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狂魔伝  作者: ラジオ
第二章
46/67

story45‐‐人間兵器‐‐

 剣道場から戻った老人がタオルを首に巻きながら事務室に入ってきた。

「毎朝大変ですね、緒方さん」

 院長が労いの言葉をかける。いつもなら緒方はここで他の人からも声をかけられるが、今日は院長以外はみな町に出払っていた。

「孫とその友達があんなに一生懸命に頼み込んでくるんじゃ。断れるはずもないわ」

「そうですね」

 院長が笑いながら同意する。

「……なぜ笑った?」

 緒方は解せないという口調で訊いた。

「はい?」

 院長は質問の意味がわからないというふうに訊き返す。

「院長さんがわしらに対して笑うのは初めてじゃ。普通に話すことはあっても、わしら大人にはほとんど笑みなど見せんかった」

 緒方はタオルを自分のデスクに放った。

「何を隠そうとしとる? そう言えば、昨日知らない人間がここを訪れているのを見かけたのう。そいつと何を話したんじゃ?」

 院長は溜息をついた。

「やはり、慣れないことはしない方がいいですね」

 すっかり諦観したような口調だった。

 院長はしばらく間を置いてから口を開いた。

「孤児を全員、怪物と戦うための人間兵器にします」

 あたりはしんと静まり返る。

 緒方は院長の口元に視線を注いだまま固まっていた。

「……人間……兵器……じゃと?」

 この年になると、ようやく口が動くようになっても脳がまだ情報を処理できていないらしい。

「言い方に語弊があるかもしれませんね。端的に言うと、何年間か一日の全ての時間を訓練に費やし、身体能力を飛躍的に上昇させるんです。場合によっては薬を打つかもしれません」

 院長の言葉はすでに全てを割り切った人間のものだった。

「何のためにそんなことをする?」

「さっきも言いましたが、怪物を殺すためです。あちら側の言葉を使えば、狂った悪魔――狂魔だそうです」

「あんた、気でも狂ったのか?」

 院長は緒方の言葉には一切の返答をしなかった。

 返ってその沈黙が緒方の胸に深く突き刺さった。

「……その……狂魔とやらが実在するとして……なぜここの孤児を兵器に育てなきゃならん?」

 まだ信じられない様子で緒方が訊いた。

 院長が一枚の紙をデスクから取り出し、緒方に見せた。人の名前らしき黒い漢字が無数に並んでいた。

「何じゃこれは?」

「今月この黒江町内で〈事故死〉した人間の名前です」

「な……こんなにいるわけ――」

「そうです。彼らは〈事故死〉などではありません」

「じゃあ一体……」

「狂魔です。狂魔に殺された人の数が、今月だけでこの量です」

 傍から見ても緒方が絶句しているのがわかった。

「日本に存在する町の内、この町の人口だけが著しく低い理由、わかりましたか? もう、選択肢がないんですよ。以前はいくつかあったのかもしれませんが、今現時点では、もう一つしかないんです。今までこのことを隠していたのは、たとえ言ったとしても、この選択には抗えないとわかっていたからです。私はこのまま隠し通して、ある日突然私も子供たちも消え、あなた方も不思議に思ったり心配したりしながらも、どうすることもできずにここを去る、そうなればと思っていました。浅はかでしたね。二か月後までには準備を終え、孤児は全員ここからいなくなります。そしてこの孤児院は孤児院跡となります」

 院長は立ち上がってドアへ向かった。

「今のうちにお孫さんが誘拐でもされれば、地獄のように過酷な運命から逃れることはできますよ」

 それだけ言い残し、院長は緒方を一人残して事務室を去った。

 緒方が床に崩れ落ちる音が聞こえた。





 ――『宝石取り』。この夏、孤児院の子供たちの間で流行っている遊びは彼らの間でそう呼ばれていた。二つのグループが争い、敵の本陣に置かれた〈宝石〉を自陣へもち帰った方が勝利というルールである。尚、〈宝石〉は一度決めた場所から動かしたり隠したりしてはならない。孤児院の子供たちは全員、授業以外の生活を共に送る五、六人のグループに分けられており、そのグループは全部で四十ある。特に男の子の多いグループは、多くが『宝石取り』に参加している。対戦相手は自由で、いつも同じ相手と対戦するグループもあれば、相手を変えるグループもある。さらにまだ、子供たちにとって一番大事なルールがある。負けたグループは〈罰〉として夕飯に必ず出されるお肉を半分没収され、勝ったグループが〈褒美〉としてそのお肉を受け取る。この遊びが流行る一番の理由はまさに、この賭け事のようなどきどきわくわく感だった。

