story48‐‐故人を想う‐‐
泉が老舗和風料理店『都』に到着した時、時刻はちょうど正午を回ったところだった。料理店が最も込みやすい時間のようだった。
店の戸口へ続く長蛇の列は相変わらず存在しており、泉も何となく並んで周囲を見渡す。店の外の本来何もないはずの原っぱには、未だ勢いの衰えない人気に呼び寄せられるように、車が無数に停まっている。『白線に沿って車をお停めください』という手書きの看板がいくつか立てられており、どの車もその看板の指示に忠実に従っている。もともと何もなかった空き地に、これだけの量の車がきれいに並んでいると、何とも言い難い芸術的な美しさを感じる。
泉は自分が働いていた時とは随分印象が変わったように感じたため、あまり親近感が湧かず、初めて来る場所に思えてならなかった。
『都』の従業員であるにもかかわらず、順番が来ても戸口にかけようとする手が重く感じられた。
店の内装は何一つ変わったところはないようだった。
ただ、知らない若い男が料理を運んでいるのは嫌でも目に付いた。泉が一時的に抜けた穴を埋めるために、アルバイトとして雇ったらしかった。何となく作業がいちいちおどおどしていてぎこちない。
「い、いらっさいませ」
泉の目の前を通る時、男がたどたどしく言った。
慣れない新人であるのが丸わかりだった。
「緊張しているなら、何か少し食べてみたらどうですか?」
泉は男の背中に向かって声をかけた。
男は一瞬ビクッとして振り返った。笑顔で泉に軽く会釈を返してくる。
「あ、お、お気遣いありがとうございます」
客に心配されたと思ったようだった。
泉は一つだけ空いた隅っこのカウンター席に座った。
一番最初に泉に気付いたのはハルだった。
「あら、泉ちゃん、どうしたの? お仕事はお休み……ではないよね?」
「あ、はい。えーっと、太一さんにお話があったんですけど……」
山の毒をもった生き物に詳しい太一に話しを訊こうと、泉はあまり考えなしに『都』を訪れていた。だがこんな時間に来てしまっては、あまり話せる感じではなかった。それによく考えたら、料理店で毒の話などできるはずもない。
「今ちょっと忙しくて手が離せないの。ごめんね、もうちょっと待ってくれる?」
ハルは申し訳なさそうに言った。
「じゃあ、店が終わる頃にもう一度来ますね。あ、その前に、あたしが使わせていただいてた寝室に入らせてもらって構いませんか?」
泉は思い出したように付け足して尋ねた。
「ええ、もちろん。雛子ちゃんが真白ちゃんと遊んでると思うわ。きっと両方とも喜ぶわね」
泉が店の奥の階段を上がっていくと、途中で真っ黒な猫が足音に気付いたように顔を出した。真白だった。その後に続いて、真白を追ってきたらしい雛子も姿を見せた。
「泉おねえちゃん!」
「雛子ちゃん!」
二人はほぼ同時にお互いの名前を呼び合った。
上がってきた泉が膝を折ると、間を空けず雛子が飛びついてきた。よっぽど寂しかったようだった。真白も泉の膝に頬をこすりつけた。
「お仕事……お休み?」
恐る恐るというふうに雛子が訊いた。何となく察していて、真実を知るのは怖いが訊かずにはいられないという感じだった。
「ごめんね。まだお休みじゃないの。もうちょっと長くかかるかな」
「……今日は……お仕事で来たの?」
雛子はしょんぼりして尋ねた。
「うん。ちょっと探し物……かな?」
「ふーん。雛子は手伝わない。邪魔してあげる」
泉は一瞬何を言っているのだろうとボーっとしてしまったが、真意に気付いてすぐに笑みを浮かべた。
「ふふ、ありがと。じゃあ、いっぱい邪魔してね?」
雛子は満面の笑みでコクリと頷いた。
雛子は泉と共有していた畳を敷いた寝室で寝っ転がりながら、真白を猫じゃらしでひょひょいと操り、探し物をする泉に飛びつかせた。泉も毎回「うわ」とか「おお」とか言いながら真白を受け止めつつ、押し入れの中を探っていた。
