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狂魔伝  作者: ラジオ
第三章
58/67

story57‐‐廃墟‐‐

 翌日の夕刻。

 日比野は本部に残り、廃墟へは泉たちと治療課数名で向かう予定だったが、捧尽が執拗に泉についていきたいと言った。そこで泉と捧尽はしばし話し合い、最終的には、泉、小塚、佐川、隼人、宝永、捧尽、さらに泉たち一人一人につく治療課ロボット五名の、合計十一名で敵地へ乗り込むことになった。

 今、駐車場では、治療課ロボットが一台の車に医療機器を詰め込んでいた。泉たち五人で一台、捧尽と治療課四名で一台、そして残りの治療課一名が医療器具を詰め込んだ一台に乗ることになった。

 泉たちは車の外でロボットたちが医療機器を詰め終わるのを待っていた。

「佐川さん」

 泉が小さな声で言った。

「ん?」

 佐川が振り向くと、泉は一丁の拳銃を差し出してきていた。

「これ、何?」

「強力な聖人化薬を詰め込んだ弾が入った拳銃です。弾は二発あります」

「どうしてそんなもの……」

「あたしが日比野に作らせました。春には彼の仕事は終わっていましたから」

 泉は淡々と答える。

「そうじゃなくて、これをあたしに渡してどうするの?」

 泉の表情が沈んだ。口を小さく開き、弱々しい声で言う。

「だめもとでもいいので、栗原さんに……撃ってもらいたいんです」

「泉ちゃん……」

 佐川はすぐに泉の心情を察した。おそらく、泉はまだ栗原を組織に連れ戻すことを諦め切れていない。それがいいことなのか、それろも泉に残るであろう心の傷が深くなるだけなのか、佐川にはわからなかった。

 だが、第三段階まで進んだ狂魔化が途中で止まったことは佐川の知る限り過去にまだ一度もない。可能性はとても低いだろう。

「日比野には無駄だと言われました。純粋な狂魔には聖人化薬を打ったってどうにもならないと。でも、何もせずにはいられなかったんです。お願いします。組織で一番射撃能力が高いのは佐川さんです。隙があったらで構いません。栗原さんに会ったら、どうか一発だけでも……」

「うん、わかったよ、泉ちゃん」

 懇願する泉に、佐川は力強く頷いて見せた。

「でも、これから向かうのは蒼井の潜伏先でしょ? 栗原さんが本当にいるの?」

「日比野が言うには、蒼井は栗原さんに何かしようとしているみたいなんです。栗原さんを利用して何かする気でいるのかもしれません。とにかく、樹海で眠っていた栗原さんが目覚めたので、蒼井は栗原さんを近くに誘導しようとするはず。おそらく、あたしたちは栗原さんにこれから出会うことになります」

「わかった。栗原さんを救いたいのはきっとみんな同じ。できる限りのことをするよ」

「ありがとうございます」

 泉は丁寧に頭を下げた。

「それじゃ、もう準備が終わったみたい。行こ」

「はい」

 二人は車に乗り込んだ。





 夕焼けの中、交通量のほとんどない道路の片隅に停まった三台の黒い車。出てくる彼らに向かって、遠くから頭を下げる若い女性とその子供。

 細い大きなケースをもって公園脇の道路を歩く謎の集団。公園にたむろしながら彼らに気付き、何も言わずに頭を下げる派手なヤンキーたち。

 人家の庭に勝手に侵入してどこかへ向かう十数人の男女。リビングの窓からそれを確認し、心配そうに見守りながらも頭を下げる老婦人。

 私有地である林の闇の中へ入り込む影の集団。食卓の窓のカーテンの隙間からそれらに気付き、箸を置いて両手を組み、頭を下げる四人の家族。

 彼らは気付いていた。

 黒江町の住民は、自分たちの町の危機を察し、脅えていた。

 普通に暮らして彼らに全てを任せなければならない自分たちを憎み、恥じ、愚かしく思いながらも、そんな自分たちを守ってくれる彼らに頭を下げる。

 そして、自分たちのために命を犠牲にして戦おうとする彼らの無事を心から祈った。

 哀れで無力な彼らには、そうする以外に何もできなかった。





 彼らが廃墟に到着した時には、夏至の遅い夜の帳もすっかり下りていた。今夜も晴れていて、大きな月と数多の星が自らの存在を主張するように輝いている。

「ここが……本当に蒼井が潜伏していた場所なの?」

 佐川はあまりの美しい光景に目を奪われた。

 廃墟は空想の中の産物といった幻想的な雰囲気を醸し出している。

「罠を調べに来た時も思いましたが……最初に来た時よりも静かな気がしますね」

 白い髪の人たちの姿がないからか、泉は周囲の建物を見回しながら言った。

「そうだな」

 小塚も同感のようだった。

 一行はまるでひと気のない自然の楽園の中を歩き出した。朽ちた建物から顔を覗かせるリスたちは、彼らを物珍しげに見つめ、小首を傾げるような動作を行う。花の上を舞う蝶の群れは、彼らが近づくと、まるで異物から逃れるように別の遠くの花まで移動してしまう。黒い羽と白いお腹の数羽の小鳥が、彼らの前途を弧を描くように避けながら横断する。

「建物の中は調べるの?」

 佐川がだれにともなく尋ねる。

「白い髪の人たちの気配は感じませんが……」

「あの白い髪のやつらは感情物質を操れるんだろう。だったら気配を消せてもおかしくはない。背後から不意打ちを食らうよりは先に調べておいた方がいいんじゃないか?」

「でも、俺たちは今敵陣に乗り込んでいるんだ。隠れていた相手を倒したところで、敵の戦力もわからないんじゃ、けりがつかないよ。どんな不意打ちにも覚悟しておかなきゃいけないと俺は思うね」

