story28‐‐機械‐‐
「一番上の息子が十六の時に使ってたものだ」
朝、まだ薄暗い頃。
老舗和風料理店『都』の店主太一が、店の二階の夫婦の寝室の引き出しから取り出した登山服を泉に渡した。
「あいつにはいいものを買ってやったんだ」
太一は懐かしむように泉が手に抱える登山服を見ながら言った。
「サイズは大丈夫か?」
「はい」
「新しく買った靴と帽子は下にあるからな」
「ありがとうございます」
数分後、泉は頭から足先まですっかり山登りの服装になって店から出てきた。まだ日は昇っていない。
「それじゃあ、行くか」
同じく登山服に身を包み、老練さを醸し出している太一の声には年相応の威厳が感じられた。
泉は振り返り、厚着をして見送りに出てきた雛子とハルに手を振って歩き出した。
「どれくらいこの山を登っているんですか?」
店から北に歩いた先の森に入ったところで泉が何となく訊いた。
太一の足取りは驚くほど軽かった。訓練で身体を鍛えていた泉が少し遅れを取るほどだった。
「んー、もうかれこれ三十年くらいにはなるなあ」
「さ、三十年ですか……初心者のあたしと一緒じゃ、迷惑をかけてしまうかもしれません」
相手が大ベテランだと知って、泉の心中に緊張や不安が渦巻き始めた。
「はっはっは」
太一はいきなり笑い出した。
「え……何かおかしかったですか?」
泉は戸惑いを隠せない。
太一はきわめて楽しそうに答えた。
「いやー、違う違う。おかしくて笑ったわけじゃない。嬉しくて笑ったのさ。何せ、もう二十年もだれかに迷惑かけられたことなんかなかったからな。俺にどーんと迷惑をかけてくれ」
「あ……は、はい」
泉は変わったおじさんだなと苦笑した。
店から十分ほど歩いたあたりで山道にさしかかったようで、急に勾配が険しくなってきた。
太一の方を窺うと、足取りには何の影響もないようで、上を見ながら歩いていた。
泉も見上げてみると、道の両側の高い木が先端付近でアーチ状に曲がり、自然のトンネルを形成しているようだった。
どの木も黄色や茶色の葉をまだ少しつけていた。足もとに落ちている枯れ葉は風に吹かれて乾いた音を立てている。
「何だか、まだ秋みたいな雰囲気ですね」
「ここは毎年こんなもんだ。雪も降らないしなあ」
「雪降らないんですか?」
いかにも意外だというような声を出した。
「ああ、この山の隣にはこの国最大級の山がある。たぶん雪雲がその山を越える時にすっかり雪を降らせちまって乾燥するんだろう。降ってもせいぜい細雪よ」
木でほとんど見えなかったが、太一はその高い山があるだろう方向に顔を向けていた。
「まあ、それでも雪が降らないのはこのあたりだけらしいけどな」
「あたしの家は黒江町南方のかなり田舎のところでしたけど、もうずいぶん前から雪は積もっていますね」
「昔と違って、今じゃ人の住んでるところはどこも雪が積もるもんなあ」
太一の口調はどことなく懐かしそうだった。
「昔は違ったんですか?」
「んー、違ったって言っても、都会が消滅していった後、残っていた人が雪の積もりやすい山の方の田舎に住んでたってだけの話だけどな」
「そういえばだいぶ前、新聞にそんな感じの記事が載っていましたね」
まだ泉が組織に加入する前に家で見た新聞。産業の退廃が人工の激減などを問題視していた。
「ああ。都会の人口が急激に減って、そのまま都会は廃墟になっちまってるんだってな。そういえば、このあたりにも、廃墟と化した町があるって噂に聞いたなあ。ここもそのうち、原因がわからないまま人口が減っていくかもしれないと思うと怖いねえ」
「確か、伝染病でもないのに病気の発生率が著しく上がった、ということが都会消失の原因でしたよね」
「だが、肝心なその理由がまだわかっていない。まったく、国は何してるんだろうなあ。経済も崩壊寸前で外国との貿易も凍結してるって言うし」
泉は話に夢中で気が付かなかったが、今歩いているのは、枯れ葉が何重にも積もっているせいで、思いがけない木の根っこなどに足をくじきやすい、凸凹したかなり危険な場所だった。
時折急勾配の坂道を通る時、枯れ葉で足を滑らせそうになる。
「あの、登り方にコツとかってありますか?」