真白が疲れたのか飽きたのか、両手を枕に寝そべると、雛子がつまらなそうに不満の呻き声を漏らしながら足をバタバタさせた。
やはりまだまだ子供なのだと泉は思った。
「何探してるのー?」
ついに雛子が尋ねてきた。
「んーっとね、あたしがもらった真梨香の遺品の本を探してるの」
「……真梨香おねえちゃん」
泉の視界に雛子の姿はなかったが、声だけで雰囲気が暗くなったのはすぐにわかった。
「ねえ、雛子ちゃん」
泉が唐突に振り返る。
「ちょっと変な質問しちゃうけどいい?」
「うん……」
雛子は怪訝そうに頷いた。
「雛子ちゃんの目から、真梨香の様子が変だとか、何か隠してるとか、とにかく何か変わったこと感じたりしなかった?」
泉の質問が当然、安藤家を襲う前の真梨香についてであることは雛子も理解できているようだった。
「真梨香おねえちゃん、たまに暗い顔することはあったよ。でも、泉おねえちゃんと話してる時はずっと楽しそうだった。泉おねえちゃんには言えない心の中の嫌な何かを隠してたみたいだけど、たぶん、泉おねえちゃんとお話して、その嫌なことを忘れたかったんだと思うよ」
「やっぱりそうだったんだ……家族のことで……何か……」
――殺意。
不意に泉の脳裏にその言葉が浮かんだ。
泉は黙って考え込んだ。
真梨香は本当に心の内に家族への殺意を抱き、それが増幅して狂魔化してしまったのか、それとも、蒼井に狂魔化させられたことで狂魔として暴走してしまっただけなのか、泉の脳は明確な答えを出せずにいた。最初は都合がよすぎる、そう思った。岩谷が殺された直後に、今度は泉の親友の真梨香が狂魔化。とても自然なこととは思えなかった。でも、今は少し違う。そもそも狂魔化とは、もっと身近で人間の本質的な現象ではないのか、そう感じていた。
あの時、火の海の中で真梨香が言った言葉を思い出した。忘れたくても忘れることなどできない。
『最初から、泉を妬んでいたわ。だって、あたしが欲しいものみんなもってるんだから』
そしてその後、真梨香は泉のことを大好きだと言ってくれた。
結局、両方真実なのだと泉は思った。狂魔化しているからといって嘘を言うとは限らない。きっと、泉に嫉妬を抱いていながらも好きでいてくれた、天国の真梨香はそう囁いているように感じた。
(でも、おそらく蒼井が真梨香の狂魔化を促したのも事実。蒼井が真梨香と家族を死に導いた。殺したと言っても過言ではないはず。蒼井は淘汰されなければならない存在で、死をもってその罪を償うべき極悪人)
「どんな理由があっても、人を殺していいはずないよね」
泉が何ともなく呟いた。
「そうかな。雛子はそうは思わないよ」
泉は目を丸くして雛子を見つめた。
「雛子は雛子の家族を殺した人を殺したいと思ってる。死ぬべき人だと思ってる。でも、それはたぶん雛子だけの考え方。雛子の家族を殺した人にとっては、きっと雛子の家族は死ぬべき人間だったんだよ。ただ、みんな意見が違うだけ」
「そう……だよね」
泉は自分の言葉が矛盾していることに気付いた。泉たちは、「狂魔である」という理由を盾に彼らを殺している。
そして蒼井は、蒼井自身の正義を貫いて行動した、そういうことになる。
「……でも……蒼井は岩谷さんを……それに真梨香だってきっと蒼井が……」
「泉おねえちゃん?」
雛子が泉の顔を覗き込んでいた。
「怖い顔しちゃだめだよ。また怪物になりそうだったの?」
(違う。これはあたし自身の蒼井への憎悪。人間の本能的で、必然的な感情)
泉はすぐに笑顔を作った。
「友達や家族を殺した人間を憎んで殺そうとするんじゃ、結局ただの殺し合い……憎しみの連鎖になっちゃうよね……」
泉の目から雫が落ちた。すぐに笑顔が消え、顔をうずめた。
