第6話「常識という名の檻」
ギルドに戻ったのは、夕暮れ時だった。
薬草三種を受付に提出すると、アリアは一本ずつ丁寧に確認した。状態、品質、本数。しばらくして顔を上げ、わずかに目を細めた。
「全て規格上限の品質です。どこで採取しましたか」
「湿地と魔力帯土壌の境界付近と、北の岩場です」
「境界付近は初めて聞く採取地点ですね」
「ヒール草とマナリーフの両方が採れる場所を探したら、そこになりました。土壌の魔力濃度が混在している地点では、両種が競合して育つ傾向があると思ったので」
アリアは三秒間、レンを見た。
「……そういう判断をするFランクは、初めてです」
褒めているのか、警戒しているのか、判断しにくい声だった。レンは「ありがとうございます」とだけ言って、報酬の銅貨八枚を受け取った。
壁際の席に、今日もゴードンがいた。
クエストから戻ったばかりらしく、革鎧に泥がついている。レンを見て顎をしゃくった。
「採取か。どうだった」
「無事でした。それより少し聞いてもいいですか」
「なんだ」
レンは隣に座り、声を落とした。
「魔法の詠唱って、昔から同じ形式が使われていますか」
ゴードンは眉をひそめた。
「あたりまえだろ。古語詠唱は千年以上前から変わってない。それが正しい形だからだ」
「効率について考えたことはありますか。詠唱の長さと、魔力の消費量の関係です」
「効率?」ゴードンは首を傾けた。「魔法ってのはな、決まった詠唱を正確に唱えることで発動するんだ。短くしたら不完全になって、暴発するか不発になる。子供の頃に習う基礎だぞ」
「実際に試したことは?」
「……ない。そういうもんだからだ」
レンは頷いた。「そういうもの」という言葉が引っかかった。検証なき常識。この世界に、どれだけそれが積み重なっているのだろう。
「今日、少し試したんです」
「何を」
「詠唱の簡略化です。火魔法の構造を分解して、意味要素だけを四語に圧縮した。それで魔力12でも火花が出ました」
ゴードンの目が、止まった。
「……今、何と言った」
「魔力12で、火花を出しました」
しばらく沈黙があった。
ゴードンはゆっくりと腕を組み、レンを見た。値踏みの目ではなかった。それより複雑な、何かを測るような目だった。
「お前、自分が何を言ってるかわかってるか」
「検証段階なので確証はありません。ただ、理論的には筋が通ると思っています」
「魔力12が魔法を使えたなら、それは――」
ゴードンが言葉を止めた瞬間、隣のテーブルから声が飛んできた。
「聞こえてたぞ、新入り」
声の主は、四十代くらいの男だった。
Bランクの紋章。短く刈った白髪交じりの髪、鋭い目。テーブルに魔法書を広げたまま、こちらを見ていた。ギルドの中で唯一、武器ではなく本を持っている男だった。
「俺はバルトという。魔法使いだ」とその男は言った。「Fランクが魔法を使ったと言ったか」
「火花一粒ですが」
「詠唱を四語に圧縮して、か」
「はい」
バルトは立ち上がり、レンの前に来た。威圧ではなく、純粋な興味の目をしていた。
「その理論を説明してみろ」
レンは一度だけ息を整えた。
「詠唱の本質は、魔力に方向性を与える命令文だと考えました。古語詠唱は歴史的な経緯で冗長な修飾語が付加されていますが、意味の核は『対象』『規模』『方向』『現象』の四要素で構成できます。この四要素を最小の語数で伝えれば、魔力の消費を削減できると仮定しました」
ギルドの中が、静かになっていた。
いつの間にか、周囲の冒険者たちが話すのをやめてこちらを見ていた。
バルトは腕を組んだまま、レンを見続けた。長い沈黙だった。
「……二十年、魔法使いをやっている」とバルトはやがて言った。「同じことを考えたことが、一度もなかった」
「詠唱の効率化について、ですか」
「そもそも疑ったことがなかった。千年の歴史がある形式だ。正しいと思っていた。全員がそう思っていた」
バルトの声に、静かな動揺があった。
「俺でも試せるか。その圧縮詠唱とやらを」
「理論上は可能なはずです。ただ私の実験はまだ一回だけで、再現性が確認できていません。一緒に検証していただけるなら、むしろ助かります」
バルトはしばらく黙った。
それからレンに向かって、右手を差し出した。
「バルトだ。よろしく頼む」
「神崎レンです」
握手をした。魔法使いの手は、思いのほか硬かった。
その夜、アリアは一人で業務日誌を書きながら、今日の出来事を反芻していた。
魔力12のFランクが魔法を発動させた。詠唱の効率化理論。バルトが興味を示した。
一つひとつは小さな出来事だ。だが何かが、今日から変わり始めた気がした。
アリアはペンを止め、窓の外を見た。
神崎レン。三日前に現れた、ステータス最底辺の青年。戦えない。魔法も使えない。なのに毎日、何かを崩していく。
あの人は、何者なんだろう。
そう思ってから、アリアは自分の思考に気づいて、静かに視線を日誌に戻した。
ペンが、また動き始めた。




