story10‐‐過去‐‐
天井、壁、床、ファン、ベッド、廊下へ出るドア、バスルームへ続くドア。個々で見れば全て雪のように美しい純白。
だが、目覚めた泉は、すでに何度も感じたことだが、全体的にこれほど無機質で殺風景で真っ白な部屋に長時間いたら、頭がおかしくなりそうだと思った。唯一の救いは部屋が広く、真っ白な物体同士の間にだいぶ空間があることだった。
組織のメンバーが休憩室に集まったり、積極的に訓練したり、時には外へ散歩に行きたくなるという佐川の気持ちもよくわかった。
この狂魔特別対策組織本部は、狂魔に関係する費用が膨大で、組織の人間に対する配慮に欠けていた。
泉は、いつかお花畑のように華やかなインテリアにしたいと夢見ながら、さっさと個室を出た。
『白昼の悪夢』から二週間が経過し、泉は着実に訓練と実戦経験を積み、狂魔特別対策組織の一員として力をつけていた。
(そういえば、ここで働いている人たちは狂魔のことを知っているのかなあ)
ふと疑問に思い、ボスに聞いてみようと休憩室に入った。ここもうんざりするくらいに白い。中にはまだボスの姿しか見当たらなかった。
「あれ、みなさんまだお休みなんですか?」
「いや、もう全員起きて、外へ行ったり訓練施設で訓練したりしている」
コーヒーをすすりながらボスは答えた。
泉にもコーヒーを勧めてきたが、泉はお茶派なんですと言って丁寧に断った。
「せっかく二人きりだし、何か聞きたいことはあるか?」
泉の頭の中に、たった今考えていたことや狂魔に関する疑問が無数に上がったが、まずは一番知りたいことを訊いた。
「祖父は……祖父はどうして亡くなったんですか?」
「そういえば、神崎さんについて話すことになっていたな」
ボスは記憶の糸をたぐり寄せるように、一度目を閉じた。
「神崎さんは、この狂魔特別対策組織の最初のボスで、『二度目の神隠し』で亡くなられた」
「『二度目の神隠し』?」
「今から三九年前の二〇一三年。ある町に、記録上初めての狂魔が出現し、町の人間全員を殺害した。この時、町のはずれで倒れていた狂魔の少年を救助したのが、当時地方の交番勤務だった神崎さんだ」
泉は自分の祖父が狂魔に関わっていたことなど信じることができなかった。だが今思い起こすと、何日も帰らなかった日があった気がした。そんな夜は狂魔と戦っていたのだろうと思うと、泉は何も知らなかった当時の自分が嫌になった。
「研究を続けるため、その狂魔の遺伝子を組み込ませた二人の子供を人工的に生み出した。だが何の異常も見受けられなかったため、普通の子供として家族をもたせてみたところ、二〇四三年『二度目の神隠し』が発生した。監視役として子供たちのいる町に滞在していた神崎さんはその時亡くなった」
「二人の子供はどうなったんですか?」
「……遺体の中に……その二人の子供の姿が確認された報告はない」
「それじゃあまだ……」
「可能性はゼロではない。だが、狂魔化では脳が負の感情物質を生成するよう内臓に指示するため、内臓が機能しなくなる。だから二人の子供が狂魔になったとしたら、現在生きている可能性はほとんどゼロに近いはずだ」
泉は間を置いてからまた質問した。
「狂魔は二〇一三年より前には現れなかったのでしょうか?」
「人間の脳の過度な発達が、狂魔化の根本的原因だと岩谷は分析している。脳の発達は二一世紀から特に著しくなったから、おそらく二〇一三年より前には狂魔は出現していないんだろう。現在ほど狂魔が出現するようになったのは『二度目の神隠し』以降だ。このことに関しても岩谷は一つの推論を立てている。狂魔が放出する負の感情物質が他の人間の狂魔化を促している、というものだ。だがこの推論が正しいとすると、狂魔の出現率は上昇を続けるはずだ。しかし実際のところ、急激に上昇はしたのだが、その上昇も今では止まっている。謎が多すぎるんだよ」
ボスは驚くほどすらすらと述べた。
「ボスがいつも書類に目を通しているのって……」
「そうだ。こういう謎について考えているのだが、さっぱりだ」
やがて暗い表情の隼人が休憩室に現れ、その話題は自然消滅した。
「どうした、隼人」
ボスが珍しく暗い雰囲気を醸し出している息子に声をかけた。
「栗原さんから何か聞きましたか?」
泉も重ねて尋ねた。
隼人は自分のソファで横になり、腕を目もとに載せてぼそぼそと言った。
「俺は生まれて初めて、栗原にがん無視された」
