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狂魔伝  作者: ラジオ
第一章
2/67

story1--偽りの平和‐‐

 それからさらに九年後の二〇五二年、十月。

 黒江町。

安藤(あんどう)』と彫られた表札のついた、黒い、人の背丈ほどの門。その奥は、飛び石と砂利を敷き詰めた上品なデザインの小道が玄関まで続いている。

 この田舎町では立派な方の和風の木造住宅である。コンクリートのレンガが庭を含めた家全体を囲い込むように高く積まれ、壁を形成している。家の東側に植えられた真っ赤なもみじの木は、庭の半分ほどと屋根の一部を覆っていた。

 この家の東側の二階の部屋。

 ベッドで寝ていた少女が、もみじの葉の隙間から差し込むあたたかな黄色い陽光に目を覚まし、ゆっくりと瞼を開いた。

 窓から、赤いもみじの影がベッドに映っている。

 クローゼットを開き、手早く制服に着替えて髪を結んだ。

 制服の上から厚いコートで身を包み、軽い足取りで階段を下りる。

 外の郵便受けから、また今日も物騒な記事で埋め尽くされているであろう新聞を取ってきて、ざっと目を通してからそれを居間のテーブルの上に置く。

 それからコートを食卓の自分の席にかけ、台所に向かい、家族四人分の朝食と弁当を作り始めた。

「おはよう、(いずみ)。いつも悪いね。たまには僕が作ろうか?」

 いつも通り作っている途中で父親の(ひろ)(ゆき)が下りてきた。

「いいよ、お父さん。最近仕事忙しいんでしょ」

「まあなぁ」

 気の抜けたような返事は、もう座って新聞を読み始めた証拠だった。

「そういえば、加藤さんって家だっけ。みんな殺されたんだってな」

 博行が陰鬱な声音で呟いた。

「うん。まだお父さんが帰る前だったみたい」

「……そうか」

 博行は溜息をつき、念を押すように言った。

「お前も知らない人は絶対家に入れるなよ」

「わかってる」

 泉はフライパンから目玉焼きを慣れた手つきで皿に盛り付けた。

 すでに焼き魚と味噌汁も用意されている。

「できたよ。お母さんと光起こしてくるね」

「あー、お母さんはいいよ」

 博行が慌てて止めた。

「加藤さんちの奥さん、母さんと仲よかったんだろ。昨日遅くまでやけ飲みしてたから、まだ酔いも覚めてないと思うし」

「……わかった」

 泉は俯いたまま小さく頷いた。





 朝食を食べ終え、自分の身支度を整えると、泉は六歳年下の弟――(ひかり)の部屋に入っていった。

「ひかりー、行けるー?」

「もうちょっと待ってー」

 やはりいつも通りの返事だった。光が泉より先に自分の身支度を整えたことはない。

 光は猫に餌をあげていた。

 この真っ黒な猫は、数年前のまだ小さかった頃、外で足を怪我をしていたのを光に助けられた。そしてそのまま安藤家で飼うことになり、光に身体の色に相反する真白(ましろ)と名付けられた。

 真白はすぐに光に懐き、毎日光の部屋で光とともに寝るようになっていた。

 光が泉に手伝ってもらい、ようやく学校へ行く準備ができると、二人は亡くなった祖父の仏壇で線香を上げてから玄関へ向かった。

『行ってきます』

 二人は声を揃えて言い、玄関を出た。

 光が飛び石の上を走っていき、先に取っ手を回して門を開いた。

 門の先には泉と同じ制服に身を包み、首に真っ白なマフラーを巻いた小柄な少女が二人を待っていた。長い栗色の髪には、微かにカールがかかっている。

「ごめんね、()()()。寒かったでしょ」

 泉が門を閉めながら申し訳なさそうに言った。

「まあ、ちょっとね」

 この時期、もう朝はかなり冷え込んでくる。

 三人はあぜ道を歩き出した。

「それより、光君。そろそろお姉ちゃんに手伝ってもらわなくても一人で支度出来るようにしなきゃ。もう三年生でしょ?」

「うっさい、ちーび」

 光がからかって元気に走って逃げていった。真梨香は光に合わせてか、子供っぽく怒って罵声を返しながら追いかけた。

 小川の流れる小さなコンクリートの橋を渡ると、その先の道路の淵に石階段が見え始めた。階段の先は小さな神社で、階段の両側には木がそびえ立ち、神社の周りを囲んでいる。

 夏はそれなりにひんやりした風が吹くため、三人はよく涼みに寄った。しかしこの時期はただ寒さが増すだけで、誰も行こうとは思わない。それでも三人は素通りせず、階段の前で手を合わせて簡単にお祈りをしていった。

 光が小学校のそばで泉たちと別れると、泉は道中ずっと考えていた話をもち出した。

「ねえ、真梨香」

「ん?」

 何となく暗い泉の表情に気付いたのか、真梨香の顔も自然と強張ってくる。

「どうしてこの町、こんなに殺人事件多いのかなあ……」

「加藤さんって家の話? でもここからかなり離れてるし、気を抜かなければきっと大丈夫だよ」

「でも……」

 泉は心配そうに顔を沈めるだけで、その先は続けなかった。

 結局、真梨香が妙な空気に耐えかねたように、最近の生物部の研究に話題を変えて話し始めた。

 真梨香の口調は次第に興奮した熱いものに変わっていった。

「植物ってさ、きれいな色やいい香りで鳥や虫を誘って、花粉を彼らに運んでもらってるものがあるでしょ?」

「うん。鳥媒花とか虫媒花のことでしょ?」

「そう。で、逆に、自分の身を守るために体内で毒を生成する植物もたくさんある」

「うん。あんまり知らないけど、意外と多いらしいね」

「それでさ、たくさんあるんだけど、例えば……そうだなあ……あ、これ」

 そう言って真梨香が指差したのは、二人の足もとの、どぶの縁に咲く、二輪のスイセンだった。

 真梨香がしゃがんで片方のスイセンに鼻を近付ける。

「スイセン。これはその両方をもってるんだよ」

 泉もしゃがんで隣のスイセンの花に顔を近付けた。

 ほのかにいい香りがした。

「虫を誘引するために芳香を出すんだけど、実は全草が少量の毒をもってるんだよ」

「ふーん。そうなんだ」

 泉はスイセンをじっと見つめたまま、初めて知って感心したように言った。

「芳香で虫を呼ぶけど、食べられるのは嫌だから毒をもつ。これってさ、何というか……矛盾とまでは言わないけど、わがままみたいな……でもわがままもちょっと違うような……えーっと……」

