story54‐‐阻止‐‐
――数日後。
蒼井はとある空っぽの倉庫の陰に身を潜めていた。長い間手入れされずに放置され、埃が溜まっていたらしい。床のコンクリートに蒼井の足跡が浮き出ている。息も脈も気配も消し、集中力を高めるかのように目を閉じる。
背を預ける壁の向こう側三百メートルほど先には、巨大なコンクリートの建物が要塞のごとく堂々と立っている。建物内へと続くドアには、『雷前町米軍基地』とある。この米軍基地跡は雷前町南端の、軍事訓練用の広大な土地の中心に位置している。基地の周囲はフェンスで囲まれ、フェンスの全ての入り口に警備員らしい見張りが三人ずつ立っている。
「……外の見張りが全部で九。通信機などで状況報告している様子はない。中はどうだ……」
蒼井の瞼に力が入った。まるで何かを透視しようとしているかのような集中力だった。
「……三十……四十……四十五か。なかなか堅いな。だが、こんなところに念を入れるより情報漏れを防ぐのに念を入れていれば、結果は変わらないにせよ、いくらかは懸命だっただろうな」
蒼井は懐からあらかじめ用意していたらしい一枚の紙を取り出した。建物内の通路や部屋が細かく書かれている。どうやら見取り図のようだった。
「制御システムがあるのはこの部屋だな……巡回経路は……」
蒼井は作戦を練り始めたようにしばらく独り言をぶつぶつ呟きながら見取り図の上で指を滑らせていた。
見取り図を懐に戻すと、今度は後ろを振り返り、額が触れそうになるほど壁に顔を近付ける。そして、目を見開いた。
すると、壁を挟んだ蒼井の視線の三百メートル先の見張り三人が、急にバタバタとドミノ倒しのように倒れていった。
倉庫の陰から出てきた蒼井は、堂々とフェンスの入口へ向かって歩き出した。見咎める者はだれもいない。倒れた三人は本当に死んでしまったかのようにピクリとも動かなかった。見張りの一人から制服を奪って上から着る。最後に同じ見張りから帽子も奪い取って長い髪を帽子の中に押し込むと、蒼井はナイフを取り出し、三人の見張りにとどめを刺した。
短いコンクリートの坂を上ってフェンスの内側に入り、建物内へ続くドアの前で立ち止まる。ドアの脇に赤いランプの光る機械が設置されていた。蒼井は奪った制服のポケットから認証カードを取り出し、機械にかざした。「ピッ」と電子音が響き、赤かったランプが緑色に変わる。同時に、自動式らしかった目の前のドアもスムーズに開いた。
「容易い。大して念は入れてなかったな。ま、こんなご時世じゃ、堅固な警備システムを設置することも適わないか」
呟きながら蒼井は建物内に足を踏み入れた。
建物内は、外から見た時の容貌と大差なく、床から天井までコンクリートがむき出しだった。通路は人二人がやっとすれ違える程度の狭さで、明かりも点在するだけなので、普通の人間なら何か明かりをもたなければならないほど薄暗い。この基地跡内の電力は〈大戦中の遺物〉の管理と、その制御システムに集中しているようだった。
不意に蒼井は、T字通路を折れて壁に背をつけ、身を潜めた。すると、蒼井が通ってきた通路の反対側の突き当たりが明るくなった。複数の明かりが混ざっている。やがて二人の警備員が話をしながら突き当たりの角を曲がってきた。T字通路まで来ると、蒼井はさも偶然の遭遇を装って警備員二人に話しかけた。
「あ、先輩方。ちょうどよかった」
一人は四十代後半から五十代前半あたりの初老の男、もう一人はまだ二十代くらいの若い男だった。
「どうした、こんなところで明かりももたずに。君は新人か?」
初老の男が尋ねた。不思議そうな顔をしてはいるが、大して不審には思っていないようだった。
「実は僕、今日からここの警備をすることになって、警備長に呼ばれているんです。でも、見取り図を失くしてしまって、道に迷っていたんです。それにこんなに暗いとは聞いていなかったので、非常用の明かりしかもっていなくて、でもそれを使うわけにもいきませんから、仕方なくそのまま歩き続けてたら、こうして運よく先輩方に出会えたという次第で……」
「なるほど。実は我々も、なぜここの警備をする必要があるのか、それにこの建物の情報に関しても、ほとんど知らされていないんだ」
「でも、自分の場合、暗いことは聞いていましたけどね」
隣の若い男が言った。
「まあ、災難だったということだ。ほら、警備長ならここにいる」
初老の男が見取り図の一部屋を示しながら言った。
「我々が通ってきた通路から行ける。明かりもこれを使え」
言いながら懐中電灯を差し出してくる。
「ありがとうございます」
