story32‐‐罠‐‐
暗さ以上に肌寒かった。蛇行した洞窟内を、常に微風が吹いているようだった。時折獣の唸り声のような低い音を立てて吹き抜ける風は、外気より断然冷たく感じた。小塚とその後ろの隼人が、懐中電灯で前を照らしながら歩いている。
佐川は携帯に地図を表示し、大体の位置を確認しながら二人の後ろを歩いている。
「なんか、人が通りやすくできてるね」
佐川が周囲を観察しながら呟いた。両腕を広げれば壁に触れそうなほど細くて狭いが、足元はほとんど平らに近い。
「人の手が加えられているかもな」
隼人も壁を照らしてみたりしながら言った。
ふと、小塚が足を止めた。
「どうしたの?」
「何か臭う……気がする」
半信半疑のようだった。
小塚は歩調を緩めて慎重に歩き出した。
小塚の照らすライトが、すぐに鉄格子らしきものを捉えた。
やがて、佐川の鼻も妙な臭いを感じ取った。
「……腐臭?」
四人は鉄格子の前に立った。鉄格子の隣の壁に、ランプが取りつけてあった。油の黒いしみが表面に付着していた。
鉄格子の向こうは、大人が何とか横になれる程度の小部屋だった。ぼろ布を纏って白骨化した人の遺体が、壁に寄りかかっていた。
「この中に閉じ込められて餓死したみたいだな」
心なしか隼人は顔が青ざめているようで、小塚の言葉を聞きながら手を口元にあてていた。
「だが……扉がない。どうやって入れられたんだ?」
「ねえ、これも……蒼井の仕業なの?」
佐川は不気味そうに中を見回しながら訊いた。
「さあな」
洞窟内を進むうちに、道が少しずつ広くなり、次々と同じような小部屋が壁の両側に現れ始めた。
どの小部屋にも、中に白骨化した遺体があった。
「風が吹き抜けるようになっているのは、こいつらの臭いを外に逃がすためかもな」
蒼井とは関連がなさそうに感じているのか、小塚はもはや、小部屋を観察することなく歩いていった。
後ろの隼人は、小部屋を照らして中を観察していた。腐臭を我慢しているのか、気持ち悪そうに表情を歪ませている。
「あっ」
声を上げたのは佐川だった。
「隼人さん、さっきのところ、もう一度照らしてください」
隼人が懐中電灯を右手の小部屋の壁に戻した。
「そこ、歪んでるけど、確かに『HELP』って彫られてます」
隼人は鉄格子に近づいてよく観察した。佐川の言う通り、爪で書いたらしき文字があった。
「外国人……?」
佐川が悩ましそうに呟いた。この国には、もう二十年以上も前から外国人がいない。原因不明のまま人々の死亡率が高くなり、人口が急激に低下し始めたことを恐れたからだ。つまり、少なくとも二十年以上前から、この状態になっていたということだ。こんな場所を本当に蒼井が利用しているのか、疑いの色が濃くなってきた。
「カチッ」
小塚の足もとから小さな音がした。
「何か踏んだのか?」
隼人が言い終わると同時に、天井が大きな音を立てて揺れ始めた。
小塚の真上の天井からパラパラと岩の破片が落ち始めた。音はどんどん大きくなり、砂埃で視界が悪くなっていった。
そして突如小塚の真上の天井が動き、何か巨大なものが勢いよく落下した。地面に強い振動が伝わった。
佐川たちは砂埃に腕で顔を覆っていた。
視界が回復してくると、佐川が叫んだ。
「小塚君!」
小塚がいたあたりの天井から、巨大で鋭利な無数の針が、地面を深く貫いていた。
「……小塚?」
隼人も心配そうに呼びかけた。
そこに小塚の姿はなかった。
やがて天井から突き出した針がゆっくりと戻っていった。
「何なんだ、これは」
隼人が上がっていく針を見上げながら呟いた。
「トラップだ」
小塚の声だった。
「小塚君!……無事だったんだ」
小塚が向こう側に立っていた。片腕の袖が裂けていたが、どうやら間一髪で針から逃れたようだった。
「待て!」
佐川が駆け寄ろうとすると、小塚が先ほどの針よりも鋭そうな声で止めた。
「通路の端を通れ。そこの突起物を踏むと仕掛けが作動する」
小塚が佐川たちとの中間の地面を指差した。確かに小さく突き出た部分がある。小さすぎて、あらかじめ知っていなければ到底気付けないものだった。今回は相手が小塚だったことと、長い間使われていなかったようで作動が遅れたため、奇跡的に小塚が針に貫かれることはなかった。
「どこかで聞いたことがある」
壁に手を這わせて歩きながら隼人が言った。
「何十年も昔に使われなくなった、大罪人を死ぬまで閉じ込めておく秘密の洞窟。脱獄を防ぐため、洞窟内には、監視役の人間しか知らない無数のトラップが仕掛けられている。まさかこの洞窟が……」
すぐに四人はかなり円形状のひらけた空間に出た。
天井の中央から、一条の今にも消えそうな細い光が差していた。
長い木のベンチが壁の両側に置かれている。
「その監視役が休憩する場所みたいだな」
小塚が注意深く周囲を観察しながら呟いた。
隼人の懐中電灯が奥を照らし出す。
暗闇に続く道が三本に分かれていた。
「どうする? 選択肢はいっぱいあるね」
隼人が小塚に尋ねる。
