story53‐‐大戦中の遺物‐‐
小塚と佐川はまるで何事もなかったように休憩室でくつろいでいた。宝永は小塚のエリアの壁際に石像のように立っていた。
「おかえりー、泉ちゃんと隼人さん」
佐川は上機嫌で二人に手を振った。
「この状況は……」
隼人が休憩室にいた三人を観察しながら呟く。
「仲直りしたみたいですね」
泉が後を継いだ。隼人との微妙な空気は他のメンバーと顔を合わせたことで自然と和んだようだった。
「そうなんだよー。男の友情ってわかんないよねー」
佐川は楽しそうにさっきまで険悪な仲だった二人を指差す。
「結局、ただの自然発生した狂魔だった。後処理は警察に任せてある」
小塚は両手を頭の後ろで組みながら、いつもの仏頂面で報告した。
飯島の言う通り、蒼井も栗原も関与していないようで、泉は安堵の溜息をついた。
その様子に気付いた佐川が不思議そうに尋ねる。
「どうしたの?」
「あ、いえ。とにかく、みんな無事でよかったです」
「小塚と宝永も、もう打ち解けたみたいだしね」
隼人が相槌を打った。
「泉殿」
始めての堅苦しい呼ばれ方に振り向くと、宝永が背後に立っていた。頭部の包帯についビクッと両肩が震えてしまう。
「天は無事にお送りできたか?」
「はい、もちろん」
宝永にとって飯島はとても大切な存在らしい。
「そういえば宝永さんは、飯島さんから、感情物質を操るための特別な訓練を受けたんですよね」
「直接ではないが、修行方法を教えてもらった」
「その訓練、あたしにも教えていただけませんか?」
泉は懇願するように両手を合わせた。
「泉殿も〈気〉を操りたいのか?」
「はい」
「私をあの山へ遣わされた時の天の言を借りれば、我々僧侶の修行の真髄は、『感情物質の汚染によって猛毒をもつように進化した山の生き物の毒を、自ら受け入れることで、彼らの溜め込んだ感情物質を摂取し、真の負の感情の意味を知り、そして理解することにある』そうだ」
「毒? 例の猛毒生物で溢れた山で修行……ということですか?」
泉は嫌なことでも思い出したように身震いした。
「〈気〉を操りたいのではないのか?」
宝永が言い終わると同時に、突如、全身がふわふわするような感覚に襲われた。泉はまだ酒を飲んだことはないが、まるで酔ってしまったかのようで、脳が指令を出そうとしない。決して不快ではなく、むしろ心地よかった。ずっとこのままでいられればそれほど幸せなこともない、と思ってしまうような、そんな感覚だった。
ふと顔を上げると、宝永が泉をまっすぐ見つめていた。彼が正の感情物質を放出しているのに気付き、この奇妙な感覚を振り払うように首を振った。途端に感覚が戻る。
「あたしは、もっと感情物質を操れるようになって、みんなをフォローできるようになりたいです」
幼い子供が夢を語るように言った。
「やはり、〈気〉を操る者に〈気〉は効かないようだな。使い方によっては、人間の動きや心情を察知し、逆に己の気配を消すこともできる。実に幅広い応用が可能な力だ」
「そんなことができるんですか……やっぱり、蒼井の力を知るには蒼井と同じ力を操れるようになることが必要不可欠ですね」
二人のやり取りを聞いていた隼人がすっと立ち上がった。
「俺も……もっと鍛錬しないとな」
そう言いながらどこへともなく休憩室を出ていく。
「俺はしばらく黒江町を離れる」
小塚もつられるように立ち上がって泉たちに告げた。
「えっ? 小塚君もどっか行っちゃうの?」
佐川が敏感に反応する。
「他の町に有能な鍛冶職人がいると聞いた。そこで最高の切れ味の刀を打ってもらう。あと、蒼井が感情物質で人間を感知できるなら、日比野が感情物質を遮断するクリームを開発してから、蒼井に気付かれないように蒼井のアジトの探索を始めようとも思っている」
そう言うと、小塚も休憩室を出ていってしまった。
「そっか。みんなこれから忙しくなるんだなあ」
佐川は憂鬱そうに呟き、泉に視線を投げかける。
「あたしは何したらいいと思う?」
「確かに、佐川さんの射撃技術はすでに天下一品ですよね」
うーん、と泉が悩んでいると、何に思い至ったのか、佐川が「あっ」と声を上げた。
「それじゃああたし、隼人さんに銃の扱いを教える。って何か上から目線みたいになっちゃったけど。でも、隼人さんの射撃技術の向上は、イコール組織の総戦力アップになるでしょ?」
「はい、そうですね」
泉は笑顔で返した。