「下り坂の時はなるべく下に木がある道を選んで、木につかまりながら小股で歩くといい」
「上り坂の時は……?」
「無理に身体を曲げず、体重をまっすぐ下に向けて上がれば転げ落ちにくくはなるだろう」
「ありがとうございます」
熟練者のアドバイスに素直に従うと、確かにかなり楽に進めるようになった気がした。
「このあたりだな」
太一が緩い下りの坂道で立ち止まった。
「泉ちゃんが知りたがってた例の食材を探すぞ」
「結局、あれ何だったんですか?」
「この山でしかとれないキノコだよ」
「えっ! タンポポって全然惜しくないじゃないですか!」
「いやいや、泉ちゃんが言ってた幻のタンポポもここでしか採れないし、何しろお店は料理と雰囲気で決まるだろ」
そういうタイプの人だったのかと泉は今さら気が付いた。
「まあ、ぶっちゃけちゃうと、ここでしか採れないキノコって言っても、外国との貿易が凍結したから、この近くではここしかそのキノコを採れるところを知らないってだけなんだけどな」
素直にぶっちゃけられて、泉はあきれた表情を隠せない。
「そうですか……で、そのキノコの特徴は?」
「そこが問題。地表付近に生える、丸っこくて真っ黒なキノコなんだが、かなり似た猛毒のキノコもあるんだよな」
心底困ったような口調だった。
「ええー、そうなんですか……じゃあ、それらしいのがあったら毎回太一さんに見せますね」
「ああ、そうしてくれ。あと、この山は猛毒をもったものがわんさといるからな。ちゃんと軍手をはめていても、あまり何でもかんでも手で触れない方がいい」
「先に言ってくださいよ」
泉は慌てて軍手をはめた。
「手で枯れ葉をかき分けないなら、どうやってキノコを探すんですか?」
「リュックにスコップを入れてある」
泉は太一に習ってリュックを下ろし、木製のかごとスコップを取り出した。
「まあ適当に探して、キノコに限らず食べられそうなものがあったらとりあえず俺に見せてくれ」
「わかりました」
いざ探し始めると、確かにキノコに限らず、ワラビやゼンマイも次々と現れた。
かごの半分ほどが埋まった頃、泉がスコップで枯れ葉をどかすと、不意に黄色っぽい何かが跳ねた。よく見ると、黄色と黒のコントラストが輝かしい異彩を放つ小さなカエルだった。
泉が手を伸ばそうとすると、近くにいた太一が声を張り上げた。
「触るな!」
泉はビクッとして太一の方を振り向いた。
「どう見ても毒ガエルだろう」
泉はもう一度カエルに視線を移した。
「でも、とてもきれいですよ」
「だから危険なんだ。派手な色のカエルほど猛毒をもっているもんだろう」
「そうなんですか?」
不思議そうな表情をする泉に、太一は深い溜息をついた。
「泉ちゃんはそういえば、南方のど田舎の生まれだったんだっけな。こういうカエルは見たことも聞いたこともなかったのか」
「こんなきれいなカエルは初めて見ました……でも毒があるなんて」
「ちなみに、そこの白いキノコも猛毒だ」
太一が泉の前方に生えたキノコを指差した。
泉は再びビクッと肩を震わせた。
「この山……毒をもつ生物が本当に多いんですね」
「神経毒から幻覚を見せるものまで実にさまざま、まさに毒の宝庫さ」
その後もさらに猛毒のキノコや植物に出くわしながら、しばらく山菜採りを続けた。
かごがいっぱいになってくると、太一が「そろそろ帰ろうか」と言って腰を上げた。
リュックを背負うと、太一は空を見上げた。木々で光が届いていない場所がほとんどだったが、おおよその太陽の位置は窺えた。
「あんまり時間かからなかったな」
「そうですね」
太一は泉の方を向いて言った。
「明日はちょっと高いが山頂まで行ってみるか? さっき言った山も見えるし、神秘的な滝もある。幻のタンポポにも出会えるかもしれないぞ」
「いいんですか? じゃあ、お願いします」
泉は少しはしゃいだ様子で言った。
「あと……運が良ければ変な坊さんに遭遇するかもしれないな」
「変な坊さん?」
「まあ、楽しみは会う時までとっておくもんよ」
泉は眉を寄せて山頂の方を見上げたが、景色は木でほとんど隠れていた。
「それじゃ、今日は帰るか。山道は下りの方が危険だぞ」
