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狂魔伝  作者: ラジオ
第二章
47/67

story46‐‐二人の誓い‐‐

 カナメたちがこの部屋に来た時には、すでに彼らの顔は罪悪感に塗れたような表情だった。

「私が君たちを呼んだ理由はわかっているようだね」

 子供たちは五人とも下を向いていた。

「単刀直入に訊く。君たち、カリンちゃんをいじめたのか?」

 だれも答えなかった。

 だが、院長のひとみには、彼らがカリンをいじめて酷く後悔しているようには見えなかった。雰囲気が少し違う気がした。

「いじめたつもりはないが、思い当たる節はある……ってところか?」

 院長は声を和らげて言った。カリンを自分たちが傷つけてしまったかもしれないという疑念が、彼らの心を苦しめているようで、早く解放してやりたかった。

 この孤児院でのグループ内の絆は、家族の絆と同等か、もしくはそれ以上の存在だった。院長は一生自分が感じることのないであろう苦しみで満ちた彼らの顔を、頭に刻み込むようによく見た。

「俺たち、カリンちゃんはあんまりやりたくないって言ってたのに、『宝石取り』にいつも少し強引に連れていってた……」

 カナメが足もとの床を目を細めて見つめたまま言った。悪戯をした子供が、それを親に告白しているような雰囲気だった。

「強要したのか?」

 カナメが小さく頷く。

「カリンはリサちゃんと、他の女の子と一緒に花輪を作ったり、貝殻を集めたりしたいって言ってた……」

 キョウスケが補足するように言った。

「たぶん、リサちゃんと戦う遊びが嫌だったんだと思う」

 再びカナメが口を開いて言った。

「そうか……だが、この話ではあの子があそこまで苦しむとは思えない。原因は君たちではないのかもしれない」

「それじゃあ、どうしてカリンは……」

 カナメが呟く。

 自分の疑いが晴れても喜ぶことなく、仲間の心配を優先させる彼らの絆に、院長は強く心を打たれた。

「……院長」

 廊下から声がした。静かな、しかし緊張した女性の声だった。

 院長は察して隣の部屋に戻った。

 カリンの両肩に手を置くリサが、戻ってきた院長に顔を向けた。

「院長先生……カリンちゃんさっきから……」

 不穏な空気を感じた。内臓が今にも動き出しそうだった。

「『怪物に殺される』って……」

 戸惑った口調のその言葉に、院長は頭のてっぺんから足先まで鳥肌が立つのを感じた。

「……リサちゃん」

 微かな声がした。

「ん? なに?」

 リサがカリンの口元に耳を近付ける。

 カリンがゆっくり弱々しい声で何かを話し始めたようで、全員黙り、部屋は静寂に包まれた。

「……昨日あたし、丘の上で転んで擦った足の傷を治してもらおうと、院長先生の部屋に行ったの」

「うん」

 リサがカリンの肩をさすりながら、優しく包み込むように先を促す。

「そしたら、知らない人と話してる院長先生の声がして、『あの子たち』って言葉が聞こえたから、あたしたちのこと言ってるんだなってわかった。でも、その後『怪物』って言葉も聞こえて……」