「ねえ、どうするの、修介くん」

 森の一角で平吾が声を潜めて言った。敵の〈忍者〉が偵察しているかもしれないと言い、修介が森の中では声を潜める習慣があるため、それにつられて平吾や他の者も声を潜めてしまう。実際にこの日は、敵の〈忍者〉の偵察によって作戦が失敗していた。

 今この場では合わせて三人の子供が、〈宝石〉と称す一枚の貝殻を囲むように輪を作って話し合っている。

「リーダーとレンくんが〈捕虜〉になっちゃった。きっともう、こっちの作戦はばれちゃってるよ」

 声の主は黒い三角帽子を被った女の子だった。

「リサちゃんの言う通りだよ。早く別の作戦考えないと、敵がここに来ちゃうよ」

「二人とも落ち着け。こういう時は冷静に考えるんだ。今日こそあいつらに勝つんだから」

 二人とも頷き、黙る。

 一分ほどしてから修介が口を開いた。

「思いついた!」

 膝を抱えてうずくまっていた二人が顔を上げた。

「どんな作戦?」

「リーダーが捕まってるなら、逆に情報がばれるのを送らせてくれるはずだ。まだ敵がここに来るには時間がかかる。それまでに、まずリサちゃんは、急いで太くて長いツルをなるべくたくさんもってきて。平吾は大浴場の五、六個の小桶に海水をいっぱいにしてもってくるんだ。俺は一番重い海岸の砂を桶に入れてもってくる。さあ、急ぐぞ」

「そんなのでどうするの?」

 平吾が尋ねた。

「作戦を話す時間も惜しい。とにかく今言ったものを集める」

「わかった」

 そう言って、一番に駈け出していったのはリサだった。

「俺たちも行くぞ」

「うん」





「さっさと歩け。おいヒサト、今度道間違えたらただじゃすまさねえぞ」

 ツルをもったぽっちゃり型の少年が、すぐ後ろに二人の少年を連れて先頭を歩いていた。二人は手首をツルで縛られていた。その後ろには、さらに三人の少年が同じくツルをもって先頭の少年に従いつくように歩いている。

