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最弱転生~知識だけが俺の剣~  作者: 生クリーム王子


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第18話「詰め、そして一手先」

 公証ギルドは、王都の行政区画にあった。

 商業区画から裏道を使って十二分。エルナの案内は正確で、一度も迷わなかった。石畳の細い路地を抜け、広場に面した落ち着いた建物の前に出た。

 入口に公証ギルドの紋章。天秤と羽根ペンが組み合わさった意匠だった。

 レンは扉を開ける前に、一度だけ周囲を確認した。

 広場の端に、人影が二つあった。昨日の尾行者と同じ立ち方だった。動いていない。まだ距離を保っている。

「カイさん、入口の左に二人います」

「見えてる」とカイは言った。「中に入れ。俺が外で待つ」

「一人で大丈夫ですか」

「二人なら問題ない」

 レンとエルナが中に入った。


 公証ギルドの受付は静かだった。

 冒険者ギルドの喧騒とも、商人ギルドの計算高い空気とも違う。行政機関特有の、感情を排した静けさがあった。

 受付の担当者は中年の男性だった。眼鏡をかけ、書類を丁寧に扱う手つきをしていた。

「商業契約の公証を依頼したいのですが」とレンは言った。

「契約書をご提示ください」

 ミレーヌと交わした契約書を出した。担当者がそれを受け取り、内容を確認し始めた。

「公証の完了まで、おおよそ一時間から一時間半です。内容の確認と、双方の署名確認が必要になります」

「ヴァルキス商会側の確認は」

「こちらから使者を出します。副会頭のミレーヌ様には、事前に公証依頼の可能性をお伝えしていましたか」

「しています。すぐに動いていただけるはずです」

「では確認を取ります。少々お待ちください」

 担当者が奥に引っ込んだ。

 待合の椅子に座り、レンは時計を確認した。時計はないが、日の角度で時間を推定する。今は昼過ぎ。公証が完了するのは夕方近い時間になる。

 エルナが隣に座った。

「うまくいっていますか」と彼女は小声で聞いた。

「今のところは」

「外が心配です」

「カイさんなら大丈夫です」

「根拠は」

「あの人は、自分が対処できないことを引き受けない人です」

 エルナは少しの間、考えた。「そうかもしれませんね」と言った。


 三十分が経った。

 担当者が戻ってきた。

「ヴァルキス商会への確認が取れました。副会頭より、公証手続きを進めるよう連絡がありました。内容の精査に入ります」

「ありがとうございます」

 手続きが動き始めた。

 レンは椅子に背をもたせかけ、目を閉じた。今日の交渉を振り返る。想定より良い条件で合意できた。ミレーヌは手強かったが、正直な交渉者だった。隠し球を使わずに、正面から条件を出してきた。

 信頼できる相手だと判断した。

 その判断が正しいかどうかは、これからわかる。

 四十分が経った。

 扉が開いた。


 入ってきたのは、白い外套を着た三人だった。

 先頭に、セルディオがいた。

 レンは立ち上がった。エルナも立った。

 セルディオはレンを見て、微かに笑った。笑っていない笑いだった。

「やはりここにいましたか、神崎レン」

「セルディオさん」とレンは言った。「王都にいらしたんですね」

「私の本拠地です」セルディオは部屋を見回した。担当者が緊張した顔で立っている。「公証の手続き中ですか」

「はい」

「それは困った」とセルディオは言った。声は穏やかだった。「実は今日、緊急の審査命令が出まして。神崎レン氏の技術に関する全ての商業利用を、審査完了まで一時停止する命令です」

 レンは命令書を見た。

 羊皮紙に、魔法師ギルドの印章と、王都行政長官の副署名があった。

 レンは一度だけ、深く息を吸った。

 来た。想定していた手だった。

「担当者さん」とセルディオは続けた。「この命令書がある以上、公証手続きを進めることはできません。御ギルドの規定では、行政命令下の技術に関わる契約の公証は一時停止が義務付けられています」

