レディ・メアリ登場
エリザベスが仕事部屋にしている書斎には、タイプライターを叩く音がせわしなく響いていた。
その音を聞きながらエリザベスの本人は、自分の机で朝食の席から持ってきた『エブリー・ニュース』を読んでいる。ゴシップをたしなむだけではなく、仕事の合間に『エブリー・ニュース』に目を通すことで確実な情報も入手しているというわけだ。
ちなみに、淑女向けの新聞『フォー・レディース』だけは読みもしないままテーブルに放置されている。
タイプライターを叩いているのは、メイドのマギーだ。 本来のメイドとしての仕事だけではなく、秘書的なこともやらされている。執事であるパーカーも、これからエリザベスの仕事の手伝いをすることになっている。
一度財産のほぼ全てを失いかけたことと、エリザベス本人が信用しているごくわずかな者しか家に置きたがらないことから、この屋敷で働いているものはごく少人数なのだ。
「ああ、パーカー。デヴィット・シャークにアポを取ってちょうだい。仕入れのことで相談したいのよ」
読み終えた新聞を畳んで横に置き、朝のテーブルとは別人のようなきびきびとした口調で、エリザベスは執事に命じる。ワンピースの上から白いエプロンをしているのは、ワンピースを汚さないための配慮だ。
パーカーは、机においてあるアドレス帳を引き寄せる。右手にペンを持って、左手でアドレス帳をめくった。
その間もマギーはタイプライターを叩いている。メイドを首になったら秘書としてもやっていけるだろう。
「シャーク氏とお約束が取れました。三日後の夕方です」
パーカーはエリザベスに報告し、エリザベスの後ろの壁に貼られた大きなカレンダーに場所と時間を書き込んで、次の指示を待つ。
「お茶」
「お嬢様、お忘れかもしれませんが、レディ・メアリが午後にいらっしゃる予定ですよ」
「叔母様……どうせまたお嫁に行けっていうに決まっているのよ。どうにかならない?」
「なりません」
露骨に顔をしかめたエリザベスに向かい、きっぱりと言ったパーカーだったが、左手は胃のあたりを押さえている。どうやらまだ胃が痛むらしい。
以前、レディ・メアリの訪問時に脱走したことがあるから、エリザベスもパーカーが念を押す理由は重々承知している。
レディ・メアリはエリザベスの亡くなった父親の妹だ。現在はヴァルミア家に嫁いで、両親を亡くしたエリザベスの後見人となっている。
叔母のことは嫌いではないが、会うたびに縁談を持ち込まれるのは非常に困る。エリザベスはお腹を押さえて言ってみた。
「……おなか……痛い……ナー……」
「わかりやすい仮病はおやめください」
特に演技派というわけでもないから、エリザベスの演技はばればれだ。ぴしゃりと言われて、今度は頬を膨らませる。
「叔母様は嫌いじゃないのよ? 嫌いじゃないの。でも……お見合いだの結婚だのって話はいやなの!」
「にこにこ笑って一時間座っていればいいんです。そのくらい我慢なさってください」
パーカーはエリザベスを突き放すと、何事もなかったかのように次の作業に取りかかった。
◆ ◆ ◆
午後、エリザベスは青いデイドレスに着替えて叔母を出迎えた。
「その色、似合うわね」
レディ・メアリは四十代の小柄な女性だ。背筋はぴしりとのびて、姿勢がいい。子供がいないからか、実年齢よりもだいぶ若く見える。
「ありがとうございます。叔母様」
居心地のいい居間に叔母を座らせて、エリザベスは微笑んだ。お茶と焼き菓子がテーブルに並んでいる。金で縁取られた茶器は最上級のものだ。
今回も脱走しようとしたのだが――パーカーの鉄壁の守りの前に失敗したということなどまったく感じさせない感じのいい笑顔だ。
「ところで、あなたにいいお話があるの」
「……結婚ですか?」
「察しがいいわね」
ころころと笑って、レディ・メアリはエリザベスの前に一枚の写真を滑らせた。品のいい青年が、こちらを見て微笑んでいる。
思わず悪態をつきそうになったけれど、エリザベスは今までより一段口角を上げることでそれを誤魔化した。叔母が来ると聞いた時点でこうなるのはわかりきっていたから。
「リチャード・アディンセル――未来のジャーヴィス伯爵よ。素敵な方でしょう?」
「……確かに美青年だけど」
柔らかに波打つ金髪を、長すぎず短すぎずという長さに切りそろえ、白いシャツを紺のタイが引き締めている。写真の中から見つめている表情は、どこまでも優しそうだった。
エリザベスのアイドル、ダスティ・グレンにも負けず劣らずの美形だ。
「顔だけでは結婚できないわよ、叔母様」
「……気に入らない? 一度、お会いしてみればいいじゃない。お見合いだなんて堅苦しいこと言わないから。会うだけでいいのよ、会うだけ。ね? 今度我が家のお茶会に二人とも招待するから、いいでしょう?」
にこやかな表情ながら、レディ・メアリはぐいぐいとエリザベスを追いつめていく。叔母の好意がわかるから、エリザベスも席を立つわけにはいかなかった。これが何の遠慮もない相手なら、容赦なく席を立つところなのだが。
「メアリ様、エリザベス様お気に入りの焼き菓子はいかがですか? ラティーマ大陸のレシピをアレンジしたものでございます」
パーカーは、レディ・メアリの前にクッキーのたくさん載せられた皿を恭しい動作で差し出した。どうやら主に助け舟を出してくれたらしい。
――エリザベスがあまりにも情けなさそうな顔で、パーカーの方を見たものだから。
「いただくわ」
遠慮なくレディ・メアリは手を伸ばす。綺麗に切りそろえられた爪はよく磨かれて、可愛らしい桜色のマニキュアが施されていた。
「パーカー、私にもちょうだい」
エリザベスの前にも皿を差し出しながら、パーカーはぼそりと耳元でささやいた。
「食べ過ぎでございますよ、お嬢様」
「うるさいわねっ」
思わず声を上げかけたエリザベスに、レディ・メアリは不思議そうな目を向ける。
「いえいえ、何でもありませんわ」
あわてて表情をとりつくろって、エリザベスは紅茶に新しいミルクを追加したのだった。