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狂魔伝  作者: ラジオ
第二章
45/67

story44‐‐境遇‐‐

 佐川は本部の自分の個室で、一人写真を眺めていた。

 白い日光が降り注ぐ場所。写真の真ん中に、赤ん坊を抱く女性が写っていた。長い柔らかな栗色の髪。その下の透き通る肌は、血管がうっすらと青く浮かんで見えるほど白い。

 二十代の母親らしき大人の女性と、その腕の中の、まだ生まれたばかりの赤ん坊。赤ん坊の方は泣いているが、女性の方は、降り注ぐ日光にも負けないくらい眩しい笑顔をカメラに向けていた。赤ん坊の丸っこくてクリクリとした目がかわいくてたまらず、はしゃがずにはいられないという感じだった。初めてできた自分の子供なのかもしれない。

 写真を裏返すと、『2031年』とその下に『11月11日』と黒いマジックで書かれていた。

 佐川はもう一度ひっくり返して写真を見る。

 その目は、何か遠くのものを見ているようで、物悲しそうに細められていた。

 何を思うのか、佐川がじっと写真を見つめていると、不意にインターホンが鳴った。室内にこだまするように高いメロディで、音量も抑えられている。外で人が待っているとわかっていなければ、いつまでも聴いてしまいそうなほど心地よいインターホンだった。

 佐川はすぐに、写真をクマのぬいぐるみの背中の綿の中に隠してチャックを閉じた。インターホンの画面に返事をしながら、急いで扉のロックを解除しに行く。

 扉の外で待っていたのは泉だった。

「こんにちは」

 泉は上目遣いで佐川の様子を窺いながら、何となくぎこちない挨拶をした。

「どうしたの、泉ちゃん」

「あ、いえ。大した用ではないんですけど、えーっと……その……状況報告でも……しようかと……」

 嘘が下手すぎだと佐川は感じたが、口にはしない。本人に自覚はなさそうだった。

「ふーん……まあ、入って」

 何か自分には言いにくい目的でもあるのかと訝りながら、とりあえず佐川は泉を部屋に招いた。





 泉は佐川の部屋には何度か来たことがあるが、いつ見ても目がチカチカする。だが、それはこの部屋が本部にあるからで、一般の家庭にあればとてもかわいらしいだろうと思った。

 ぬいぐるみが部屋の隅やベッドの脇などに立てかけられ、定位置のように置かれている。クマのぬいぐるみはお気に入りなのか、ベッドの真ん中に今まで抱いていたかのように無造作に放置されていた。泉が来て慌ててぬいぐるみを置いて扉を開けに来たと言った感じもする。なぜかチャックが閉まり切っていなかった。

「お菓子食べる?」

 泉をマットの上に座らせてから佐川が訊いた。

「いえ、結構です」

「じゃ、あたしが食べよー。あたし、実は甘党なんだよねー」

 そう言って佐川が取り出してきたのは、何やら丸いお菓子が詰まった袋だった。

「最近ね、いろんなお菓子を食べ比べしてるんだけど、どれもいいんだよねー。さて、これはどうかな……」

 佐川は中身のお菓子を、ガラス製の透明な少し深い容器に入れた。

「鈴の形をしたカステラだよ? かわいくない?」

「よく小さい頃に弟と食べましたね」

 佐川がむっとした表情を泉に向けた。

「何それー。あたしが子供だって言いたいの?」

「い、いえ、そういうわけでは……」

 泉が慌てて弁明しようとする。

 慌てる泉を見て佐川が楽しそうに笑った。

「まったく、ボスになったからって調子に乗りすぎると、蒼井か小塚君に足をすくわれちゃうよ」

 佐川はからかうように言った。

「で、これ、おいしいの?」

 一度お菓子を見てから、もう一度泉の方を振り返って訊いた。

「まあ、おいしいとは思いますけど、味覚は人それぞれですから」

「ええー硬いよー、泉ちゃん。それじゃ男の子みたいなコメントですぞ。女の子同士って、もっとこう……相手の意見を聞いたり、自分の意見を聞いてもらったりして会話を楽しむものでしょ?」

