9 食事は口から
その日、部屋に戻ってきたご主人様は、なぜかとっても不機嫌でした。
「食堂で、スイアーブに会っただろう」
スイアーブ? もしやあの割烹着の似合うお兄さんのことですか。
「何を言われた」
えーっと……。
私は、スイアーブさんに言われたことを一言一句、間違えないように再現しました。
ご主人様は苦虫を何匹噛み潰したんだろうと心配になるような顔になりました。
そして低ーい声で呟きます。
「余計な御世話だ。あの野郎……」
「ところで、アンヤージって何ですか?」
「スイアーブが言ったとおりだ。
付け加えるとするならば、この国の先住民だ、と奴らは主張しているってことくらいか。
だがそれも数百年も前の話だ。
そのうち戦うこともあるかも知れんが、知ったところでお前は戦力にならんだろう」
つまり、無駄なことを喋らすなってことですね。了解でございます。
「そんなことより」
ご主人様の表情が、さっきより険しくなりました。
視線に温度があるとしたら、さっきに比べて摂氏二百度くらい下がりました。凍ります。
「なんでお前、ケーキなんか食ってんだ。魔力は毎日二回、ちゃんとやってるだろう。足りないのか?」
足りないわけではありません。
そもそも、握手もしくは掌の皺と皺を合わせて幸せ~だけで、食事終了なんておかしいんです。
人間は口からもの食ってナンボです。点滴じゃ食べ物の味なんて分かりません。それと同じです。
要するに、食事は口からするべきなんです!
私の力説に、ご主人様は「ふーん」と気の無いお返事。
ちょっとくらい、拾い食いや貰い食いをしたって良いじゃないですかー、と言いたかったのに、話は思わぬ展開を見せました。
「だったら、お望み通り口から食事させてやるよ」
――あれえ? なんか突然、ご主人様の目に怪しい光が……。
あわわなんで舌なめずりするんですかー!?
「いいです! やっぱり! 謹んでお断りさせていただきます――!!」
「却下」
枕を抱えてベッドの上を後退する私を、ご主人様はあっという間に壁際に追い詰めてしまいました。
うわーん何これ! 体が動かないです!! 助けてエリーちゃーん!!
(無駄じゃ。使い魔は主人の強い意志には逆らえないものじゃからの~)
エリーちゃんがちょっと楽しそうなのがムカつきます!
「よそ見するな」
ひー! フェロモン全開のご主人様の顔が目の前にぃ――!!
うあ――――。
今なら恥ずかしさのあまり勢いで高層ビルのテッペンから飛び立つことも出来そうです。
ノーバンジー。……言ってる意味が自分でもよく分かりません。
ううう……ああ、これってよく考えなくても私、ファーストキスじゃないですか!
それがこんな……こんな――。
魔力の補充のはずなのに、確実に何かが減りましたよ~。
カーテンを隔てて向こうに居たジャックさんも、顔が真っ赤です。
……まさか見てたわけじゃないですよね?
「見てない! 見てはいないけどね? ほら僕、水属性だから。どうしても水音には敏感で……」
(敏感でなくても丸聞こえじゃったがの)
ぎゃ――――――!! そういうこと言わないでください――!!
ご主人様! あなたのせいなのになんで溜息吐くんですかー!
「いや、色気の無い悲鳴だな、と思ってな」
うう……、だったら今すぐその手を放して私を解放してくださいー!
私は今、アレックス様に左腕をがっちり掴まれたままなのです。
何とか離れようと抵抗してるんですけど。
「放したら逃げるだろ?」
「当たり前です!」
「じゃあ放さない」
(だから主人の強い意志には逆らえぬと言っておろう?)
……エリーちゃんまで私の敵ですか。心の友だと思っていたのに。
「……わかりました。逃げません」
脱力した私の体をそっと抱き寄せて、ご主人様はまたトンデモナイことを仰いました。
――それも、満面の笑みで。
「じゃ、今日はこのまま一緒に寝るか」
「ごっ主人っ様! 私、床が良いでございます!」
昨日までと同じよーに! 是非!! そうして下さい!!
「俺に床で寝ろと?」
そういうことじゃありません!!
「だいたい使い魔風情がご主人様と同衾なんて恐れ多いにも程がありましてございましてですね!!」
「俺が良いんだから良いだろ?」
『良ぅないんじゃアホンダラァー!!』
私の脳内で雛ちゃんの突っ込みが炸裂しました。
そして私は気付いたら、男女の同衾など道徳に反します! ご主人様の品位を疑いますと、アレックス様に説教をかますことになっていたのでした。
……持つべき友は、雛ちゃんですね。
アレックスの二度にわたる爆弾発言の前には、悪魔の囁きがありました(笑)
ノーバンジー→ひもなしバンジー→ただの飛び降り?
短編にあった「ご主人様の抱き枕になる」シーンは回避したメグですが、実は先に延びただけだったりします。