story37‐‐再起‐‐
小塚が襲われた三日後、佐川は本部に到着した。
蒼井の捜索で組織の者が全員出払っていた本部の入り口に、若い男が一人立っていた。
「お待ちしていました、佐川さん」
男は丁寧な口調で言った。
「あなたは、蒼井を捜索していた者たちの一人ね。蒼井が見つかったの?」
「いいえ。用件は新しいボスの安藤泉さんについて、小塚さんから伝言があります」
「小塚君やっぱり無事だったんだ……」
「いえ、小塚さんは義手の左腕を激しく損傷し、現在治療課のロボット数体が本部で特殊治療を行っています」
佐川の表情が曇る。
「まさか洞窟で……」
「小塚さんの負傷は、ボスによるものだそうです」
「ボスって……泉ちゃん? 泉ちゃんが……小塚君を……」
「小塚さんの伝言は、ボスが働く『都』を訪ねないよう……」
佐川は男の話を最後まで聞かずに駐車場へ向かった。
老舗和風料理店『都』の戸は閉まっていた。張り紙には『本日の営業は終了しました』とペンで手書きされている。
もうすぐ日が沈み切る頃だった。
まるでひと気のない駐車場に車を停め、佐川は戸を叩いた。
「すみません!」
戸を叩いていないもう片方の手は懐の拳銃に触れている。
なかなか応答がなかった。一分ほど叩き続けてやっと白髪の大柄な男が現れた。
「だから取材はもう……ん?」
男は戸を叩くのが報道機関の人間だと思い込んでいたようだった。
しばらく出なかったところを見ると、似たようなことが何度もあったらしいことが窺えた。
「あたしは取材をしに来たわけじゃありません」
「ああ、じゃあまた泉ちゃんかい? すぐに呼んでくるよ」
男は迷惑そうな表情で言い、奥の階段を上がっていった。
しばらくして男が下りてきた。
「悪いな。何だか体調がよくないみたいで、今日は帰って欲しいとのことだ」
「すみませんが、そういうわけにもいきません。非常に重要な話があるんです」
佐川はまっすぐ相手の目を見つめて言った。我ながら下手なやり方だと思った。男がそう簡単に佐川の言葉に頷いてくれそうにないのは一目見てわかっていた。
「うちの大事な店員なんだ。今日は勘弁してくれないか?」
案の定、男は心底困ったという顔をした。
しかしそう言われて、はいそうですかと後回しにできる問題でもなかった。
「申しわけありませんが、向こうから出てきていただけないなら、こちらから無理にでも押し入らせていただくしかありません」
内容は物騒だったが、あくまでも丁寧な口調で言った。しかしそれが逆に、相手に悪印象を与えたかもしれなかった。
男は眉を寄せていた。
相手が動きそうにないのを見て、佐川はやむを得ず懐から拳銃を取り出した。
「では……」
佐川が男を押しのけて店の敷居をまたぐと、奥の階段から泉が下りてきた。
「泉ちゃん……大丈夫なのかい?」
男が心配そうに声をかける。
「……はい」
無気力な低い声で返事をした。
垂らした白い前髪の隙間に、佐川を睨みつけるやつれた細い目があった。本当に具合が悪そうにも見えたが、泉の異変はそんなレベルではなかった。
「……外に」
泉がぼそっと呟いた。
泉は黙って店の裏まで歩いていった。
「どうしてこんなところに連れてくるの? 人はいないんだから、店の前でも話はできたはずでしょ?」
佐川の声にはすでに警戒感が滲み出ていた。
泉は佐川に背中を向けたまま振り向かなかった。
「泉ちゃん、答えて。小塚君を襲ったって……本当?」
泉は暮れかけている空を見上げていた。一番星が輝いている。
「どうして襲ったの?」
佐川は泉の無言を肯定の印として受け取り、質問を続けた。