「三本それぞれに別れて進むか、固まって一つずつ探索するか、もしくは引き返すか……」
メガネをかけた痩せ細った男は、森の出口から、遠くに見える洞窟の入り口の暗い闇を見つめていた。足もとの雪は、何度も足を組みかえたように足跡が重なっている。何かを待っているのか、それとも洞窟の入り口の闇の先を想像して楽しんでいるのか、とにかくもう長い間そこから洞窟を眺めている。
不意に男の白衣のポケットから、ピピピッと電子音が聞こえた。
「お、やっとか」
男は音が鳴ったポケットから黒い小さな機械を取り出した。真ん中にドクロマークのついた赤いスイッチが取りつけられている。
「さっきトラップが作動したみたいだし、どうやら本当に影ができたようだな」
男はそう呟きながら、何の躊躇いもなく、無表情のまま手元の赤いスイッチを押した。
突然、激しい轟音が空気を震わせた。地面から地震のような衝撃も伝わってきた。
遠く、洞窟の入口よりもだいぶ奥の方が爆発するのが見え、すぐにそれに伴って黒い煙が上がり始めた。
男の口元が緩み、中の黄色い不潔な歯が覗いた。
一瞬の出来事だった。
佐川は田川に突き飛ばされてすぐ、先ほどの針とは比べ物にならないほど大きな音と、非常に高温の熱を感じた。大きな瓦礫はさけられたが、それでも小さなものや埃もかなり被った。
立ち上がって背後を窺うと、どうやら大量の瓦礫がすぐ足もとまでうずたかく積もっていて、退路は完全に断たれていた。
真っ暗だったが、瓦礫の中から人の右腕が出ているのに気付いた。だれのものかはすぐにわかった。
「凛ちゃん!」
慌てて瓦礫をどけたが、どけるたびに上から巨大な岩が落ちてきた。危険すぎる。
「凛ちゃん!」
もう一度叫んだが、相手はぴくりともしなかった。
田川が埋まった瓦礫の中から、大量の血液が流れ出てきた。
「うそ……」
理性では必死に認識しないよう努めたが、本能が頭の中で勝手に叫んでいた。
「…………死んじゃったの? 凛ちゃん、返事してよ……」
佐川に涙を流させる暇も与えず、瓦礫の山が崩れ、巨大な岩が転がり落ちてきた。
ここでもまた、理性では田川を置いていくことなど認めていなかったが、本能的に身体は勝手に奥へ逃げ始めていた。
途中で足がもつれて転んだ。
振り返ると、もう別の瓦礫で田川の腕は見えなくなっていた。
立ち上がって、流れていた涙を拭うと、トランシーバーを取り出した。
「もしもし、小塚君? 隼人さん? 応答して! 返事……してよ……」
必死に叫んだが、応答はなかった。
佐川が俯くと、また瓦礫の山が崩れ始めた。
『俺は絶対に死ななければいいのか?』
小塚の言葉が頭の中によみがえる。
『お安い御用だ』
お安い御用、と小さく呟く。
「きっと二人のトランシーバーが壊れちゃっただけよ。二人とも生きててあたしだけ死んでたら、笑い物になっちゃうよね」
佐川は、奇跡的に無事だった自分の懐中電灯で崩れていない奥の方を照らし、無理やり足を前に突き出して歩き出した。
隼人は壁に背を預けて座り込み、足のすぐ指先まで落ちてきていた巨大な岩を眺めていた。刃のように鋭利に尖った部分が隼人の方に向いていた。
「よく尖ってる」
すぐに何かを思い出したように懐を探り始めた。服の上からパンパンと叩いてみる。トランシーバーはこちらに飛び込んだ時に落としてしまったようだった。
「粉々になってるな……」
安堵のようで悲しそうでもある大きな溜息をついた。
「まあ、生きてるだけましだな。不幸中の幸い中の不幸ってところか……」
目を閉じ、胸に手を当てた。鼓動を感じる。
「二人は生きてるみたいだな」
瓦礫の山が音を立て始めた。
隼人は瓦礫の反対方向に顔を向けた。三つの分かれ道の一つに進むしかないようだった。
「くっそがあぁぁぁ!」
声と共に、瓦礫の山が上下に動いた。
「こんなトラップが……あって……たまるか」
しばらくして、仰向けの小塚が身体をうねらせて出てきた。かなり息を切らしていた。
服は血で真っ赤に染まっていた。
すぐに服をちぎって破片が刺さった右肩を縛った。
「……はあ。っつーか、あの衝撃で……」
肩から袖が千切れてなくなっている左腕を見つめた。
「無傷かよ」
小塚の左腕は傷一つなく、むしろ輝いているように見えるほどきれいな真っ白だった。
「そういや、あの針の時も……」
間一髪で直撃はさけたが、あの時、確かに左腕を針がかすめていたのを感じていた。
小塚は苦笑を浮かべた。
「……気持ち悪い丈夫さだぜ。天才科学者様よお」
服の内側からじゃらじゃら音がした。手で確認すると、潰れているのはやはりトランシーバーだった。
舌打ちをしてバラバラになったトランシーバーの破片を出す。
微かに血の匂いがした気がした。
目を閉じて呼吸を整える。呼吸がゆっくりになり、どんどん静かになっていく。心臓の音が聞こえ、やがて血流の振動を感じた。
「……田川の血……か?」
とりあえずは佐川が無事であることを確信し、残された奥への道を歩き出した。




