story55‐‐暗躍‐‐
泉と宝永が感情物質を操るため修行に出て一週間経ち、小塚がどこか遠くの有能な鍛冶職人のもとへ、最高の切れ味の刀を打ってもらいに行ってからはもう二週間が経った。
佐川は毎日二、三時間隼人と射撃の訓練を行い、日比野の研究室にも頻繁に顔を出しては彼らを手伝い、そして残りの時間は自分の筋力トレーニングや休養に費やす、そんな日々を送っていた。
外は夜もすっかり更けた頃、佐川は一人虚しくランニングマシンに乗っていた。表情もあまり明るいとは言えない。もともと本部にいる人の数はごく限られているため、複数で施設に居合わせることは滅多にない。佐川も以前はたまに射撃場で隼人や栗原に会うことがある程度だった。だが、だれかと一緒に訓練をしたければ、だれかにそう頼むこともできた。人恋しくなったら、休憩室に行けばたいていだれかがいて、話し相手になってくれた。しかし今では、ボスと岩谷、それに我が子のように思っていた美奈子も死に、優しかった栗原は狂魔化して行方不明、他のメンバーも長期間本部に戻ることはない。
(何だか、ばらばらになってる気がする)
佐川が寂しくそう思った時、どこからか、機械を通した声が聞こえてきた。いかにも人間らしいが、すぐに違う、と佐川は気付いた。
〈黒江町北端の町で、謎の不審死を遂げた死体が複数発見されました。至急現場へ向かってください〉
駐車場では、すでに隼人が車のエンジンをかけて待っていた。
「佐川、急ぐぞ」
二人が車に乗り、猛スピードで走り始めてから佐川が口を開いた。
「感知器がないと不便ですね」
「そうだな」
「どうして新しい感知器を設置しなかったんでしょうか?」
「もしも製造方法を知る者が限られているなら、そいつらが蒼井に狙われてしまうからな。データとして残っていても、蒼井ならそいつらから訊き出して完全に消せるだろう」
「でも、蒼井の部下には、あたしたちが戦った人たちみたいに感知器に反応しない……あ……すみません…………無神経でした。隼人さんはあの時、とてもつらい思いをしたんですよね」
「いや、構わない。苦しみなら、もう過去に経験したさ」
深みを感じる言葉だった。
「それに、佐川の言う通りだな。小塚に近いあいつらは感知器に反応しない。感知器を作れなくなっても、蒼井の計画には大して影響はないだろう。だが……俺たちが本当にしなきゃいけないことは、蒼井を倒すことなのか?」
「え……?」
「確かに蒼井を倒せば、蒼井の計画は消滅するかもしれない。でも、俺たちは蒼井の計画を止めれば、本当にそれでいいのか?」
「どういう……」
「佐川、お前は蒼井だけが敵だと思うか?」
今までの隼人と違う、佐川は本能的にそう感じた。
隼人のスピード重視の荒い運転のおかげで、十分もかからずに現場の町に到着した。緑豊かな田園風景の中に、点々と家が建っている。新築の家もちらほらと窺える、黒江町ではごく普通の景色だった。遅い時間のため、どこも電気はついていなかった――遠くに見える一軒を除いて。
その家の惨状を見れば、すぐに狂魔発生場所であることがわかった。家中が血塗れになり、家具や窓、天井や床も、何一つ原形を留めていない。かろうじて肉体を繋いでいる人間の真っ赤な身体も、だれ一人動くことはない。
ふと、隼人が背後を振り向いた。
「どうしたんですか?」
佐川は慣れたように平静な様子で尋ねた。
「生きてる」
「え?」
「今、だれかの声が聞こえたような……気がする」
「でもここは……」
今まで狂魔の発生場所で、第二段階に達して暴走した狂魔が人を生かすという事例はなかった。狂魔は人間の微弱な感情物質を感知して殺す。明らかにここで狂魔化した人間はすでに第二段階に達し、家族全員を感情物質が放出されなくなるまで完全に殺しているはずだった。本来なら、メンバーが二人だけの今は、狂魔の発生現場など放って狂魔を探しに行かなければならない。だが、隼人の言う通り、本当に生きている人間がいるなら、見過ごすわけにはいかない。
「本当に……生きてる人いるんですか?」
「訊いてる暇があったら探せ」
隼人は冷たく言った。
隼人がとある部屋へ入っていった。荒れ過ぎてもともと何の部屋だったのかわからない。
