですが」

 男は泉の目を覗き込んだ。

「それに堅固な精神ももち合わせているようだ。あなたが本当に見込んだのはこちらの方ですね」

「まったく、君には敵わんな。狂魔化患者じゃなければ今すぐにでもスカウトしているよ」

 降参したような表情でボスが言った。

「安藤君。彼は森岡(もりおか)菊男(きくお)。彼の分析力には恐れ入ってるよ」

 泉は彼の底の知れない深い笑みに何となく不信感を抱いた。

 やがてボスが急用を思い出したと言って森岡に別れを告げ、病室を出ていった。

「君は……」

 森岡がそばのテーブルに置いてあった小さな木の盤を泉に見せた。

「このパズルを知っているかい? スライディングブロックパズルというんだ」

 パズルのようで、盤の中のたくさんの正方形のピースが、右下の隅にピース一つ分を空けて、絵になっていた。

「初めて見ました」

「これ、とっても難しいんだよ」

「そうなんですか?」

「そう……とってもね」

 森岡は意味深に言った。

「ところで、まだだれにも話したことはないんだが、君は今、世界の終わりがすぐそこまで近づいていることに気付いているかい?」

 不意に森岡は泉を見つめ、予言めいたことを言った。

 泉は目を見張った。

「君は、狂魔は悪だと思う? それとも正義だと思う?」

「えっ……」

 泉は急な質問に戸惑いの表情を隠せなかった。

「僕は、少なくとも悪ではないと思う。君はどう思う? 僕は君の意見を知りたい」

「あたしは……まだ、よくわかりません。失礼します」

 泉は逃げ出すように立ち上がって森岡に背を向けた。

「……君ならきっと理解できる時が来る」

 森岡は出ていく泉の後姿を鋭い眼差しで見送った。


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