「新しい契約」の意味に気づいた日 後編
自分で書いておいて言うのもなんだが、「間接的」か?
スイアーブまでもが、少々暴走気味です……。
「……試してみる?」
スイアーブさんは、透明な薄い膜で右の手のひらを覆いました。風の魔法を使った気配がしたので、どうやら風の膜のようですね。
その手をそっと私の左胸に下ろすと、契約印を軽く撫でました。
風の膜というより、クリームを塗られているような感触です。
「触れられるね。――ほら、この線が、君の貞操を守るための印だよ」
そう言いながらスイアーブさんは、契約印の縦のラインを上から下へ、ゆっくりと人差指でなぞります。
その指の動きに、私は思わずゾクッとしました。
……なにか、怪しい雰囲気になってきているんですけども。
体を引こうと思っても、背もたれのある椅子にしっかり背中をつけて座っているので無理です。手足を動かそうとしても、重たい何かにまとわりつかれている感じがして、全然思い通りに動かせません。
「あ、あの、スイアーブさん、もう……」
スイアーブさんは笑みを浮かべたまま、執拗に同じ線を上下に指で辿っています。
「直接触れるより、間接的な方がちょっとドキドキしない?」
不意にスイアーブさんの手が印から離れ、はだけた服の隙間へと忍び込もうとした、その時。
スイアーブさんが、真横へ吹っ飛びました。テーブルに体がぶつかって、大きな音を立てましたが、大丈夫でしょうか。
もの凄くデジャヴを覚える光景だと思ったら、やっぱり激怒したアレックスがそこにいました。
「またお前か! メグに何してやがる……!!」
テーブルを掴み、スイアーブさんを殴打しようとするアレックスに、私は必死でしがみ付きます。
「や、止めてください!! 胸を見せたのは私ですから!!」
混乱の余り、激しく誤解を招くことを言ってしまいました。
アレックスがピタリと体の動きを止めたのでしまったと思いましたが、一度口にした言葉は口の中には戻せません。
「……ほお? あとで詳しく話を聞かせてもらおうか」
振り向いたアレックスの、絶対零度の視線に射抜かれて、私は調子の悪いパソコンみたいにフリーズしてしまいました。
「アレックス」
スイアーブさんは、割烹着を手で払いながら立ち上がります。
「彼女に契約内容を知らせないっていうのはどうかと思うよ。それって本当に『対等』な契約って言えるのかな?」
「これは俺とメグの問題だ。お前が口を出すことじゃない」
「契約に関しては、そうだね。でも僕はただ、彼女に選択肢を示しているだけのつもりだよ、『男はアレックスだけじゃない』ってね。君のやり方は他の選択肢を全て封じて、彼女が必然的に君しか選べないようにする、姑息な手だ。違うかな?」
「……だったら何だって言うんだ」
「何も。ただ僕が、まだ彼女を諦めたくないだけだよ」
スイアーブさんは言うだけ言うと、いつの間にか安全な所に除けられていたケーキ皿とティーカップを持って、洗い場の方へ行ってしまいました。
うーむ。……選択肢??
部屋に戻るなり、私はアレックスの前に正座しました。
「メグ、金輪際、あの割烹着野郎とは付き合うな。分かったな」
「……はい」
神妙に頷くと、ベッドに腰掛けたアレックスは床に座っていた私を抱き上げ、隣に座らせました。
「で、何があった?」
それを説明しようとして、私はスイアーブさんの言葉の中に耳慣れない単語があったことに気づきました。
「婚約、って、何ですか?」
「……ああ、気づいてないんだったな。それが、俺たちの新しい契約だ」
えーと。それはつまり?
「『婚約』が、俺たちの新しい契約の名前だ」
婚約って、結婚の約束ってことですよね。
え?? なんで。いつの間に。いえ、いつの間にって言うのはあの時なんでしょうけど、私、プロポーズなんてされましたっけ? そして、オッケーしましたっけ?
