ごめんなさい、だけど
アンドレアスは、使いやすい男だった。そしてそれなりにまあまあ有能であった。
エリザベスが、仕事とパーカーを偽ってアンドレアス商会を訪れた三日後には、アンドレアスの方から面会の申し込みがあった。
「ちょっと行ってくるわ」
「……またですか、お嬢様」
「会いたいって言うんだもの。屋敷に来てもらってもいいけど……?」
パーカーは渋い顔をしていたけれど、エリザベスは押し切った。
パーカーも後ろ暗いところのあるアンドレアスを屋敷に入れるより、先方に訪れる方がまだましだと判断したらしい。アンドレアスと裏の支配者のつながりをパーカーが知るまでは、先方を訪れていたのだから。
今日もアンドレアスは近くの店から料理を配達させていた。
今日のメインは香草で焼いた白身の魚に、クリームソースをかけたものだ。同じようにサラダやスープを女性秘書がテーブルの上に並べていく。
「あの建物でございますがね、お嬢様」
女性秘書にお小遣いを渡して、昼食に出かけさせてからアンドレアスは口を開いた。
「何か特殊な事情でも?」
「巧妙に隠されてはいますが、持ち主はオルランド公爵でございます」
「あんな場所に?」
エリザベスの眉がよる。
公爵ともあろう人が不動産を所有するには、正直、いやだいぶいかがわしい場所のように思われた。少なくとも、エリザベスなら足を踏み入れるのをためらうが――男性は違うのだろうか。
「前の持ち主から借金のかたに取り上げた土地に建てたようですよ。まさかオルランド公爵ともあろうお方がお金を貸すような商売をしているとは思いませんでしたよ」
エリザベスの手元のナイフとフォークが耳障りな音を立てた。
「お金を貸すような仕事?」
「ええ」
アンドレアスはすました顔で、調査結果がまとめられているらしい紙の束をめくる。
「ああいった名門貴族の方が、この商売に手を染めているとは思ってもみませんでした。ああ、お嬢様は別でございますよ。お嬢様はきちんとしておられますからねぇ」
必要もないのにエリザベスを持ち上げながら、アンドレアスは続けた。
「こちらの商売の方もまた巧妙に隠されていましてね、まあわたしのような者でなければ情報を探り出すことはできなかったでしょう――裏で公爵は金貸しを営んでおります、お嬢様」
自分の手柄もしっかりアピールして、アンドレアスは口を閉じた。
「それで?」
「オルランド公爵という方は世間に見せている顔と、もう一つの顔をお持ちの方ですね。裏ではかなり非道なこともなさっているようですよ。危険と言えば危険な方でしょうね。ただし、テレンス・ヴェイリーとのつながりはありません。これはわたしが保証いたします」
「あなたの保証、信じられるのかしら」
「これは厳しい」
肩をすくめたアンドレアスは苦笑いをする。
「そういうわけなのですよ、お嬢様。どういった理由でオルランド公爵のことをお調べになっているのですか? あの建物も正直なところ、お嬢様の興味を引くようなものとも思えませんが」
口を開きかけたエリザベスは、そこでダスティの言葉を思い出した。深入りするな、危険になる、と。
「ありがとう、アンドレアス。この件については忘れてちょうだい。わたしが思っていたのと少し違ったみたい」
「――ですが、お嬢様」
なおも続けようとするアンドレアスを、エリザベスは首を振ることで黙らせた。それから昼食を終えるまで、その件については一切触れようとはしなかった。
◇◇◇
こうなったら、自分で乗り込むしかない。
エリザベスはそう決めた。
今度はロイは巻き込まない。
ダスティはまだしばらく入院中。退院したらミニー・フライの家――つまりは、テレンス・ヴェイリーの家――でのんびりするのだそうだ。
「六月二十一日 十五時 レクタフォード十五番地」
エリザベスは、書きうつしたメモを声に出して読んでみた。まずは、パーカーを巻く方法を考え出さなければ。
マギーに電話をかけさせて、リチャードを呼び出す。
「六月二十一日は暇かしら?」
エリザベスは陽気な声で話し始めた。
「ごめん、その日は先約が……」
リチャードが眉を寄せているのが見えるようだった。
「そうなの。残念だわ。先日パーティにお邪魔した時、すぐに帰らなければならなかったでしょう? だからあなたの論文のことも何も聞けなかったんだもの。あの時のこと、お詫びしたかったの。雑誌、送ってくださる?」
「もちろん。君が興味あるのなら」
「理解できるかはわからないけれど、興味はあるわ。きっと難しいことが書いてあるのでしょうね。二十一日が無理なら、翌日はどう? 中央公園の中にできたカフェがいい感じなの」
「その日は大丈夫。そうだ――リズ」
ためらいがちにリチャードは切り出した。
「この間の商売の件だけど――忘れてもらってもいいかな? 実は、大学で教えることになりそうなんだ。もちろん、それほど高給とは言えないけど――研究を続ける費用も出してもらえるそうだから」
「あら、よかったじゃない」
一息にそう言った彼は素直なエリザベスの祝福に、受話器の向こう側で照れくさそうに笑った。
「僕を紹介してくれたのはオルランド公爵なんだ。この間のパーティに来てて、それで僕に興味を持ってくれたらしい」
――また、オルランド公爵の名前が出た。
冷え込んでいるエリザベスの心には気づきもしないで、リチャードは無邪気に続けた。
「だから――もし、君が――僕を受け入れてもいいと思ってくれるのなら――」
少なくとも、エリザベスに恥ずかしくない職を手にすることができた。金銭面での差はどうしようもないけれど。一つ、一つ、言葉を選びながら彼は話し続ける。
「……ごめんなさい」
口から出た言葉は、エリザベス自身にも思いがけないものだった。
「まだ、考えられないの。あなただからという理由ではなくて……あなたのことは好きよ、でもまだ誰とも考えられないの。メアリ叔母様はきっと怒るだろうけれど」
抱いている想いは、恋愛感情などというものではないけれど。
穏やかな表情で見つめる彼のことは嫌いじゃない。ダスティを見る時のようにどきどきすることもないし、遠い昔の初恋のような切なさを感じるわけでもないけれど――でも、嫌いではない。
――それでも、今は、彼との未来を考えられそうもない。
「……ごめんなさい」
「いいよ。なんとなくはわかっていたから」
そうじゃない、と彼に向かって言うことはできなかった。彼となら未来を考えられるかもしれない、と思ったことも事実なのだ。
ただ、今は他に考えなければならないことがたくさんある。
今抱えている問題を片づけなければ、未来を見つめることなんてできそうもなかった。




