story56‐‐黒江町‐‐
時は移ろうこと数カ月。
季節はすっかり変わり、もう六月の初夏を迎えていた。
春には本部を去っていたメンバーが帰還し、猛毒を仕込んだ武器の用意も完了していた。夏の始まりである今、蒼井が宣言した通り、例の計画が実行に移ってもおかしくはない。しかし、狂魔特別対策組織のメンバーは、未だ蒼井の潜伏先を見つけられていなかった。メンバーの緊張も日に日に高まっていく。
そんな折、ふと休憩室に電子音が響き、入口の扉がスムーズに開いた。佐川、隼人、宝永が顔を向けると、入ってきたのは泉と小塚だった。二人は春に日比野が完成させた、感情物質を通さないクリームを使い、全国に飛び回って蒼井の潜伏先を探していた。だが夜になって、こうして今日も冴えない顔をして帰ってきたところを見ると、
「今日もだめか」
隼人が期待して待っていた二人の分も代弁した。
「……すみません」
泉は謝る以外に口にするべき言葉が見つからないようだった。
泉と小塚はそれぞれのソファにドスンと座り込んだ。
佐川が自分のソファの上で苦悩の溜息をつく。
「このまま蒼井を見つけられなかったら……」
呟きながら無機質な天井を見上げる。
「そんな虚しい終わり方嫌だよ」
「泉殿、本部内は探したのか?」
小塚のソファ脇に立つ宝永が尋ねる。
「はい。監視カメラの映像だけでなく、管理課の者に本部全体を直接探してもらいましたが、蒼井の姿はありませんでした」
泉がそう言うと、小塚がソファの端に載せた足を組みかえ、口を開いた。
「管理課が超高性能コンピュータで日本全国をくまなく探しても、蒼井の影すら見つからない。本当に日本国内にはいないんじゃないのか?」
「それでも、どこかで管理課の監視の目に引っかかるはずなんですが……」
「でもそれだと、蒼井はこの世に存在しないことになっちゃうよ?」
佐川が矛盾を指摘し、「そうだな」と隼人も相槌を打つ。
「だが、小塚殿もその姿を実際に目にしている。それに何より、蒼井という男が存在しないとなると、天の御言葉が誤りだということになる。天の御言葉が誤りであるなど、あり得ない」
「そうですよね……」
泉も彼らの言葉に頷き、決心したように立ち上がる。
「監視の目に穴がないか、管理室にもう一度――」
不意に休憩室の扉が開き、捧尽が入ってきた。
「ボス、少しよろしいでしょうか」
「どうしたの?」
休憩室前の廊下。扉が閉まってから泉が口を開いた。
「海堂様からです」
「繋いで」
泉は即答した。
「はい」
捧尽は集中するように目を閉じた。
すぐに顔を上げ、口を開く。
『樹海に集められた僧侶たちが戦闘を開始した』
腹の底に響くような低い声が何の前置きもなしに言った。
「栗原さんが目覚めたということですか?」
『そうだ。捕らえたらまた連絡する。それで、蒼井の潜伏先は見つかったか?』
「いえ、まるで見つかりません。もう日本全国調べ尽くしてしまいました」
『黒江町の廃墟もか?』
「黒江町の……廃墟?」
そういえば、泉はどこかでそんな感じの話を聞いたことがある気がした。
『そうか。これは狂魔特別対策組織にも伏せていたな。実は黒江町には、ある廃墟が隠されている』
「ある廃墟?」
『君は黒江町の歴史を知っているか?』
「……いえ、ほとんど知りません」
泉は正直に答えた。
博之や桜も黒江町のことに関して泉に話すことはなかった。あえて話さなかったのか、それとも自分たちもほとんど知らなかったのか、今となってはわからない。
『黒江町は一種特別な町だと言える。名前が他の町より頻繁に変わっており、二〇四四年、黒江町の前の名前である冴木町となった』
「二〇四四年?」
泉の脳裏にある単語が浮かんだ。
「まさか黒江町って、『二度目の神隠し』が起こった町だったんですか?」
『二度目の神隠し』が起こったのは二〇四三年。そのすぐ後に名前が変わったことになる。
『そうだ。そしてその廃墟と化した町は未だ黒江町内に存在する』