「でも……そしたらあたし……どうしたら……」
声が震えていた。
「泉おねえちゃん」
雛子が諭すように声をかける。
「確かに憎しみの連鎖は起きちゃだめ。でも、人がだれかを殺そうとしてるなら、それは止めなきゃいけないことだよ。泉おねえちゃんの敵は止めなきゃいけない人なんでしょ? だったら、泉おねえちゃんはきっと、もう覚悟を決めなきゃだめなんだよ」
「うん…………わかった」
泉は顔をうずめたまま頷いた。
その後、気持ちが落ち着いてから、真梨香が所有していた毒に関する本探しを再開したが、結局見つけられなかった。
親戚には真梨香の家に起きた悲劇を伝えなかったため、真梨香の遺品のほとんどを泉がもらっていた。しかし、真梨香の家も火が点いていたようで、遺品としてもらえたのはごくわずかだった。その中に、真梨香の本は含まれていなかったようだった。
「そう言えば、真梨香は本を町で買ったって言ってたような……」
泉は押入れの戸を閉めながら呟いた。
「ええ? じゃあ、泉おねえちゃん町に行っちゃうの?」
雛子が悲しそうに視線を下げる。
雛子は手にもっていた猫じゃらしを泉の目の前でひらひらと揺らし始めた。
「あたしは猫じゃらしに食いつかないよ」
雛子のどこか真剣な表情に、泉はつい笑ってしまった。
泉が立ち上がると、寂しそうに見上げる雛子の大きくて丸い目が潤み始めた。
「あー! ごめんねー!」
泉は雛子に抱きついた。本気で謝っているという感じではなく、ただかわいすぎて抱きつかずにはいられなかったようだった。
本気で寂しく思っている雛子には悪いと思いながら、泉は心の隅で雛子の潤んだひとみに胸をキュンキュンさせながら、五分ほどかけて何とか雛子をなだめた。
「いつか仕事が終わってちゃんと戻ってきたら、その時はもうお店のお手伝いしながら、ずーっと雛子ちゃんと一緒にいられるから。それまで、少しだけ待ってて」
泉は両手を雛子の肩に添えながら言った。
「……早く戻ってきて」
「うん」
「死なないで」
雛子はただ寂しく感じていただけではないことを、泉は今さらながらに知った。雛子は寂しい以上に、泉がこのまま家族同様いなくなってしまうかもしれないという恐怖も感じているようだった。
「うん。ちゃんと生きて帰ってくるから。あの時も約束したでしょ?」
泉は首元に手を伸ばし、ジャラっと金属音を立てて金のネックレスを出した。
「これがある限り、あたしは死なない」
雛子の丸くて宝石のように輝く目を見つめて言った。
何かをこらえるように雛子は俯いた。
「……いってらっしゃい」
恐怖に打ち勝ってそう言ってくれた雛子の言葉に、泉は笑みを浮かべて返した。
「うん、いってきます」
「……そうなのか」
その日の昼下がり。
休憩室の佐川のエリアで隼人が呟いた。隼人は佐川の向かいのソファで話を聞いていた。
佐川の隣には、こめかみを押さえて何やら考え込んでいる小塚の姿もあった。佐川の話を聞いていた様子は見受けられなかった。
隼人と小塚は、それぞれ別々に食糧や簡易医療機器の調達を行っていたが、佐川が戻った時には、二人とも一日の仕事を終えて戻っていた。訓練の時間も考えれば、だいたい夕方前までには帰る必要がある。だが、まだ泉は休憩室に戻っていなかった。
「よく考えれば、狂魔が家の壁登ったり、屋根走ったり、あたしたちが壁に蹴り飛ばされることもあったよね。起きている時間だったらなおさら、深夜でもまったく目が覚めないわけないよね……」
佐川は急に思い出したように、休憩室の壁に取り付けられた時計に目を向けた。
「そういえば、泉ちゃん遅いね。いつもなら、そろそろ経過報告の時間だけど」
「っていうか、安藤さんは日比野の監視じゃなかったのか? 何してるんだ?」
隼人のもっともな疑問に答えられる者はいなかった。




