トランクの理由
命じられたことを片づけてパーカーが居間に入った時、エリザベスはだらしない格好でソファにひっくり返っていた。履いていたパンプスも、床の上にばらばらに放り出されている。
年頃の女性がそれはどうかというのは誰に聞いても同じ意見が出てくるのだろうが、パーカーにとっては見慣れた光景であった。大変遺憾なことではあるのだが。
顔は主の方に向けているにも関わらず、視線は絶妙な位置へそらすというエリザベスの帰国後に身につけた特技を駆使しながら、パーカーは冷静な声で指摘した。
「お嬢様……スカートがまくれています」
「あらやだっ」
飛び上がったエリザベスは改めてスカートの裾を引っ張り、ソファの上にあぐらをかいた。胸の前で腕を組んで、天井を睨みつけている。ものすごく機嫌が悪いのはそその表情だけでわかる。
主の機嫌を直すには何をすればいいのだろうと、口を挟むタイミングをパーカーがうかがっていると、エリザベスはむくれた口調で言った。
「……像はどうでもいいんだけど、時計だけは取り戻したいわ」
「大切な品なのですか?」
「そ、そんなわけじゃないわよっ……盗まれたと思うと腹がたつだけっ」
つんと顔をそらして、エリザベスは声高に命じた。
「お茶ちょうだい!」
今日はきっと濃いめのお茶にミルクと砂糖か蜂蜜をたっぷり入れて飲みたい気分だろう。そう予想したパーカーがワゴンを押して居間に戻ってくると、エリザベスは再びソファにひっくり返っていた。
「お嬢様、スカート!」
目を離すとすぐこれだ。
ため息をつきながらパーカーがお茶をいれると、座りなおしたエリザベスはカップを受け取った。
じっとりとした目で、上目遣いにパーカーを睨みつける。
「どうしてマギーにトランクを持ってくるようになんて言ったのよ。旅行の予定なんてしばらくないじゃない」
エリザベスがそう言うことなど、パーカーにはお見通しだった。すました顔で、エリザベスの前にクッキーの載った皿を置く。
「レディ・メアリのお言いつけです、お嬢様」
「メアリ叔母様が?」
「しばらくレディ・メアリのお屋敷に滞在なさるように、とのことでした。招待状は省略、とのことでしたので」
「なんでえっ!?」
エリザベスの声が裏返った。乱暴にカップをソーサーに戻し、がちゃんという耳障りな音が響いた。
「リチャード・アディンセル様にお会いする前にお嬢様とゆっくりお話したいのだそうですよ」
「……やられたっ」
リチャード・アディンセルに会うとは言ったが、叔母の家に滞在する約束まではした覚えがない。日帰りのつもりだったのに!
パーカーが言いくるめられた――いや、パーカーもぐるだ、間違いない。執事としては主を独り身にしておくわけにはいかないだろう。彼の立場からはっきりと「嫁に行け」と言うことはできないが、結婚相手を見つけるのは何かと難しそうなエリザベスを気にかけているのはエリザベスだって知っている。
「うぅ……」
エリザベスは唸った。
「まったく、油断も隙もないんだから……叔母様のところに行ったら、新しいドレスを仕立てさせられるわね、きっと」
ため息はついたけれど、娘のいないレディ・メアリは、エリザベスを着せかえ人形代わりにしているふしもある。それが叔母の楽しみであることを知っているから、エリザベスもできる限りそれにつき合っていた。
「……しかたないわね。会うって言っちゃったし、どうせ行かないと文句言うんでしょ。叔母様のご都合がよろしければ、すぐにでもうかがうってお伝えしてちょうだい」
どうせ警察だってすぐに犯人を見つけられるではないだろうし、賊が入ったことを知れば叔母が心配するのは目に見えている。となれば、出かけて叔母を安心させておいた方がよさそうだ。
あとはリチャード・アディンセルとやらがいい人であることを期待する方が建設的だろう。
となれば、出かける前にできるだけのことをしておくだけだ。
「パーカー。家中の新聞を集めてくれる?」
「新聞、でございますか」
「そう、三ヶ月分ぐらいは置いてあったわよね?」
「ええ、三ヶ月に一度、業者が回収に来ますが……今回はまだ来ておりませんので。来週の予定です」
「ちょうどよかった。読みなおしたいから、……そうね、ここにしようかしら。すぐに持ってきてちょうだい」
「お嬢様、何をお考えですか?」
「まだ、言えない。考えがまとまっていないの」
エリザベスは、図書室に家にあるだけの古新聞を運び込ませて、順番にたどり始めた。あとははさみに、糊に、ノート。ペンとインクもだ。
『フォー・レディース』は却下。メイドのしつけ方だの、上手な衣服の仕立て直し方だのがメインの新聞で、エリザベスの探している情報が含まれているとは考えられない。
『エブリー・ニュース』を広げて、エリザベスは一つ一つ記事に目を通し始めた。
「……盗難って案外多いのね。一週間前、三週間前……その前はひと月半前ね」
『エブリー・ニュース』には、不確実な情報は掲載されない。どこの誰の家に強盗が入り、品が盗まれた。先祖代々伝わる品、あるいは購入したばかりの骨董品などと書かれているが、聖骨の有無まではわからなかった。奇跡を起こす骨なんて存在するのか否かも疑わしいのだから。
「はさみ、取ってくれる?」
側に控えていたパーカーが、はさみを取ってエリザベスに手渡した。エリザベスは器用にはさみを扱って、読み終えた記事を切り抜いていく。
「ノート、糊、ペン」
すかさず命じられたものが手渡される。エリザベスは切り取った記事をノートに貼りつけ、下に記事が掲載されていた日付と『エブリー・ニュース』と書き加える。
ほどなくして『エブリー・ニュース』が終われば、次は『デイリー・ゴシップ』を広げる。
『デイリー・ゴシップ』の記事も『エブリー・ニュース』同様に目を通して、該当する記事を切り抜いていく。同じ作業が繰り返された。
「……こちらには聖骨と書いてあるものも多いわね」
エリザベスは、記事を日付順に並べると大きくのびをした。『デイリー・ゴシップ』の方は、『エブリー・ニュース』と比べると出所の不確かな情報も多い。
夕食の時間まで一心に作業を続け、エリザベスは切り抜きを貼りつけたノートを抱えて寝室に入ったのだった。