「お前、言っただろ。俺の種蒔き――家庭菜園、手伝うって」
そ、それは手伝うって言いましたけど。
なんでそれがプロポーズに――と、訊こうとしましたが、残念ながら閃いてしまいました。
使い魔は生殖能力を持たないこと、いつかの『俺の子種』発言などが、脳内の電気回路で繋がっていきます。
ま、まさか……。
「やっと意味がわかったか」
アレックスは呆れたような、でも少し満足げな顔をしました。
「い、いやですよ。そんなの……。そ、それに、分かりにく過ぎます!」
「あれが嫌だったなら、次は分かりやすく言ってやる。正式に結婚が決まったら、その時に」
「なんで今じゃないんですか?」
「今言ってもいいのか? その時はイエスなら即子作り」
「それは困ります!!」
心の準備ってものがあるのですよ!
彼は大きな溜め息を吐き、私の手を取りました。それが拒否されないことを確認するように、軽く力を入れて握ってきたので、私も握り返します。
「……なら、とりあえず婚約を受け入れろ。受け入れなければ、その時点で俺たちは永遠にサヨナラだ。異世界にまで効果が届く恋人としての契約の形は、これしかないんだからな」
「私は使い魔契約でも良かったんですけど」
「それは俺が嫌なんだって言わなかったか?」
本当に嫌そうに睨まれてしまいました。
はい、ごめんなさい。役立たずの分際で使い魔なんて無理でした。
「で? なんでお前があの野郎に胸を見せてたのかは、まだ聞いてないよな」
「胸じゃなくて、契約印を見せてたんです。スイアーブさんが私に触ろうとした時、バチンって、弾かれましたから」
「ふーん。一応効いたんだな、あれ。けど、風の薄膜越しとはいえ結局触られたんなら、詰めが甘かったか」
腕組みして唸るアレックス。
「とりあえず経緯は分かった。だが、恋人でもない男に、自分から肌を見せるのは問題だよな」
ごめんなさい。それは私が軽率だったと思います。スイアーブさんの気持ちも、全く知らないわけではなかったのですし……。
項垂れる私は、彼の目に妖しい光が宿ったことに気づいていませんでした。
「二度と他の男に見せる気にならないようにしてやろう、な」
後日。
私は、胸だけじゃなく体のいろんな場所が、人様にはとてもお見せできないような状態になっていました。私の体中に付けられたそれは、幸か不幸か、時間が経てば消えるものではあるんですけど。消える頃にはまた付けられちゃうかも、と思うと……は、恥ずかしいです。
「メグ、このクソ暑いのになんで長袖のタートルネックなんか着てんの?」
雛ちゃんにそう訊かれて、私は答えに困りました。
でも、思わず顔を赤くしてしまった私の反応に、雛ちゃんは全てを悟ったらしく、「しゃーない男やな」と、舌打ちして呟きました。
う~、いくら婚約者って言ってもこれはやっぱり、やりすぎですよね。
「――ちょっと待って。メグ、『婚約者』って何?」
え? えーと。
私は雛ちゃんに事の次第を説明しました。
「なぁメグ、そんなにすんなり受け入れてええん? 『婚約』ってことは、いつかは結婚する(かも)ってことやで」
それは……今すぐにって言われればさすがに無理ですけど。でも私は、ずーっと彼と一緒にいたいですから。そうすればいつかは……なりたいですね、アレックスの、お嫁さんに。
「あー、はいはい。どーぞ、お幸せに」
はい! 幸せになります!!
「あかん。嫌みが通じん……」
スイアーブがどこまで本気なのか、実は作者にも掴み切れてなかったりします。
いろいろ説明不足なので、少し補足。
・わざわざ契約魔法で縛り合わなくても、普通に婚約も結婚もできる世界です。が、メグとアレックスのような異世界人同士でなくても、契約魔法でお互いを縛るカップルは意外に多いようです。
・契約がどんな形をとろうが(「婚約」でなくても)、アレックスほどの魔力なら地球まで効果が届くはず、というご都合設定です。