「『怪物』?」

 リサは優しい口調を心がけたが、怪訝な感じも混ざっていた。

 院長は女性の方を振り返った。

「すまないが、子供たちを全員外に出してくれ」

「院長、『怪物』って……」

 女性が怯えたように呟いた。

「いいから、君たちも子供たちも、外に出ていてくれと言ったんだ!」

 院長は声を張り上げた。

「院長先生」

 リサが院長の方を向いた。

「カリンちゃん、たぶんあたしがいないと話してくれないよ」

「構わない」

「構わなくない!」

 背後の声の主はカナメだった。

「カリンが苦しんでるのに、放っておけるわけない。話を最後まで聞かないうちは、絶対に外には出ない!」

 カナメたちがカリンのそばに座った。

 それに続くように修介たちもカリンのそばへ歩いていく。

「カリンちゃん、話してごらん」

 ヒサトが優しい声で続きを促す。

 院長は目を押さえた。

「頼む。君たちだけでも出ていってくれ」

 大人の女性二人は、静かに廊下に出てドアを閉めた。

「……昨日の夜、怖かったんだけど、あたしたちが関係してたみたいだから、気になって、院長先生の車を追いかけて町まで行ったの」

 そこまで言って、カリンはまた顔をうずめてしまった。

「大丈夫だよ。私たちがそばにいる。話してごらん」

 リサはカリンの心を落ち着かせるように頭をそっと撫でる。

「それで……それで……」

 カリンの呼吸がヒステリーを起こしたように荒くなり、言葉が詰まった。

「落ち着いて。リサがそばにいるから大丈夫だよ」

「うん」

 リサの言葉にカリンは小さく頷き、震える口を開いた。

「ま……真っ赤な目の人が……たくさん……たくさん人を……殺してたの……」

 カリンは言い切ると、再度顔を伏せた。

 院長は顔を覆うように右手でこめかみを押さえた。

 真っ先にカナメたちを疑った自分を恥ずかしく思った。罪悪感さえ生まれた。カナメたちが隣の部屋で見せた苦しそうな表情が脳裏に浮かび上がる。

(何が一生自分が感じることのないであろう苦しみだ。カリンをあんなふうにしたのも、カナメたちにあんな顔をさせたのも、全て私じゃないか。子供がよく訪れる院長室で狂魔の話などすべきではなかったんだ。情報一つで、私のミスで、幼い子供があんな悲惨な現場を目にすることに……)

 院長は目を開いた。

「麻紀……私は君の子供に酷いことをした……」

 院長は足もとの床に向かって、だれにも聞こえない声で呟いた。

「院長先生……『怪物』って……何のことですか?」

 修介が真剣な口調で尋ねた。眼差しが鋭かった。

(強い子だ)

「……知ってしまった以上、仕方がない」

 院長は決意したように言った。

「少々の危険は免れないが、どのみちいずれ、否が応でも知らなければならなくなる時が来る」

 院長は一度切り、含みをもたせるように一呼吸置いてから再び口を開いた。

「君たち十人に『怪物』を見せよう」

(子供たち、そして麻紀、本当にすまない)





 二か月後には孤児たちの訓練が始まってしまうため、翌週から、毎週二人の子供が、神崎の引率として『怪物』を見に行くことになった。院長に最初の二人として選ばれたのは、修介と平吾だった。

 二人は『怪物』のことを聞いた夜から様子が一変し、何かに取りつかれたように一日中剣道の稽古に励んだ。朝は四時頃起きて稽古を始め、夜は八時前には床に就いた。二人は他の八人がどんなふうに過ごしていたのかは知らなかった。『宝石取り』はやめたようだったが、それ以外のことは向こうも話さなかったし、二人からも特には訊かなかった。

 変わったのは子供たちだけではなかった。大人の授業はいつもより堅苦しいものになり、何も知らない子供たちも明らかに不審に思っていた。そして、修介と平吾にとって最も変わったのは緒方だった。稽古には文句の一言もなく一日中付き合ってくれたが、稽古中、本当に文句の一つもなかった。それどころか、ダジャレを言うことももちろん、怒鳴ることさえなくなった。かと言って、別段指導が丁寧になったわけでもない。ただ一言指示を出すだけで、すぐに胡坐をかいて二人を見つめるのだった。言うまでもなく、修介と平吾は寂しく感じた。それでも、自分たちが今すべきことを必死に探し、ようやく見出した答えを懸命に遂げようと奮闘していた。そうして一週間が過ぎ、その夜が訪れた。





 八月二十六日、夜九時。

 神崎の予想ではこの日、狂魔が現れる可能性は高いだろうということだった。

 院長は一週間前、神崎にカリンのことを話した。

 神崎は真っ先に自分の注意不足だったと謝罪した。その後、感情物質というものについて詳しく話した。カリンがヒステリックになるほど取り乱したのは、血の海と化した悲惨な現場を目にしたからだけではないらしかった。研究の結果、感情物質にはほとんどの物質を通過し、人の脳内に蓄積するという特別な性質が発見されている。狂魔から発せられた大量の感情物質がカリンの脳内に蓄積し、カリンの精神に甚大な苦痛をもたらしたという話だった。

