新しい使い魔
待っていて下さった方、全員に届きますように。
メグが婚約者になってから、俺はずっと使い魔なしで戦ってきた。
幸い俺は優秀だし、最近は使い魔が必要になるような場面も無かった。
ところが数日前、使い魔がいないということがとうとう教師共にバレた。イースがいつも通りの、のほほんとした口調で余計なことをベラベラ喋ってくれたおかげで。
あいつにはメグが婚約者だと言った覚えがなかったから、スイアーブの野郎が話したのかと思ったが、そうではないらしい。イースは鋭いのか抜けているのか、相変わらずよく分からない奴だ。
そして俺は、新しい使い魔を召喚する必要に駆られていた。
この学校を卒業する時点で使い魔がいなければ、一人前とは認められないというのだ。
メグが言うには、俺は元々自分の『気』を交換する相手として、メグを選んだらしい。
彼女が使い魔でなくなり、食事の形で魔力を交換することは無くなった。が、今の俺たちは傍にいて軽いスキンシップを図るだけで、十分『気』の交換ができている。傍にいない時も、契約印を通じて相手の『気』は取り入れられる。俺とメグ、お互いの中の『気』――魔力のバランスは良好に保たれている。
しかし、この理屈はメグと陰陽師たちの言い分だ。魔法学校側としては、従来の形式を変える気は無いらしい。
言われるままに使い魔召喚をすれば、俺とメグの間にもう一人(一匹?)が加わることになる。もしかすると、それで何かが変わってしまうかもしれなかった。
メグが使っているような『シキガミ』で、教師たちの目をごまかすことも考えた。
試しに作ってみたのだが、どうも上手くいかない。誰に似るのか知らないが、どうしても性格がゆがんだ、自己中心的で傲慢な奴になってしまうのだった。
主であるはずの俺に仕事を押し付け、自分がメグのそばにいると言い張った時には本気でキレた。速攻で紙切れに戻してやったのは言うまでも無い。
試行錯誤の末、結局、大人しくもう一度使い魔召喚をするのが、一番無難なようだと判明した。
考えてみれば、使い魔というのはそもそも、召喚者の必要に応じて現れるものなのだ。
つまり、こちらが必要としない者、ましてや俺の邪魔になるような者などは、現れるはずがない。
だから、メグとの関係を壊すような者が現れたりするはずはない、のだ。
何も召喚されなかったなら、その時はもう一度シキガミを使うことを考えるしかあるまい。
俺は、メグと最初に出会って以来の、召喚の間を訪れた。
そこは、窓が一つも無く、外からの光が入らない暗い部屋だ。照明は古びたランプが一つ、入口から向かって左手の隅に置かれているのみ。
石の壁に描かれた、防御結界のための無数の魔法陣が、ほのかな灯りの中に浮かび上がっている。
部屋の中央に配された石の台座も、全ての面に複雑な陣が刻まれていた。
その前に立った俺は、あの時と全く同じ手順で術を行使した。
呪文を唱え終わると、部屋中に描かれた陣が一斉に白い光を放つ。その光の中、台座の上に現れた影に、俺は瞠目した。
「お前は……」
*
「新しい使い魔を召喚する」
アレックスの言葉に、私は複雑な気持ちになりました。
私は使い魔ではなくなりましたから、彼には新しい使い魔が必要です。今後、魔法使いとしての責任を果たしていくために、使い魔は必要な存在だということは分かっています。
でも、心配なんです。
もし、また異世界人が呼ばれちゃったりしたら?
その人が、女の人だったら?
私より美人で可愛くてスタイルも良くて、有能だったら?
アレックスは私より、その子のことを好きになっちゃうかもしれません。
彼の気持ちを疑うわけではないですが、それでも不安になってしまうのは、自分でもどうしようもないんです。
新しく使い魔が現れても、私の婚約者という立場が変わらないことくらい、理屈では分かります。
でも、主人と使い魔って、魂で呼び合っちゃうものじゃないですか!
ああ、胃の辺りがキリキリします。
アレックスは、何も現れない可能性もある、と言っていましたが――。
本当に、誰も呼ばれなければいいんですけど。
日本にいても、新しい使い魔のことで悶々としていました。
アレックスの前では落ち込んだり悩んだりしているところは見せたくなかったので、日本でだけ思いっきり胃を痛めていました。
おかげで、せっかく大学にいても、講義は右から左へ受け流してしまいましたよ……。
自宅で薬箱をひっくり返していると、左胸――契約印が熱くなりました。
アレックスが呼んでいます。
使い魔召喚、終わったんでしょうか。
(めぐ――!!)