泉とボスの表情が変わった。今まで誰にでも優しく接してきた栗原が、中でも特に仲のいいはずの隼人をがん無視するなど、到底考えられるものではなかった。
「何か言いたくないようなことを訊いてしまったとか?」
泉が当てずっぽうで言ってみた。
「それでもいつもなら何かしらの返事が返ってくるはずだ」
「じゃあ、きっと何か考え事でもしてて、隼人さんに気付かなかったんですよ」
「……そうだといいな」
隼人は子供のように泣きそうな声を出した。
「きっとそうですよ」
「最近は狂魔の対応に振り回されてるからな。栗原も相当疲れているんだろう」
ボスも泉を後押しするように口を挟んだ。
隼人は大きく溜息をつくと、やがて眠ったように静かになった。
「ボス」
泉は声を潜めて一つの提案をした。
「栗原さんはしばらく戦いに行かないで休んでもらった方がいいのではないでしょうか?」
「そうだな。無理をして本当に信頼関係をなくしても困る。だが」
ボスは柔和な表情になって言った。
「それは君も同じことだ。ご家族も心配してるだろうし、近いうちに休暇を取るといい。ちょうど岩谷も明後日ごろ休暇を取る」
「でも、それでは戦力が……」
「我々には、一騎当千の疲れを知らない小さな化け物のような戦士がいる。心配はいらない」
「……わかりました。それでは、なるべくかぶらないように、岩谷さんが帰ってきたころ休暇をいただきますね」
「そんなに気を遣うこともないと思うが、まあ分かった」
泉が壁掛け時計に目を向けると、そろそろ小塚と訓練を行う時間だった。
「あの、小塚さん」
泉はボックスの外の小塚と反対側のベンチに座りながら、無視される覚悟でイヤフォンをつけてアニメを見ている小塚に声をかけてみた。
「どうしたら小塚さんみたいに強くなれますか?」
しばらく二人の間に沈黙が鎮座し、やっぱり無視されたかと泉が少しショックを感じ始めたところで小塚が口を開いた。
「ガキみたいなこと聞いてんじゃねえよ」
その言葉を聞いて、泉はなんだか自分が、小さな子供が言うようなセリフを本気で尋ねてしまっていたような気がして、急に顔を赤らめ始めた。
「でもその向上心は捨てずにもっとけ」
小塚は相変わらずのぶっきらぼうさで言った。
そして再びしばらく静かになり、結局質問には答えてもらえないのかと思った矢先、小塚が口を開いた。どうして微妙な間が空くのか泉にはわからなかった。
「俺はガキの頃、孤児院にいた」
小塚の語調が変わった気がした。
「その頃はこんな肉体はもってなかった。普通に他のガキと遊んで暮らしていた。だが……気付いた時には、俺は知らない土地に一人立っていた。記憶が飛んでたんだ。わかったのは、狂魔のような筋力や視力が宿っていたことだけだ」
小塚は最後の『狂魔』の言葉を意味深に強調した。
泉はすぐにその意味を悟った。
「そんな。小塚さんは狂魔なんかじゃありませんよ。他の人とほとんど話さないけど……それはきっと人見知りしちゃうからで……それに感知機だって反応してないし、とにかく小塚さんは狂魔なんかじゃありませんよ」
泉はしどろもどろになりながらも早口に言葉を並べた。
「お前は修介にどこか似ているな」
小塚が遠い目をして呟く。
「どなたですか?」
「俺が殺した親友だ」
小塚は淡々と言ったが、その意味を理解した泉は絶句した。
「俺は孤児院にいた頃から同性の人間が苦手だった。女は平和主義者ばっかだったが、男は違う。男はみんな自分勝手で好き放題にルールを決めた。そしてある時、大勢の他の孤児が俺をいじめたことがあった……その時修介は、『間違ってるのはあいつらだ』って大勢の孤児を敵に回して一人で俺をかばってくれたんだ。それから俺は修介と親友になった。いつの世にも、修介やお前みたいに馬鹿正直で純粋なやつがいるもんだ」
「でも……」
「どうして俺が恩人であり、親友であった修介を殺したか、だろ?」
小塚は笑いながら続けた。
「そんなもん一つしかねえだろ。あいつが狂魔になっちまったからだ。世界は……残酷なんだ」
泉は、小塚が笑ったふりをしていなければ耐えられないようなことを自分に話してくれたのだと気付くと、ひとりでに涙腺が緩んできたのを感じた。
「あいつも俺も、孤児院で剣道を習ってた。一年前に俺があいつを殺した時、俺はあいつのもってた刀を形見として勝手にもらっちまった。この前狂魔二人を相手にしたとき、久しぶりに使ったが、相変わらずの切れ味で、二人がかりでもほとんど相手にならなかったな」
小塚は泉の方を向いて不思議そうに言った。
「で、何でお前は泣いてんだ?」