「おい、〈捕虜〉のくせに俺より前を歩くんじゃねえよ。またひっぱたかれてえのか?」

「……大丈夫だ、レン……修介たちが必ず助けてくれる……十分時間は稼げた」

 先頭の少年に聞こえないように、〈捕虜〉の一人がもう片方に耳打ちした。

「ん? あの黒いものは……」

 先頭の少年が見覚えのある三角帽子を見つけ、周りを警戒しながらゆっくりと三角帽子に近付いた。その手前に、〈宝石〉の貝があった。

 先頭の少年がニヤリと笑みを浮かべた。

「……水の精霊……砂の精霊よ……我に力を与えたまえ」

 どこからともなく声が聞こえた。

 六人が周囲をくまなく探すが、声の主は見つからなかった。

「……南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……」

 女の子のさらに呪文を唱える声が薄暗い森の中に響いた。

「ウォータ!」

 声が上から聞こえたのに気付き、全員が上を向いた時にはもう大量の水が目の前まで降ってきていた。

「うわっ。目が痛ぇ」

 海水が直に目に入ったようだった。先頭の少年を始め、みながびちょびちょになった上、海水の潮が染み、痛そうに目を押さえていた。

「サンドストーム!」

 続けて女の子の声が聞こえ、今度は上から大量の砂が降ってきた。

「うわっ」

 六人とも全身砂まみれになり、ろくに目をかくこともできなくなった。

「……こっちだ」

 二人の〈捕虜〉が、互いに反対側から突然現れた砂まみれの子供に茂みまで静かに連れられていった。

 先頭の男がぶるぶると犬のように顔を振っていると、突如背後から仲間の悲鳴が聞こえた。

「どうした、お前ら!」

 振り返った。まだ目を少ししか開けられなかったが、周囲には砂まみれの人間しかおらず、敵影はなかった。

「おい。どうした、だれに……」

「えいっ」

 女の子の声が聞こえると同時に、太った少年の足に何かが飛びついた。バランスが崩れて前のめりに倒れ込む。

 少年が気付いた時には、すでに足にツルが固く結ばれていた。

「くそっ」

 体を起こそうとすると、だれかに背後から頭をパンと叩かれた。頭に鋭い痛みが走る。

「いってぇ」

 背中にだれかが乗り、そのまま腕もツルで縛られてしまった。

 顔を上げると、砂まみれの人間が目の前でピースを作っている。その奥に、手を縛られた仲間の姿があった。

「まさか……お前、修介か! このやろー。今すぐこのツルを解きやがれ!」

 少年が手足をばたつかせながら叫ぶと、修介は手にもった竹刀を肩でパンパンと鳴らし、嫌らしい笑みを浮かべた。

「カナメくーん。君、今そんなこと言える立場にあるのかなー?」

 竹刀が振り下ろされ、「パン」と音がすると同時にカナメの脳天に鋭い衝撃が走った。

「いってぇー!」

 涙ながらにカナメが悲鳴を上げた。

「今まで剣士の俺と平吾をなめてたつけが回ったな」





 ガリガリに痩せた背の高い少年が、木の生い茂った小高い丘の上の岩に腰かけていた。両手には長いツルをもっている。

「暇だなー。だから俺はこんな有利な戦況で〈宝石〉を守る役なんて嫌だったんだ」

 あまりにもやることがなかったようで、少年は大きな声で愚痴をこぼしてしまった。

「その唯一の仕事もこなせなくて残念だったな」

 右の坂道の下の方から声が聞こえた。上がってきたのは、全身砂まみれの謎の民族だった。先頭の二人が、何やら砂まみれの塊を豚のように、手足のツルに竹刀を差して吊るして担いでいた。

「えっ……あ……どなたですか?」

「お前らの宝石をもらいにきた」

「あ……貝のことですか? あーでも、これ、今使ってるんで」

「おい! いつまで気付かねえんだ! 俺だ! 修介だよ!」

 砂まみれの先頭の人間が自分を指差して怒鳴った。

 少年は目を細めて砂人間を見つめた。少なくとも、体格と声は修介のものらしかった。

「えっ。お前、修介? じゃあ、まさか、その豚みたいなのって……」

「だれが豚じゃごらぁ!」

 吊るされた砂まみれの塊が暴れた。

「抵抗するなら、キョウスケ、お前もこいつと同じように痩せ豚にしてやるぜ? まずそうだけどな」

 キョウスケはどこぞの王族に道を譲るように一歩後ろへ下がった。片膝をついて片手を胸に当て、もう片方の手で修介たちを〈宝石〉の方へ招き、言った。

「〈宝石〉なら、こちらにございます。どうぞ」

「よし。リサちゃん」

 修介が後ろを振り返った。

「うん」

 リサは不安そうに頷いた。黒いワンピースや、三角帽子の下の頬にも少し砂がついている。

「大丈夫。キョウスケくんが手を出しそうになったら、僕たちが全員でぼこぼこにしてあげるから」

 竹刀の後ろを担ぐ平吾が言った。

「うん、わかった」

 リサが〈宝石〉を取ってくるまで、キョウスケは一歩も動くどころか、敬い慕うように「どうぞ、お姫様」などと言って機嫌を取ろうとしていた。よっぽど、丸焼の運命を待つ豚のように吊るされる恥辱は受けたくないようだった。

 その滑稽な光景を見た修介たちは、戻ってきたリサの虚ろな表情には気付かずに口を大きく開けて笑っていた。





「はい、これでよし」

 丘から下り、〈捕虜〉のカナメの立会いのもと、リサはもってきた〈宝石〉の貝殻を自分たちの〈宝石〉の貝殻にくっつけた。

「ぴったりだね」

 ヒサトがゲームを締め括るように言った。

 お肉が欲しいばかりにズルをされないよう、〈宝石〉は貝殻を半分に割ったものを利用し、相手のだれかに立ち会わせた上で貝殻をくっつけて、それでようやく遊びは終わりを迎える。