こうして休憩室でみんなと談笑できる日はもう限られているのだとしみじみ感じる。
(いや、みんなじゃない。栗原さんがいない。栗原さんを連れ戻して初めてここは、あたしの知る狂魔特別対策組織になる)
「泉ちゃんは山にこもって修行するんでしょ?」
「え? あ、えーっと……」
泉が振り向くと、一応話は聞いていたらしく、宝永はコクリと頷いた。
「みんな修行で本部を留守にするなら、狂魔が出現したら、あたしと隼人さんで退治できるようにならないとね」
「え、でも、その時はあたしも呼んでいただいて構いませんよ?」
佐川がチッチッと人差指を振る。
「あたしたちの最終目標は蒼井秀一。本当なら、メンバー全員が小塚君みたいに一人で狂魔二人を倒せるくらいじゃなきゃいけないんだよ」
「確かに……その通りですね。では……狂魔が出現した時の対処はお任せします」
「了解。任されました!」
佐川が敬礼のポーズを取る。
「そう言えば、何か新しい武器も作るんだよね?」
佐川が思い出したように尋ねる。
「はい。武器に猛毒を仕込みます」
「じゃああたし、それも手伝わなきゃ。みんなが修行しているのに、あたしだけ楽してるわけにもいかないでしょ? 実はこう見えて、ちょくちょく岩谷さんの研究も手伝ったりしてたんだ」
佐川は得意げな顔をして言った。
「佐川さんが?」
「そう。管理課の人や治療課の人たちは不器用だってグチグチ言ってたからあたしが手伝ってあげたら、お前、意外と器用だなって言ってくれたんだよ」
佐川が二ヒヒと自慢げな笑みを泉に向ける。
「と、ところでさ」
不意に佐川が周囲をきょろきょろした。宝永をシッシと手振りで遠くに追い払おうとしたが、動こうとしないので、泉を休憩室の端っこまで連れていく。
「あの宝永さんって……ドMなんでしょ? あたしは――」
「ちょっと待ってください。いきなり何の話ですか?」
泉が戸惑う。
「SとMの話に決まってるでしょ」
佐川はさも当たり前というように言う。
「あたしってたぶん……S……でしょ?」
「まあ……そうですね」
泉は以前佐川の個室を訪れ、そこでいじり回されたのを思い出し、素直に肯定した。
「で……小塚君もSでしょ?」
「小塚さん?」
「うん、そうだよ、きっとSだよ。泉ちゃんがまだ新人さんだった頃、見たでしょ? 小塚君が岩谷さんの髪の毛引き抜くところ」
あー、と泉はその時の場面を思い出した。
「それに、宝永さんは小塚君に進んで殴らせた。つまり宝永さんはM。すると、小塚君は必然的にSってことに……」
「え? あ、えーっと……そう……なるんですか?」
泉は佐川に引きずられる形で聞き手に回っていた。
「うん、きっとそうだよ。あ、あの、それで……」
佐川は人差指と人差指をツンツンさせ始めた。顔も高熱が出たように赤く、そして熱くなっていた。
「えーっと、あたしと小塚君……これから……うまくやっていけるかなって思って」
「は、はい?」
泉の返事が少々あきれ気味になっていた。
「だってさ、あたしたち二人ともSじゃん。その……こ……こい……びと……っていうのはお互いSじゃ……よ……よくないんじゃないかなって」
心なしか、聞いてる泉の方も恥ずかしそうに頬が染まり始めたようだった。
「え、えーっと、どうでしょうね…………お、お二人の仲は……その……うまくいってるんですか?」
「基準がわからないから……あれなんだけど……一応――」
佐川が泉の耳元で何か囁いた。
「うそーーーー。小塚さんにキ、キ、キスしたんですか!」
泉は耳まで真っ赤になり、声もひっくり返っていた。
泉の声で佐川の顔も沸点に達したように熱を帯び、慌てて泉の口を押さえ、宝永を横目で見やる。
「つ……続きは個室で」
佐川は泉を連れて小走りで休憩室を後にした。
隼人はゆっくりコツ、コツ、コツ、と階段を下りていた。ズボンのポケットに手を突っ込み、一定のリズムを刻みながら一歩一歩足を前に出す。表情は真面目そのものだった。いつもの適当そうな雰囲気は微塵も感じられない。ただ、ボーっと前を見ながら階段を下り続ける。『B21』と彫られた扉の階を過ぎたが、まだ階段を下り続ける。地下へ下りれば下りるほどあたりは静かになっていき、階段を下りる足音がより一層空気を振動させる。
不意に「ゴー」と何かが擦れるような音が聞こえた。だれかがエレベーターを利用しているようだった。音は途中で止まり、エレベーターは停止した。また静寂が訪れ、コツ、コツ、コツ、という音が空気を静かに震わせ始めた。