相変わらず泉は背を向けて空を見上げたまま黙っている。
佐川が右手の銃を泉に向けた。
「お願い。答えて」
しばらく沈黙が続き、やがて静かな銃声が響いた。
銃弾は泉の頭のすぐ右を通った。
寒風が二人に吹きつけ、枯れ葉が乾いた音を立てて転がる。
泉の髪も風になびいた。耳殻から血が微かに滴っていた。銃弾がかすめていたようだった。
「理由を話してくれないと、一般人に危険が及ばないよう、あたしは泉ちゃんを拘束しなきゃいけなくなる」
佐川は銃口を向けたまま続けた。
「やりたくないけど、泉ちゃんの両手両足に四つの穴が開くことになるよ」
泉の耳からゆっくり滴る血が地面に浅く溜まり始めた。
「……あたしを殺そうとしている自分を抑えているの?」
泉の薬指がぴくっと反応した気がした。
「もしそうなら、抑えなくていい。本当にあたしを殺したいなら殺して」
泉がゆっくり振り向く。顔は垂れ下がった前髪で隠れている。
「泉ちゃんの意志が知りたい。泉ちゃんの目を見せて」
泉は俯き、前髪を耳の後ろに回して結んだ。
瞼を閉じたまま顔を上げた泉の目もとはすでに濡れ、頬にその細い筋ができていた。
夜の帳が完全に下りて、あたりは真っ暗になった。
泉がすっと瞼を開く。赤くはなかった。
だがそのひとみが佐川を捉えた瞬間、まるで悪魔が魂に乗り移ったようにその表情が変わった。大きく開かれた眼は仇を前にした武士のごとく殺気をみなぎらせ、その視線は目の前の人間を貫かんばかりに鋭く、そして冷たかった。
「本当にあたしを……殺そうと……?」
泉の手に血管が浮かび、怪物のごとき力がこめられた。
佐川がそれを確認した時には、姿勢を低くした泉がもう目の前にいた――。
「だめ!」
声がした時、泉の指先は佐川の服に触れていた。
佐川は遅れて自分の腹部に目を向ける。平手ではなく、指先からまっすぐ突こうとしていたようだった。速すぎて目で捉えられていなかったが、貫通しかねない勢いだったことだけはわかった。泉の指のすぐ先の自分の臓器が、機能を停止しようとしているかのように強く疼いた。
泉が腕を下げ、ゆっくりと声のした方に顔を向ける。
「……雛子ちゃん」
泉は呆然と呟いた。
佐川は本能的に泉から一歩距離を取ってから、少女の方を向いた。
雛子は泉のもとに走り込んできた。
「……雛子ちゃん」
泉はもう一度呟いて、雛子を抱えるように抱きしめた。
「怪物になっちゃだめ!」
雛子は顔をうずめたまま叫ぶように言った。
「怪物……?」
佐川は雛子が発した言葉を確かに聞き取った。
「泉おねえちゃん……本当は嫌なのに、組織の人を見ると殺そうとしちゃうって……」
顔をうずめたまま言ったが、佐川に向けられた言葉らしかった。
「泉ちゃん、それ……本当?」
泉は佐川に顔を向けずに頷いた。
「何の理由もないのに、心が憎悪で焼ける感覚がして……殺そうとしちゃう……」
佐川は泉がずっと背を向けていた理由を理解した。組織の人間を見てしまったら自分が相手を殺そうとしてしまうのがわかっていたからだ。
「泉おねえちゃん」
雛子が泣き崩れている泉の顔を見上げた。ゆっくり泉の手を取って、自分の身体から離す。襟に手を突っ込んで首元から何かを取り出し、再び泉の手を取ってそっと置いた。
金のペンダントだった。
「よく見て」
雛子の言葉に、泉が泣きはらした顔でペンダントを覗き込むと、そこには岩谷家四人全員の笑顔があった。
「これは雛子のお守りで、とっても大事で、とってもとっても大切な宝物。泉おねえちゃんがもってて」
雛子は泉の手の指を一本一本曲げてペンダントを握らせた。
再び泉の顔を覗き込んだ。