佐川も隼人とは反対方向の部屋を探す。
「佐川!」
しばらくしてから聞こえた隼人の声に、佐川は飛んでいった。
隼人は先ほどとは別の部屋にいた。比較的きれいさを保っていて、子供部屋であることもわかった。一度見たが、血塗れの子供の死体があるだけで、生きている人間はいないはずだった。
「その子……」
一瞬、佐川は隼人がついにおかしくなったのかと思った。
隼人は先ほど見た七、八歳の子供を起こしていた。全身真っ赤になって目を大きく開いている。壊れた人形のようだった。
「生きてるぞ。目立った外傷はない。たぶん、ショックで精神が崩壊しているんだ」
「……ぃちゃん」
微かにだが、確かに声が聞こえた。
「……にぃ……ちゃん……お兄ちゃん! もうやめて!」
子供が苦悶の叫び声を上げた。
隼人と佐川は子供に強制記憶消去剤を打つか、それとも強めの精神安定剤を打つかで迷ったが、最終的には後者の精神安定剤で意見がまとまった。
「……お兄ちゃんは、僕を守るためにお母さんとお父さんを……」
しばらくして落ち着いた子供はそう言い、急なストレスや疲労のためか、そのまま眠りに落ちてしまった。
狂魔がまだ周辺にいる可能性があるため、警察を呼ぶこともできず、家に子供を残して二人は狂魔探しを始めた。
「あり得るんでしょうか?」
暗いあぜ道の真ん中を小走りしながら、佐川が隣の隼人に訊いた。
「狂魔がだれかを守るってこと?」
「はい。あの子供は狂魔に襲われなかったどころか、守られたと言いました」
「どんなに人を殺しても、どんなに人を憎んでも、狂魔は形の異なった人間だ。狂魔に憎悪を抱く対象があれば、どこかに愛する対象もまた存在していてもおかしくはない。今までの狂魔はおそらく、それが過去や空想世界といった、とても遠いところにあっただけなのかもしれない」
「あたしたちが、勝手な偏見をもってしまっていただけ、ということでしょうか? 狂魔は化け物……『狂った悪魔』である、と……」
しばらく沈黙が続いた。
「今はとりあえず、狂魔を探そう。時間が経ちすぎた。被害がたくさん出ているかもしれない」
狂魔の遺体は数人の死体を発見した後に見つかった。一目で狂魔だとわかった。冷たくなって傷一つなく横たわっていたのは、十歳くらいの少年だった。
「こんな子供が狂魔化しちゃうなんて……」
佐川が遺体を見下ろして呟く。
「たぶん、内臓がまだ大人のものになってなかったんだ。だからこんなに早く……」
「じゃあ、あとは警察に――」
「佐川」
隼人が佐川に顔を向けた。佐川はその真剣な眼差しをまっすぐ受け止める。
「俺はこれから大事な用事がある。佐川は警察に連絡したら子供を連れて先に車で帰っててくれ。俺は別の車を借りて本部に戻るから」
「大事な仕事……仕方がないですね。頑張ってください」
佐川は笑顔でそう言うと、携帯で警察に連絡を入れながら狂魔の発生場所へ歩き始めた。
「……悪い」
佐川に聞こえないようにぼそっと呟くと、隼人は反対方向へ歩き始めた。
灰白色の曇天が、その都市を覆い尽くして日光を遮り、粉を振るうように濁った雪をふわふわ落としている。その町の外観そのものとも言える集中的に立ち並ぶ高層ビルは、欠けることなくどれもはげ、その黒く汚れた窓の先には、一切の照明が点いていない薄暗闇が待つ。光を失った信号はくの字に折れ曲がり、通りに植えられた街路樹は、骨と皮だけの老人のように、すっかり茶色く枯れ果てている。コンクリートで舗装された地面は、ところどころにひびが入り、その下の土が露になっているところすらある。その荒れた地面の上を、砂埃が溜まっては吹き上げられ、溜まっては吹き上げられを延々と虚しく繰り返している。
かつて「都会」と呼ばれたその都市は、現在は灰色と茶色の二色で構成される無人の廃墟と化していた。凶悪な伝染病が広がったわけではない。狂った悪魔が人っ子一人残さず殺してしまったわけでもない。人々はただ、得体の知れない恐怖から逃れようと、自らその都市を捨て、田舎へ移り住んだ。
雲を突き刺さんばかりの高さの先端が尖ったタワーを、一人の男が下から見上げていた。