 真梨香は適切な言葉を見つけられないようで、言葉に詰まってしまった。

「うん、真梨香の言いたいことはわかるよ。でも、植物だって繁殖する必要があって、自分の身も守らなきゃいけない。だから一方的に虫を誘うだけじゃだめで、ただひたすらに身を守っているだけでもだめ。芳香も毒も、ちゃんと意味をもってるんだよ。長い時間をかけて、必要に応じてそう進化したんじゃないかな」

「そうだよね。まあ、別に気に食わなかったわけじゃないけど、何となく変だなって感じたから話したくなってね」

 二人が立ち上がって再び歩き始めた時には、もう前方の丘の上に二人が通う高校の校舎が見えていた。

 学校に着くまで、二人の会話はいつも通りの日常的なもので、光と別れてすぐ泉が振った、黒江町で多発する殺人事件の話に戻ることはなかった。






 泉は生物室に向かった真梨香と別れ、教室に入った。まだ早い時間だから、教室には数人しかいなかった。

 泉は窓際の一番後ろの自分の席にかばんを置いた。

 登校中、真梨香と話している時、密かに考え続けていた黒江町の殺人事件のことが頭をよぎる。真梨香に失礼だったなと感じ、そのことはもう忘れて、いつも通り楽しく学校生活を送ることに決めた。

 たとえそう決意しなくても、友達と他愛無い話をしていれば、そのうち勝手に頭から離れていくだろうとも思った。

 午前の授業は数学、国語、地理と、どれも座学だった。

 せめて体育でもあればすぐに気が紛れるのにと、心の中で愚痴をこぼしてしまう。

「ねえ、泉っちー」

 背後から、泉をクラスの女子の間に広がる愛称で呼ぶ声がした。

「あ、おはよ、千奈(ちな)。どうしたの?」

 泉に声をかけたのは、泉の右斜め前の席にたった今かばんを置いた女子生徒――細貝(ほそがい)千奈(ちな)だった。真梨香と同じ生物部で、席が近いせいもあってか、泉は千奈とよく話す仲にある。少し気が強いところもあるが、思いやりのある優しい人柄で容姿端麗でもあるため、泉と同じくらい、クラスで男女問わず人気を博している。

「まあ、たいしたことじゃないんだけど」

 泉は珍しく千奈が心配そうな表情をしているのに気付いた。

「泉っちは毎日真梨香と一緒に登校してるでしょ?」

 確認するように訊いた。

「うん、そうだよ」

「何か……真梨香に変わったこととかなかった?」

 千奈が自分の席に座り、泉の方へ椅子を寄せながら訊いた。

「変わったこと?」

 泉も自分の椅子に座ってしばらく考え込んだ。だが、登校中泉と話している時、特に変わったところも、そんな雰囲気も感じなかった。

「いや、ないと思う。真梨香がどうかしたの?」

 千奈は明らかに、真梨香について何か気になることがあるようだった。

「実は最近ね、真梨香、朝早く生物部に来て、生き物の世話を自分で全部済ませちゃうの。本当は当番を曜日で決めてて……今日も私が当番だったの。別に悪いことしてるわけじゃないんだけど……何となく、部活でも一人でいることが多くなってて……それで、他の部員も少しだけ距離を取るようになって……」

 見るからに真梨香を心配している様子だった。

「そう言えば確かに最近、生物部で飼育してる生き物のお世話したいから、早く学校に行きたいって言われたけど……当番が決まってるなら……何でだろう?」

 泉はあごに指を添えて考え始めた。

「ここ最近のことだから、急に生き物の世話をしたくなった、ってこともなさそうだよね」

 千奈も可能性の一つを潰すように言った。

「真梨香に直接訊いてみた?」

「うん。どうして急に、毎日生き物のお世話してくれるようになったのって。でも、『何となくだよ』ってかわされちゃった」

 千奈は深い溜息をついた。

 友達のためにこんなに深い溜息をついてくれる人もいるんだと思うと、泉は心の芯から温まった気がした。

「泉っちなら何か知ってるかもって思ったけど、泉っちも知らないとなると、むしろ勘違いで、本当に『何となく』なのかもしれないね」

 以前、千奈と別の話題で真梨香の話になった時、泉は自分が真梨香と幼馴染で、家族みたいに毎日一緒にいると話したことがあった。

 実際、泉は真梨香と友達になってから、嘘をつかれたことも、隠し事をされたこともなかった。もしそんなことがあれば、泉は自分ですぐに気付く自信があった。

(でも逆に、今まで一度も隠し事をされたことがなかったからこそ、今真梨香に隠し事をされても、あたしはまったく気付けないのかもしれない)

 泉はあくまで客観的に分析しようとしたが、気付かないうちに自責の念に駆られているようだった。

「泉っち……」

 千奈が呟いた。

 すぐに担任の先生が教室に入ってきて、ホームルームを始めようと、生徒に席につくよう言った。


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