 そう言いながら視線をお菓子に戻す。

「どこがどうおいしいのかなーっと」

 佐川がお菓子を一つ指でつまみ、口に入れた。

 途端に幸せそうな顔になり、叫んだり、何か独り言を言ったりし始めた。何を言っているのか、泉には判断しかねた。

「これ、『まあ』おいしいどころじゃないよー。めっちゃ美味でございますよー」

 だいぶ落ち着いてから佐川が言った。それでもまだテンションが高くなっている。

「佐川さんはお菓子に酔うんですね」

「そう?」

 佐川はそう言った後、不意に何か企むようにニヤリと笑みを浮かべた。

 立ち上がって泉の背後に回る。

「泉ちゃん」

「はい?」

 泉が返事をすると同時に、佐川が後ろから人差指で泉の脇をつつき始めた。

 急なデリケートな場所への攻撃に、泉は言葉にならない悲鳴を上げながら身体をくねらせる。

「さ……佐川さ……」

 泉の口にお菓子のカステラが入れられた。

「このカステラを『まあ』おいしい、なんて表現した罰よ」

 佐川が勝ち誇ったように言った。

 泉は顔を赤らめながら不愉快そうに咀嚼した。

 佐川がちょこちょこ指を刺すたびに泉の身体がくねった。

 おかげで泉は、何とか言い繕おうと口にした状況報告さえもまともにさせてもらえないまま、時間だけが過ぎていった。

「楽しかったー。で、結局、あたしに何か用事があったんじゃなかったの?」

 佐川が扉の外まで泉を見送りに来た。

「いえ、まあ……」

 泉が話そうと思ったことは、今のこの雰囲気で言い出せる類のものではなかった。

「ふーん。ま、こっちは泉ちゃんの弱点がわかったから収穫ありだったかな」

「ははは、じゃ、それではそろそろ戻りますね」

 泉は今日佐川がドSであることを知り、また脇をつつかれるのではと身体を強張らせながら、適当に笑って素早く別れを告げた。

「また来てねー」

 佐川が手を振りながら、手前の扉がゆっくりと閉じていった。

 泉は管理室へ向かって階段を下り始めた。

 泉の目には、佐川は心から楽しんでいるように見えた。だが、何かを紛らわすために騒いでいたんじゃないかという気もした。

「如月……弥生……」

 階段を下りながら泉は呟いた。

 管理室に到着して扉を開けると、泉の姿に気付いた捧尽がすぐに近付いてきた。

「あ、特に指示があるわけじゃないから」

 泉は捧尽を仕事に戻らせてから、自分は管理室の隅の大量の書類が詰められた棚に歩み寄り、一冊のファイルを取った。

 これらのファイルの中身は、全て代々ボスが残してきた狂魔と狂魔特別対策組織に関する資料で、全てのロボットのメモリー内にも保存されている。代々ボスが、新しい資料を残すたびにロボットに保存させていたらしい。

 今泉の手にあるものは、野芝東一郎が残した組織のメンバーに関するごく最近の新しい資料だった。すでにこのファイルを含めた数冊の重要そうな部分には、あらかた目を通してある。

 ずらっと文字が並んでいる。

 ページをめくっていくと、『佐川蘭子』と書かれたサブタイトルが現れた。何ページにも渡り細かく記載されている。

 泉は佐川の出生について記載されているあたりの文面を読んだ。

『2031年11月11日、狂魔特別対策組織本部にて誕生する。母親の名は如月弥生、当時22歳。狂魔化した際には、すでに妊娠6カ月だった。詳しくは如月弥生のページにて記載。父親の名は佐藤(さとう)(そら)。如月弥生が狂魔化した際に殺害される。日本一の狙撃手として名声を博し、警視庁特殊部隊SATから、特別増援として依頼を数回引き受けた異色の経歴をもつ……』

 泉はさらに視線を移していく。

『佐川蘭子(本名:如月蘭子)は狂魔化患者の娘であったため、名前を佐川蘭子として一般家庭に預け、監視処分と……狂魔化の兆候は見られなかった……預かり手の家庭が狂魔に襲われ、義父、義母、義姉が……多大なショックを受けたとして強制記憶消去剤を使用するが……原因は、母親の如月弥生が妊娠中に強制記憶消去剤を使用していたことによる免疫……監視下に置くためすぐに狂魔特別対策組織に加入させる……』