 狂魔の感情物質に慣れさせるという意味では、神崎は子供たちを現場に連れていくことに反対しなかった。

「しかし、まだこんな幼い子供に、狂魔の感情物質に耐えうる力があるのか……」

 車を走らせながら神崎が言った。

 助手席に院長、後部座席には修介と平吾が乗っている。

「その力がなかったら、彼らは狂魔には勝てないでしょう」

「その通りです。しかし……」

 神崎は車を右折させた。

「素の状態の彼らにそれを求めるのはどうでしょう……」

「どういう意味ですか?」

「研究開発中ですが、ある程度なら、感情物質の免疫に似たドラッグを作り出せそうなんです」

「なるほど。では、狂魔と戦える精神力をもち合わせていなかったら、その時はそのドラッグに頼りましょう」

「よっぽど彼らの精神力に自信があるようですね」

「この二人だけです」

 神崎はルームミラーごしに修介と平吾を見た。

「確かに強い目をしている。それは私にもわかる。しかし、あなたは狂魔を舐めすぎている」

「そう……でしょうか」

「感情物質は蓄積します。狂魔との戦いが長期に渡るほど、彼らの精神力は蝕まれていきます。生身の身体で何年も生き続けていられたのは私くらいです」

 生身の身体、と聞いて院長は何やら考え込み始めた。

「狂魔の最も恐ろしいのは、放出する負の感情物質です。身体能力においては、訓練を積めば才能ある者ならほぼ狂魔と拮抗します。狂魔とて、筋骨の組織は我々と同じですからね。しかし、感情物質となると、天から授かった精神力とでも言わない限り――」

「ロボットはどうなんですか?」

 院長が神崎の言葉を途中で遮った。

「ロボットに狂魔と戦わせる、ということでしょう。我々も一度考えましたが、狂魔用の強化ロボットを一台製造するのに、三十年を要するのです。しかも現在は資金不足で、ロボットの製造は進められていません」

「そうですか……」

「ですから、もし、今までの狂魔以上に感情物質を放出する個体が現れれば、私は無論、狂魔特別対策組織のだれ一人生き残れないでしょう。それはつまり、この国の崩壊を示します」

「つまり、そうなる前に、狂魔と戦い続けられる者を集め、狂魔の謎を解明し、そしてその発生を防ぐ……ということですね」

「それが我々の仕事です」





 今日はここで連絡があるまで待機します、と神崎は車の中で言った。車はひと気のない夜の道路の片側に寄せて停めている。狂魔の出現は大方が町だということだった。時折、夜道をふらふらと歩く人影や、眩しいライトで道を照らしながら、猛スピードで道路を走り抜ける車を見かけた。人が多ければ、それだけ狂魔になる者も多い。道理だった。

 今のところ、狂魔の発見手段は不審な死体の発見以外にないため、町の中で待つしかなかった。車は特別強化されていて、狂魔の攻撃にも数分間は耐えられるらしかった。

 神崎の無線には定期的に連絡が入ったが、不審な死体を発見したという報告はないようだった。

 車の中にこもって二時間近く経った。修介は忙しなくあたりを見回し、平吾は青白い顔で静かに前だけ見つめていた。

 不意に、平吾の身体に月光の人影ができた。

 それとほぼ同時に、車に大きな音と衝撃が伝わった。車に直接とてつもない力が加えられているようで、大地震でもここまで揺れないだろうと感じられるほど揺れた。

 修介は平吾のそばの窓を凝視していたが、平吾は恐怖で身体が硬直し、相手の方を向くことさえできずにいた。窓のすぐ外から、まだ少年らしい甲高い叫び声が聞こえた。

「狂魔だ。まさかピンポイントで来るとはな」

 神崎はすぐに無線で応援を要請した。

 狂魔は車体を激しく殴りつけ、その度に平吾側のタイヤが地面を離れた。

「何て力だ」

 院長が呟く。

「狂魔は脳の異常な指令によって筋肉と骨の密度が急激に高まる」

「そんなことより……」

 子供二人は悲鳴すら上げられない状態になっていた。

「応戦する」

 そう言って神崎が車を降りようとすると、車体が不自然な摩擦音を立て始め、車が真横に移動し始めた。

「何だ? 車を……引きずっているのか?」

 院長の言葉は事実を疑おうとしているのか、狂魔の筋力を信じられないのか、とにかく疑念に満ちたものだった。

 車の移動はスピードを増し、ついにはくるくると円を描いて回り始めた。

「……まさか! 全員、頭を守れ!」

 神崎の大声と共に車が宙に浮き、道路脇の直方体のコンクリートの建物まで投げ飛ばされた。

 車体の神崎と修介側が思い切り激突し、ドアが大きく歪んだ。

「くっ……」

 神崎の呻き声が聞こえた。危うく歪んだドアに右足を潰されるところだった。

「全員、無事か?」

「私は一応……無事です」

 院長は苦悶の表情で頭を押さえながら返した。

 神崎が後ろを振り返ると、ドアの歪みで運転席と助手席のシートが接触し、後部座席と断絶されていた。シートの隙間から覗き、修介が頭から軽い出血を起こしていたようだが、子供二人も何とか大事には至らなかったらしいことを確認した。