「今、組織の人は泉おねえちゃんの力を必要としてる。だから、協力してあげて。もし殺しちゃいそうになったら、このペンダントを見るの。泉おねえちゃんは……雛子も殺そうとする?」
泉は精いっぱいに首を横に振った。
「絶対に……そんなことしない」
「必ず帰ってくる、って誓って。雛子はもう大事な人がいなくなるのは嫌。必ず帰ってきて、このペンダントを雛子に直接返して」
泉は力強く頷いた。
「あたしは……必ず帰ってくる……それで、ちゃんとこのペンダントを……雛子ちゃんに返すよ。絶対戻ってくるから、それまで、少し待っててね」
翌朝、狂魔特別対策組織本部。
泉と佐川が小塚の病室を訪れた時、小塚の寝ているベッドの脇に隼人の姿もあった。昨日のうちに無事洞窟から帰還し、小塚の見舞いに来ていた。
佐川は昨夜の出来事をなるべく客観的に話して聞かせた。
「……ということみたい」
泉は佐川の隣で、自分の愚行を恥じるように俯いて目を閉じていた。
ベッドの中の小塚の左腕には包帯が巻かれ、どんな治療を行ったのか、手首も戻っていた。
「安藤」
小塚が険のある口調で泉の名前を呼んだ。
泉がその重たい瞼をゆっくりと開いた。
小塚を捉えたひとみが一瞬揺らいだが、首にかけた金のネックレスを優しく包み込むように握り、再び小塚を見据えた。
もうひとみは揺らがない。
「話を聞いた限り、お前は理性では俺たちを殺すつもりはないようだが……」
小塚は一度切ってから訊いた。
「理由のない本能的な殺人衝動を、お前は自分の理性で抑え込めるのか?」
泉の表情には、自分の中の何かを力ずくにでもねじ伏せようとする堅い意志が宿っていた。
「あたしは、やるべきことをやって必ずこのペンダントを雛子ちゃんに返します。それまではこのペンダントが……雛子ちゃんがあたしの殺人衝動を抑えてくれます」
「俺たちは……お前を信じていいんだな?」
「……はい」
不意に隼人が口を大きく開けて笑い出した。
突然の奇行に驚いて三人が隼人の方を見た。
嬉しくて笑っているわけでも、何かがつぼにはまったわけでもなく、人を小ばかにするような演技がかった笑いだった。
「安藤さんが自分を抑えられるか訊いたところで、何も変わらないだろう。俺たちは安藤さんなしで蒼井には勝てない。お前の言い方を真似るなら……」
隼人は小塚の方を向いた。
「俺たちは最初から、蒼井に殺されて死ぬか安藤さんを信じるかのどちらかしかなかったんだ」
小塚の口の端が微かに上がった。
「たまにはボスの息子らしくまともなことを言うんだな」
「やっと俺を尊敬するようになったか」
佐川もふふふと笑い、泉を振り向いた。
「小塚君は『信じていいんだな?』なんて訊いちゃったし、あたしも銃口を向けちゃったけど、本当はあたしたちみんな、最初から泉ちゃんを信じてたんだよ。泉ちゃんは組織に入った時から、もうあたしたちの仲間なの。だからあたしたちは最初から、泉ちゃんが組織に入ったあの時から、もうずーっと信じてたんだよ」
泉のひとみに涙が浮かび始めた。
「……あたし……みなさんを……殺そうとしたのに……!」
「泉ちゃん」
佐川が泉をじっと見つめ、にっこりと笑った。
「おかえり」
愛情のこもった優しい声だった。
泉は激しく泣き出し、佐川に抱きついた。長い間離れ離れだった愛する家族に再会したかのようで、実際、それに近いかもしれない。
「……ただいま」
泉は顔をうずめたまま言った。
「みなさん……迷惑をおかけしました……でももう……大丈夫です……安藤泉はただいま……組織に戻らせていただきました!」
孤児院跡の屋上。