アレックスの部屋の匂いだ、と思って目を開けた途端、白い毛玉が飛びついて来ました。
(めぐ!! めぐ!! みー、たすけた! おんじん! あいたかった!!)
何やらとても嬉しそうな毛玉さん。
あのう、顔に張り付かれているせいで何も見えないんですけど……。
「離れろ。メグが困ってるだろ」
アレックスが毛玉さんの首根っこを乱暴に掴んで、私から引き剥がします。
毛玉さんは、離れて見るとつぶらな目が愛らしい白猫さんでした。
(めぐ!! めぐ!! みー、おぼえてる!)
そしてよくよく見てみると、何だか見覚えのある猫さんでした。
猫さんは首根っこを掴まれたまま、バンザイみたいに両手を上下にバタバタさせました。
(めぐ、いのる。木、こたえた! わるいまもの、ぐさっ! ち、ぶしゅー! みー、たすかった!!)
一文一文が短すぎる稚拙な説明なのに、あの時の光景がまざまざとよみがえりました。
最初の野外訓練の時に助けた猫さんですね!!
(めぐ、おぼえてる! みー、ひさしぶり!!)
アレックスの手を逃れた猫さんは、尻尾を振り振り、私にすり寄ってきてくれました。
か、かわいいです――!!!
「この子、どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたも、使い魔を召喚したらそいつが出てきたんだ。
お前が助けたことを覚えていたらしくてな。俺からメグの匂いがしたから、呼びかけに応えたんだと。
どうしてもメグに会いたいって言うから、とりあえず仮契約したんだ」
に、におい?
(まりょく、におう! ごしゅじんさま、めぐ、おなじ!!)
魔力の匂いっていうのはよく分かりませんが、アレックスと私は同じ匂いってことですかね。
それにしても、この子、魔物だったんですか。助けたときには気づきませんでした。
見た目も、抱き上げてみた感触も、地球の猫と同じに思えるんですけどね~。
猫さん……じゃないかもしれないですね。
(みー、ねこさん?)
疑問符を浮かべて小首を傾げる姿も可愛いです! えーっと……、みーちゃん(仮名)!!
「『みーちゃん』か。まあ確かに、ミーミー言ってるからな。お前の名前は『ミー』。それでいいな?」
(いい!)
ミーちゃん(本名)は私の腕の中でくるりと向きを変えると、アレックスに顔を向けました。
そして、しばらく小首をかしげたままじっとしていたと思ったら、不意にアレックスに呼びかけました。
(ごしゅじんさま! ごしゅじんさま、まもる? めぐを、まもる?)
ミーちゃんの声は真剣でした。アレックスも真面目に答えます。
「ああ、俺はメグを守るよ」
(ごしゅじんさま、めぐを、まもる!)
嬉しそうに確認すると、今度は私の方を向いて訊きました。
(めぐ、ごしゅじんさまのこと、すき? だいじ?)
まっすぐな目に、私も嘘はつけません。
「はい。私はアレックスが――ご主人様が、好きです。とっても大事な人です」
(めぐ、ごしゅじんさま、だいじ!)
尻尾を振りながら、ミーちゃんは満足げに言いました。
(ごしゅじんさま、めぐを、まもる。めぐ、ごしゅじんさまのこと、だいじ。みー、めぐのこと、だいじ。
みー、ごしゅじんさまを、たすける!!)
「おう、よろしくな」
苦笑しながらアレックスがそう言って、無事、本契約が成立しました。
*
「はううう~。ミーちゃん、かわゆいです~! あったかいし毛並みも良いですね!」
メグは、さっきからミーにばかり構って、全く俺の方を見てくれない。
いつの間に出したのか、彼女の手にはしっかり猫じゃらしが握られていた。
「メグ」
(めぐ~!)
「何ですか? ミーちゃん!」
……俺も呼んでるのに。
猫と戯れるメグを見ているのは楽しいし、仲良きことは美しいのだが、この扱いはそろそろ寂しくなってきた。
そんな気配を察知したのか、メグがミーを抱えて振り向いた。
「あ、アレックスも、ミーちゃんと遊びますか?」
(あそぶ?)
