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狂魔伝  作者: ラジオ
第一章
16/67

story15‐‐糸を引く影‐‐

 泉と男の力量はほとんど互角に近かった。

 泉はわずかに圧してはいるようだが、男が守りに専念しているようでなかなか決定的な攻撃を加えられていなかった。

「それが例の秘伝体術とやらか?」

 男は失望したとでも言いたげな顔をした。

「がっかりさせるなよ」

 挑発に乗ってはいけない、自分に言い聞かせながら泉は、訓練中に小塚が言っていたことを思い出した。

(……まず油断させてから……)

 泉は男に連続で攻撃を仕掛けた。男は泉の突きをきれいにそらすと、泉の腹部に強力な蹴りを入れた。

「安藤さん!」

 隼人の足もとまで蹴り飛ばされた泉は口から血を流していた。

「隼人さんは、援護をお願いします」

 泉はそれだけ言うと、また男のもとまで走り込んでいった。

「自信過剰な女の子ってだけだったか」

 男は泉の高速の連続攻撃を軽くかわした。

「調子に乗って前に出てくる君みたいな女の子がいるとさ、見てるこっちが恥ずかしくなってくるよ」

「よく喋りますね」

 泉は休む暇なく攻撃を加えた。

「いくらやっても無駄だって。君ももう疲れてるみたいじゃないか」

 ついに泉の突きを完全に見切った男は、にやりと笑って泉の腕を大きく払いのけ、生まれた隙を狙って拳を固く握りしめた。

 それを確認した泉が、嘲笑うかのような笑みを浮かべた。

「知りませんでしたか? 適度な疲れは集中力を高めるんですよ」

 泉は払われた腕の勢いを利用し、コマ送りでもしたかのように素早く回転してかがんだ。

 男の全身全霊を込めた拳は泉の頭上を大きく空振った。

 そのまま男の懐に潜り込み、泉は小塚が言うところの爆発的な筋力を右腕に込めた。

(……油断させてから、一撃で……)

 泉はお得意の平手アッパーで男の顎を突き上げた。

 宙に浮いた男は、いつの間にかすっかり黒くなっていた空から視線を下げた。隼人が完全に無防備な状態の男に銃口を向けていた。

 二発立て続けに小さな銃声が響く。

 地面に落下した男は両ももに銃弾を受けていた。

「隼人さん!」

 歓喜の色を浮かべた泉が隼人の方を振り返った。

「あれ? 隼人さんって片手持ちでしたっけ?」

 隼人は身体を真横にして銃を握った右腕を前に伸ばしていた。

「佐川が言ってたんだよ。距離によっては、片手持ちで相手と銃口の距離を縮めた方が照準が定まりやすいことがあるって」

「そうなんですか」

 泉は呻く男を見下ろした。

「見事に両ももを貫通してますね」

「生け捕りにしなきゃいけないからな」

 隼人も倒れた男に近づいていった。

 男は何とか逃げようと身体を反転させて腕だけで這い始めた。

「逃げるおつもりなら腕の関節外しちゃいますよ」

 男は泉を振り返り、顔を歪めて睨みつけた。

「畜生!」

 男は急に叫んで懐から取り出したものを腕に突き刺した。

「何をした!」

 隼人がすぐに男の腕に刺さっていたものを取り上げる。

 シリンダーのような容器で、先端から三本の針が現れていた。

「もう中身は空っぽだ」

 隼人が容器を見つめながら呟いた。

 男は急に笑い出した。

「これで俺に蒼井さんと同じ力が宿った」

「蒼井?」

 言い終わってすぐに、泉は隼人の顔が一気に蒼白になるのを見て取った。

 間を空けず泉も、急に激しい頭痛や吐き気などの強烈な不快な感覚を感じ始める。

 隼人が倒れ、苦しそうに呻き始めた。

 泉はこの感覚を以前から何度も感じたことがある気がした。

 しばらく苦しんでから、ようやく思い出した。

「これは……感情物質……」

 だが狂魔と戦っている時ですら、相手がこれほど強烈な感情物質を放出したことは一度もなかった。

「……早く隼人さんを」

 もがいて手足をバタバタさせる隼人の呻き声が苦しさを増したものに変わっていくたびに、泉の焦燥感が高まっていった。

 泉が何とか隼人の方に視線を向けると、隼人はすでに泡を吹き始めていた。

 もはや混乱に陥った泉の頭は真っ白になり、何も考えられない状態となっていた。

 もともと感情物質に敏感な隼人は、他のメンバーより早く狂魔の接近に気付く。だがその分、身体にきたす感情物質のダメージは他のメンバーよりもはるかに大きい。

 一転して、森岡が指摘した通り、泉は感情物質に非常に強かった。だがそれは、泉が隼人と正反対で感情物質に鈍感なわけではなく、ただ単に精神力で不快感をねじ伏せているだけだった。泉はそれを自覚しており、以前祖父が前線で狂魔と戦っていたのを知り、自分は祖父譲りで精神力が高いのだろうと考えていた。

