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狂魔伝  作者: ラジオ
第三章
59/67

story58‐‐蒼井秀一‐‐

 小高い丘の上に、広大な草原が広がっていた。草の丈はくるぶしに届くくらいしかない。大きなキノコ型の木が一本立っている。丘の上からは、廃墟の湖を挟んだ向こう側に、黒江町の町並みらしきものが見えた。

「我が家へようこそ。狂魔特別対策組織の諸君」

 蒼井は言いながら木の影の中から出てきた。

 泉は真正面から蒼井を見据えた。後ろには他のメンバーの姿もある。みなまっすぐに蒼井を見つめ、小塚はすでに憎悪が表情に出ている。

「僕が感情物質を放出して案内してあげたから、君たちはこんなに早くここへ来れたんだ。感謝してくれ」

 泉たちは黙って蒼井の話を聞く。

 ふと蒼井は無数の星が瞬く空を見上げた。

「ここは僕らが育った場所なんだ。家は燃やしたからもうないんだけどね。ここから見る星は懐かしいよ、ねえ、兄さん」

 初夏の生温かい風が吹く。

「……組織のロボット。もともと感情を組み込むつもりはないって知ってた?」

 蒼井の急な話題の転換に、佐川の表情が変わる。

「ロボットは自分で人間になりたいと望み、製作者の意志に抗って感情を獲得した。一方、人間は神に創られ、神の意志によって完全に利己的な生物として誕生した。しかしそれは、組織のロボットとて同じことだ。ロボットは製作者に抗い、自らの望みを叶えて感情を獲得した。ロボットにできて、人間に同じことができないはずがない。僕は人間を創造した神に抗う。自己の利益しか望まない今の人間を滅ぼし、新たな種類の人間により、真の『平和』を実現させる」