地下十九階でエレベーターを降りた小塚は、まっすぐ研究室に向かっていた。日比野の居場所とパスワードは佐川が以前教えてくれていた。
佐川は意外と本部のことを把握している。初めて管理室を訪れた時も佐川にパスワードを教えてもらった。メンバーのうち、一人くらいはそういう人がいると確かに助かることが多い。
(おれが知らないだけかもしれないけどな)
廊下の突き当たりに到着すると、小塚は教えてもらったパスワードを入力し、研究室に入った。
白衣姿の科学者二人は、何か議論しながら大きな紙に設計図のようなものを描いていた。
ふと小塚の姿に気付いて振り返った日比野は、見るからに額に冷や汗を浮かべて血の気が失せていった。まだ恐ろしくて目も合わせられないようだった。
「お前に用はない」
そう言うと、小塚は関水の方へ歩み寄った。
並々ならぬ小塚の人を圧倒するような気迫と、目の前の日比野の顔面蒼白な様子に影響されたらしく、関水の方も緊張してしまっているようだった。
「あんたが関水か?」
「……はい」
関水は張り詰めた低い声で答えた。
「あんたに頼みがある」
小塚はぶっきらぼうに言った。
「頼み?」
「あんたはここで日比野と一緒に毒を仕込んだ武器を作ると聞いている」
「はい、まあそうですね。時々自分の研究所に戻らなければならないこともあると思いますが……で、頼みというのは?」
「強い催眠作用がある薬品を仕込むことはできるか?」
「催眠作用? 眠らせる、ということですか?」
意外そうな表情で訊き返す。
「そうだ。結果的に殺さず、長期間動きを止められればどんな種類のものでも構わない」
「私の研究所にそういった種類の薬品がないこともないですが……」
「なら、頼む。用意しやすいもので構わない」
小塚の態度は真剣そのものだった。
「わかりました。どの武器に仕込みますか?」
「とりあえず、俺の分の近接用の武器にだけはその薬品を仕込んでくれ」
「はい、わかりました。用意しておきます」
小塚が背を向けて出口に向かうと、日比野は不思議そうな眼差しをその後ろ姿に注いだ。
「……一体何のつもりだ?」
青白い月夜の下。周囲を田畑に囲まれたこの白い巨大なコンクリートの建物は、田舎風景に似合わぬ異彩を放っていた。
たった今そこの玄関口に止まった大型車から、あごひげを立派にたくわえた男が降りてきた。笑みを浮かべて澄み渡る星空を見上げる。
(蒼井に聖人化薬を打たれた少女、切れ者野芝東一郎の一人息子、狂魔化の人体実験で狂魔の力を得た男、狂魔の血をわけた娘……)
「……この世界も、随分と宿命的な世になったものだな」
言葉は白い息と共に、すぐに夜の冷たい空気にとけ込んだ。
「飯島さん、どうかしましたか?」
飯島の迎えとして大型車に乗ってきた若い男の一人が、凍えるような寒さの中で夜空を見上げる飯島に、恭しい口調で尋ねた。迎えに来た彼らは、みな目の前の研究所で働く研究員で、飯島の部下でもある。
「いや、いい息抜きになったと思っただけだ」
「ここにいてはお体を崩しますよ。中に入りましょう」
運転席から降りてきた若い女性の研究員が言った。
「そうだな」
三人の若い男女が飯島を囲むように玄関前の階段を上がり、彼らは研究所内へ入っていった。
部下がドアを開け、飯島がエントランスホールへ入ると、奥の方に、行き交う白衣の研究者たちの間を見え隠れする黒い姿があった。正体は正面奥の壁際のベンチに座る若い男二人だった。研究所内では見慣れない顔で、スーツ姿であるところからも、研究所の人間ではないようだった。飯島は自分に用があるのだとすぐに気付き、彼らのもとへ歩き出した。
船を漕ぎかけていた二人は、歩いてくる飯島の姿を確認すると、待ってましたと言わんばかりに急いで腰を上げた。そのいかにも真面目そうな態度から、だれの使いで来たか飯島にはすぐに判断できた。
「自分たちは海堂様の伝令で来ました」
片方の男が敬礼しそうな勢いで言った。
「だろうな。で、海堂は何て?」
飯島が尋ねると、今度はもう片方の男が答えた。
「『全国の作業用特殊地下施設設置が完了した』とのことです」
「なるほど、完全に予定通りだな。こんな夜遅くまでご苦労だった。もう戻っていいぞ」
海堂の部下二人は、丁寧に頭を下げてから研究所を出ていった。
「さて、お前らも準備をしたら私の部屋へ来い」
飯島が三人の部下に命ずる。
「はい」