 今日の立ち会い人はカナメ一人だった。他の相手はもう〈罰〉を受け入れて、汗を流しに大浴場へ向かっていた。いつも通り、遊びが終わった頃には日が傾き始めていた。

 暗くなる前に大浴場から帰るよう、院長を含めた大人の人たちに言われているため、修介と平吾はすぐにカナメのツルを石の切っ先で切り解いた。

「今日こっちは一人少なかったんだ。明日は絶対ぇ勝って肉をもらうからな」

 カナメは修介たち五人に捨て台詞を残し、大浴場へ大急ぎで走りながらもう服を脱ぎ始めていた。

「……やっぱり、カリンちゃんは今日『宝石取り』やってなかったんだ」

 心配そうに呟くリサの歩調はだんだん緩んでいく。

「そう言えば、今日は相手の魔法使いがいなかったね」

 平吾も思い出したように言った。

「だから勝てたのかなあ……」

「おいおい、勝てたのは俺の名案のおかげだろ?」

 修介がからかうように平吾の首に腕を回した。

「そうだな。確かに今日の修介の作戦はよかったよ」

 ヒサトが素直に褒めるように言った。

「いやー、リーダーにそこまで言われるとは……」

「それにいつもは相手の方が一人多いんだよ。だから今日は、修介くんの名案のおかげで、僕たちはちゃんと勝ったんだよ」

 調子に乗る修介に、リサや平吾と同い年のレンが拍車をかける。

「お、やっぱりそう思うか? でも、作戦は俺のものでも勝利はみんなのものだ」

「……僕は捕まっちゃったけど」

「せっかく俺いいこと言ったんだから、そんなこと気にすんなって。リーダーと一緒に時間稼いでくれたんだろ?」

 修介は平吾と反対の腕をレンの首に回した。二ヒヒと笑いながら、左右の二人を子分のように腕で抱えて歩く。

 俯くリサ、その横顔を心配そうに見つめる平吾、さらにその二人の様子にヒサトが気付いていた。

「リサ――」

「リサちゃん」

 リサは最初に口を開こうとした平吾には気付かず、自分を呼んだヒサトの方を向いた。

「カリンちゃんに大浴場で会ったら、何か訊いてみたらいいんじゃない?」

「うん……わかった」

 リサの表情はまだ強張っていた。

「もし会わなかったら、夜ごはんの時にカリンちゃんと話をすればいいよ」

「……それでも……いなかったら?」

 子供が夕飯の時にいないということは、特別珍しいわけではなかった。風邪をひいたら他の友達とは一緒に食事をできないし、何か悪さをしたら夕飯の時間をみんなとずらされることもある。

「カナメたちが何か知ってるだろうから、みんなで訊いてみよう」

 ヒサトは大丈夫だと諭すように優柔な笑みをリサに向けた。

 リサがどうしてそこまで心配しているのか、ヒサトにも十分理解できた。カリンは滅多に風邪をひかない。悪さをするようなタイプでもない。足が非常に速く、『宝石取り』においては一瞬で相手の手を縛るという特技こそもっていたが、リサのように大人しい女の子でもあった。だが、そのどちらであっても、身体能力の高いカリンがいないと知れば、カナメたちは『宝石取り』を始める時に慌てるはずだった。だが、カナメたちにそんな様子は一切見受けられなかった。まるで、遊びを始めてから、いつまで経ってもカリンが来ないことを不審に思いはしたが、案外有利に進み、後で一人少なくても勝ったと言ってやろうと思ったが、結局逆転され、負けた言いわけに使ってしまった、という感じだった。

 ヒサトは他の三人の方を向いた。

「みんなもいいな?」

 平吾が頷き、修介は輝く笑顔を返した。レンも「うん」と嫌がる様子なく了解する。みんなヒサトと同じことを考えていたのかもしれない。

 ヒサトがもう一度リサの方を向いた。

 リサが顔を明るくして天使のようににっこりと笑った。

「ありがとう、リーダー」

 リサの笑顔を見た平吾も、固く張り詰めていた表情が緩み、安心したように微笑を浮かべていた。





 夜の帳が下り始め、夕食の時間になると、『一‐A』から『三‐C』までの全ての教室に、二階に置かれていた長机が大量に運び込まれてきた。机をもって階段を下りるので、十二歳以上の大柄な子供と大人たちの手によって運ばれた。