懐中電灯を受け取って頭を下げる蒼井の口元に笑みが広がった。
蒼井が男二人の来た通路を歩いていくと、背後で「カチャッ」と音がした。
「貴様、手を上げろ」
「お前が例の侵入者だな」
蒼井はその場で立ち止まった。
「どうしてただの警備員が拳銃なんてもってるんです?」
「我々は全員、お互いの顔と名前を覚えるように言われている。新人が来る時も、あらかじめ顔写真と名前が送られてくる。もしも知らない顔の者が現れた時は、容赦なく発砲せよ、とな」
「じゃあ、どうして背を向けた瞬間に発砲しなかったんです?」
再び蒼井が尋ねる。
「貴様、一体何者だ?」
「怖くて撃てなかったんでしょう?」
挑発するようにそう言うと、背を向けたまま懐に手を伸ばした。
初老の男は辛そうに顔を歪めて蒼井の頭部を狙い、発砲した。
銃声が響く。
しかし、血の出る音もなければ、人が倒れる音もしない。遠くで乾いた音が小さく聞こえただけだった。
警備員二人の口元が薄く開き、ぶるぶると震えていた。
「な……な……」
若い男はまともに口もきけない状態になっていた。
視線の先の蒼井は、警備員二人に背を向けたまま首が曲がっている。
「お、落ち着け。き、きっと弾が外れただけだ」
言葉とは裏腹に声が震えている。
再び初老の男が銃口を蒼井に向け、発砲した。
しかし蒼井の首は反対側に曲がり、弾は再び突き当たりの壁にめりこむ。
「う……うぁ!……ば……化け物だ!」
若い男は戦々恐々とし、そのまま後ろへ尻もちをついた。
初老の男の拳銃を握る手からも、汗が滴っている。
「後ろに目でもついているのか?……いや、それ以前に、こんな至近距離で銃弾をかわすなんて……不可能だ」
蒼井がナイフを手にもって振り返った。
「一つ訂正しておくと、僕がよけたんじゃなくて、最初に君が言った通り、君が外したんだ」
蒼井が静かに二人に歩み寄る。
「僕を騙そうとしたのはよかったよ。相手が僕じゃなければね」
初老の男が発砲すると、途端に蒼井の姿が消え、視界に真っ白な無数の細い筋が現れる。
そして初老の男が顔を真下に向けた瞬間、下腹部から肩にかけて一筋のナイフが電光石火のごとく走った。
初老の男はくぐもった声を漏らしながら、若い男の隣に仰向けに倒れた。
血に染まったナイフをもつ蒼井の髪が帽子から垂れていた。
若い男は、隣で大量の血を流す男を見た後、再び蒼井に顔を戻すが、開いた口からは一切の言葉が出ない。
蒼井が若い男の方へ顔を向ける。微笑みを浮かべるその表情は、まさに天使そのものだった。
「いい運動になった。ありがとう」
蒼井は若い男の恐怖に見開くその目を微笑ましそうに眺めながら、ナイフを振り上げた。
これだけ広い建物の中では、拳銃の音すら他の巡回中の警備員には届かなかいようだった。巡回中の警備員を避けてすんなりと進むことはできたが、初老の男の言葉はでたらめだったらしく、示された部屋に警備長の姿はなかった。蒼井が訪れた部屋は、巡回時間外の警備員の溜まり場で、五、六人の警備員がいるだけだった。
蒼井は一人を残してフェンス前の見張り同様、全員気絶させた。残した一人から警備長の居場所を訊き出し、全員の息の根を止めてから部屋を後にした。せいぜい二分で済んだ。
「やっぱり最初からこうした方が早かったな」
通路の先の闇へ歩を進めながら呟く。
「まあ、急ぐ必要もないが」
建物は非常に広く、訊き出した情報通りの部屋に着くまでに、二十分近く歩き、計七人の警備員と遭遇することになった。
目的の部屋の中には巨大なスクリーンがあり、どうやら監視カメラの映像が、漸次場所を切り替えながら映し出されているらしい。しかし、画面に血塗れの警備員の姿は愚か、血液一滴すら映らない。三人が椅子に座って画面を眺め、一人はソファで眠っていた。
「だれだ君は?」
入ってきた蒼井に三人が気付き、その一人が怪訝そうに尋ねる。
もはや蒼井は血塗れになった警備員の制服を脱ぎ捨てていた。
蒼井はつまらなそうにスクリーン前の三人に拳銃を発砲した。あまりの音に眠っていた男は飛び起き、蒼井も顔を歪めていた。
「だから拳銃は嫌いなんだ。使うなら組織のものだな」
蒼井は煩わしそうに拳銃を放った。
男は事態を把握できずに突如射殺された死体を眺めている。
蒼井は視界を遮るようにその男の目前に立つと、瞼を縦に大きく開いて問うた。
「君が警備長だね?」
「…………はい……」
男は酔ったように目を細めて答えた。
「制御システムまで案内してくれるかな?」
男はふらふらと立ち上がり、部屋を出てどこかへ向かう。
しばらく歩いてとある金属製の扉の前に立ち、蒼井を振り返る。
