28 異世界にナクヨうぐいす
混乱する私に、アベさん(多分「安倍」さん)は、やっぱり淡々と語り始めます。
「かつてこの地が、アルハラの地と呼ばれていた頃のことです」
アルハラ……。お酒の席での嫌がらせみた――いいえ、何でもありません。
「この地を治めしアルハラの民の女王は、当時流行していた疫病に心を痛めておいででした。
そんな折、異世界より訪れたという、陰陽師・安倍が、女王に進言したのです。『これは呪詛である。怨霊の仕業だ』と。
女王は、安倍の助言に従い、国の改革を始めました。東西南北、四方を山に囲まれた土地に都を置き、街を整備し、暦を取り入れ、陰陽を扱う役所を設置する――といったことを」
そうか、安倍は、異世界に平安京を造ろうとしてたんですね。
「すると不思議なことに疫病の流行はぱったりと収まったそうです」
本当にそれが「改革」の成果なのか、単に罹る人がいなくなっただけなのかは分かりませんけどね。
「それからしばらくは平和な日々が続きました。やがて女王と安倍は結婚し、子供にも恵まれました。
ですが、平穏な日々は長くは続きませんでした。女王が、暗殺されてしまったのです。それも、腹心の部下の野心のために。
怒り狂った安倍も、謀反者と刺し違え、間もなく亡くなりました。そして、アルハラのそんな混乱に乗じ、フェレス国が侵攻してきたのです」
それが数百年前、征服王の時代の話ですね。
「安倍の弟子の陰陽師達は、女王と安倍の子を守りながら生きながらえてきました。
そして女王と安倍、フェレス国の侵略によって命を落とした人々の、魂を鎮めてきました。
――これが、フェレス人の言う『アンヤージ』の始まりです」
*
私が日本でレポートを書くために借りた文献の中に、「太極」という概念がありました。
これは、「易」の生成論において、陰陽思想と結合して、宇宙の根源として重視された概念です。「太極」が万物の根源であり、ここから陰陽の二元が生じるとされていました。
白黒の勾玉を二つ組み合わせたような形の「陰陽太極図」は、どんなに陰が強くなっても陰の中には陽があり、どんなに陽が強くなっても陽の中には陰がある、ということを示しているのだそうです。
――陽の中に陰はあり、陰の中に陽はある。
光の中に闇はあり、闇の中に光はある。
生の中に死はあり、死の中に生はある。
それなら。
善の中に悪はあり、悪の中に善はある――?
「光と闇は本来、表裏一体のもの。
それを、光をあがめるあまり、その対極の性質を有する闇を、フェレス人は一方的に悪いものと決め付けてしまいました。そして、光でもって闇を制しようと、その力を振りかざし始めました。
その結果、世界のバランスが崩れた。これが、今この国が直面している事態の本質です」
光が強くなりすぎたせいで、闇も濃くなった――ということでしょうか。
「光と闇がコインの裏表である限り、どちらかが完全に排除されてしまうことなどあり得ません。
そこで陰陽道に生きる我々は、フェレス人の言う『闇』を、悪としてではなく闇そのものとして受け入れていたのです。そして、あまつさえ味方につけることを考えました。
強い恨みを持って死した人の魂は、死後に怨霊になったり、まれには『鬼』となったりします。そして『鬼』は、他の怨霊や闇の魔物を取り込み、取り込まれるうちに、魔物と同化していく事が知られていました。人も魔物も、結局は魂――『気』の産物ですから、融合してしまうことは不自然ではありません。
ですが、そうした者たちは、凶暴な性格を帯びていることがほとんどです。安倍が『呪詛』と呼んだのも、そのような存在の影響を指して、ですね。
日本には、非業の死を遂げ怨霊となった魂を、祀ることによって鎮めるという思想がありますね? それと同じで、我々はアルハラの女王や安倍や、その他多くの人々の魂を祀り、彼らが鬼となることを防いできました。
さらに、闇に生きる最も強力な存在を王、あるいは神として崇め、他の者たちを押さえてもらえば、万が一、鬼になる者が現れてしまったとしても、魔物との同化が止めてもらえます。鬼も、闇の世界に属する以上は、そこでの最強の存在には逆らえない筈ですからね。
我々はそうやって、自分達の世界の安寧を守ってきたのです」
闇の王を味方につけて、その他の悪い者たちの力を押さえてもらおうという思想。
それが、魔王崇拝の正体……というわけですね。
でもどうして、悪をも包含する闇をそんなにすんなり受け入れられたのでしょう?
私の問いに、チヨコさんは穏やかに微笑んで、
「この世に存在する全ては、等しく天意の元に在るのですから」
異世界に平安京を作りたかったのは、安倍というより私です。
闇の存在を認めつつ、「祀ってあげるから大人しくしててね。出来れば味方になってね」と考える陰陽師とアルハラ人。
悪へと変ずる可能性のあるものは、全て根絶せねばならない、と考えるフェレス人。
この違いが、うまく表現できていればいいのですが。