大きな塊の雪がたくさん降る日だった。まだ日中だというのに、空を覆う雪雲に日光を遮られ、あたりはぼんやりと暗い。気温は氷点下こそ何とか上回ったものの、ずっと氷点下ぎりぎりを彷徨っている。
屋上に積もった雪の上には、それぞれ対照的な二人分の靴跡がある。一つは大股の、ほっそりしていて足先が尖っている靴跡。もう一つはサンダルのような、足先になるほど幅が広くなる小股の靴跡。
どちらも屋上へ来たばかりのようで、まだ雪に埋められることなく、くっきりと残っていた。
「僕は雨男ならぬ、雪男かもしれない」
足もとにほっそりした靴跡が続いている若い男が、しんみりした口調で呟いた。両肘をさびた手すりに立て、眼下の雪の上で遊ぶ無数の男女を見下ろしている。
「どうも僕が外に出ると、いつも雪が降っているようなんだ」
「雪男……ですか」
サンダルの足跡が続く、メガネをかけた痩せ身の男が尋ねた。どう見てもこちらの方が年上だったが、恐れをなしているように堅く丁寧な言葉遣いだった。
「こうして彼らの遊ぶ姿を見てると、僕も子供に戻った気分だ」
だが言葉とは裏腹に、幼い子供のように遊ぶ眼下の彼らの身体は、かなり若いとはいっても、もうある程度大人のものだった。
「こんなに自由にさせていいんですか?」
「構わないよ。彼らの精神年齢が子供のままなのは僕のせいだからね。それに、拾われてすぐここに預けられた彼らは、言わばここが故郷のようなもの。もうすぐここを離れなきゃならないんだから、最後に故郷で遊ぶくらいの面倒は見てあげるさ。彼らは僕の子供なんだからね」
無邪気に遊ぶ彼らの中には、まだ幼さが残る顔立ちの者もいれば、大きな身体をもった者もおり、その正反対の者もいる。屋上から見渡せる範囲でも、百人近くはいた。森の中から叫び声が聞こえることもある。だが、その全員、おそらく森の中の者も含めて、共通する点が一つだけあった。
「科学者としての興味本意で訊かせてもらいたいんですが、どうして彼らは全員髪が白いんですか?」
彼らの髪は全員、舞っている雪や積もっている雪よりも白い純白だった。
「僕の髪を見てわかるように、聖人はその強力な力と代償に、髪の色素が完全に抜けてしまう。そして、彼らを見てわかるように、代償はもう一つある」
「心が歪んで残虐になる、ですか?」
「ご名答」
気付くと眼下の彼らは、雪の中に石を詰め、それを大勢で囲んだ一人の人間に力いっぱいに投げつけていた。投げている者はみな満面の笑みを浮かべ、実に楽しくて仕方がないようだった。
「止めなくていいんですか? 部隊は一人でも多い方がいいって言ってましたよね」
「結局、五分も保たなかったか」
若い男は面倒くさそうに一つ溜息をつき、大きく目を見開いた。
すぐに彼らは大人しくなって遊ぶのをやめ、建物の中に戻り始めた。
「一体、何をしたんです?」
「正の感情物質を放出した。彼らは僕の感情物質で僕の言うことを聞くように暗示をかけてある」
「なるほど。聖人化薬を打ったあの子たちをまとめられるのは、生粋の聖人であるあなただけということですか」
メガネの男が悟ったように呟く。
若い男は屋内に戻ろうと引き返したが、ドアの手前で止まった。
「筋力増強剤と聖人化薬をそれぞれ一本ずつ置いていく」
若い男はドアの取っ手に手をかけたまま、振り向かずに言った。
「君の不手際のせいでネズミは三匹とも生きて洞窟を出たようだ。落とし前をつけてもらうために、君には命を張ってここをもうじき訪れるネズミ共を駆逐してもらう。生け捕りにできたら、自由に身体を切り開いてくれて構わない」
若い男はドアを開けて、音もなく屋内に姿を消した。