飯島は部下と別れて廊下を歩き出した。すれ違う研究者たちと適当に挨拶を交わしながらしばらく歩くと、飯島は廊下のとある扉の前で立ち止まった。『飯島』というプレートがはまっている。
翌日の早朝、まだ日が昇る数時間前。飯島は研究所とは別の建物の中にいた。ここも国家が所有する秘密施設で、飯島の目の前でそれぞれ自分の席に座っているのは、全員黒スーツに身を包む十数人の海堂の部下たちだった。彼らの席はばらばらに設置され、席の周囲では無数のコードが絡み合っている。彼らの目の前には、それぞれ高性能コンピュータが置かれている。
「全員、海堂から話は聞いているな。これからお前たちは私の指示に従ってもらう。異論はないな?」
口を開こうとする者がいないのを確認してから、飯島は話を続けた。
「それではこれから、全国から集められた秀でた才をもつプログラマーであるお前たちに、日本に現存する三つの〈大戦中の遺物〉の眠り場所を教える。その全てを稼働――つまりその制御システムを作動させてもらう。緊急事態の時は通信機を利用せず、必ず私のもとに直接二人以上の伝令を派遣するように。蒼井は強力な情報力をもつからな。では、〈大戦中の遺物〉が現在眠っている場所を教える。まず一つ目は、雷前町の米軍基地跡……」
その小部屋は薄暗く、寂しく、そして冷たい部屋だった。壁の角にランプが取り付けられている。照明と呼ぶにはその火はあまりにも小さく儚い。しかし、それが部屋を暖める唯一の暖房でもあった。狭苦しいこの小部屋には作業スペースがあり、ランプの明かりが、その真っ暗な闇の中で作業する白銀の何かを淡く照らし出している。それは人の形をし、小さな木の椅子に座っていた。時折手もとから、一瞬部屋を温かな朱色に染め上げる火花が飛び散る。
また「バチッ、バチバチッ」と火花の爆ぜる音がする。同時に、椅子に座る白銀の何かも明かりで照らし出された。その朱色の光にも染まることなのない白銀の正体は、雪よりも美しい長い髪だった。鈍色に輝く怪しいひとみは飛び散る火花を見つめ、研ぎ澄まされた刃のように鋭い。そして透き通るように白く整った顔立ちのその男には、一切の人間らしい表情は浮かんでいなかった。
不意に、足元から「ザザッ」と音が聞こえた。
男は音源の機械を耳元に当てる。
すぐに音声は絶たれたようで、男は一分もしないうちに機械を放り、立ち上がった。すっと振り返った男の背後には、黒い無数の四角い物体が山積みにされている。
「もう十分かな」
男は部屋の隅のドアを開け、部屋の外に出た。
階段で数段高くなった正面の祭壇へ上がる。中央の真上の天井には、二人の天使が市民に弓を向ける絵の描かれたステンドグラスがはめ込まれている。珍しく、夜明け前の明るい星明かりが教会内部を照らしていた。
「〈大戦中の遺物〉……か。よく考えたものだ」
蒼井は感心するように呟いた。
星の光と調和するように全身が淡く反射し、眩しく輝いている。
「……ようやく世界が自らの危機を自覚し、慌て始めた……でも、もう遅い……僕らが生まれた時点でこの世界の運命は決定している」
プログラマーたちに指示を終えた飯島は、施設の駐車場へ向かって長い廊下を歩いていた。人が少なく薄暗い場所に出ると、つい考え事をしてしまうようだった。
(息抜きをしておけ、か。確かにここ数年分くらいの仕事をすることになりそうだ)
今頭の中に浮かんできたのは、数週間前、ロボットを通じて海堂から指示を受けた時のことだった。
『数週間後には、ある地下施設の準備が完了する。そうしたらお前は、国家のプログラマーたちに日本に現存する三つの〈大戦中の遺物〉を稼働させるよう指示を出せ』
『〈大戦中の遺物〉? 何だそれは?』
『大戦中に製造、あるいは輸入されたが未使用に終わった殺戮兵器だ』
『殺戮兵器……まさか海堂、お前、戦争でも起こす気なのか?』
『病気発病率が原因不明のまま急上昇の一途をたどるこの日本と、一体どこが戦争をしたがる?』
『確かに今の日本は、諸外国から厄病国や死の国とも呼ばれているらしいが……じゃあ、一体なぜ殺戮兵器なんかが必要になるんだ?』
『私の使命はただ一つ。蒼井の計画を止め、この国を守り、そして発展を遂げさせることだ。〈大戦中の遺物〉のうち、一つでもうまく改良して使用できれば、蒼井の計画を阻止する大きな力になりうる――』
飯島は駐車場に出ると、すぐに自分の車に乗り込んだ。
「さて、俺も一研究員として、担当の地下施設へ向かうか」