隼人と佐川はまず栗原の行方を探すことに決め、最低限必要なものををもち出すためにとりあえず本部の休憩室に戻った。
「今はもう二人しかいないってわかってると、何だか妙に寂しいな」
隼人は純白の部屋を懐かしむように見渡した。
佐川はボスのデスクを見て一瞬沈んだ表情をしたが、気を取り直すように首を振って自分のエリアに向かった。
二人はそれぞれ自分のケースを開けた。
「何が必要かな……」
「栗原がボスを殺したってことは……栗原は狂魔化しているのかもしれない。感知器は破壊されているから……こうしてみると拳銃くらいしか必要なさそうだな」
しばらく悩んだ末、結局二人は拳銃とトランシーバー、さらに念のため防護クリームも懐に収めて休憩室を後にした。
二人が廊下を歩いて階段まで行く途中、反対側から若い女性が歩いてくるのに気付き、佐川があっと声を上げた。
「あなたは! また会えてよかったー」
佐川は小塚の手術の件で仲良くなった女性に飛びついた。
「こんにちは、佐川さん! それに隼人さんも」
「えっと……お知り合いなの?」
隼人は二人の様子を見て少し戸惑っていた。
「この人は治療課の……あ、まだ名前聞いてなかったね」
「ロボットとしての私の名は……」
「じゃあ私が決める!」
佐川は予想していたかのように素早く遮った。
「ロボット? この人下働きの人じゃないの?」
「そんな言い方しないでください。この人たちにはちゃんと心があるんですから」
佐川は少し怒り口調で言った。
「ロボットだったのか……」
隼人はまだ信じられないかのように呟いた。
「じゃあねえ……あたしの名前をちょっともじって……田川凛子!」
「……田川凛子……」
「どう?」
「ありがとうございます」
田川は満面の笑みを浮かべ、丁寧に頭を下げた。
「よろしくね、凛ちゃん」
あだ名で呼ばれて、田川は少し照れたように頬が薄紅色に染まった。
「それで、田川さんは治療課なのにどうしてこんなところにいるの? 治療系の部屋はここより上の階でしょ?」
「そうでした。ちょうど佐川さんを探していたんです」
田川は改めて姿勢を正した。
「あたしを?」
「あ、いや、隼人さんが退院していらしたのは知らなかったので……組織の方にお伝えすることがあります」
「どうしたの?」
田川は事務的な口調で言った。
「我々の緊急事態モードが一週間を過ぎましたので、通常のモードに戻るため、我々はこれから新しいボスを探します」
「新しいボスって?」
「安藤泉さんです」
「安藤さんがボスに?」
隼人が口を挟む。
「でも、安藤さんは確か今組織を抜けてるはずじゃ……」
「しかし、我々には安藤さんの名前は登録されたままなので……それに亡くなられたボスは安藤さんに次ぐボスの候補を決めておられませんでした」
「ボスは安藤さんが戻ってくるのを信じていたんだな」
「でも、場所はわかるの?」
佐川が疑問を投じる。
「ただいま、私を除く総員で捜索中です」
「あ! そういえば、泉ちゃんを訪ねたら殺すって置き手紙に書いてあったような……」
「そんなに怖い子になっちゃってるの? 安藤さんらしくない」
「仕方がないよ。あんなことがあったんだから……」
佐川の声が小さくなっていった。
「申し訳ありませんが……これは義務として設定されていますので、もっと明確な理由がなければ捜索を中止することはできません」
隼人が不意に提案をした。
「じゃあさ、一人ぐらいは安藤さんの捜索していていいから、残りは俺たちの命令で栗原を探すってことはできない?」
「それなら可能だと思います。すぐに連絡します」
田川は目を閉じて俯いた。
どうやら他のロボットと通信を始めたようだった。
「べ、便利だな」
隼人は田川を見つめながら呟いた。
佐川は無邪気な子どもに戻ったように楽しげに田川の頭や脇、腰などをつついていた。
しばらくして、田川が嬉しそうに顔を上げた。
「うまくいきました。一人が安藤さんの捜索を続け、残りの十一人は栗原さんの捜索を了解してくれました」
「ありがとー」
佐川が思い切り田川を抱きしめた。
「俺たちも探すか。田川さんも一緒に来てくれ。他のロボットが捜索している場所を教えてほしい」
「わかりました」
三人は駐車場へ向かった。