 泉は乱暴にファイルを閉じ、棚に戻して管理室を後にした。





 白を基調とした、と言うよりは白いペンキを真ん中で爆発させたように全体が純白の部屋。奥には筋トレ器具が置かれている。

 小塚は真ん中あたりの壁際のベッドで、片方の膝を立てて仰向けになっていた。もの悲しげな表情で高い天井を見つめている。

 三枚の長い羽根がついたファンが、音もなくゆっくり回転していた。この部屋に設置されている三台の全てのファンが同じように無音でゆっくり回っている。

 中央の天井の明かりだけ点けているため、小塚の顔の上にファンの羽根の影がずっと回り続けている。

 首を横に倒すと、反対側の壁に刀が全部で三本仲良しそうに並べて立てかけてある。その三本の柄の上に黒い三角帽子が載っている。

 一本は普段小塚が使用している本部で用意された刀、一本は柄に『ヘイゴ』と彫られた刀、一本は柄に『シュウスケ』と彫られた刀。

 その三本の刀の上に黒い三角帽子が載っていた。縁の裏には『リサ』と金の刺繍がされている。

 小塚の右手がシーツのしわを力いっぱいに掴んだ。





 ――十二年前。

 二〇四〇年、八月十七日。午前七時の現時点で気温は二十九度。

 日差しはもう白くなり、夏の風物詩であるセミもすでに耳障りな声で鳴いている。

「何をやっとるんじゃ、平吾!」

 剣道場にしわがれた怒声が響いた。セミもその声に怯んだように一瞬鳴くのをやめた。

「修介の素振りの音をよう聴いてみぃ!」

 老人に言われるままに、平吾は反対側で木刀を振っている少年の方を向いた。

 ブン、ブンという夏の湿った空気を切る鈍い音が聞こえた。竹刀を振るたびに髪の毛先から汗が飛んでいる。

 ふと修介が素振りをやめ、平吾の方を振り返った。平吾が老人と共に自分の素振りを見ているのに気付き、ニヤッと嫌らしい笑みを浮かべた。

「何ニヤツいとるんじゃ、修介!」

 修介の頭部に老人の竹刀が振り下ろされた。

「お前も何笑っとるんじゃ!」

 老人は怒鳴りながら平吾の頭も叩いた。

 平吾と修介は、集中力が切れるということでお互い背中合わせに素振りを行うことになった。平吾はまず、後ろから聞こえる修介の素振りと同じ音が出るまで研究することにした。なかなか修介のように低い強そうな音は出なかった。どうしても平吾の竹刀からは、木の枝でも振っているような貧弱な音しか出ない。

 平吾が老人の方を見た。

「師匠、やっぱり僕じゃ修介くんと同じ音なんて……」

「弱い! 弱い弱い弱い! 心の根が弱いんじゃ!」

 老人が他の一切の音をかき消すように怒声を張り上げた。

「お前たち、よくそんな根性で真剣が欲しいから弟子入りさせてくれなどとほざけたな。わしを超えたら真剣を渡してやると言ったが、今のままでは二十年後にわしが死ぬまで超えられんぞ。というか死んだおかげで超えたって真剣など渡さんぞ」

 老人は心底がっかりしたように溜息をつき、あぐらをかいて座った。

「じいちゃん、やっぱ体格差が……」

「師匠じゃ!」

 老人が修介の言葉を遮る。だが、確かに修介と平吾の間にはアヒルとスズメほどの体格差があった。年も修介が二つ上だった。

「……お前たち、真剣をもちたいんじゃろう?」

 老人が尋ねた。

「うん」

「ああ」

 二人とも顔を輝かせて答えた。

「お前たちの真剣をもちたいが故の真剣さは弟子入りした時のしつこさでようわかっとる」

 老人の言葉が物柔らかで言い聞かせるような語調になり、平吾と修介が少し眉を寄せ始めた。

「だがのう、真剣を握れる者の条件は体格などでもなければ剣道の強さでもない。心の強さじゃ。刀はだれかを守るためのもの。つまり、だれかを守りたいと強く思うことこそ力の根源となり、真剣を握る者の条件となるのじゃ。お前たち、シンケンを漢字でどう書くか知っておるか?〈心〉で振るう〈剣〉……」