 真実を知った佐川は、悲しみと罪悪感に塗れた表情をしていた。

「君たち、あんまり喋らないね。僕のプレゼントは気に入らなかったのかな……男が一人死んだみたいだけど」

「……言いたいことは、それだけ?」

 泉がようやく口を開いた。言葉には、言わずとも知れた殺気がこもっている。

 蒼井が泉にひたと視線を合わせる。

「そんなに敵意をむき出しにするな。哀れな獣にしか見えないぞ」

 泉の握り拳に力が入る。

「今の君は、そう、例えるなら百獣の王を睨みつける野兎だ。死んでいった他の野兎たちに対して無礼だとは思わないのか?」

 泉は顔を歪めて走り出していた。

「泉ちゃん!」

 佐川の声は届かない。

 気付くと泉は、両の手に刃渡り二十センチほどの刃物を逆手で握っていた。

 蒼井が左手にもっていた鞘から刀身の長い刀を引き抜いた。

 刃物と刃物が勢いよく擦れ、不快な摩擦音を響かせる。

 二人は刃物を挟んでわずか三十センチの距離にいた。

「いつの間にそんなものを扱う訓練をしたんだ? 君は秘伝体術というのを極めていたんじゃないのか?」

「あれは悪者を懲らしめるために祖父が考え出したもの」

 泉の鋭い視線が蒼井を突き刺す。

「人を殺すためのものではないんですよ」

 泉が蒼井の刀を脇へ流し、さらに間合いを詰めて斬りかかった。

 しかし蒼井は軽々と身をそらしてかわす。

 泉は攻撃を止めず、俊敏な動きで斬りつけ続けた。蒼井ははじいたり身体をそらしたりしてかわし続けるが、反撃の余地は見つからないようだった。

「大して訓練を積んでいるわけではないみたいだな」

 蒼井は泉の攻撃を完全に見切り、左手で刃物の腹を摘まんだ。右手の刀で横から斬りつけるが、泉はそれをもう片方の刃物で受け止める。

 泉の口元がほころんでいた。

 蒼井は刃物を摘まんでいた左手に目をやる。指から血が流れていた。

「毒を塗った細かい刃を腹に付けていたのか」

「すぐにあなたの筋肉は麻痺します」

「つまらない小細工だ」

 二人が距離を取る。

 だが、蒼井が身を引いたその背後から、黒い影が忍び寄っていた。

「即効性の毒だ。もう動けねえだろ」

 声に振り向いた蒼井の眼前では、今にも小塚の右手から黒い刀身が振り下ろされるところだった。

 そして蒼井にはさらに佐川の銃口が向けられ、泉は蒼井に摘ままれなかった方の刃物の柄を口に押し当て、その切っ先の延長線上に蒼井を捉えていた。

 小塚が振り下ろした刀、佐川の銃口から発射された銃弾、泉の刃物から吹き出た針。三方向からの攻撃が蒼井を死へと誘う。

(これで終わる!)

 小塚、佐川、泉の三人は早々の勝利を予感していた。

 しかしただ一人、隼人は冷めた表情で彼らの戦いを見ていた。

 そして、三人の予想は悉く外れた。

 一瞬後には、蒼井は何事もなかったかのように平然とそこに立っていた。

 小塚の刀は地面を深く切りつけ、佐川の銃弾は蒼井の刀にはじかれ、そして泉の針に至っては、またもや左手で摘ままれていた。

「何で……」

 そう呟く小塚の無防備な右腕を蒼井の刀が斬り飛ばそうとする。だが間一髪で小塚の左手の刀が届き、斬り飛ばされるには至らなかった。しかし小塚の右腕からは大量に出血していた。

「本当に君たちは愚鈍だ」

 蒼井は呆然と立ち尽くす三人に冷たく言い放った。

「君たちは、今の攻撃で僕が死ぬと思ったんだろう? 確実に殺せると。だが、それは一体何を根拠にしているんだ? おそらく君たちは本能的に、今まで戦ってきた狂魔でも、この攻撃ならかわしきれまい、そう判断したんだろう。しかし、僕は今まで、自分はあのできそこないの狂魔と同じ存在です、などと一度でも言ったことがあったか? それどころか、僕は君たちに、彼らできそこない共とは違うという意味で、例えるなら聖人とでも言うべき存在だ、と言ってあげたはずだ。感情物質など感知するまでもなく、君たちの考えていることは読める。そのあまりの愚かさ、僕は正直、とてもかわいそうに思うよ」

「……お前が狂魔を超える身体能力をもっているのはわかった。だが、毒はどうした? 安藤の毒でお前はすぐに動けなくなるはずだ。どうしてそんなに平然としていられる?」

 小塚の問いかけに応じるように、蒼井は懐から何かを取り出した。

 三人に見えるように掲げたのは、空になったシリンダーだった。

「君たちが使う毒の解毒剤をあらかじめ打っておいた」

「毒の種類はどうしてわかった?」

「毒なんて発想には僕も驚いたよ。兄さんが――」

 ふと、蒼井が口をつぐんでどこか遠くを眺めた。

「どうやら、準備が整ったようだ」

 蒼井は不意に、黒い小さな機械のようなものを四つ取り出した。

 思わず泉は爆弾かと身構える。

「安心していい。これは爆弾じゃない。まあ見ていてくれ」

 そう言って蒼井は、その機械を泉、佐川、小塚、隼人、四人それぞれの足もとへ放り投げた。

「もう、あと一分以内におもしろいものが見れるはずだ」

「おもしろいものって……まさか……」

 爆弾ではなさそうだと判断してから、泉は機械を拾い上げる。

「貴様……おい、安藤! 早くこいつを……」

 泉は画面を見つめたまま動こうとしない。

 諦めたのだろうかと訝る小塚の心内を悟ったように泉が口を開いた。

「小塚さん、最初から蒼井を殺したところでこの計画はストップしないんです」

「何?」

「どうやら彼女は僕の計画に気付いていたようだね」

 蒼井は感心するような素振りを見せて言ったが、余裕そうな表情でもあった。

 蒼井は小塚の方を向いて話し出した。

「安藤泉と小塚平吾、君たち二人が最初にこの廃墟に来た時、白い髪の者たちを見ただろう?」

 蒼井は小塚たちの侵入に気付いていたようだった。

「でも、今日は見ていないはずだ。なぜなら、君たちが最初に訪れたその夜のうちに、僕は彼らに感知器をもたせてここを去らせたからだ。では、去った彼らはどこへ向かったのか? 答えは君たちが今もっている感知器の画面に現れる」