「うわっ!」

 平吾が短く叫んだ。

「どうした?」

 神崎が何事かと再び振り返る。

「ドアが……開いてる……」

 平吾側のドアが薄く開いていた。

 修介がすぐに動き出し、開きかかったドアを閉めようとした。

「くそっ……ロックができねえ」

 修介は両手でロックの取っ手を掴むが、接着剤でも塗ってあるかのように固かった。

「さっきの衝撃でロックが壊れたのか」

 神崎が呟く。

「まずい……まずすぎる……」

 狂魔の少年は、もう窓越しに平吾の目の前にいた。

 平吾はその少年の目に釘付けになっていた。激しく充血した目は黒眼を覆うように赤く染まっていた。

 院長がガチャガチャと窓を開けようとしたが、それもだめだった。

「銃での応戦もだめか……」

 神崎の声には激しい焦燥感が漏れ出ていた。

 狂魔の少年はドアの前で立ち止まり、顔をドアに近付けた。

 平吾の鼻先三十センチの狂魔の少年が、見せびらかすように手にもったナイフを掲げ、狂気の笑みを浮かべて平吾を見つめた。

 平吾の身体が小刻みに震え始めた。

「おい、やめろよ」

 修介が上ずった声で呟き始めた。

 ドアがゆっくりと開く。

「なあ、やめろって」

 狂魔の少年の全身が露になった。横から月光に照らされた少年の服は、大量の血で真っ赤に染まっていた。すでに何人もの人を殺めているようだった。

 神崎がはっとしたように、銃をシートの隙間から突っ込んだ。

「修介君、これを使え」

 修介が受け取る時には、すでに狂魔の少年の腕が振り上げられていた。

 四人が絶望にのみ込まれようとしたその時、少年の身体が急に仰け反った。膝が崩れ、平吾の膝元のシートに倒れかかった。背中に交差している深い二本の傷があった。

 少年の後ろに立っていたのは、両手に刀をもった老人だった。

「師匠!」

「じいちゃん!」

 平吾と修介が声を揃えて叫んだ。

 だが、表情が歓喜なものに変わる前に、素早く起き上った狂魔の少年がナイフで緒方の首元を深く斬りつけた。

 緒方は仰向けに倒れた。

 修介と平吾の視界には、背中の傷口から下が血で黒々と輝く少年の後ろ姿だけが残った。

 少年が天を仰いで絶叫し、緒方に馬乗りになって幾度となく斬りつけ始めた。

「撃て!」

 神崎が声を張り上げる。

「この世には殺さなければならない人間もいるんだ!」

 修介の銃をもつ手が震えていた。

「撃つんだ!」

 神崎の声とほぼ同時に銃声が連続して響いた。

 少年の背中に無数の穴が開き、緒方の上に倒れた。

 平吾が顔を醜く歪め、修介からもぎ取った銃を狂魔の少年の方へ向けていた。

(……この世には、殺さなければならない人間もいる)

 激しく呼吸を乱す平吾の顔には大量の涙が流れていた。

 脳裏に先ほどの狂魔の笑み、そして緒方に斬りつける狂魔の背中が浮かぶ。平吾の脳内で、狂魔に対する憎悪の念が掻き立てられていく。

(この世の狂魔は殺さなければならない。僕が……僕が狂魔を全て殺す!)

 平吾の表情が子供のものとは思えないほど歪んだ。





 翌週、カナメとキョウスケが神崎についていき、一か月後、最後にリサとレンも『怪物』を見て帰ってきた。大怪我をして戻ってきた子供もいれば、軽傷や無傷で済んだ子供もいた。だが、その多くは、カリンのように何日も終始泣き続けるか、精神を恐怖に支配されて自我を失うかのどちらかだった。だれ一人、前を向いて戻ってきた子供はいなかった。

 それを知ってか知らずか、暑苦しいセミの合唱を断ち切るように、剣道場に低い素振りの音が響く。やまびこのように音は二回連続で聞こえた。朝の四時からすでに三時間以上、音は休むことなく続いている。