 机が教室に並べられると、待っていた他の子供たちがテーブルクロスをかけ、テーブルの真ん中にずらっとまだ火の点いていない蝋燭を置いていった。

 大人たちが蝋燭に火を灯すころには、いつも通り外はすっかり暗くなっていた。子供たちが廊下の水道で手を洗い、各々の席に着くと、大人たちが夕飯の料理を運んできた。料理は一グループずつ分けられ、さらに子供たち自身で一人ずつに分けられる。

 準備を始めて二十分ほど経ち、ようやく宴のように賑やかな夕飯が始まると、大人たちは自分たちも別の部屋で夕食を食べに教室を出ていった。

 すぐに教室の反対側から、カナメが自分たちのお肉を半分渡すため、皿をもって修介たちの前に現れた。

「カナメくん」

 リサが落ち着かない様子で声をかけた。

「ああ? ちゃんともってきたぞ」

 カナメは不機嫌そうに返事をした。

 それに怯えてしまったのか、リサは先を言えずに縮こまってしまった。

 リサの代わりにヒサトが訊いた。

「カリンちゃん、何かあったのか?」

 修介たちはリサから、大浴場でカリンに会わず、いろんな人に訊いたがだれも会っていないらしいと聞かされていた。

 カナメの表情が、だれの目にもはっきり見てとれるように沈んだ。

「こっちに来てくれ」

 机はすっかり動かされ、修介たちのグループの周りは人が密集していたため、カナメは話しにくいというように自分たちの席まで案内した。そちらはあまりひと気はなかった。

 カナメのグループの子供たちはみな、沈鬱な表情で黙々と料理を食べていた。それが、〈罰〉としてお肉を半分取られたからでないことは、一目見てわかった。何かが心配でたまらないといった感じだった。

「今朝、俺たちが起きた時は、まだカリンは寝てたんだ」

 カナメが珍しいことに、俯き加減で話し始めた。

「俺たちは起こそうとしたんだが、カリンはなぜか全然起きようとしなかったから、そのまま下りてきちまったんだ。結局朝ごはんになっても起きてこなくて、俺はカリンが夜更かしでもしてたんだろうと思ったんだが……」

 カナメの言葉がここで途切れた。

「俺は昨日の夜、カリンが静かに泣いてたのを確かに耳にしたんだ」

 そう言ったのは痩せ身のキョウスケだった。

「カリンの布団は隅っこで、隣は俺だけだったから、他の人は聞いてないと思う。でも、確かに泣いてたんだ。結局、カリンは昼ごはんにも『宝石取り』にも来なかった。最初は悪夢でも見たのかと思ったんだ。きっと昼には調子も戻って、『宝石取り』にも来るだろうと……でも、さっき寝室で……」





「ねえ、カリンちゃん、どうしたの?」

 寝室として利用されている二階のとある部屋で、一人の女性が女の子に必死に声をかけていた。夕飯の準備を始める前、カナメたちに「カリンちゃんがおかしくなっちゃった」と、ただならぬ雰囲気で言われ、慌てて駆けつけた。さっき、別の女性が院長を呼びにいったところだった。

「ねえ、カリンちゃん、何があったの?」

 カリンは返事をせず、ただ、さっきから泣いたり泣きやんだりを繰り返していた。

 すぐ外の廊下に足音が聞こえた。

 入ってきたのは院長だった。

「どうした?」

 女性が答える前に、院長は部屋の隅でうずくまるカリンに駆け寄った。

「これは……精神的なものみたいだな。私の専門外か……」

 院長がそう言うと、廊下から「今は来ちゃだめ!」と叫ぶ女性の声がした。

 十人くらいの子供たちが騒々しく部屋に走り込んできた。

 先頭にいるのはリサだった。

「カリンちゃん! カリンちゃん! どうしたの? 大丈夫?」

 すぐに走り寄り、リサがカリンの顔を覗き込みながら声をかける。

「カリンと同じグループの者は全員、隣の部屋まで来なさい」

 院長が険しい口調で言った。

「カリンちゃん! どうしたの?」

 リサは院長たちが出ていってからも、カリンの身体を揺すりながら声をかけ続けた。

「私だよ? リサだよ?」

 リサが自分の名前を口にした時、今まで何も反応していなかったカリンが顔を上げた。

「リサちゃん……」

 何かに怯えているように語尾が消えかけていた。

「カリンちゃん……よかった……何があったの?」

 リサが相手の目を見て尋ねると、カリンは青ざめた顔で呟いた。

「かい……ぶつ……」


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