第8話「権威という名の暴力」
査問官が来たのは、翌朝の八時だった。
レンがギルドに着いた瞬間、空気が違うとわかった。冒険者たちが壁際に寄り、誰も喋っていない。カウンターの前に、三人の人物が立っていた。
全員が白い外套を着ていた。胸に金糸で刺繍された紋章。開いた本と、交差した二本の杖。魔法師ギルドの印章だった。
中央に立つ男が、この場の主導権を持っていることは一目でわかった。五十代、細身、白髪を後ろに撫でつけている。目が細く、笑っているような顔をしているが、笑っていない。
男はレンを見た瞬間、わずかに眉を上げた。
「これが問題の人物か」
問題の、という言葉が最初に来た。レンはその言葉の選択を記憶した。
「神崎レンです」
「私はセルディオ。王都魔法師ギルド、理論審査部門の主任査問官だ」男は言った。「昨日の話を聞かせてもらおう。魔法の詠唱を改変したと」
「改変ではなく、効率化の実験をしました」
セルディオの目が、少し細くなった。
「同じことだ」
「違います」とレンは言った。「改変は既存のものを壊すことです。効率化は既存の原理を深く理解した上で最適化することです」
沈黙が、一秒あった。
壁際でゴードンが息を呑む音がした。
セルディオは表情を変えなかった。
それがこの男の強さだとレンは思った。感情を見せない。相手の反応を観察しながら、常に上位の立場から話す。交渉慣れしている。
「実演してみせろ」とセルディオは言った。「お前の、効率化とやらを」
「構いません」
レンは右手を前に出した。
胸の奥の熱に意識を向ける。昨日の実験で、アクセスの精度が上がっていた。魔力の在処が、以前より鮮明にわかる。
火。中規模。前方。出せ。
豆粒大の炎が、指先の前方に現れた。三秒間維持して、消した。
消費魔力、二。
セルディオは炎を見た。見ただけで、何も言わなかった。後ろに立つ二人の部下が、小声で何かを囁き合った。
「魔力値は」とセルディオが聞いた。
「十二です」
「十二で魔法を発動した、と」
「はい」
セルディオはゆっくりと腕を組んだ。
「一つ聞く。お前はどこでこの理論を学んだ」
「自分で考えました」
「どこかの文献を参照したか」
「ギルドの資料室にある基礎文献です。誰でも読めるものです」
「師匠は」
「いません」
セルディオの目が、初めて感情を持った。軽蔑ではない。それより冷たい何かだった。
「神崎レン」と男は言った。「率直に話そう。お前の実験は、千年続く詠唱様式の否定に繋がる。魔法師ギルドはその様式の管理と教育に権威を持つ組織だ。お前の理論が正しいとすれば――」
「ギルドが千年間、非効率な方法を教え続けてきたことになる」
レンは静かに言った。
セルディオの目が、細くなった。
「賢い口だ」
「事実を述べただけです」
「事実かどうかは、我々が判断する」とセルディオは言った。「魔法理論の審査権は魔法師ギルドにある。お前の実験結果は、正式な審査が完了するまで公表を禁じる。詠唱の改変を他者に教えることも禁じる。違反した場合は魔法不正使用として王都の法廷に持ち込む」
ギルドの中が、静まり返った。
レンは一度だけ息を吸った。
怒りはあった。ただ、感情で動く場面ではないとわかっていた。
「審査にはどれくらいかかりますか」
「三ヶ月から半年だ」
「その間、私は実験を続けることもできない?」
「個人の研究は妨げない。ただし結果の公表と他者への伝達は禁止だ」
「バルトさんはすでに知っています」
セルディオの視線がバルトに向いた。バルトは壁際で腕を組み、真っ直ぐにセルディオを見返していた。
「バルト。お前も審査完了まで口外を禁じる」
「……承知した」
バルトの声は平静だったが、顎の筋肉が固くなっているのをレンは見た。
三人の査問官が去った後、ギルドの空気はしばらく戻らなかった。
誰も喋らなかった。レンはカウンターの前に立ったまま、思考を整理していた。
ゴードンが近づいてきた。声を潑める。
「大丈夫か」
「はい」
「あいつら、本気だぞ。魔法師ギルドは王家と繋がってる。逆らったら冒険者登録を取り消されることもある」
「知っています」
「知っててあんな口を――」
「正確な定義の話をしただけです。感情的に見えましたか」
ゴードンは返答に詰まった。
アリアがカウンター越しに、小さな声で言った。
「レンさん」
「はい」
「審査の結果が出るまで、ここで働きますか。Fランクのクエストなら制限はありません」
それは職務上の確認だった。だがその声に、何か別のものが混じっていた。心配、あるいは――励ましに近い何かが。
「続けます」とレンは答えた。
アリアは頷き、視線を書類に戻した。
その夜、レンは部屋で天井を見つめた。
権威。既得権益。組織の論理。
地球でも、同じものがあった。正しいことを言っても、組織の利益を脅かせば潰される。それは世界が変わっても変わらない人間の性質なのかもしれない。
だが、一つだけ違うことがあった。
地球では、レンは一人だった。
今日、ゴードンが「大丈夫か」と聞いた。アリアが仕事を続けるか確認した。バルトが静かに圧力を受け止めた。
まだ三日しかいない村で、三人が隣にいた。
これが、積み上げるということか。
レンは目を閉じた。
三ヶ月。審査期間の間に、できることをやる。公表はできない。教えることもできない。だが、考えることは誰にも止められない。
次の一手を、静かに設計し始めた。