「でも、あたし一度もそんな町なんて……」
泉自身はもちろん、他のメンバーもだれ一人そんな廃墟があると知っているとは思えなかった。
『当然だ。廃墟の存在を秘匿するために日本の町名はたびたび変わるのだからな。廃墟は〈二度目の神隠し〉の後すぐに完全封鎖され、外側から少しずつ復興を進めていた。しかし、そこに問題が生じた。消失していく都会から逃げてきた人々が現れたんだ』
「それで、どうしたんですか?」
『もちろん追い返すわけにはいかなかった。しかしその廃墟の存在を明かすこともできない。そうして我々が取った行動が、廃墟自体を存在しないことにする――つまり、町の修復時に黒江町内の全ての道を作り変え、廃墟への道を断ったんだ。そして作り変えた道に合わせて地図を巧妙に書き換え、廃墟自体の存在を黒江町からも、地図上からも消し去った。だから君たち組織の管理課のロボットでも見つけられなかった』
ということは、蒼井の潜伏先はその廃墟である可能性が高い。
「今、その廃墟はどうなっているんですか?」
『フェンスで囲み、黒江町民に秘匿している分速度は落ちたが、修復を進めている。ある程度修復が進んだら再び、地図を書き換えていくと同時に町の名前も変えていき、少しずつ廃墟をなくすつもりだった。だが、最近入った情報によると、どうやらその修復している人間からの連絡が来ていないらしい』
いよいよ心臓の鼓動が速くなる。
「『神隠し』の廃墟にも蒼井が隠れている可能性はありますよね」
はやる気持ちを抑えて、泉はさらに可能性を絞ろうと尋ねてみる。
『いや、それはない。〈神隠し〉の廃墟はすでに復興を完了しているからな』
「では、可能性としては黒江町内の廃墟が一番高いということですね」
『そういうことだ』
「何の用事だったんだ?」
泉が休憩室に戻ってくるや否や隼人が質問をぶつける。
泉は隼人の問いには答えず、小塚の方を向いた。
「小塚さん。明日、調べたいところがあります」
小塚の表情が険しくなった。
「蒼井の居場所がわかったのか?」
全員の視線が泉に注がれる。
「それを確かめるんです」
泉はわざと「はい」とは答えなかった。海堂から、廃墟のことは、例え組織のメンバーであってもできる限り伏せておいてほしいと固く釘をさされていた。
「だったら、今から調べに行った方がいいだろう。もういつ蒼井の計画が実行されてもおかしくはないんだ」
「……そうですね。わかりました」
泉は明るい方が蒼井を探しやすいかと思ったが、よく考えれば小塚は夜でも十分物が見えるほど視力がいい。それに、廃墟に行くところを人に見られるのもよくない。
「さっさと行くぞ」
小塚が立ち上がり、泉もついて休憩室を後にする。
二人は再び、闇と静寂だけが待つ夜の黒江町へと消えていった。
泉と小塚の乗った組織の車がある場所に到着すると、二人は車を降り、地図を見ないで海堂の指示通りに道なき道を歩いた。道路を通れば地図通りに進んでしまうので、当然と言えば当然だった。海堂の話によれば、黒江町の本当の中心には巨大な円形状の空間があり、その中に廃墟があるらしい。
本部を出て数時間が経過した頃、とある林を抜けると、突如泉たちの目の前に頑丈そうな鉄柵が現れた。海堂はフェンスだと言っていたが、実物はどこかの豪邸にある巨大な門を想像させるものだった。だが、目立たなくさせるためか、高さはあまりない。
「何だ、これは」
小塚がフェンスを見上げて呟く。
網目があまりにも小さく、中の様子を窺うことはできない。
「少し回りましょう」
二人はフェンスの周囲を歩き始めた。どこかに入口があるはず、そう思いながらしばらく歩くと、すぐにそれらしきものを見つけた。
フェンスの一部が取っ手の付いたドアのように開閉できる門になっており、わずかに開いていた。だが、かけられてあったらしい錠が外されて下に落ちている。
「本当に蒼井がいるみたいだな」
小塚が呟き、慎重に門を開いて中を窺う。
すぐに泉の方を振り返った。
「門番の白骨死体がある」
