第15話「二つの返答、そして三角形」
翌朝、レンは早く目が覚めた。
今日は返答が二つ来る日だった。商人ギルドのトレードからの返答と、エルナへの返答。どちらも、この先の動きを決める分岐点になる。
レンは起き上がり、窓の外を見た。
夜明け前の空に、二つの月が沈みかけていた。青い月が先に地平線に消え、橙の月だけが残った。その光が村を薄く照らしている。
頭の中で、今日の優先順位を整理した。
まずトレードの返答を聞く。内容によってエルナへの返答が変わる。二つの交渉は独立しているようで、連動している。どちらか一方に依存すると、もう一方への交渉力が落ちる。両方を同時に進めながら、互いを補完させる。
それが今日の目標だった。
商人ギルドに着いたのは、朝の八時だった。
トレードはすでに執務室にいた。レンを見るなり立ち上がり、扉を閉めた。それだけで、返答がある程度わかった。動く気があるから、外に漏れないよう扉を閉める。
「王都に伝手を当たった」とトレードは言った。「ヴァルキス商会という組織だ。知っているか」
「知りません」
「王都最大の魔法道具商だ。魔法ランプ、魔法農具、魔法暖房器具。この国の魔法道具市場の四割を握っている。そこの副会頭が、お前の話に興味を持った」
レンは数字を計算した。市場の四割。その規模で魔力消費が三分の二になれば、削減できるコストは相当な額になる。
「副会頭が直接動いた理由は」
「魔法道具の製造コストの中で、魔力充填費が最大の変動費だ。そこを削減できれば、利益率が大きく改善する。ヴァルキス商会にとっては死活問題に近い話だ」
「会いたいと言っていますか」
「来週、王都に来られるか、と」
レンは一瞬だけ考えた。
王都。カイが追っている魔力脈の異常の収束点。魔法師ギルドの本拠地。そして三ヶ月後に何かが起きる場所。
早すぎるかもしれない。だが、遅すぎるよりはいい。
「行けます」
「ただし条件がある」とトレードは言った。「ヴァルキス商会は慎重な組織だ。技術の実演だけでなく、理論の文書化を求めている。査読に耐える形式で」
「文書化はできます。ただし魔法師ギルドの審査が完了していない状態での公式提出は、法的リスクがあります」
「そこはヴァルキス商会の顧問弁護士が対応する。商業利用の文脈なら、別の法的根拠が使えると言っていた」
プロが動いている。レンが昨日考えた「土俵を変える」戦略を、商業側のプロが同じ角度から補完している。
「わかりました。文書を三日で作ります」
「三日で書けるか」
「書きます」
トレードは少し笑った。「若いな」と言った。褒め言葉だった。
商人ギルドを出ると、エルナが外で待っていた。
馬車の横に立ち、腕を組んでいた。レンを見て、一歩前に出た。
「返答を聞きに来ました」
「中で話しましょう」
宿の食堂に入り、向かいに座った。カイもいた。昨夜、今日エルナと話すと伝えてあった。カイは壁際のテーブルに一人で座り、こちらを見ていた。
エルナがカイに気づいた。
一瞬だけ目が止まった。値踏みするような目ではなく、認識するような目だった。カイも同じ目でエルナを見た。
二人の間に、無言の何かが流れた。
レンはそれを記録した。後で確認する。
「協力をお願いします」とレンはエルナに言った。
エルナは少し意外そうな顔をした。
「昨日より早い決断ですね」
「条件が変わりました。今朝、王都のヴァルキス商会からの接触がありました。来週、王都に行くことになります」
「ヴァルキス商会」とエルナは繰り返した。「動きが速いですね」
「あなたの研究院のバックアップがあれば、王都での動きに幅が出ます。商業ルートと学術ルートの二本立てにしたい」
「なるほど」とエルナは言った。指を組み、少し考えた。「研究院への採択推薦には、技術の文書化が必要です。それと実演記録を私が作成する必要があります」
「文書は三日で作ります。実演はいつでも可能です」
「三日で書けるのですか」
「書きます」
エルナはレンを見た。
「同じことを商人ギルドでも言ってきたのですか」
「はい」
エルナは少しの間、無言だった。それから小さく笑った。
「わかりました。協力します。ただし条件があります」
「聞きます」
「私も王都に同行させてください。ヴァルキス商会との交渉に研究院の立場で同席できれば、法的な根拠を商業と学術の両面から固められます」
レンは考えた。
同行。王都への移動中、エルナと行動を共にする。それはカイの調査とも重なる。三人が一緒に動くことになる。
複雑になる。だが、戦力として考えれば悪くない。
「構いません」
「決まりです」とエルナは言った。手帳を出し、何かを書き始めた。
その後、レンはカイを呼んだ。三人でテーブルを囲んだ。
最初の十秒間、誰も話さなかった。
カイがエルナを見た。「名前は」
「エルナ・ヴァルトシュタイン。魔法研究院所属。あなたは」
「カイ。冒険者だ」
「冒険者にしては、姿勢が良すぎます」とエルナは静かに言った。
カイは返答しなかった。
エルナも追わなかった。
レンは二人を見た。どちらも頭が動く人間だ。互いの正体を探りながら、今は情報を出さないと判断している。それで構わない。信頼は時間をかけて積み上げるものだ。
「王都での動きを整理します」とレンは言った。
二人の視線が、レンに集まった。
「ヴァルキス商会との交渉がメインです。エルナさんには研究院の立場で法的根拠を補強してもらいます。それと並行して」
レンはカイを見た。
「魔力脈の調査も進める必要があります。王都に入れば、収束点に近い場所で直接調査できます」
カイの目が動いた。
エルナの目も動いた。
「魔力脈の調査、とは」とエルナが言った。「どういうことですか」
レンはカイを見た。カイは少しの間考えてから、小さく頷いた。
レンはエルナに向き直った。
「話せる範囲で説明します。聞いてもらえますか」
エルナは手帳を閉じた。真剣な目をしていた。
「聞きます」
説明は一時間かかった。
魔力脈の異常発生、収束点が王都の真下であること、三ヶ月後の期限、魔法師ギルドとの可能な関連性。カイが集めたデータと、レンが加えた分析を合わせて話した。
エルナは途中で一度だけ「地図を見せてください」と言った。カイが地図を出した。エルナはそれを五分間、無言で見た。
「この収束パターン」とエルナは言った。指が地図の上を動いた。「螺旋状に収束しています。自然の魔力脈はこういう動きをしません」
「人工的だと思いますか」とレンは聞いた。
「人工的というより、誘導されています。何かが中心で引っ張っている。収束しているのではなく、吸引されている」
カイが体を前に傾けた。
「王都の地下に、吸引源がある可能性があります」とエルナは続けた。声が低くなっていた。「建国時の封印に関する文献を、研究院で読んだことがあります。詳細は王家の機密ですが、封印の存在は研究院内では知られています」
「封印が解けようとしている?」とカイが言った。
「あるいは、誰かが意図的に解こうとしている」
三人の間に、重い沈黙があった。
窓の外で、風が吹いた。
レンは三人を見渡した。
十四日前、一人で森にいた。
今、隣に二人いる。どちらも頭が動く。どちらも動く理由を持っている。どちらも、信頼できる可能性がある。
三角形は、最も安定した構造だ。
「来週、王都へ行きましょう」とレンは言った。
カイが頷いた。
エルナが手帳を開いた。
三人の、最初の一歩が決まった。