「人を寄せ付けない廃墟……まさか〈大戦中の遺物〉の隠し場所として利用するとはな」
呟く声は蒼井のものだった。蒼井はそのまま真下の地面を見つめた。見開かれたその双眸は、地面のさらに下、地下深くの何かを見通そうとしているようにも見えた。
「……人はいない、か」
タワーの地下へと侵入を始めた蒼井は、コツコツと鉄階段を下りていた。どこから電力を吸収しているのか、機械が遠くで不気味な光や音を発している。空を切るような太く長い無数の鉄柱は、縦に限らず斜めにも真横にも伸びている。
どこまでも続くこの複雑な階段は、ふと気付くとすでに上も下も闇にのまれて先が見えなくなっている。まるで人が入り込むことは想定されていないような造りだった。
しばらく下りると、階段がなくなり、人一人がやっと通れるくらいの細い橋のような水平な場所に出た。奥の方にはまた長い階段が延々と続いているようだった。立ち止まった蒼井は急に横を向くと、すっと軽く跳躍して手すりの上に立った。下方の闇を見下ろす。ドーム状の機械があったり、鉄柱が横切ったりしている。
不意に、蒼井が瞼を大きく開いた。みるみる虹彩が開き、闇を受け入れるかのようにひとみが大きくなっていく。
何を考えたのか、蒼井は薄ら笑いを浮かべた。
次の瞬間には、もう蒼井の姿は消えていた。
闇の中を蒼井は重力のままに滑空していた。時折現れる鉄柱を利用して方向を変え、ドーム状の機械に着地してはまた闇に飛び込む。数百メートルの深さをあっという間に進んでいき、床に下り立つまでさほど時間はかからなかった。
再び歩き始めた通路の左右には、いくつもの巨大な機械が断続的に轟音を立てている。
「……制御システムの電力は全てここで賄っているのか」
蒼井は周囲を観察しながら呟いた。
どうやら、これらの巨大な機械は全て制御システムに電力を供給するための発電機らしかった。
しばらく歩いた先に、鋼鉄の扉があった。ドアノブを回すが、鍵がかかっている。
蒼井がノックするように軽く扉を叩くと、意外にも高い音が返ってきた。あまり厚くはないらしい。
蒼井は右足を一歩後ろに下げた。
すると、急に蒼井の身体は扉に対して垂直になり、右足が目にもとまらぬ早さで扉を蹴り飛ばした。
目の前に、無数のコンピュータが光を発する大きな部屋が現れた。
蒼井はコンピュータの画面を覗き込んだ。
「この下に〈大戦中の遺物〉が隠されてるのか。やっぱり〈大戦中の遺物〉は制御システムと直接繋がっているんだな。この前の米軍基地同様、ここからなら遺物ごと爆破できそうだ」
蒼井は懐から四角い黒い物体をいくつも取り出し、部屋中に放り投げた。
しばらくして地上に上がると、蒼井は先ほどタワーを見上げていた位置に立った。相変わらず雪が降っている。割れた地面に蓋をするように雪が積もり始めていた。
「認めるしかない。僕は雪男だ……」
感慨深げにそう言うと、地面へと視線を落とした。
そして、目を見開いた。
一瞬の間を置いて、地面が揺れ始めた。
蒼井が背を向けると同時に、タワー入り口のガラスが割れ、爆音と共に大量の黒い煙を伴った熱風がふき出してきた。
「くそっ!」
一人のプログラマーがデスクを叩くのと同時に、サイレンのようなけたたましい電子音が鳴り出した。画面には「ERROR」と赤く表示されている。
「やられた!」
「あと半分だったってのに!」
「どうしてこうなるんだ!」
プログラマーたちが憤怒の声を上げ始めた。
「蒼井か?」
「おそらくそうだ」
「片方がやられるのは予想していたことだ。すぐにこちらのプログラミングに移ってくれ」
「わかった」
「そうだな」
「そっちは何パーセントだ?」
「ようやく六十ってところだ」
ほとんど間を置かず、またエラーの音が響き始めた。
「おい、だれかまだ破壊された方のプログラミングを――」
「違う……」
脅えた震え声でだれかが呟いた。
エラー音が次々と重なり始め、数秒の内に全ての画面が赤く光った。
「何だよこれ……」
「どうしてこっちのプログラミングまでエラーになるんだ?」
「まさか……」
「これって……」
「完全にやられたな。残り二つの遺物制御システム、その両方ともが破壊されたんだ」