「ここです」
壁に小さな機械が取り付けられている。
「扉を開けてくれ」
蒼井が言うと、男はカードを取り出して機械に通し、蓋を開いてパスワードを打ち込む。さらに指紋認証と網膜認証を済まし、ようやく扉に手をかけた。
部屋の中では、無数の複雑な作りのコンピュータが不気味な光を発していた。無人だが遠隔操作されているらしく、新しい画面がどんどん表示されていく。
正面のスクリーンにはゲージとパーセントの数字が浮かび上がり、どちらも秒単位で少しずつ増加している。
「まだようやく三十パーセントか……」
失望したような溜息をつくと、数個の四角い黒い物体をコンピュータのそばに置いた。
「……脆弱な遺物制御システムだな」
そこは狭くて薄暗く、コンピュータの画面の光が怪しく輝く部屋だった。黒スーツに身を包んだ十数人のプログラマーたちがキーボードを高速で打ち続けていた。
不意に、一人のコンピュータの画面にエラーが表示され、けたたましいサイレンのような電子音が響き渡る。
「おい、どういうことだ!」
突然の異常事態に男が立ち上がって叫んだ。
「なぜエラー画面が表示される!」
男が周囲を見渡すと、他のコンピュータからも次々とエラーの画面が表示され、やがて無数のエラー音が部屋中にこだまし始めた。
「一体何なんだこれは!」
「どうなっている!」
プログラマーたちが立ち上がり始める。
「だれかプログラミングを間違えたのか?」
「いや、ここにいるのはプロ中のプロ、間違えるとは思えない!」
「じゃあこの状況はどうしたら説明がつくというんだ! だれか説明してくれ!」
「一旦落ち着いてください」
プログラマーが焦りと怒りの混じった叫び声を上げる中、一人静かに座っていた男が低い声で言った。
「この状況が落ち着いていられるか! 君の画面だってエラーになっているじゃないか!」
「おそらく、蒼井とかいう男の仕業でしょう。ここに用意されているコンピュータは高性能なので、相当性能を上回るコンピュータでなければ我々相手にハッキングはできません。ハッキング以外で全てのコンピュータにエラー画面が表示されたということは、遺物の制御システムそのものが破壊されたと考えるのが妥当です。こういう状況に陥った時の対処法はみなさんに事前に伝わっていますね」
「そ、そうだな。よく考えれば、君の言う通りだ」
プログラマーたちは、自分たちが取り乱したことを恥じるように俯いて席に座り直した。
「確か、あの飯島という者に伝令を向かわせればよかったな」
「では、私が指示を出してこよう」
一人が挙手して立ち上がり、伝令を飯島のもとへ向かわせるために部屋を出ていった。
それからたっぷり数時間が経過し、ようやくプログラマーたちが集う小部屋のドアをノックする音が聞こえた。
入ってきたのは二人の若いスーツ姿の男たちだった。
プログラマーたちは、軽い軽食を取っている者もいれば、椅子の上でふんぞり返って仮眠を取っている者もいた。
「おお、君たちか。何か指示をもらってきたか?」
伝令を遣いにやった男が尋ねた。彼らが伝令として飯島のもとへ向かったらしい。
いつの間にか仮眠していた者も目覚めていて、プログラマーたちは全員伝令の言葉を待っていた。
「はい。飯島さんに事情を説明し、指示を仰いだところ」
「プログラマーのみなさんに、残りの遺物制御システム二つを同時に起動させるようにとのことです」
もう一人の伝令が語を継いだ。
「な……あの遺物制御システムを二つ同時にだと?」
「たった一つでもあそこまで時間のかかるプログラミングを二手に分かれて……」
「一体どれだけの大変な作業になるかわかって言って――」
「飯島さんは、プログラマーのみなさまには本当に悪く思っているとおっしゃっていました」
伝令の一人が、プログラマーたちの不平不満を遮るように言った。
「困難必至になることも、みなさんの苦労も全てお察しの上でのご判断だと思われます」
もう一人の伝令も後押しするように言った。
「……仕方ないか」
「これも我々の仕事だ」
「やりがいがあると思えばそこまで苦にもなるまい」
「どの道逃げられないな」
プログラマーたちはみな、観念したような溜息をついたり、覚悟を決めたように意気込みをしたりし始めた。
「敵が蒼井という男一人ならば、離れた場所に位置する残りの二つの遺物制御システムを同時に破壊することはできない。判断としては妥当だろう。あとは我々の力量にかかっている」
冷静さみなぎる声が響く。
「よし、我々全員で力を合わせ、無事にやり遂げてやろうではないか!」