 だが今、その泉でさえまともに動けなくなるほど大量の感情物質が放出されている。

 泉の頭は何とか何かを考えようとしても、隼人がもがき苦しみ、やがてぷつりとその身体が動かなくなる映像しか浮かび上がらなかった。

 苦痛。

 恐怖。

 死。

 すっかり暗くなった夜の静寂を泉の鋭い悲鳴が切り裂いた。





 小塚と佐川は、小塚の毒抜きをするため、急いで車の止まっていた場所まで戻った。

 だが、そこに車はなく、医療機器の類が放り出されているだけだった。

「あれ、車は?」

「今はとりあえず、毒抜きを頼む」

「そうだね」

 佐川が車に積んであったらしい簡易医療機器を広げ、小塚の腕にチューブを刺して毒抜きを始めた。

「今、ボスの車はどこかの住宅にあるみたいだ」

 小塚が感知器の画面を見ながら言った。

「そっか。発信機の場所を見ればボスの車がどこにあるかわかるのか」

 佐川は感心したように言って小塚の感知器を覗き込む。

「あー、たぶんこの家は岩谷さんの家だね。何の用があるのかな?」

「……岩谷の家?」

 小塚が怪訝な顔をして呟く。

 やがて小塚の毒抜きが終わると、急に遠くから泉の悲鳴が響いた。

 小塚は反射的に走り出していた。

「小塚君! 今血が少ないんだから無理しちゃだめだよ!」

「念のためボスに連絡しておけ。繋がらなかったら一般の救急車を呼べ」

 佐川はすぐにトランシーバーを取り出したが、ボスはトランシーバーを置いて岩谷の家に上がっているらしく、応答はなかった。

 仕事の時はトランシーバーを使うよう言われていたが、仕方なく携帯を取り出してボスに電話をかけた。

 やはり応答はない。

 佐川は溜息をついて救急車を呼んだ。

 容体を聞かれたが佐川は答えられず、とにかく早く来てほしいとだけ伝えた。





 佐川が悲鳴の聞こえた方へ走っていくと、人影が四つほど見えた。

 そばまで来ると、状況がすぐに飲み込めた。

 隼人と泉と、他に知らない男が一人倒れており、小塚は隼人の上で心臓マッサージをしていた。

「心停止……してるの?」

 信じられない状況だった。心停止を起こすほどの戦いと言われても、想像できない。

「二人とも……かなりまずい」

 小塚が息を切らしながら言う。

 佐川は自分もできることがないかと周りを確認した。男のそばのどぶに落ちていた二本の容器を拾おうとしたその瞬間、感知器のサイレンが響いた。

「うそ、こんなときに?」

 佐川はすぐに感知器を取り出した。

「あれ、円の中心ここになってる」

「なら……大丈夫だ。さっき少し……感情物質を感じた。たぶん……その男だろう」

 小塚は依然心臓マッサージを続けている。

「ねえ……まだ戻らないの?」

 佐川が不安そうな声で小塚に訊くのと同時に、遠くから救急車のサイレンの音が聞こえてきた。

「その死体を隠せ!」

 小塚が叫んだ。

「あ、うん」

 佐川は急いで近くの茂みの中に死体を隠した。

 救急車が到着すると、小塚が苦々しい表情をして佐川に言った。

「あとはあいつらに任せるしかない。一般人とはいえ、専門家だ」

「助かる……よね?」

 小塚は何も言わず、携帯を取り出し、どこかにかけた。話の内容から、男の死体の処理は警察に一任したようだった。

「本部に戻るぞ」

 小塚が感知器の画面を見つめているのを見て、佐川も自分の感知器に目を移した。

「ボス、本部にいる。どうしてここじゃなくて本部に?」

「本部に着けばわかるだろう」

 二人は駆け出した。





 ボスは他のメンバーが車を降りて調査に向かうと、すぐに岩谷の家に電話をかけた。

 しかし、岩谷家の誰も出ることはなかった。

 ボスは、今日岩谷家が遊園地に行くことはあらかじめ聞いていたが、岩谷は夕方のうちに戻るとも言っていた。

 ボスは何か不吉なものを感じ、医療機器だけ置いて、すぐに車で岩谷の家に向かった。外の暗さは増し、ボスの車の遠く向こうの街灯が一つともり、青く輝き始めた。

 いつも以上の猛スピードで十分ほど走った。

 岩谷の家に着くと、路上駐車など気にも留めることなくインターホンを鳴らした。

 誰も出て来なかった。

 岩谷の車は駐車場にちゃんと停まっている。

 ボスは不吉な予感が的中しているような気がして顔を歪め、ドアの取っ手に手をかけた。

 ドアは開いていた。

 ドアを開けてすぐの足元に、血塗れになって動かない香苗の姿が現れた。不吉な予感は見事に的中していた。

 まだ血が乾き切っていないのを見て、ボスは祈るように香苗の脈を確認した。

 ボスは一瞬目を伏せたが、すぐに立ち上がり、重い足でリビングへ向かった。

 仰向けに倒れている岩谷は、肩から胸にかけて深く斬られているようだった。


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