 蒼井が言い終わると同時に、感知器の画面に赤い円が表示された。

 そして、組織のメンバーは思わず目を見開き、絶句した。

 赤い円は次々と発生していた。沸騰した水から出る泡のようにどれだけ表示されても止まらない。どんどん赤い円は重なっていき、やがて、無数の赤い円によって日本列島は完全に覆い尽くされた。





「海堂様、反応が出たようです」

 海堂とリザべラは、どこか狭く暗い場所にいた。窓から見下ろせる何百メートルも真下の小さな景色が、少しずつずれていく。彼らの目の前の画面には、無数の赤い円で覆われる日本列島の電子地図が表示されていた。

「安藤君の言う通りだったな。さすがは神崎さんの孫だ」

 そう言うと、海堂は手に無線機をもち、英語で指示を出した。

「全機に告ぐ。全国の感知器本体から得た位置情報をもとに、分担された全ての円の中心にミサイルを発射しろ」

 海堂は指示を終えると、リザべラの方を向いた。

「どうした? 何か言いたそうな顔だな」

「……間に合うでしょうか? 全国に設置された感知器本体が感情物質を感知し、全機体に位置情報を送信する。それからミサイルが発射されます。一般人は、通常の狂魔の感情物質にすら長くは耐えられないと聞きます。蒼井の手下による感情物質ならば、もっと強力だと思われます。国民は、彼らにミサイルが行くまでの間、感情物質に耐えられるのでしょうか?」

 リザべラが疑問に思っていたことを口にすると、海堂も渋い顔をした。

「正直、怪しいところだ。最悪戦争が起こっても不思議はないだろうな。だが、私はこれが最善策だと思っている。この策を講じていなければ、おそらくこれから、戦争どころか、国民全員が狂魔化する可能性も十分あるはずだ。それに、その最悪の事態――つまり戦争が起こった時のプランも、一応は考えてある」

 リザべラは安心したようにホッと溜息をついた。

「無駄な気苦労だったようですね。さすがは海堂様です」

「君に褒められるような人間ではない。二十年もの君の支えがなければ、今の私はきっとここにはない」

「もったいない御言葉です」

 そしてリザべラは再び俯いた。





「何が起きた? 赤い円が……消失していく……」

 蒼井は自分の感知器を見つめながら呟いた。

 小塚も佐川も呆然としたまま感知器の画面を見つめている。

 だが一方で、画面を見ていた泉の表情はパッと明るくなった。

(海堂さんだ!)

「なぜだ? 一体どうやって……あの子たちは高い場所から大量の負の感情物質を放出していた」

 ふと気付いたように蒼井が上空を見上げる。

 底知れない数の黒い三角形の機体が上空を飛んでいた。

「どうしてあんなものがこの国にある? そうだ、その通り。この計画を止めるには、日本の上空からあの子たち一人一人に対人用のミサイルでも発射するしかない。だが、なぜそんなものが準備できた? 〈大戦中の遺物〉の制御システムは全て破壊した。日本にあんな代物はないはずだ。海外との交易も絶えている。それに、あの子たちの正確な位置を上空の機体に送るには、巨大な感知器を全国に設置する必要がある。そんな大規模な動きがあったら僕の耳に届く。この計画は失敗しないはずだった……」