 修介と平吾は、剣道場の真ん中で向かいあって竹刀を振っていた。

平吾の目は研ぎ澄まされた刃のように鋭く相手を見つめている。その目に映るのは、交差する二本の傷がついた黒い背中。

 次第に平吾の表情が歪んでいった。一回ごとの振りが重くなり、それに合わせて、音も低く唸るようなものに変わっていく。

 水分補給や食事も挟みながら、二人は毎日夜まで共に竹刀を振り、互いに力を高め合った。

「そろそろ日暮れだな。勝負するか」

 修介が窓の外の黄色い空を見ながら言った。

「わかった」

「七時ジャストに開始な」

 二人が防具を着てからも、まだ一分ほど時間があった。

 二人は改めて姿勢を正し、向かい合う。

「ルールはいつも通り。竹刀は真剣として、この赤い線のある方を刃とする」

 修介は竹刀に入った赤い線を示して言った。

 平吾はつまらなそうに眉を下げる。

「そんなの、毎日言わなくていいよ」

「何言ってんだ。その方が雰囲気が盛り上がるだろ」

「『これは試合じゃない。戦いだ』って言ったのは修介でしょ」

「毎回『戦い』を楽しむようにしなきゃ、力なんてつかねえだろ」

 お互い言い合っているうちに、時計の短針が動き、両方同時に前へ飛び出した。

 竹刀が触れ合い、赤い線が交わる。

 二人の『戦い』に決着がついたのは、それから五分後だった。

 修介は壁に寄りかかって床にへたり込んでいる。その視線の先には、平吾が仰向けになって倒れていた。二人とも、マラソンを走った後のようにぜえぜえ言いながら、口で呼吸をしていた。