 担当者が命令書を受け取り、内容を確認した。顔が曇った。

「……確かに、規定上は一時停止が必要になります」

 エルナが前に出た。

「その命令書を見せてください」

 セルディオはエルナを見た。「ヴァルトシュタイン家の三女か。研究院の人間がなぜここに」

「個人として同席しています」とエルナは言った。命令書を受け取り、読んだ。「行政長官の副署名ですね。ただし発行日が今日です。交渉の成立後に取ったものですか」

「関係ありません。有効な命令書です」

「技術の内容を特定していない命令書です」とエルナは言った。「『神崎レン氏の技術に関する全て』という包括的な表現は、法的に有効な範囲指定として不十分な場合があります」

「その判断は法廷が行います。それまでは一時停止が適用されます」

 エルナの顔が、わずかに強張った。

 これは想定していた展開だった。正面から法的に争えば時間がかかる。その間に何かが起きる。

 レンは一歩前に出た。

「セルディオさん、一つ確認させてください」

「なんですか」

「この命令書は、王都行政長官の副署名があります」

「そうです」

「副署名、ということは、主署名者がいます」

 セルディオは返答しなかった。

「通常、行政命令の主署名者は行政長官本人です。副署名は補佐の立場が使います。この命令書の主署名欄が空白になっていますね」

 担当者が命令書を見た。エルナも見た。

 主署名欄が、確かに空白だった。

「……」セルディオの表情が、初めて動いた。

「主署名がない行政命令は、規定上、仮命令の扱いになります」とレンは続けた。「仮命令の効力は、正式命令の発行まで四十八時間の猶予期間が設けられています。その間は一時停止の強制力がありません」

 担当者が書類棚から分厚い規定集を取り出した。ページを繰る音がした。

「……確認します」と担当者は言った。

 三分間、誰も動かなかった。

 担当者が顔を上げた。

「神崎様のおっしゃる通りです。主署名のない仮命令の場合、四十八時間の猶予期間が適用されます。この期間内の公証手続きは、規定上、妨げられません」

 セルディオの顔から、表情が消えた。

 レンは続けた。

「それともう一点。この命令書の技術範囲の指定ですが、エルナさんが指摘した通り、包括的すぎます。ヴァルキス商会との契約は、魔法の理論ではなく、商業利用効率化技術の使用権です。魔法師ギルドの審査権が及ぶ範囲は魔法理論の審査であって、商業技術の使用権契約ではありません。この点については、事前に弁護士の見解を取ってあります」

 鞄から一枚の書類を出した。

 王都の法律事務所の印章と、弁護士の署名がある見解書だった。

 昨日の夜、カイの紹介で弁護士に依頼していた。

 セルディオが書類を見た。

 初めて、彼の目に動揺が現れた。

「いつ用意した」

「王都に来る前から準備していました」とレンは言った。「あなたが動くことは、想定していました」


 セルディオは三秒間、動かなかった。

 それから白い外套を翻し、扉へ向かった。

「この話は終わっていません」と言いながら、振り返らなかった。

「承知しています」とレンは言った。「正式な審査が完了した時点で、改めてお話しましょう」

 三人が出ていった。

 扉が閉まった。

 担当者が、ゆっくりと息を吐いた。

「……続きを進めます」と彼は言った。「完了まで、あと三十分ほどです」


 公証が完了したのは、夕刻だった。

 建物を出ると、カイが外で待っていた。右の拳に、わずかに擦り傷があった。

「何かありましたか」とレンは聞いた。

「少しだけ」とカイは言った。「三人になっていた。一人は帰ってもらった」

「怪我は」

「これくらいは怪我のうちに入らない」

 エルナがカイの手を見た。

「手当をします」と彼女は言った。

「必要ない」

「必要あります」

 二人のやり取りを聞きながら、レンは夕暮れの王都を見た。

 オレンジ色の光が石畳に降りていた。人が行き交い、商人が店仕舞いを始め、子供が路地を走っていた。

 公証は完了した。契約は法的に確定した。セルディオを退けた。

 だが、これで終わりではない。

 セルディオは「終わっていない」と言った。その言葉は本当だ。次の手が来る。もっと大きな手が来る。

 そしてまだ、魔力脈の問題が残っている。

 収束まで、二ヶ月と少し。

 レンは空を見上げた。

 夕暮れの空の向こうに、薄く月が見えた。橙色の月が、王都の上に静かに浮かんでいた。

 まだ、始まったばかりだ。

 三人並んで、宿への道を歩き始めた。

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