「蒼井秀一」

 泉は追い詰めるように言った。

「あなたの計画は水泡に帰した。あとはあなたを倒すだけです」

 蒼井はおかしくなったように笑い出した。

「あーあ。まあ、仕方がない。君たちの後ろには、だれか凄腕のやり手がいるみたいだね。君たちを殺したあと、そいつも殺して、もう一度計画を考え直すことにするよ」

「お前は俺たちがここで殺す」

 小塚が目をぎらつかせて蒼井を睨む。

「君たち、本当に威勢だけは立派だね。まあ、計画が失敗した僕が言うのもアレだけど」

「ねえ、蒼井秀一。あんたはどうしてこんなことするの? こんなことして楽しい? 自分の国を自分で潰そうなんて、頭おかしいんじゃないの?」

 佐川は強い憐れみを込めた口調で言った。

「静かそうな人に言われると、結構心に響くね……君にもわかるように答えるとすれば、自分の国を愛する者もいれば、自分の国を崩壊させようとする者もいる、ということだ」

 不意に、蒼井の視線が泉たちではないどこかに定まった。

「ようやく彼も到着したみたいだ。僕が彼に微量の感情物質を飛ばして呼んであげたんだよ。久しぶりの再会だろう。感謝してくれ」

 蒼井は不意に腕を地面と平行に伸ばし、泉たちの背後を指差した。

「栗原……さん?」

 振り返った佐川の言葉は半信半疑だった。

 右手に血に染まった刀をもち、全身に返り血を浴びている。組織にいた栗原の面影など微塵もない。しかし、それ以上にこの男が栗原であるのか疑わせるものが、その真紅のひとみだった。乾いた返り血の赤色など存在しないに等しくさせるほど鮮やかで、純粋な赤い輝きを放っている。憎悪に歪んだ表情も含めれば、この男の外見はまさに狂った悪魔そのものだった。

「君たちは、狂魔化は何段階あると思う?」

「どういう意味だ?」

 小塚が険のある口調で訊き返す。

 蒼井の言い方だと、まるで狂魔化は組織のメンバーが知っているよりも先があるかのようだった。

「確かに、現在の栗原京の狂魔化は第三段階だ。しかし、今まで君たちが見てきた狂魔化は、怨臓をもたない人間の中途半端な狂魔化。途中で内臓の機能が低下し、狂魔化しているまま死亡する。だが、もし長い時間をかけて狂魔化し、怨臓をもった人間が、さらに負の感情を溜め込んだらどうなるのか。僕はその真実を知りたい。狂魔の真の姿をこの目で見てみたいんだ」

 蒼井は歪んだ笑みを浮かべ、目を見開いた。

 間を空けず、栗原の悲痛に塗れた絶叫が響き渡る。

 異様な光景だった。

 まだ日の浅い泉や小塚はもちろん、おそらく佐川も隼人も狂魔が叫び出すところなど、一度として見たことがないに違いなかった。

「やめて!」

 泉はすぐに蒼井が栗原に尋常でない量の負の感情物質を放出しているのに気付いた。

 狂魔に負の感情物質は通じないはずだった。

 だが、蒼井はそんなことお構いなしに大量の負の感情物質を栗原に向けて放出する。この男の前では、全ての理論が覆るようだった。いや、最初から狂魔に関する理論は、全て間違っていたのかもしれない。そして蒼井はその全てを知っている。まるで自分でその理論を作っているかのように。

 すぐに泉も負の感情物質を放出し、横から相殺を試みる。正の感情物質では相殺できないのは、宝永との修行で学んでいた。

 しかし、栗原の叫びは弱まるどころか一段と酷くなっていく。

「栗原さん!」

(どうして?)

 蒼井が放出する負の感情物質は、いくらまだ未熟な泉といえど、ある程度は相殺できているはずだった。だが、栗原の叫びはどんどん苦しそうなものに変わっていく。

 泉は隼人が顔色一つ変えずに苦しむ栗原を見ていることに気付かなかった。

 やがて栗原は頭を押さえ、異変が始まった。


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