「あれは……ずるいよ……」

 平吾が息も切れ切れに言った。

「竹刀を……掴むなんて……」

「これは……『戦い』だって……言っただろ……剣をかわされて……腹を掴まれるほど……お前の一振りが……弱いってことだ」

「ちぇっ。じゃあ、今回は僕の負けってことでいいよ」

「お前の言葉は力も伴ってるから、ほんと怖いぜ」

 だいたい息が整うと、二人は奥の方に横に置かれた二本の刀の前に、刀と同じように並んで座った。

「師匠、僕たちは師匠の言葉、一生忘れません」

「じいちゃん、俺たちを守ってくれてありがとう」

「守りたいものが見つかりました。僕たちは、ここのみんなを狂魔から守り抜きます」

「人類の前に狂魔が現れる限り、俺たちも奴らを駆逐し続ける」

「殺さなければならない人間と、守らなければならない人間」

「殺せないなんて甘えたことは言っていられない」

「どんなに辛くても、僕たちはみんなを守り抜く」

「どんなに苦しくても、俺たちは絶対諦めない」

「みんなのために僕たちは……」

「人類のために俺たちは……」

 二人が声を揃えた。

『……人間兵器になってきます』

 二人が見つめる二本の刀には、それぞれ柄に『シュウスケ』、『ヘイゴ』と彫られていた。

「僕たちの気持ち……師匠に伝わったかな」

「伝わったさ」

 外では夏の夕空がセミの合唱に煩わしく彩られていた。





 目を開いた先に見えたのは、ゆっくりと大きな羽を動かすファン。

 天井に取り付けられた照明が、回り続けるファンの羽のせいで目をチカチカさせる。

 特に意識しないまま、目が痛くなくなるまで小塚のひとみが小さくなっていく。まるで猫のようなひとみだった。

「……そうだ」

 身体を起こした小塚が思い出したように呟く。

「俺が守りたかったのは……孤児院にいた奴ら」

 どうして今まで忘れていられたのか、信じられなかった。亡き剣道の師匠の前で誓ったことをまさか忘れてしまうとは、あの時思いもしなかった。

 ふと気付いたように目が大きく見開かれ、視線が刀の方へ吸い寄せられる。その上には、縁の裏に『リサ』と金の刺繍がしてある黒い三角帽子が載っている。

「修介とリサを殺したのは……俺……なのか?」

 インターホンが鳴った。シンプルで短い。

 小塚は脳内に渦巻き始めた思考から逃げるように、扉の方へ向かった。

 ロックを解除した先に立っていたのは、泉だった。

 小塚が鼻をひくつかせた。

「佐川の部屋に行ってたのか?」

「匂いでわかるんですか……すごいですね」

「鼻がいいからな」

 小塚は決まり文句のように瞬時に答えた。

「そうですね」

 泉はばつが悪そうに視線を下げた。

「今日は……謝罪をしに来ました」

 小塚が眉を寄せる。

 とりあえず泉を部屋に入れ、ソファに座らせる。

「何の謝罪だ?」

 小塚も向かいのソファに深く腰を下ろしてから尋ねた。

「以前、小塚さんはあたしに、自分の過去のことを話してくれた時がありましたね」

「修介の……ことか?」

 小塚が目を細めた。

「はい。あの時、あたしは自分が狂魔ではないかと本気で疑念をもっていた小塚さんに、考えなしに狂魔じゃないなどと言ってしまいました」

「別に気にすることじゃない。それより、どうして今になってそんな以前の話をもち出すのかがわからない」

「本当に、申し訳ありませんでした」

 泉が深く頭を下げる。

「あの時あたしが言ったことは、間違っていました」

 しばらくの間、沈黙が二人の間を支配した。

「お前が……俺は狂魔ではないと言った、その言葉が……間違って……いたのか?」

「はい」

 小塚の顔色が変わり、うなだれるように頭を抱える。

「……蒼井もそんなことを言っていた。俺の中には狂魔の血が流れていると……あいつが言っていたことは……本当だったのか?」

「……本当です」

「俺は……狂魔なのか?」

 苦悶の表情で尋ねる小塚を見て、泉は一瞬悲しそうな顔をした。

「……語弊があるかもしれませんね。小塚さんの身体には確かに狂魔の血が流れていますが、小塚さんは完全な狂魔ではありません。ただ、普通の人間か狂魔かどちらに近いかと訊かれれば、狂魔になるかもしれません」

「……どういう意味だ? はっきり言ってくれ」

「今まで、ボスは小塚さんに隠してきたことがあります」

「……孤児のことか?」

「はい。最近相手にした狂魔もどきの孤児たちについては、確かに蒼井と日比野の実験によって無理やり狂魔化させられた結果です。しかし……」

 泉は一瞬迷ったように言葉を切った。

「小塚さんと修介さんについては……狂魔化の実験を行ったのは、ここ、狂魔特別対策組織です」

 小塚は唐突に顔を上げた。

(組織が修介と俺に……狂魔化の……実験をしただと?)

「……待て。院長は……ボスはあの時、俺たち孤児を連れていく時、俺に言ったんだ。『狂魔を狩る人間兵器として育てるが、力が足りなかった時はドラッグを投与するかもしれない』と。俺たち孤児をあんなもの…………狂魔にするなんて一言も言わなかったはずだ!」

 小塚の口調は荒れていた。

「事態はその程度では収拾がつかないほどに緊迫してしまいました。ボスもまさかその頃は、孤児たちを狂魔化させなければならなくなるとは思いもしなかったでしょう。でも、狂魔を狩るには、どうしても狂魔の力が必要だったんです」

「俺は……」

 小塚はむしゃむしゃと髪を掻きむしり、再び顔を覆う。

「俺は……あれだけ狂魔は死すべき存在だと憎んでおきながら、自分がその狂魔になっちまったのか。俺自身が……死すべき……存在……なのか……」

(俺は、生きてていいのか?)

「さっきも言いましたが、小塚さんはまだ完全な狂魔となったわけではありません。小塚さんは、実験によって狂魔化させられた際の記憶を消去されているため、殺戮衝動は起きません。身体能力と感覚器官だけ狂魔のものとして残りました。修介さんは、消去する記憶を誤ったために狂魔化が進んでしまい、やむなく殺さなければならなくなりました」

「修介は……ここの人間のせいで……」

 小塚は歯を食いしばり、拳を握りしめた。

「話を続けます」

 泉は単調な口調で再び口を開いた。

「この強制記憶消去剤は、データでは数十年は効力を発揮する代物だそうです。数十年後に記憶を取り戻したとしても、その頃には脳の劣化が進み、狂魔化は起きないため、データ上は小塚さんは無害です。しかし、人間の記憶は決して完全に消えることはありません。もしも若いうちに記憶を取り戻せば、小塚さんは狂魔化し、あたしたちがあなたを殺さなければならなくなります。あたしがボスに変わって伝えにきたのはこのことです。ボスはデータを信用し、伝える必要はないと判断したようですが、見解の相違です。あたしはその必要性を強く感じました」

 小塚は再び頭を抱え、深くうなだれた。


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