何とも無邪気な一人と一匹を、俺はまとめて抱きしめた。
腕に力を込めると、メグに抱かれているミーが、狭いと抗議の声を上げる。
やがてミーが苦しげに隙間から抜け出すと、俺はようやくメグを独り占めできた。
(ごしゅじんさま、めぐ、あそぶ! みー、ゆずる!)
ミーが、偉そうなことを言い残して姿を消した。……あいつ、誰が主人かちゃんと分かってるんだろうな?
俺の腕の中でメグが「ミーちゃん……」と未練がましく呟く。
その呟きが「アレックス……」に変わるように、これから俺は手を尽くすつもりである。
翌朝、先に起きた俺がほんの少し目を離した隙に、寝床に不自然なふくらみが出来ていた。布団を捲るまでも無い、ミーが忍び込んだのだ。
もぞもぞと動くそれが、メグの体の敏感な部分に触れるたび、彼女の口から色っぽい吐息が漏れる。
それを見ながらつい、眉間にしわを寄せてしまう。
明け方まで弄んだおかげでまだ感度が落ちていないらしいその体を、いくら自分の使い魔でも、他の者に触れさせるのは嫌だった。
「おいミー。呼んでないだろう……ああ、エサか。すぐやるから早くここを出ろ」
(みー。えさ?)
「魔力。要るだろ」
するとベッドから下りた白猫は、首を横に振って意外な答えを返した。
(いらない。みー、もらった!!)
「……は?」
(めぐ、ごしゅじんさまの、におい! いま、つよい! だから、もらった!!)
――もしかして、明け方までの行為も魔力の交換になっていて、今、メグの体は俺の魔力が注ぎ込まれた状態、ということか。だから、俺から直接、ではなく、メグの方から魔力をもらった、と。
それも、彼女の胸や腹や背中や尻や脚を――要するに体中を這いまわって?
……ふざけるな、と言いたい。
「ミー」
(みー、めぐのまりょく、いっしょにもらった! おいしい!)
「ミー、お前は誰の使い魔だ?」
(ごしゅじんさま! みー、ごしゅじんさまの、つかいま!)
「なら、俺の魔力を、『俺から』もらうのが筋だろ?」
(みー? めぐから、だめ?)
「駄目だ」
(みー、めぐスキ。めぐから、いい!!)
「駄、目、だ!」
(でももう、もらった! みー、まんぷく!)
白猫は器用に窓を開け、軽やかに陽の下へ飛び出していった。
くそ、食い逃げされた。
「ん……。アレックス……?」
メグが瞼を擦りながら気だるげに体を起こそうとした。が、俺はそれを制した。
「起こしたか。躾のなってない使い魔で悪いな」
「ふふ……。なんだかアレックスに似てますね。ちょっとくすぐったかったですよ」
あのバカ猫はおそらく、俺がメグにしていることを盗み見ていたんだろう。それで、あれがメグとの正しいスキンシップの図り方だと思い込んだのかもしれない。
何にせよ、これから教育しなければならないことは山ほどありそうだ。
だが、その前に。
「まずは、今すぐお前の体を清めないとな」
「……へ?」
彼女の上に伸しかかると、小さく抗議の声をあげられた。
「あ、あの。まだ、そんな……」
「ミーには触れさせて、俺はダメなのか?」
「そ、それとこれとは――――」
思う存分メグを堪能した後、熟睡する彼女を置いて、後ろ髪を引かれつつも授業に出かけた。
夕方、急いで戻ってきた俺が目撃したのは、抱き合って眠る一人と一匹だった。
「……おい」
「うーん……ミーちゃん、かわいいです……」
(みー、めぐ、だいすき……)
寝言まで相思相愛。
俺はどうやら、とんでもないモノを召喚してしまったようだ。
ここに至って、よもやこんな形でライバルが現れようとは。
結婚する時の契約印では、俺以外の者は種族・年齢・性別問わず、妄りにメグに触れることが出来ないようにしなければ。切実に、そう思った。
最初は三毛猫のミーちゃんにするはずだったのに、いつの間にか白くなっていたのが不思議……。
「めぐる世界の光と闇と」は、これにて完結です。
ここまでお付き合いくださって、本当にありがとうございました!