(まこと)の剣と書いて真剣でしょ」

 修介が目を細めて言った。

 剣道場に沈黙が訪れる。

「あーあ、セミが寒すぎて冬だと勘違いしちゃったよ。平吾、俺たちも最後に防具つけて試合でもやって体あっためるか」

「うん」

「か、勝手にしろ!」

 老人はふて腐れたように剣道場を後にした。





「じいちゃんさ、いつもボケようとすると、事前にダジャレ言ってるよな」

 修介が平吾に話しかけながら剣道場から出てきた。二人とも汗だくで、脇に剣道の防具を抱えている。いつも通り目の前の水道に防具を置き、二人並んで蛇口を捻る。

「あ、ボケるっていうのは認知症的な方のじゃなくて……」

「うん、わかってる。夏なのに寒くなるっていう方でしょ」

 平吾が少し水を飲んでから面倒くさそうに答えた。

「そうそう」

 言いながら修介も蛇口に口を近付ける。

「うめぇー」

 味はしないはずなのに、ただ冷たいというだけで修介は歓喜の叫び声を上げた。平吾にもその気持ちはわかる。毎日剣道の稽古が終わると、いつまでもここで水を飲んでいたくなる、そういうことを修介はうまいと言っている。

「どうした、平吾?」

 修介が水から顔を上げ、何やら考え込んでいるらしい平吾に声をかけた。

「さっき師匠は、真剣を握る者の条件はだれかを守りたいと思う気持ちの強さだって言ってたでしょ? 僕たちはだれを守ればいいのかな。みんなとはいつか別れなきゃならなくなるし、僕たちにはもともと家族もいない。守る人なんていないんじゃないかな」

「平吾……」

 暗い顔を自分に向ける修介に気付き、平吾が慌てて笑った。

「ごめん、早く大浴場行こ」

 そう促しながら蛇口を閉じた。

「服が汗でびちょびちょだよ」

「……俺も……だれを守ったらいいのかわからない」

 修介は手で水をすくい、しばらく見つめた後思い切り顔にかけた。

 二人は剣道場入口の階段を下り、すぐ正面の孤児院を挟んで反対側にある大浴場に向かって歩き出した。

 二人はすぐに紐が伸びるように前後に離れ出した。

「あー、暑いー。よくそんなに早く歩けるね、修介くん」

 平吾がへろへろになって前方を歩く修介に声をかける。

「暑い暑い言ってても前には進まねえぞー」

 肩越しに平吾の様子を窺いながら、修介はさらに歩を速めて平吾との距離を離していく。

「だってまだ大浴場までずっと離れてるように見えるよー」

「弱い! 弱い弱い弱い! ってまたじいちゃんに言われるぞ」

 修介のだいぶ後方の平吾が、ひからびたような声を出して前に倒れ込んだ。

「おい、平吾!」

 修介が慌てて駆け戻る。

 比較的大きい体躯のもち主である修介でも、夏休みに入ってからの剣道の稽古は疲れが溜まっていた。修介よりも一回りも二回りも小さい平吾が先に倒れるのは当然なことに思えた。

 平吾は汗だくになって目を閉じていた。

「おい、平吾、大丈夫か! もう立てないか?」

「……あと……一メートル……しか……歩けない」

「じゃあ立て! あと一メートルでも歩けるなら頑張って歩け!」

 平吾は腕立て伏せでもするように手のひらを地面と直角に立て、上体を起こした。ふらーっと立ち上がり、ガクガクになりながらも右足を小さく一歩踏み出した。もはや目が開いていない。そしてもう一歩左足を踏み出そうとした時、右膝ががくっと折れ、身体が前に倒れた。

 だが、身体は斜め四十五度で止まった。何かあったかく湿ったものにぶつかった。気持ち悪かったが楽だった。

 すぐに身体が浮き、目を開くと地面がいつもより離れて見えた。なぜか身体は浮いたまま、自分は歩いていないのに地面が勝手に後ろへ流れていく。

 鼻先からはよく慣れ親しんだ匂いがした。


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