もはや蒼井がここにいる可能性は限りなく百パーセントに近い。
泉と小塚は息を潜めて廃墟へと足を踏み入れた。
途端に雲が晴れたのか、月明かりが廃墟を照らし出した。
目の前に広がった光景は、断じて廃墟などという不気味なものではなく、むしろ楽園と呼ぶ方がふさわしかった。
立ち並ぶ朽ちた建物は、ツタに絡まれるように覆われ、ツタの上をリスたちが口に何か頬張ったまま走り回っている。割れたレンガ張りの地面からは、無数の花が咲き乱れ、蝶が群れて優雅に舞い踊っている。数羽の小鳥が小さな池の水に下り立ち、水の中をつつく。そしてそれらのものは月光に照らされ、上品に、神々しく輝いている。
泉も小塚もこの自然の楽園に見とれて、言葉を発することすらできずにいた。
そして不意に、その朽ちた建物の中から、二人の男女が現れた。二人とも真っ白な長い髪を携え、この楽園にすっかりとけ込んでいた。やがてその二人は、幼い子供のように花を摘んだりリスを追いかけたりして自然と戯れ始めた。
泉と小塚が本部に戻ったのはもう夜明け前だった。
休憩室には三人とも残っていた。佐川はうとうとしていたようだったが、扉が開く電子音で目を覚ました。
「……やっと帰ってきた……どうだった?」
佐川は目をこすりながら尋ねる。
「蒼井の居場所がわかった。ほぼ確実だ」
「ほんと? よかったー、ついに見つかったんだ。今ならまだ蒼井の計画を止めるのは間に合いそうだね。まだ初夏だし」
「泉殿との修行の日々が無駄にならなくなってよかった」
佐川と宝永は泉たちの吉報に心から安堵したようだった。
「安藤さん、出発はいつなんだ?」
隼人が尋ねる。
「出発は三日後の夕方にします。その間にあたしと小塚さんで罠の有無を調べるので、みなさんは準備をしておいてください。いよいよ、蒼井と決着をつける時が来ました」
外はようやく日が上り始めたかという頃。
まだ光の届かない教会に、うごめく白い者たちが集う。彼らに共通しているのは、透き通るような美しい肌と雪よりも白い髪、そして殺気を宿す冷たい眼差し。ついさっきまで子供のように遊んでいた彼らは、今やその影はなく、目の前の祭壇に立つ男の言葉を大人しく待っていた。
「君たちは見違えるほどに成長した。感情物質も僕と大差なく操れるようになったし、ついには破壊衝動の全てを僕と同じこの世界に向けられるようになった。君たちは怨臓をもっていないが、内臓はとても強靱だから心配はいらない。僕らの怨みはすぐに彼ら罪びとたちを殺し合わせ、やがてパズルはリセットされる。人類は一度滅亡し、今度は僕たちの意志を継いだ『平和』を願う者たちだけの人類が誕生する」
一度間を置いてから、男は語気を強めて再び話し出した。
「君たちはただ、何も知らない罪深きこの世を怨むだけでいい。君たちは知っているはずだ。本当の怨み、憎悪、絶望というものを。君たちが見て味わったあらゆる負の感情を、世界にぶつけて知らしめろ!」
二日後、泉が罠の調査から帰って休憩室へ向かうと、休憩室の扉の前で捧尽が待っていた。管理課の者が休憩室に来る時はたいてい泉に用がある時。そしてそれが捧尽である時、用件は海堂からのものに限っている。
「お待ちしておりました、ボス」
「今はここじゃまずいかな。だれか来るかもしれない。あたしの部屋に来て」
泉は自分の個室に捧尽を招いて、すぐに海堂に繋いでもらった。
『樹海にいた僧侶たちが全滅した』
衝撃的なニュースがある時、海堂は前置きなしにいきなり言う。泉を驚かせたいのか、大事だから最初に言うのか、海堂自身も興奮していていきなり言ってしまうのか、泉には判断しかねない。
「それはつまり……栗原さんが……」
『おそらくな。蒼井の姿を見たら連絡するように言ってあるから、蒼井は何もしていないだろう。私たちは狂魔を舐めすぎていたようだ。現在、栗原による人的被害は僧侶以外に報告されていないが、君たちも栗原と遭遇することになるかもしれない。十分気をつけてくれ』