「そうですね」

 泉は最後の隼人の意見に乗ったようだった。

「とりあえず、蒼井を探しましょう」

 泉たちは廃墟の中心へと向かって歩き出した。半径数キロにも及ぶこの廃墟の中心付近まで進むのには、もう少しかかりそうだった。

 建造物の多くは通りに沿って並んでいる。ほとんどが三階建てで、月明かりの大きな影ができているところも多い。朽ちた建物を外見から判断するのは難しいが、どうやら住居らしき建物も多く、廃墟になる以前は人口もそれなりにあったようだった。店や広場なども目に入り、ずいぶんと賑やかな町だったことが窺える。

 とても、『二度目の神隠し』が起きて人の死体や血、腐臭などで溢れ返った場所だとは思えない。

 ふと坂道を上ったあたりで、建物の間から、だいぶ離れた遠くの方に、尖った先端に十字架が取り付けられた教会らしい建物が見えた。泉はその教会の方から、微かに人の気配を感じた気がした。宝永との修行のおかげで感情物質の感知はかなりできるようになったが、未だ周囲からは、遠くに見える教会の方からしか人の気配がしない。逆にその不自然さが、泉にとって少なからず不安の種になっていた。

「宝永さん、大丈夫ですか?」

 不意に、宝永に付いている治療課ロボットが声をかけた。一同が振り向く。

 宝永は胸に手を当て、膝をついていた。表情は険しく、とても苦しんでいるようだった。

「宝永さん、どうかしましたか?」

 泉が駆け寄る。不安の種から芽が出始める。

 宝永は震える声で言った。

「……おそらく……毒だ……気の付かぬ間に……猛毒を……」

 宝永の首元の汗が星明かりに煌めく。

「そんな、毒なんて……一体いつの間に……宝永さん、しっかりしてください。治療課の方、宝永さんを治療してもらえますか?」

「はい」

 泉と宝永は例の山の猛毒を体内に取り入れて修行をしていた。それ以前にも宝永は、その山で何年か修行をしていた。その宝永が毒に侵されるということは、あの山の最高レベルの猛毒か、それらを合成でもしたものか、とにかくよほど強力な猛毒らしい。

 やがて宝永は苦しそうに胸を押さえ、前のめりに倒れ込んだ。

 そこに唐突な小塚の怒声が響いた。

「全員ここから逃げろ!」

 治療課のロボットが宝永の治療を始めようとしたところだった。街灯で羽を休めていた小鳥が驚いて飛び立つ。

 泉が振り向くと、すぐ前方に黒い四角い塊がどこからか降ってきたところだった。

「泉ちゃん、早く逃げて!」

「ボス! 早くこちらへ!」

 佐川と捧尽が叫ぶ。

「でも、宝永さんが……」

 黒い塊は「ピピピ」と電子音を鳴らし始めた。

 不意に宝永がふっと立ち上がった。

「宝永さん!」

 泉が歓喜の声を上げたのも束の間、宝永が泉の身体を強く押した。

「逃げろ」

 それが真っ青な顔の宝永が口にした最期の言葉だった。





 泉を押し出した宝永は、突如〈気〉を感じた。

 震える足で振り返ると、通りの向こうの方に、白い長髪を揺らす男の姿があった。

(人間を正しい道へ導くこと、それが私が天から仰せ付かった天命。だが、私は本当に正しい道を知っているのか? あの男が、なぜあんなに悲しい目を宿しているのか、なぜこんなにも寂しい〈気〉を発しているのか理解できない私が。道を誤ったのは、狂っているのは、怪物なのは、本当にあの男なのだろうか?)

 目の前の黒い塊から聞こえる電子音が次第に速くなり、心臓の鼓動が早鐘を打つように切羽詰まったものに変わった。

 黒い塊が光った。





 黒い煙が立ち込め、モクモクと上空へ上がっていく。

 泉は捧尽が、佐川は小塚がぎりぎりで助け、逃げ遅れそうになった二人は何とか無事だった。

 泉が戻ってきた時には、まだ熱と煙が残っており、バチバチと火の爆ぜる音も聞こえた。

 しばらくして煙が晴れてくると、あたりの惨状がようやくわかるようになった。

 黒い塊があった場所を中心に、開けた空間ができている。周囲の朽ちた建物は跡形もなく崩れ、通りに敷き詰められたレンガは吹き飛んで黒くなった地面が露になっていた。

 泉は頬にすすを付け、涙を流しながらあたりを歩き回った。崩れた建物のそばにあった黒く焦げた塊を見つけると、「宝永さん!」と叫んで駆けていった。

「宝永さん! 宝永さん!」

 泉は必死にもはや原形をとどめていない宝永に話しかけた。

「泉ちゃん……」

 背後で佐川の声がした。

 振り返ると、佐川の顔にもすすが付いており、その上から涙が流れていた。佐川の後ろには小塚と隼人、捧尽たちの姿もあった。

「これをやったのはきっと蒼井だよ。蒼井を追わなくちゃ」

 佐川の涙声に泉が顔を伏せ、「蒼井……」と恐ろしく低い声で呟く。

 泉はすっと立ち上がり、どこかへ走り出した。

 首にかかったネックレスがジャラジャラと音を立てる。


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